tag:blogger.com,1999:blog-11313901751586013782024-03-12T21:48:18.492-06:00絵巻三昧Unknownnoreply@blogger.comBlogger845125tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-6383297175005562862022-10-01T22:28:00.009-06:002022-10-01T22:28:55.162-06:00仮名と漢字先週、「現代語読み」をめぐって書いた。今度は、それを支える理屈をもうすこし付け加える。古典の原文を現代語表記に置き換える、とりわけ仮名遣いを現代のそれに直す、というのは、この提言の骨子である。言ってみれば、古典表記の漢字を現代通用のものにするというやり方は、すでに広く受け入れられるようになった。その方針を仮名に広めただけのことである。漢字表記が今日の「通用」のものになったには、主に二つの要素が働いたと思う。一つは教育、一つはパソコン技術の進化。互いにかなり離れた分野だが、その作用が明かだった。ともに頻繁に使う漢字を精選し、使う漢字に優先順位をつけるものである。教育には、統一性、効率性が基礎であり、行き届いた教育を行うものとして必須のものである。パソコンの方は、汎用した技術に従い、JIS1、JIS2と工業基準が粛々と制定され、それから漏れたものは結局実用から遠ざかれる結果となる。あまりにもUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-34041616025978782862022-09-24T21:57:00.007-06:002022-09-24T21:57:32.909-06:00現代語読み古典文学研究の基本作業の一つには、読み下しがある。もともと漢文を対象に施したもので、原文の文字の順番を日本語に変え、読み方を示す。このやり方はやがて他の文体、平安の物語から中世の御伽草子などの仮名中心の文章に及び、文章の順番を弄る必要はなくなるが、漢字を加えるなど新たな需要が生れた。ただ、それ以外のところを変えないという方針が一つの前提として受け継がれた。研究を目的とする人には、これにはいっさい違和感がない。だが、古典の文章をふつう読まない一般のの読者に文章を提供するとなれば、はたして最善の対処なのか、これまでほとんど考えもしなかったことである。そんな中、このころ、一つの小さな作業に取り掛かり、編集者から興味深い提案を受けた。漢字に置き換えるだけではなく、残りの文章にも手を加え、歴史仮名遣いを現代仮名遣いに変える、というもので、そのようなサンプルを提示してくれた。まったく意表をついたものUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-2758759649746640812022-09-18T09:15:00.001-06:002022-09-18T09:15:11.060-06:00鬼の姿鬼の噂やそれに右往左往する洛中の様子を伝えた『徒然草』第50段、一度は疫病をめぐって記した。(「鬼のそらごと」)一方では、この段を絵にする注釈が行われ、眺めていて同じく興味深い。兼好の文章を絵にするという労作は、まず松永貞徳の『なぐさみ草』(慶安五年、1652)によって成された。絵は数えて156枚、全作の三分の二に近い段を取り上げたという計算になる。その中で、第50段を対象とする絵は、記事の後半の内容にスポットを与えた。「鬼が出た」と聞いて人々が集まり、逃げるのではなく、その姿を一目見ようとする。結局は待ちぼうけ、はてには群衆の喧嘩にまで展開したとのことだった。絵の内容は、挑発的なものだと言わなければならない。鬼は雲の中に座り、人びとをあざ笑うかのように下に指をさす。そのような鬼に見られていることなどまったく知らず、男たちは二つの集団に分かれてはでに喧嘩を始めようとする。いるはずもない鬼Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-4659715851778782832022-09-10T18:05:00.003-06:002022-09-10T18:05:23.156-06:00明月の賞で方暦のうえで今日は中秋。中国や日本に遅れて十数時間、ここカナダも、大きくて明るい月に照らされる美しい夜になった。とりわけ中国は、「中秋節」といって国民休日にさえなって、SNSでは祝福の言葉が盛んに交わされている。その昔、兼好も中秋の夜のことを記した。八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。(『徒然草』239段)きわめて短い一段だ。率直に清く明るいこの日に月を賞でるべきだと説く。さらに宿の日のことを付け加えられたが、今も占いなどの場において残される暦で、月を眺めることに関しては特別に新しい情報ではない。改めて思い出したいのは、『徒然草』のほとんどの記述が、これを熱心に読んでいた江戸の知識人によって絵に描かれたことだ。この短い一段にも、右のような絵が添えられた。(『つれづれ艸繪抄』下巻49オ)月が主役だが、描かれたのは、兼好の記述とはおよそ関連が見つからUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-64121711863451301042022-09-03T18:07:00.002-06:002022-09-03T18:07:11.463-06:00文豪5N雑談の中で、「一番最初に購入したパソコンとは」と聞かれ、忘れがたい思い出に繋がった。つい自慢そうにそれを長々と語った。それは、NECの「文豪5N」だった。パソコンのことを聞かれてワープロを持ち出すのは、誤答と言われてもやむをえないが、80年代の半ばというのは、まさにそのような時代だった。世の中はマッキントッシュで一世風靡したものだが、ただ言語の壁は高く、日本語を扱うことが出来なければ、視野の外に押し出してしまう。日本では、あくまでもワープロだった。そして、自分はその流れに乗せられた消費者の一人だった。「文豪」と名乗ったその機械は、あまりにも先端的で、いろいろな意味で語り草となっている。その証にいまでもCMがYouTubeに記録されている。それを購入したのは、1985年の春ごろだった。鮮明に記憶に残ったのは、機械が寮の部屋の前に、販売の店員が届けてくれて、そこで熱心に説明をしてくれたことだUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-74000071728247978792022-08-27T20:32:00.004-06:002022-08-27T20:32:14.658-06:00音声書籍Googleメールボックスで広告のフォルダに自動的に振り分けられたメールのタイトルを眺めたら、Audibleからの一か月無料体験の誘いがあった。音楽ではなく、時事や朗読などをBGMのつもりで聞いている身としては、これを良いことにサービス利用を再開した。個人アカウントに入ったら、これを一年ほど利用してから、二年前ほどに停止を選んだ。時間がずいぶん経ったのに、アマゾンへのアクセスのパスワードは変わらず、サイトに保存された個人情報も、支払い方法も、そして利用期間中に購入したタイトルもすべてそのままなのだ。一方では、あのころコインで決まったタイトル数だけ利用するというシステムが廃止され、代わりに会員となる期間中には聞き放題、会員を止めたらタイトルへのアクセスは無効、言い換えれば会員の料金はあくまでもコンテンツの利用であり、個人所有はタイトルの個別購入に限るという、分かりやすいと言えば分かりやすいUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-76273310103763229902022-08-20T22:03:00.006-06:002022-08-20T22:03:47.381-06:00読則実例先週取り上げた山東京伝の「読則」。それが作品の中でどこまで実際に応用されたのか、おもわず検証してみたくなった。幸いその実体はすぐ分かり、律儀に実施されているのだと、小さくほっとした。述べられた「印」は、あわせて五つあった。『八重霞かしくの仇討』を披き、目で追っていくと、六丁裏~七丁表の見開きにそれらをすべて用いたことを確認できた。便宜に番号をつけて順に見ておく。①〔よみはじめ〕。読み出しの部分は左の端に来た場合などは必要がないが、このページのように真ん中で文章が始まり、左側に文字のグループが複数あって、はじめて用いられた。②〽。この記号は、人物の会話を表わすための定番のもので、いまさら必要だとはとても思えない。ただ、そのような会話が記述の文字の中に入りこんだ場合などは、やはりあると助かる。③〔つぎへつづく〕。このページにある会話などを読まないでページを捲り、つぎのページにある文章を読み終Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-20063711079907277582022-08-13T22:28:00.004-06:002022-08-13T22:28:30.099-06:00読則山東京伝の合巻『八重霞かしくの仇討』(1808年)。その扉に刷られた文字を読めば、意外な内容にいささか驚く。普段なら、作品の内容やら出来栄えやら、作者の思いを語るに最適のこの場所に、「読則」と掲げられている。その最初の二行は、これだ。予が著述の絵草紙、すべてかならず読則あり。本文、画にへだてられて読がたきも、此則によりて読ば、埜馬台の詩に蜘の糸を得たるが如くなるべし。あの野馬台詩の典拠まで持ってきたのだから、恐れ入ったものだ。述べられていることは、それ自体は分かりやすい。絵の中に大量の文字が入り、しかも絵の空白を埋めるような恰好で配置していくものだから、その文字情報を読む順番を説明している。「〽」「▲」「〇」などなど、分断された文字の塊の続きを示す記号が用意され、親切とさえ言える。しかしながら、このような文章読み取りに関する基本的な方針は、はたして京伝という一人の作家の、「予が著述」云々Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-39826114814208066652022-08-06T22:10:00.005-06:002022-08-06T22:10:41.632-06:00故人を偲ぶ朝起きて、北京大学厳紹璗先生の訃報が目に飛び込んできた。日付は6日、時差の関係で同じ日にニュースが地球を駆け回り、伝わったという結果になる。さっそく古い写真を一枚選び、SNSに貼り付けた。写真が撮られたのは、1985年1月、ちょうど修士論文を書くために苦闘していた時期だった。あのころ、テーマをどう選び、アプローチを如何にするかで、真剣に苦労していた。まさに学問の仕方をその基礎から学ぼうとしていた。その中で出会った厳先生は、まさに颯爽として古典の中を自由自在に往来していた。時代、ジャンルなどの拘りなどをまったく気にせず、とにかく中国との関連という一点で斬新な成果をつぎつぎと世に送り出した。まるで眩いような存在だった。同じ京都に、古典に志す中国人の先輩がいる、しかも研究をものにしているということだけで、なぜか大きく励まされた思いだった。書誌学、比較文学の大家として、厳先生の中国や日本でのUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-49703708935168290892022-07-30T19:29:00.004-06:002022-07-30T19:29:26.318-06:00音を考える昨日、四冊の研究書が届いた。いずれも自分の研究分野と違うもので、分かる自信がないまま手に取り、ページを開いた。これだけの発見や思索を凝縮した書物、一通り目を通すことさえ気力の要るものだ。最初の一冊は、音がテーマだ。かつて「声」関連の論考を集中的に読み漁った時期があり、ずっと関心を持っていた。編者は細川周平氏、『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング、2021年)。じつに600頁以上の大著で、10部構成となっている。音というテーマには、こうも多様なアプローチがなされたものだと、目録を眺めて、気づかされることばかりだった。「戦前時昭和の音響メディア」、「音が作る共同体」、「ステレオの時代」、「物語世界論への挑戦」、などなど。「音響テクノロジーの考古学」では、音を記録する装置の発明、利用や普及の流れから、科学技術の発明、とりわけその失敗や進歩を振り返り、広い意味での人間の知恵を認識させた。Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-85411165358545991952022-07-23T10:23:00.006-06:002022-07-23T10:23:24.462-06:00駅の姿真夏に入り、今日からちょっとした小旅行に出かける。いつものように出発までにあれこれと調べものをする。今度の旅先は、鉄道と関連がある。漫然とクリックしているうちに、右の一枚が目に飛び込んできた。『頭書増補訓蒙図彙大成』巻三「居処」に入ったものである。ここに描かれたのは、二つの風景。後ろに建つのは「護摩堂」、前に連なるのは「駅」。書き込まれた文字は、「駅、むまやど」、上段に書き込まれた説明は、さらに「駅は道中のはたごや馬つぎをいふ。駅館とも又駅舎とも駅伝ともいふ」と読む。「駅」という存在をあわせて六つの言葉を連ねた。道路を行き交う人々は、「護摩堂」よりも後者の「駅」にかかわる風景なのだ。駅を彩るさまざまな人間を眺めると、飼料に食いつく馬や、荷下ろしをする宿の男、馬との長旅から解放されて座って一服する旅人を中心に、旅を急ぐ男はさらに三人描きこまれている。笠や頸から肩にかける袋が目を引く。一方でUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-6871562984860897212022-07-17T10:43:00.006-06:002022-07-17T10:43:45.294-06:00岩崎文庫解題数日まえ、東洋文庫から恵送してくださった貴重な資料が届いた。『岩崎文庫貴重書書誌解題』、そのVIII、IX、X。今度も、春先の郵便の滞りからの影響をもろに受けて、投函の日付を見ると、三か月半もさきのことだった。まっさきに開いたのは、「東洋文庫絵本コレクション」と副題がついたVIIIだった。絵のある文献だけで473頁もの解題になるのだと、意外な気持ちを覚えた。だが、カタログのつもりで取り掛かったら、嬉しい誤解だった。期待をはるかに超えて、カラーや白黒の写真による対象作品のハイライトや詳細な書誌解題に加えて、『いは屋』、『いはや』などの十九の作について丁寧な翻刻まで施されたのだった。考えてみれば、関連の研究者がこの一冊までたどり着くには、ちょっとした工夫が必要となるだろう。それはさておくとして、じつに良心的で、上質な研究成果なのだ。これに引かれて、あらためて東洋文庫の公式サイトを覗いた。同Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-24536171496311751132022-07-09T21:41:00.005-06:002022-07-09T21:42:29.464-06:00川沿いのギャラリーさほど遠くない山の中には、観光地バンフがある。距離は120キロ、運転して一時間ちょっとだ。温泉まであって、息抜きのお出かけには持ってこいの行先だ。先日、ふらっと立ち寄ったら、川沿いの散歩路はいつの間にか野外ギャラリーと変わった。並べられた作品は、三、四十点だろうか。歩きながらそれらを眺め、カメラを向けた。地元の人々の粋なおもてなしなのだ。作品の規模はさまざま、材料も木、ガラス、鉄とあり、ただ単に木の板に素朴な絵を描いたものも少なくなかった。全体的には手作り感十分、どちらかと言えば学生の習作といった感じだった。文字の説明を読んでみても、凝ったタイトルが付けられるわけでもなく、作者の名前や作品の意図を伝えるような統一したスタイルさえない。代わりに、自然を愛でるような有名人のフレーズだけをプリントして木々の間に多数置いた。いかにもカナダらしい、肩を凝らない自由自在で、表現を楽しむような展示なのUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-63174315998993576742022-07-02T20:11:00.004-06:002022-07-02T20:11:38.299-06:00大惣本デジタル公開今週伝わってきたニュースの一つには、京都大学貴重資料デジタルアーカイブが同図書館所蔵の大惣本の一部をデジタル公開したというのがある。公開したのは417タイトル、全所蔵の3667部のわずか一割強にすぎないが、纏まりのある公開は、やはりインパクトがある。公開の方法は、IIIFに基づき、安心してアクセスできる。一方では、中身や分量に対して、いまだ検索などの対応が十分に整っていない。デジタル制作について、「国文学研究資料館が実施する「日本語の歴史的典籍の国際共同研究ネットワーク構築計画」(略称:歴史的典籍NW事業)に拠点大学として参加して実施し」た結果だと明示し、個々の書誌データも「日本古典籍総合目録データベース(国文学研究資料館作成)による」と記すが、これに対して、新日本古典籍総合データベースの方から今度公開のタイトルを検索すると、大惣本との記述があるが、画像へのリンクがまだ用意されていない。Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-39735372576694373572022-06-25T22:35:00.006-06:002022-07-01T12:00:09.634-06:00文字絵とは先週とりあげた北斎の「在原業平」の続きとして、noteで同じ北斎の六歌仙シリーズから「僧正遍昭」を解読してみた。(「文字絵「へんぜうそう正」」)このように「文字絵」に惹きつけられる中、江戸の人が残した文字絵についての定義に接して、なるほどという思いだった。国立国会図書館のサイトには、「本の万華鏡」というシリーズの一篇として「へのへのもじえーー文字で絵を描くーー」がある。そこに記された「遊びの文字絵」において、『嬉遊笑覧』(巻三書画)が述べるところの「文字絵」を紹介している。つぎの文章である。(原文のリンク)「宝暦ころ、童の習いの草子に文字絵とて、武者などの形を文字にてかき、頭と手足をば絵にてかきそへたるものあり。狙うところの人物などの形を文字で描き、文字だけで十分に表現できないところは絵をもって書き出す、まさに文字絵と呼ばれるユニークなジャンルの作品の作り方である。半年ほど前にとりあげたUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-40004092339191132452022-06-18T21:13:00.003-06:002022-06-18T21:13:36.167-06:00北斎の文字絵北斎には、六歌仙を題材にした文字絵の浮世絵六枚組がある。複数の所蔵がデジタル公開され、色合いの異なる作品などもあって、見比べて楽しい。その中の「喜撰法師」を解読し(「文字絵「きせんほうし」」)、共感のコメントが寄せられ、嬉しかった。そこで、ここにさらに一題。大英博物館蔵の「在原業平」。見詰めていて、何回も諦めようとした。まずはどうぞ挑戦してみてください。ようやく答えが見えてきて、おもわず膝を叩いた。こういうやりかたもあったのか。仮名とばかり睨んだら、漢字、それも崩された形のそれを紛れ込ませたとは、一種の変則だと言わなければならない。ちなみに使われた字形は、上段に書き込まれた文字と同じものだ。絵師の得意そうな顔が絵越しに見た思いだ。この手の絵を眺める醍醐味なのだろうか。答えをGIF画像に纏めて、ここに置いておく。Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-18660098478829903422022-06-11T22:55:00.001-06:002022-06-11T22:55:09.474-06:00長恨歌新刊『源氏物語と長恨歌』を著者からいただいた。郵送にはじつに三か月半もかかり、これまでにはなかったことである。ずっしりと重い一冊がようやく無事に届き、さっそく開き、読み耽った。物語の頂点をなす『源氏物語』。これに対して、著者一流の鮮やかなアプローチがいたるところに施され、読ませてくれる力作である。随所にメモを取りたくなる豊富な資料、共感を呼ぶ丁寧な読解、明晰にして説得力ある真摯な解説、教わることは多かった。物語の出典論から始まり、それが物語が古典となる由縁を解き、物語論全般に及ぶ。奥深平安文学の真髄を覗きみることを手引きしてくれた。著者が語ったところの、はっとさせられる記述をいくつか掲げておきたい。「平安朝において、『長恨歌』は物語であった。絵が添えられ、和歌が読み加えられ、様々の解釈が与えられ、語られた。」(34頁)「『源氏物語』の『長恨歌』への愛着とは、その深層においては、羽衣説話へUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-42934614840450974762022-06-04T21:58:00.005-06:002022-06-04T21:58:26.078-06:00ページから飛び出す黄表紙の作品を何気なく眺めていたら、絵の構想の楽しいことにたえず唸らされる。ここにそのような一枚。『奇妙頂礼胎錫杖(きみょうちょうらいこだねのしゃくじょう)』、作者はあの十返舎一九、刊行は寛政七年(1795)。一九が黄表紙の作成に取り掛かる最初の年であり、この一年のうちに三作を世に送り、これがその中の一つである。絵のタイトルは、「三千世界槩之図(さんぜんせかいおほむねのづ)」。見ていてすぐ気づくことだが、一枚の図は複数のパーツに分かれ、それらを切り抜き、立体的に「三千世界」を組み立てるものである。それぞれのパーツには、糊をつける空白が慎重に用意され、そして文字の説明が添えられる。それには、「てんぢくの人」、「からの人」、「からの女」、「日本の人」、「日本のやね」などと、分かりやすい。組み立てられたものには、驚くような世界観も、目新しいビジュアルな表現も特別に込められたわけではないが、Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-2083661066378245352022-05-28T20:34:00.004-06:002022-05-28T20:34:36.989-06:00他大学の蔵書利用とても読みたい図書六冊、まとめて手元に届いた。勤務校の図書館が提供しているサービスを利用して叶えたものだ。いわゆる「インターライブラリローン」、「図書館同士貸し出し」ぐらいの呼び名だが、大学間図書相互利用というもので、日本の大学や研究機関もかなり広く用いられているシステムである。今度の依頼は、かなり素早く完成された。日本関連の図書を多くもつトロント大学図書館の蔵書システムで調べて、所定フォームに、図書の具体的な情報を記入する代わりにその所蔵のリンクのみを貼り付ければ依頼の手続きが完了した。あとは到着を待つのみである。依頼をしたのは今月の8日だった。担当者はそのリンクを頼りに図書の情報を特定し、利用する図書館をしかるべき基準で選定する。図書が大学図書館に到着したとの連絡を受けたのは24日、受け取って、付随の書類を読めば、来月の21日までに返却とのことが記されている。貸し出しの手続きが行われUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-51191637276616687622022-05-21T22:01:00.005-06:002022-05-21T22:01:16.267-06:00Slidesはお勧め世の中は、ZOOMが流行ってからもはや三年近くなった。これを毎日数時間も使っている人も大勢いると思う。自分はその中には入らず、そのため最近になって気づいたことも少なくない。備忘に記しておこう。プレゼントをするには、これまでPPTを使ってきたのだが、ZOOMにはGoogle Slidesのほうが使いやすい。その理由は、おもにつぎの二点があげられる。シャアスクリーンをもって用意した内容を映し出す。それで、使っているモニターが横長のもの、とりわけスタンダードな16:9のサイズよりはみ出す場合、PPTのスライドショーをすれば、ZOOMはそれをすべて対象とするので、見る側では両方黒の帯に挟まれた形となり、伝えたい部分は真ん中の小さな部分を占めるに止まる。これに対して、Slidesでは、SlideshowとFullscreenという二つの方法が用意され、後者を利用する場合、開けたブラウザのサイズをUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-91870013511950715212022-05-14T20:59:00.002-06:002022-05-14T20:59:05.616-06:00動画サイト番外編数日まえ、朗読動画『徒然草』のサイトに番外編を付け加えた。題して「四コマ漫画と現代語で読む七つの物語」。朗読動画の中から七つの章段を取り上げ、新しい試みを提示してみた。追加内容のメインは、四コマ漫画だ。これまでGIF動画の形を借りていたが、あらためて紙媒体に用いられるスタイルを用いた。利用した画像は、同じく朗読動画に用いた『なぐさみ草』か『つれつれ艸繪抄』。これにあわせて、努めて読みやすい日本語で物語の内容を書き直し、さらに授業や独学などの場を想定して、読解の質問を用意した。最後に『徒然草』の原文、そして朗読動画へのリンクを添えた。いわば日本語学習者の上級生を対象にささやかな読解の資料を作成したものである。昨日、ゲスト講義を頼まれ、「古典を楽しむ四つの物語」とテーマを決めて英語で一時間ほどZOOMのカメラに向かった。聴講に集まったのは、大学の春期特別コースの受講生と日本からの熱心な学生Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-58364184460131896372022-05-07T19:12:00.003-06:002022-05-07T19:12:31.642-06:00塩秀才『此奴和日本(こいつわにっぽん)』という黄表紙の作品がある。物語の主人公は、中国で暮らす塩商という大家の息子塩秀才だ。海の向こうの中国では、海に囲まれた日本と違って、塩がとても貴重なものだと、なかなかもっともらしい設定をして楽しい話を展開した。その中の圧巻は、右にあげたこの一枚にほかならない。塩秀才は、中国のことに関心がなくて、とにもかくにもすべて日本が最高だと決めつける。テキストには「書籍は明州の地へ頼置て日本記、今川万葉集、源氏平家の物語、新渡の絵草子、顔見世評判記まで封の切らぬを取りよせる」と記し、部屋の真ん中に鎮座するのは、そのような書物を入れた人の背丈よりも高い書籍箱、机に飾ったのは「天の浮橋の鶺鴒の羽根」、「瀬戸物の水入れ」、そして絵のことまで登場し、「壺屋」、土佐の「大津絵」と、「唐絵とちがってまた和絵は特別なものだ」と絶賛される。憧れの唐ものに正面から向こうを張る日本のUnknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-47415050531392648312022-04-30T19:02:00.007-06:002022-04-30T19:05:16.668-06:00詞書集30作今週、「絵巻詞書集」を更新した。新たに『源氏物語絵巻』(国宝)、『東征伝絵巻』など15のタイトルを加え、あわせて30作となった。「日本絵巻大成」の翻刻を主に参照し、カメラでの写真、プリンターでのスキャン、GoogleのOCRなどあれこれと補助の方法を駆使し、集中的に時間をかけて完成し、インターネットにアップロードした。絵巻の一巻はたいてい五つから七つの段から構成される。段ごとに一つのHTMLファイルに仕立て、ファイル数はあわせて132。一段の文字は、多くの場合50行前後、極端に短いものもあれば、『東征伝絵巻』の250行、ひいては『源氏物語絵巻』の800行など突出した場合もある。読み下しを添えたので分量はその倍となり、今度の更新した分は、約4500行と数えられる。この特設サイトは、勤務校が提供している個人サイトのスペースを利用した。きわめて基本的なものしか用意されていないため、いま風の、Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-87436998235150775602022-04-23T22:58:00.004-06:002022-04-23T22:58:30.309-06:00断簡今週披いた絵巻は、『狭衣物語絵巻』。手元で読むのは、「日本の絵巻」18に収録されるものである。一方では、東京国立博物館所蔵のこの一点は、「e国宝」でデジタル公開され、画面を眺めるには、印刷されたカラー写真より遥かに高画質で細部まで鑑賞、閲覧ができる。この作品は、五枚の断簡しか伝わっていない。五枚とも画像が中心で、その中で、建物がテーマで、物語性がきわめて薄い一枚にのみ、数えて十行の文字が添えられている。ただ、「日本の絵巻」の解説によれば、画像の裏にその経緯が記された。江戸後期の住吉派の画家板橋貫雄が、伝二条為氏筆の「源氏物語・澪標」断簡の一葉を選び、ここに貼り付けたのだった。絵には文字、そのような絵巻の体裁に基づき、大昔から伝来した美術の宝物に、鑑賞のための手がかりを提供しようとしたものなのだ。一つの画像の断簡に対して、文字の断簡が新しい命を吹き込み、江戸の文人ならではの、絵巻享受の一端Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-1131390175158601378.post-16766182686614996682022-04-16T21:37:00.001-06:002022-04-16T21:37:14.955-06:00三つのつづき今週披いた絵巻は、『信貴山縁起絵巻』。その第二巻、「延喜加持の巻」の詞書を眺めた。はじめて気づくことがいくつもあった。出だしは、俵を鉢に載せて飛ばせたところを記した。その二行目からの三行において、「つづき」という言葉はじつに三回も現われた。無数の米俵は、「雁などの続きたるやうに」「続き立ち」、「群雀などのやうに続きて」飛び去った。三つとも「津ゝき」と書き、書き方も字の大きさもほとんどまったく同じだ。あえて言えば、「き」の字の縦線が、右下へまっすぐ伸ばす二つに対して、三つ目の場合は、縦線が沈みぎみに波打つ状態になったと見える。ここまで同じ言葉を登場させたら、文章としてどうしても素っ気ない印象だ。もともとその目で読めば、空飛ぶ雁が「続く」にぴったりだとしても、雀となれば一斉に飛び立つもので、両者のイメージにはかなりの隔たりがある。降りてくる俵の群れは絵にも描かれたのだが、はたして「雁」と「雀Unknownnoreply@blogger.com0