2007年12月31日月曜日

幸運の白い鼠

新しい一年を迎えた。今年の干支は子。周りを見れば、年賀、ポスター、テレビの画面にはさまざまな鼠が登場する。その中で、とりわけ目立つのは、白い鼠である。現代われわれ平均的な感覚から言えば、白い鼠とは、可愛い、清潔、といったところだろうか。鼠の中では特別な存在というような意識は、かなり薄い。

一方では、絵巻に描かれた古代、中世の世界では、どのような様子だろうか。

まず、鼠の姿は、絵巻の中で意外なほどたくさん登場していた。古くは『鳥獣戯画』、例の可愛い動物たちの群にまじって、二匹の鼠は猫からの視線を避けるように懸命だった。『春日権現験記絵』では、普通の家に出没して、明らかに人間を困らせている。奈良絵本には『十二類合戦物語』という作品がある。十二支の一員として勝者の軍勢に加わり、狸などの敵を倒し、出家させてしまう。さらに『鼠草子』という名の作品群では、鼠たちは言葉通りのストーリーの主人公となった。鼠たちは大群を成して登場し、人間の服装を纏い、人間の仕草を取り、人間の仕来りを守って行動し、いわば鼠の身をもって人間的な活劇を演じて、それを痛快に見せてくれたのだった。

上記の鼠を主人公とする作品は、いくつかの異なる内容をもつ。そのほとんどは、およそ結婚、嫁入り行列、披露宴、そして出産というもろもろの場面を中心に展開する。中では、一つの特別な物語を伝えたのは、『弥兵衛鼠(やひょうえねずみ)』である。ここでは、主人公はまさに白い鼠だった。しかも、それが人間に幸運をもたらすということがそのハイライトだ。物語の中で、白い鼠のカップルは結婚し、やがて妻の出産を迎える。妊娠した妻は、雁の肉を食べたいと言い出し、夫の弥兵衛はまさに献身的にそれに応えようとする。雁を取ろうとして適わなかったどころか、獲物のはずの雁によって知らぬ地に連れられてしまう。そこからは白い鼠の試練が始まる。物語の結末は、約束通りのハッピーエンドだが、そこまでの道のりはユニーク。すなわち、弥兵衛が白い鼠だったがために、暖かく受け入れてくれた人間の一家に富と幸せをもたらし、さらにその人間の力を借りて、弥兵衛は妻との再会を実現できたのだった。同じ時代に多くみられる、人間と別の世界で活躍する動物たちの物語と異なって、『弥兵衛鼠』の面白さは、まさに人間の世界に入り、人間と動物と交流が持たれたことにあったと言えよう。

ちなみに、『弥兵衛鼠』の伝本は、慶応義塾大学、大阪青山女子大学、海外ではニューヨークのスペンサーコレクション、ハーバード大学のフォッグコレクションに所蔵されている。中では、慶応義塾大学は「世界のデジタル奈良絵本」サイトにおいて全点公開しており、『新潮日本古典集成・御伽草子集』はこれを活字にして注釈を施している。これを読書リストに加えて読んでみよう。これまた一つのお正月の粋な過ごし方かもしれない。

世界のデジタル奈良絵本・弥兵衛鼠

2007年12月29日土曜日

門松

「もういくつ寝ると、…」。時はまさにこう唄われるように、年の瀬に迫っていく。暖かい日差しの中で街を歩いてみると、クリスマスの鮮やかな飾りはいつの間にか姿を隠し、それに代わって、半数以上の家は、門松を入り口に飾り付けた。

門松の習慣は、確実に中世に遡る。今日に残された数多くの文字文献にその姿を確認することができるし、絵巻の画面にも登場していた。それについて、一番有名なのは、『西行物語絵巻』(万野家本)に描かれた一こまである。

これは、慌しい年の暮れに繰りひげられた街中の様子だ。ストーリーの内容は、出家した西行が年の瀬に思わず在俗時代のことを思い出し、それを和歌に詠み残す、ということを語る。これを表現して、絵は街を過ぎ行く人々の姿にスポットライトを当てる。まるで行列をなしたかのように画面を横断したかれらは、魚や鳥を天秤棒の両端に掛け、手紙を大事に手に握って届け先へ走り、上等な薪、同じくお正月の飾り物を重そうに担ぐ。そして、この行列の一番後ろに来たのは、二本の大きな松の枝を要領よく担いだ男である。松はきれいに括られ、きっと門松に使うための飾り物に違いない。画面をしみじみと眺めていて、どのような人の家ならこれを使えるのかとおもわず想像してしまう。これまで豪華な飾りは、普通の人はとても手を出せないだろう。どのような出来栄えになるのだろうか。

門松に竹を添えるという習慣は、中世以後のものだと言われる。それを思い起こしつつ、今の街中の、とりわけ住宅街の普通の民家のそれを改めて見る。小さな松の枝を一本だけ壁に貼り付けるだけの質素な飾りがけっこう目につく。むしろ中世からの伝統が息づいているんだと、なぜか勝手に合点してしまう。因みに、北米のスーパーであふれるように並べられたクリスマスツリーのプラスティックの松の枝は、いまだ一本も発見していない。

ミニ門松のつくり方

2007年12月25日火曜日

西洋の風景

絵巻の中では、西洋との出会いがあったのだろうか。近代に入るまで、そのような実例は、知っている範囲では現われなかった。近世に作成された絵巻の作品でも、蘭学やキリストの伝教などとはきわめて離れた文化圏において制作され、楽しまれていた、ということだったのだろうか。

一方では、日本画的な作画と西洋の風景とは、ぜったいに溶け合えないものかと言えば、そう簡単には結論を下せない。下の作品は、その中の一例だと言えよう。小さな写真からはすぐには分からないが、これは実は六曲一隻の屏風の一部だ。描かれたのは、十六世紀後半に起きたスペイン国王フェリペ二世がトルコ艦隊を破ったレパント沖の海戦である。躍動に満ちた人間や馬などは、写真や油絵にみる陰影をもつ構図を見せながら、海に浮かべる戦艦は、例えて言えば、「石山寺縁起」に登場した海の中の白い馬を思わせる。それに加えて、全体の色はなんとも美しい。これを描いた絵師は、どれぐらい西洋の絵画を見、その色彩に心を惹かれたのだろうか、つい想像を逞しくさせてしまう。ちなみに屏風のタイトルは、「レパント戦闘図・世界地図屏風」。十七世紀初めの桃山時代の作品で、香雪美術館の所蔵であり、つい今月半ばまで大阪市立美術館の展示に出品された。

時はまさに2007年のクリスマス。いまやサンタの飾りもキャロルの音楽もすっかり日本の暮らしに溶け込み、一年の中でも、西洋的なものへの憧れが一番端的に形に現われる時期である。テレビを点けたら、ある流行歌手のステージでの絶叫が不意に流れ、その内容とは、なんと「ハッピークリスマス、万歳」。絶句させられた。同じ東洋と西洋との融合といっても、昔には、いたって端正で優雅なものがあった。


香雪美術館

2007年12月22日土曜日

検索の愉しみ

いまや漠然としたテーマを思いついたら、インターネットでとにかくサーチを掛けてみるというのが、だんだん形をもつ愉しみとなった。さほど期待していなくても、そこにはほぼ確実に意外な発見が用意されており、ここまで情報が纏められているものかと、つねに驚きと喜びを伴う感慨を覚える。

サーチするには、あれこれとやり方やコツがある。手始めにその入り口として大半の人はグーグルを使うのではなかろうか。例えば、「酒呑童子」という言葉を入れてみる。現在のところ、10万以上のヒットが戻ってくる。これでは使いものにならない。つぎはあれこれと試行錯誤の連続だ。「酒呑童子 -酒造」といったように、まずは関係のない酒工場を除いたら9万点となる。あるいは「酒呑童子 公開」、「酒呑童子 画像」といったように制限を加えてみれば、ヒットは1万台となる。いうまでもなくこのようなサーチでは常に大事な情報を見落とす危険がある。どこかの酒メーカーが文化事業として貴重な画像を公開している可能性もあれば、古典画像を思いもよらない斬新なタイトルで披露する機関も想像できる。いわば、検索とはあくまでも情報を拾うための試みであり、これで関係するものをモーラできるとは思わないことが基本だろう。

このような作業では、関係する情報を丁寧に集めてくれた人の成果を敏感に捉え、それを反芻することが大事だ。これだけ情報発信が発達してしまえば、情報に溺れやすいという危惧が共有され、その分、上手に泳ぎ渡り、その経験を提供してくれる人がどの分野においてもいる。それらの成果をまず十分に吸収しなければならない。御伽草子画像公開の情報については、とりわけつぎの二つのサイトを紹介したい。一方では、いくら丁寧に集められたものでも、すべてをモーラすることを目標としない、あるいはいろいろや制約で出来ないでいる。例えば、同じ性格の豊富な画像資料を早くから公開している東京国立博物館のデータベースは上記の両方とも触れていない。

電子メディアのことをめぐり四回連続して書いてみた。これを考えさせてくれた木曜日の一回だけの講義も無事終了した。そのクラスは、終了してから聴講した学生が全員その場で一枚のレポートを提出することになっている。寄せられた丁寧なレポートを読むのは、講義した人の愉しみだった。学生諸君に感謝すると同時に、とりわけ古典を志向する人とインターネットとの距離、さらに言えば、電子情報への期待感、信頼感の低さが分かって、わたしにはむしろいささか意外だったことを記しておこう。

リンク集デジタル奈良絵本(藤原重雄氏)
和書画像の公開者と画像の所在(内田氏)
東京国立博物館・カラーフィルム検索
ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG) - ブログ版
(岡本真氏が文科系研究者のためのリソースを
リアルタイムにレポートする。)

2007年12月18日火曜日

全文検索が可能か

前回の話題に続き、御伽草子の「全文検索」を考えみたい。結論から言えば、この謳い文句を顔面通りに実現できるまでには、かなりの道のりがあるものだと思う。

検索とは、意中の言葉から出発して、特定の資料群から用例を見出すことを言う。これは、たとえば現在の新聞記事や小説などを対象に、地名、人名や語彙を探すとなれば、とても分かりやすい。しかしながら、対象が御伽草子となれば、事がいっぺんに難しくなる。まずここには文字の違いということが横たわる。いうまでもなくオリジナル御伽草子は、いわゆる変体仮名によって記されている。

変体仮名と今日の仮名との違いはどこにあるのだろうか。すぐ浮かんでくる答えは、変体仮名のあの、書写する人の勢いや筆遣いなどによる、さまざまな文字の形かもしれない。しかしながら、両者の根本的な差は、一つの音節をいくつの文字で表わすかにある。現在の仮名は、あくまでも一つの音節には一つの文字、対して変体仮名の場合、たいてい二つ以上の、時には十近くの文字が当てられる。それもあくまでも音を表現するものであり、意味による使い分けなど認められない。分かりやすい例を挙げてみよう。右の図(白百合女子大学所蔵『伊吹山酒顛童子絵巻』より)に、「酒呑童子」のことを「しゅてんたうし」と書く。「し」は「志」「之」という二つの字体をもつ。

古典文学研究の第一歩は、したがってまずこの変体仮名によって書写された文章を現代の文字表記に置き換えることから始まる。いわゆる翻字あるいは翻刻という作業だ。簡単に想像がつくように、一対一という置き換えでは済まない。加えるに、文字遣いという問題が絡んでくる。今の例では、まず「しゅてんたうし」「しゅてんとうし」「しゅてんどうじ」といういくつかの可能性が出てくる。しかもたとえ最後の案でも、仮名のみの文章でけっして良くやすくなく、漢字を当てることが望まれるようになる。そうなれば、「酒呑童子」か「酒飲童子」なのか、違うレベルの考察や考慮によって決めなければならない。もちろん一つの方針を取るということは、同等に可能な表記を切り捨てることを意味する。

そこで、御伽草子の検索とはなにを対象としたら良かろうか。古典の画像を持ってきてもおそらく意味がない。第一、検索の出発点としてのキーワード入力が難しい。現代表記の言葉を用い、一つのキーワードに対して、上記すべての可能性のものを対象として検索するということは、不可能ではないが、どのような構造のデータベースが必要となるだろうか。しかも場合によっては、以上の文字の違いこそ大事で、それを対象とする検索にも対応すべきだとのことも忘れてはならない。

御伽草子についての研究は、いまだ一世紀も満たない。かなりの成果が積み重なっているが、それでもすべて作品が翻刻されるまでにはとても到達していない。その翻刻は、これからも自動生成ではなくて、人間の手によって一字一字と行われていくことだろう。その成果が、「全文検索」とすぐにでも直結してもらいたいというのは、研究者ならだれもが願っていることに違いない。それがはたしてどのような道のりを経るのだろうか、一人ひとりの研究者としてなにができるのか、真剣に考えたいテーマである。

なお、電子メディアについて三回ほど書いた。つぎもこの話題にしたい。このことを考えさせてくれたのは、明日に予定されているある大学授業でのゲスト講義だ。そのタイトルも「マルチメディアと絵巻」と予告した。

白百合女子大学所蔵貴重書『画像』データベース

2007年12月16日日曜日

デジタル情報の担い手

デジタル情報の担い手は、はたしてだれなのだろうか。

それは、どうやらこれまでに文化の発信と貯蓄を一身に背負った出版関係の組織ではなさそうだ。考えるに、出版の活動を大きく選定、編集、印刷、発行と捉えるならば、その中で大きな比重を占めるのは後の二つ、すなわち物理的な要素をもつ役割だったと言えよう。対して、デジタル情報の発信は、かなり違う特徴を持つ。あえて言えば、選定、編集というプロセスこそ共通するが、印刷も発行もほぼ不要になる。だが、これらの機能は出版社にとって簡単に切り離せるものではないだけに、この現状にはすぐ変化が訪れないことだろう。

いまのところ、担い手の最近距離にあるのは、大学や公立の図書館だ。すでに公開されている古典作品の画像も、ほぼすべてこれらの機関から提供されている。

しかしながら、図書館に取っても、デジタル情報の提供とは、これまでの図書情報の管理、提供からすればまったく新らしい業務である。明らかなことに、図書館には選定、編集の役目を持たない。それよりも、編集されたものを分かりやすく整理し、使いやすいように提供することを役目とする。したがってデジタル情報に取り掛かるためには、違う方針と特別な作業チームが必要となる。

このことは、これまでに公開されているデジタル情報のありかたにもはっきりと現われている。すなわち、たいへん貴重なデジタル情報を提供していながら、それをなんのために提供しているのか、図書館という役目には沿っているかどうかということに、曖昧なままに続いていることが読み取れる。端的な例を挙げるならば、つぎの二つが指摘できよう。せっかく公開した資料は、満足に読めないぐらい小さなサイズのものにする。かなりの規模のものを公開していながら、それが読者の画面には簡単に表示できないようにと、意図的に制限を掛ける。このような処置は、情報の質を落とすということに他ならず、公開そのものはあくまでも試運転の状態のものだとの意思表明に違いない。現にこれらの情報公開をいつまでも続けるとの前提を設けない。出版の場合の、一度出したら永遠に変わらないで残るという使命を自ら取らない立場にある。

なお、日本の学術の環境では、図書館以外に、さまざまな資料を収集し、フィルムなどの形でこれを保存して、読者の閲覧に提供するという公的な機関が存在する。原則としては、上記の出版と図書館の中間に位置するもので、デジタル情報の作成と提供がその仕事の範囲にはるべきなのだが、これまでには積極的な参加が見られない。

このような環境の中で、デジタル情報の提供が実現できないのだろうか。いまの情報社会の発展はどうやらそのような結果を許さないらしい。北米や中国の場合、学術雑誌やアーカイブの資料はデジタルにて図書館などを通じて読者に提供されていて、研究者や大学生はすでにその恩恵を受けている。いうまでもなく提供者と大学図書館の間では、商業活動の形を取る。その目で見れば、日本だって圏外に置かれるはずがない。それのもっとも端的な動きは、グーグルと慶応大学図書館との共同作業だろう。そして、そのキャッチフレーズは、まさに「「御伽草子」も全文検索」といった、衝撃的なものだった。

因みに、古典資料だけで言えば、資料自体の著作権の問題は存在しない。これをデジタル化するという作業への権利はもちろん生じるだろう。だがこれまでの議論では、デジタル権利の主張や対応はあまり注目されていない。むしろ、これまでのデジタル情報の公開者からは「公開されたものが悪用されはしないか」との心配はよく聞かれる。ただし、現在のところ、そのような心配にあたるような実例はさほど報告されていない。

CNET Japan ニュース:Google、ブック検索で慶応義塾大学図書館と連携--図書館はアジアで初の参加
ITmedia ニュース:「御伽草子」も全文検索――Googleブック検索に慶大が参加

2007年12月12日水曜日

ウェブに御伽草子の画像を

いまやマルチメディアとはまさに時代の寵児だ。インターネットというかつてない通信手段は、まるで生命の水のように社会生活のあらゆる分野を縦横無断に流れ、人間の記録と交流のありかたを変貌させる。一方では、絵巻という古来の美術、文学の媒体は、その本質においてはなはだマルチ的なメディアだった。物語を文字と絵という二つの形態で記し、その文字をだれかに読み上げてもらいながら絵を目で追っていくことを享受の王道とする絵巻は、まさに音声、画像、文字といったメディアをフルに生かし、それの合成やハーモニーを楽しむ表現の手段だった。

そして、絵巻とマルチメディアが出会う。

性格がまったく異なるこの二つのメディアが交流しはじめると、どれだけの可能性が生まれることだろうか。それを一つひとつ数えてあげると、無限なような感じさえする。だが、すべてのことはすこしずつ展開するものだ。無限な可能性でも、いっぺんに実現するはずがなく、むしろ単純な作業を確実に始めなければ、物事は始まらない。

例えば、御伽草子の作品を全点の内容をウェブページに公開すること。

これを説明するには、やや絵巻の「研究史」を触れなければならない。そもそも絵巻の研究がこれだけさかんになったのは、いまから三十年ほどまえに刊行された『日本絵巻大成』に負うところが大きい。それまで美術館などに行って、特別な手配をしてもわらなければまずその全容が分からない絵巻は、フルサイズ、フルカラーで出版されて、読者がさまざまな角度や視線でそれを眺めることが可能となった。さらに同じ出版社は、同じ写真を使って、廉価版、縮小版と違うスタイルのシリーズを出して、これの普及にはいっそう拍車をかけた。一巻の巻物が知られるようにするためには、まずはそれを読者の手元に届けられるようにしておかなければならないと、実に単純な事実だった。

絵巻への関心の目は、やがて16、17世紀の後になってもなお作り続けられた作品、そしてそれらの作品と平行する御伽草子に向けられる。だが、ここでやや事情が違ってくる。13、14世紀の、いわゆる一流の絵巻の作品に比べて、これらのものは、まずは比較的新しい。それに加えて、製作技術の進歩により、同じ作品が複数に作られたとのケースが多く、その分「美術的な価値」が劣る。おまけに現存する作品の点数は多く、現代の出版の事情は厳しくなる。これらのもろもろの要素を数えてあげると、あの絵巻のシリーズのように一群の御伽草子が写真版となって読者の手に届けられることは、まずは考えられない。所蔵者のところに足を運ばせて特別な配慮をしてもらわないと作品の全容が見えないとの事情は変わらない。

そこで、インターネットにて御伽草子の画像を求めることが可能となった。

結論から言えば、現在インターネットでは、すでにかなりの分量の御伽草子の画像が公開されている。最近、興味があって調べてみると、大学や公立の研究機関、美術館などを中心に、すでに約15000枚の画像が公開されている。しかもこの数はいまだ増え続けている。公開の機関が各自違う方針でやっていることで、スタイルも目的もまちまちで、縦横に検索することもけっして簡単ではない。第一、画像のサイズがそれぞれ違って、多くのところではわざと小さいものを置くという方針を選ぶ。しかしながら、それでも普通の出版物で掲載された写真には劣らない読みやすさだ。言ってみれば、インターネットのお陰でもう一つの資料群が身近な存在となった。これからは、御伽草子の研究を始めようとしたら、まずはオンラインの資料群を活用しなければならないというのが、新たな常識になったと言いたい。

この話題は、もうすこし続けてみたい。

京都大学電子図書館・絵巻物・奈良絵本コレクション
世界のデジタル奈良絵本データベース

2007年12月9日日曜日

BIOMBO

大阪に出かけて、天王寺公園の中にある大阪市立美術館にて「BIOMBO/屏風」と題する展覧会を見てきた。日常の実用性を兼ねながら、その時代の美意識を凝縮した膨大な作品群には、つねに惹かれる思いでいるが、このような規模の展示に対面して、やはりいろいろなことが教わり、教科書や美術書の写真で見るのとはまったく違うレベルの視覚衝撃を受けた。

展覧会のタイトルには「BIOMBO」とローマ字を先に持ってきた。ポルトガル語であり、スペイン語にもなった語彙である。なるほどローマ字表記の言葉を求めるものならば、「folding screen」といった説明調の英語や、「byobu」といった音を記録するような表記よりは、たいそう重厚感がある。ただし、ここではあくまでも日本の人々の目を意識したものであり、展示の重要な要素である「海外からの里帰り作品」とのことを強調しようとしたものだろうと推測する。

展覧会を見て、思いに残ったものはたくさんあった。当麻寺の「十界図屏風」は初めて実物を見た。作品のテーマと、屏風という装飾性との性格との対立は、やはり過剰なほどに色彩を施された実物の前に立って見ないと、得られない認識がある。物理的なサイズを実感して、ようやくそこに描かれたストーリを追っていく読者としての余裕に共感できる感じがした。先学の研究をあらためて思い起こす。

これまで知らなかったことは、数えてみればあまりにも多かった。屏風の実用性として出産の場があった。それも白いものが用いられるとの仕来りが絵巻の画面で教わり、出展の中にはそのような豪華な白い屏風がじっさい一点入ったのが、感動だった。海外に持ち出された屏風は、いわゆる「流失」ではないケースもあったことに気づく。外交の場における物の交流があり、それも軍艦を受けたことへの返礼が屏風であり、かつその屏風は今日まで大事に保存され、里帰りが適えられたとは、感無量だった。思うに当時もらった軍艦は、遠の昔どこかに消えたに違いない。そのような政治的な用途が含まれた屏風であれば、作成はただの美術品という枠では縛られきれず、草案と、政治や権力者に許可をもらうための関係書類が一堂に集まり、展示企画者の手腕に頷く。

屏風の名品のかずかずの間に、「石山寺縁起」「桑実寺縁起絵巻」といった、こちらも絵巻物の一流品が、ただ屏風のありかたを傍証するためにだけなにげなく会場に置かれたのには唸った。そして、数多くの里帰りの作品の中には、シーボルトコレクションのものまで含まれた。ライデン国立民族学博物館を訪ね、学芸員に親しく展示を紹介してもらったのは、たしか1998年の秋のことであり、すでに十年近い時間が流れた。

「BIOMBO/屏風」展は、今週の終わりまでだ。

大阪市立美術館・特別展のご案内

2007年12月4日火曜日

海外ということ

勤務する大学はカナダにある。カルガリーという町に住みながら、日本の絵巻を読む、一見奇妙な組み合わせだ。しかしながら、日本と海外とを結ぶわずかな繋がりのようなものがある。それも対象が絵巻だったがゆえの、ほかの、例えば物語、和歌などにはないものなのだ。

それは、美術コレクションとしての、絵巻がもつ巻物という物理的な側面に由来する。

絵巻ものの海外流失は、話題になって久しい。日本国内においても、いまなお市場で流通し、財産として所有者を変える運命をつづける絵巻にとっては、日本の外に渡されることはつねに可能性として持ち合わせる。だが、それにしても、質、量ともに上質なものが海外の公私機関に所蔵されているものだ。あえて言えば、海外のコレクターは、日本国内の平均的な価値判断に左右されない傾向がある。したがって、純粋に綺麗な作品、名前の知られていない絵師によって描かれた丁寧な模作などが喜ばれる。結果として、関心が生まれるまえに海外の地に作品が集まったという皮肉な結果になる。一方では、海外だからこそ注目されやすい要素もあり、日本国内にある同規模のコレクションより海外のものは数倍ももてはやされるというのも、事実である。

英語圏の美術館、図書館に所蔵されるようになったこれらの実物は、自然と若い学者たちの関心の的となり、日本へのアプローチの手掛かりとなる。しかしながら、実際のコレクションの数に比べて、研究はいまだあまりにも少ない。現在も手付かず状態の名品、言い換えれば研究者としての探検の宝庫は、まだまだある。まさにこの意味において、海外に身を置くことにより、宝の無尽蔵にわずかに近い、という思いが得られそうだ。

試しにニューヨークライブラリーのサイトに入って覗いた。例の「スペンサー・コレクション」を有しているところだ。図書館の「デジタルギャラリー」にて、EMAKIと検索すれば、源氏物語を内容とするものは7点、175枚の画像が公開されている。いずれも画像サイズが小さくて、解説もほぼ皆無だが、それでも所蔵の一端が見えて、感心をし、しかも研究の意欲を刺激してくれる。

なお、今日の話題を考えさせてくれたのは、桃山学院大学総合研究所の先生方である。これから大阪に向い、ささやかな発表を行う。(「外国人研究者を囲む研究会」

写真:スペンサー・コレクション所蔵
絵巻・源氏物語(Spencer Jap. MS 67 )

ニューヨーク・パブリック・ライブラリー
(デジタルギャラリー)

2007年12月1日土曜日

絵巻を披く

先週、ある若い学生と共に、大学貴重書の五巻の絵巻を見る機会があった。若い人は、これまで本物の絵巻を扱ったのは一度だけとのことで、最初は非常に恐れ入ったが、自分の手で披くようにと勧めたところ、終わりには驚くぐらいの手つきになった。見終わった絵巻は、明らかにそれまでの状態に勝り、前に見た人より丁寧できれいに巻き上げられ、箱に収まった。

そもそも、一巻の絵巻を見るということを、どのような動詞で描くべきものだろうか。普通は、「披(ひら)く、巻戻す」というセットだろう。ところで、経験を持たない読者なら、さっそくそのような状況を身に付けるはずはない。おそらく、「さわる」「手に取る」「取り扱う」といったような段階があるのではなかろうか。そして、学芸員とかその道のプロの人になると、まさに流れるような鮮やかな手つきで「あやつる」ものだ。

文字や絵を記録する媒体として紙を選び、大きな分量になったそれを連続して纏めようと思えば、自然に巻物という形態となる。縦書きの文字が右から左へと行を増やすに従い、紙の貼り継ぎを続ければ、無限な記録や表現の空間が生まれる。一方では、巻物という形態は、保存に向いていて、閲覧には向かない。披くのと同じ労力が必要とする巻戻しという作業は、いかにも経済的ではなくて、第一、ものを物理的に消耗する。読みたいところまで辿りつくためには、それまでの内容をすべて一通り目を通さなければならないという意味では、比喩的に言えば、巻物はアナログ的なもので、冊子本はデジタル的な性格を持つ。

巻物は、われわれの今日の生活の中では限りなく姿を消してゆく。知識のすべてを教室の中で伝授し、体得させることを前提にもつ現代の教育システムでは、巻物を扱うことまで配慮するような贅沢はとても持てない。そう思えば、わたしの場合、絵巻をはじめてじっくりと自分の手で触ったのは、例のスペンサー・コレクションだった。大きな扉に止められた部屋の一角に、日本の絵巻がまるで無造作に山済みになり、それを一人で広い台に繰り広げていく。ニューヨークの喧騒な街中に身を置かれながら、まるで異空間だった。いまから考えれば、じつに幸運な経験だった。

絵巻の中に、そして絵巻を見るためには、つねに現代の生活とは異なる時間が流れている。絵巻の中の時間まで再現するようなことは、不可能だろう。あるいは、われわれが意識的に避けようとしているのかもしれない。