暦のうえで今日は中秋。中国や日本に遅れて十数時間、ここカナダも、大きくて明るい月に照らされる美しい夜になった。とりわけ中国は、「中秋節」といって国民休日にさえなって、SNSでは祝福の言葉が盛んに交わされている。
その昔、兼好も中秋の夜のことを記した。
八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。(『徒然草』239段)
きわめて短い一段だ。率直に清く明るいこの日に月を賞でるべきだと説く。さらに宿の日のことを付け加えられたが、今も占いなどの場において残される暦で、月を眺めることに関しては特別に新しい情報ではない。
改めて思い出したいのは、『徒然草』のほとんどの記述が、これを熱心に読んでいた江戸の知識人によって絵に描かれたことだ。この短い一段にも、右のような絵が添えられた。(『つれづれ艸繪抄』下巻49オ)月が主役だが、描かれたのは、兼好の記述とはおよそ関連が見つからない。舟を浮かべ、友と連れ合い、なだらかな沖に出る。月は水面に投影して二つとなる。その様子を即興に詠いあげる。
水の面にでる月なみをかぞふればこよひぞ秋のもなかなりけり
(水の面に、出る月波を、数ふれば、今宵ぞ秋の、最中なりけり)
もともとの『徒然草』の内容があまり簡潔だからだろうか、それともそれに刺激されて表現欲が湧き出て止まらなかったからだろうか、絵の作者は兼好に代わって、明月を賞でる一つの状況を作り出した。あくまでも饒舌だが、読む人の想像がおかげで豊になったこともまたたしかだ。
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