2015年6月27日土曜日

酢に差す

来週からすでに七月に入る。遠く京都では、年一度の祇園祭がいよいよ始まろうとしているころだ。あの湯気が立つほど蒸し暑い天気を想像しつつ、これと関連する画像を求めてみた。祭りの様子なら、洛中洛外図ではかなりの数におよんで描かれている。それに対して、祇園信仰の根本にある牛頭天王を手がかりにすると、「辟邪絵」(「e国宝」デジタル収録)に辿り着いた。

20150627平安時代に制作された絵巻物からの五段が伝わり、その一番に数えられるのは、「天形星」と名付けられるものである。これを眺めて、どれぐらいの情報を読み取れるものか自問自答した。試しに四行足らずの文字記述と、絵に描かれたビジュアル情報との対応に注目してみよう。文字をもって記されていて、しかもそれが絵になっているものには、「天形星」、「牛頭天王」、「その部類/疫鬼」という善霊、悪霊から、「取る」、「(すに)差す」、「(食と)す」というありふれた行動に及ぶ。そのような想像と現実とを絶妙に繋げたのは、ほかならぬ「す(酢)」である。疫病を撒き散らす存在への恐怖と、それの退治をめぐる信仰は、おかげで千年を超えてもいたって身近に感じられた。一方では、絵には神や鬼の服装や装身具、酢を入れる容器、そして口から大きく突き出した牙にみる異様な風貌など、豊かなビジュアル情報が描かれているが、それらを一々言葉に置き換えることは、簡単なことではない。

はたして平安の人々の生活にあった酢とは、どのようなものだったのだろうか。たとえばその色とは、透明だったのだろうか、はたまた醤油みたいな濃いものだろうか。この絵だけではよく分からない。だが、酢といわれるものには、鬼の血が溶けて染まっている。単純な酢の色よりも、絵師がより鮮烈に伝えようとしたことがあるのを見逃してはならない。

辟邪絵

2015年6月20日土曜日

学会ポスター

カナダの大学の行政年度は、7月から始まる。年度末に差し掛かるいまごろの大事な仕事は、年度ごとの活動報告。数年まえから二年一度という形に変わり、その分、対象とする内容が多くなった。その中の基本作業は、研究活動や成果について、日時などの詳細な記録と、それを裏付ける資料の提出だ。あれこれとまとめている間に、日本ならではの資料といえば、いわゆる「学会ポスター」だと気づいた。北米なら公式サイトの記録を引っ張り出したら十分だが、日本では、大きな印刷物と結晶される。そして、個人的に関連するものとなれば、主催者から複数も郵送されてくる。

20150620大きな文字で、大量の情報をすこしでも多く記入しようとするパスターは、まさにささやかな日本的な風景だ。日本の研究機関や大学教授の研究室に入って見れば、そのようなポスターはいつでも所狭しと貼りだされている。試しにインターネットで学会ポスターと入力して検索してみれば、出てきたのは、なぜか制作に関連する情報ばかりだった。使用するフォントやら、デザインのテンプレットやら、そして印刷のコストや対応スピードのアピールなど、裏方立場の気配が圧倒されるほど溢れている。至るところで日常的に作り出され続けていることは、ここでもしっかりと伝わっている。

いつのことやら、とある友人の自宅で、その方が関わったポスターが多数集められて、客間の壁に貼られたのを見て、不思議な新鮮さを覚たものだった。一方では、研究活動の基本情報や発表の場など、とても大事なことが記録内容としていながらも、普段はあくまでも消耗品として取り扱われる。そのため、いざとなれば、数年前のものはなかなか見つからない。デジタルの形で漏れなく集めるデーターベースが、ぜひとも必要だ。個人の力ではとても適わず、研究所とか公的な機関が動いてくれることを、ただただ待ち望んでいる。

2015年6月14日日曜日

唐の美人

日本、中国への四週間近くの旅行から無事戻ってきた。旅の間にアップロードできなかったエントリーをまとめて出して、関連の書類などを整理したりして、一日でも早く普段のリズムを取り戻そうとしている。

中国西安での旅は、招待側の親切な手配により、歴史古跡の観光も数多く叶えられた。西安といえば、中国に留まらず、世界の文明においてもトップに数えられるもので、歴史的な重みは、いたるところで感じ取れるものだった。紀元前の春秋時代や中国を統一させた秦、そして中華文明の頂点を謳う唐と、どれを取り上げてみても超一流のものだった。一方では、観光となればいずれも陵や墓に終始するのではないかと予想していたのだが、実際はまったくそうではなかった。

20150613けっきょく、実際に墓室に入ったのは、一回のみだった。あの武則天の陵の近くに数多く点在する王子や王女、親近の大臣たちの墓はいまは三つほど発掘されて公開され、その中の永泰公主の墓だった。歴史上繰り返し盗掘されたもので、それでも世の中を驚かせる宝ものが出土された。その中の目玉の一つは、墓室の前に設けられたホールの壁に描かれた仕女の絵画だった。ほぼ等身大の美人の群れが生き生きとしていまでも飛び出しそうな姿を見せている。その中心に位置した女性は、一きわ目を惹く。体の曲線は流れるようなS字の形を成し、真っ赤な酒を入れられた夜光杯を両手で持ちあげる。膨よかな頬、優しい瞳、凛とした眉、言葉通りに美しい命を千年の時空を経て伝えてくれている。墓室の外に設けられた博物館には、この絵の複製に添えて長文の詩が捧げられ、「公主長眠宮女在、壁上着意塑粉黛」(葉浅予)と始まり、長眠した王女に伺候する仕女にしっかりとスポットを与えている。

墓室の中に立って絵を見つめていれば、周りにはガイドに連れられての観光客は跡を絶たない。ガイドたちはいずれも朗々と説明を続け、しかも同じ内容についてそれぞれ工夫を施して着眼を変えている。中の一人は、目の前の仕女が唐代第一の美人だという評判を下したという日本人の学者の実名を何気なくあげた。観光地のガイドたちの質の高いことに、西安の観光地全般において少なからずに驚き、感心した。

2015年6月12日金曜日

中国語による講義 (6-6)

若手の研究者に招かれて、西安にある交通大学にやってきた。大学名に交通と名乗ることは、今日の語感からすればどこか落ち着かないが、中国ではここはかなりの歴史をもつ、りっぱな重点大学だ。理学工学が中心のところだが、それでも日本を対象とする学科は今年設立30年の祝賀行事を終えたところで、しっかりした組織と熱気あふれる学生たちの顔ぶれを実際に目にして、すくなからずに感心した。

招かれてとり行う中心的な行事は、学生たちを相手に一時間半ほどの公開講座をするというものだった。夜七時半の時間台を用いたもので、意外とかなりの人数の若者が集まってきてくれた。しかもその構成をみれば、日本のことを勉強する若者の割合はけっして大きくなかったことには、これまた驚きだった。こちらから用意したテーマは、やはり絵巻だった。あまり予備知識を持ち合わせていない若者たちに向かって、中国の、とりわけ古代からの伝統を大切するという意味で近年大いに注目を集めている画巻などを意識的に持ち出したりして、話す内容を身近なものにするように心がけた。一方的なおしゃべりのあと、質疑応答は三十分も続いていて、しかもかなり要を得た鋭い質問が飛び出したりして、大いに手応えを感じた。中国語による公の場における発言は、これで去年の秋に続いて二回目。肝心なキーワードをどこまで聞く人々の共通の理解に入っているのか、はなはだ心もとなく、話すほどに、さらに時間と精力を出して取り掛かるべきものだと感じた。

20150606講座の録画は、いずれは大学の公式サイトにおいて公開する、という枠組みになっている。それへの準備として、主催者は大きなカメラを複数持ち込んだ。ただ、これまでの記録を見れば、どうやら即時にということにはほど遠く、これまでの行事も、その多くは公開が実施されていない。それに講座について用意して提出した紹介文も、微妙に手入れされていて、読み直しの確認は求められていない。はたしてどのような形でインターネットに登場するのか、とても興味深い。

“学而”讲坛——教授系列讲座第334讲

異次元の時空 (5-30)

三週間ほど中国に滞在することになっている。しかもここ数年の似たような旅と違って、今度はちょっぴり遠くへ出かける。今週は、泰山の南にある滕州にやってきた。地元の人々からの大いなるもてなしを受けて、いろいろと見識を広めた。印象に残った場所の一つには、滕州漢画像石館がある。いまなお立て続けに漢の画像石を発見し、まさに現在進行形で漢の画像資料を見つけ出し、発掘した場所で美術館を建てるなど、生きている古代文化の伝承には、さすがにわくわくさせるものがあった。

画像石館で目に入った小さな一点を記しておこう。「水榭垂釣、庖厨」と名付けられた画像の一角には、一釣りで三尾の魚を釣り上げるという幻想的な構図に並んで、魚を調理する様子が描かれている。三つの場面に分かれて、魚を確保したところ、それを籠に収めたところ、そして魚を籠から取り出してまな板に移したところ、まるでアニメに見られる分割された三つの連続した画面のように配置されている。数年前の論文に、絵巻の文法を論じて、その中の一節には「異次元の時空」と述べた。それとはまさに完璧に対応する構図なのだ。いうまでもなく、異次元と呼ぶ理由とは、絵巻の中の物語を伝えると同時に、次元の違う、特定の行動について表現するということにある。その通りだとすれば、ここには物語という次元がないだけに、この称呼は使えないのだろうけど。20150530




漢の画像と鎌倉時代の絵巻、両者の関連性はあまりにも離れている。それにしても、とりわけ中国のことに感心を持つ人なら、やはり親近感を覚えさせるものなのだ。来週の旅先は、西安。絵巻の話をすることになっているので、これをさっそく披露したい。一方では、漢の画像石全般に言えることだが、タイトルはあくまでも現在の研究者が便宜につけたもので、どれも漠然としたものに聞こえてしまう。滕州の美術館でも、館蔵のものについて所蔵品の番号はないのかと訪ねたが、そのような必要性に対しての理解はまったく得られていなかった。いささか残念だと言わざるをえない。

滕州汉画像石馆

馬と骨 (5-23)

またまた東京にやってきた。今度は学会に参加するためのわずか数日の滞在であり、到着した夜にはすでに予定が入り、翌日からは、自分の発表も含める学会本番の連続だった。そこで、時差対策もかねて、朝の集まりが始まるまでにとにかく歩き回った。ホテルから会場までの距離は四キロ弱、コースを変えて歩いて会場に向かい、じっくり東京の街角の風景を眺めながらの散歩は、それ自体贅沢な休暇だった。

20150524そのような中で、「聖徳記念絵画館」という名の建物が目に入った。堂々と絵画と名乗りながらも、これまで自分の知識にはまったく入らなかった。さらに言えば、ここに言う絵画からはあまりにも漠然とした意味合いしか読み取れず、中を覗くまでには、その性格も由来もまったく理解ができなかった。大正時代を代表する日本画の大家たちの作品が一堂に集まるという、なかなかユニークな空間であり、単純に表現の手段や、その効果を考えるにしても、他所では簡単に気づかない要素がいっぱい詰まっている。一方では、実際に豪華なホールを見てまわり、印象に残ったのは、むしろ馬の展示だった。あの伝説な馬のこともさることながら、見る人に視覚的な衝撃を与えたのは、なによりもその素朴で大胆な展示の仕方だった。馬を剥製にすると同時に、同じ馬の骨を取り出して、骨組みを組み立てて剥製と顔合わせに立たせた。ちょっぴり予想が付かず、実物でありながらも、現実の世界ではけっして実際に目撃することができない風景だった。

建物の外は、広々とした憩いの場だった。平日の午前という時間なのに、スポーツに打ち込む多数の集合の姿があった。重厚な歴史沈殿の面影をまるで薄めようとする意思が働いているかのように、一瞬感じ取った