2011年6月25日土曜日

カメラを構える

この一週間、長い旅の準備に打ち込んだ。その合間に、友人との会食を何回も持たれた。その中の一回、あれこれと雑談をしていたら、写真の整理術に話が及んだ。はっと気づき、思わず古いものに手を伸ばして、写真のデジタル化を決行した。

学生時代の写真、丁寧なコメント付きで大きなアルバムに収められている。まずはスキャナーに掛けるようにしてみたが、その作業にあうような機械を持ち合わせていないことにすぐ気づかされた。サイズも合わず、時間もかかり、そしてなによりも出来上がった結果が満足できない。やむを得ず、とりあえずはデジタルカメラで撮ることにした。もともとそれもそれなりのスタンドがどうしても必要になってくるが、いまだぴったりのものに出会っていない。それでも、記録するためならまずは問題なさそうなレベルまでに一通り作業をしあげた。ほとんど一日を掛けて、アルバムページを600枚撮影した。1枚に平均4枚の写真が貼られていて、ざあっと2400枚の写真が入っている。留学生の生活はあわせて六年、こうして見ると、ちょうど一日一枚の写真がアルバムにたどり着いた。24枚入りのフィルムで撮影し、現像してあれこれと選んだものだけアルバムに入れたものだから、いまから思ってもかなりの数のものを撮っていたものだ。もちろんあの頃、FacebookもFlickrもなかったから、写真はまず記録のためのものであって、友人と共有することは最初からそのような方途がなく、したがって予想もつかなかった。

110625その時のカメラそのものは、当時の自分にはまさに一点の贅沢な財産だった。日本での生活を記録するということを理由に、いま風にいえば、よっぽとの「自分への投資」だった。その分、ずっと大事にされていて、いまだ本棚の一角に押し込まれている。これだけ年月が経ったら、もう骨董だ。すくなくとも自分の持ち物として、明らかに一番年季をもつものに属するものだ。

2011年6月18日土曜日

古典現代語訳

英語圏で生活しているせいもあって、翻訳はいたって身近なものだ。それも日本語となれば、身の回りのものとあまりにも離れているから、異なる文字がつねに踊るようなインパクトをもって目に飛び込んでくる。

一方では、同じ日本語の文献においての古典現代語訳は、どうなるのだろうか。似たような感覚をもつ人もきっと少なくないはずだ。古典テキストの「けり」「たり」を見れば、さっさと目を移してしまう。そのような感覚が求めようとしているのは、丁寧な現代語への翻訳だろう。となれば、じっさいにそのような翻訳がはたして十分に行われているのだろうか。それが、大きく言えば二つの流れになっているのではないかと思う。一つは学問の翻訳で、一つは鑑賞の翻訳である。どちらも十分に多く行われたわけではない。前者は、古典全集などのシリーズものの一部などの形で提供され、その延長に教科書あるいは教育参考書にもなる。後者は名の立つ文学家たちの作業に思いが付く。「源氏物語」だけで言葉通りにさまざまなバージョンを重ねてきたことが、それの象徴的な結果だろう。さらに言えば、前者は正確さを最高の目標として、後者は意図的な創作、あるいは感性をつぎ込むことを追求する。

このような捉えをするならば、両者の中間に位置するものは、まさに古典の外国語への翻訳だと思えてならない。原文への忠実をモットーとしながらも、それに過度に拘らないで、読みやすく、しかも過剰な文学性などを訴えることがない。あるいは同じ日本語への現代語訳も、そのようなあり方を狙うべきかもしれない。普通の読者が肩を凝らないで古典を楽しむ、遠い昔の人々の感性を素直に追体験する。いずれはそのような環境が出来上がってくるに違いないと、ひそかに期待したい。

2011年6月11日土曜日

インターネットのアーカイブ

二週間前に記したアーカイブの話題、なんと日本との関連がちょうどその間に起こっていた。新聞報道などを読んで、自分がとんでもない誤解をしていたことに気づいた。公開されている資料と個人的な関心から、もっぱらインターネットでのアーカイブだと解していたたが、そのような意味を持ちつつ、その成り立ちは、あくまでもインターネットそのもののアーカイブだった。「ウェブ・アーカイブ」という呼び名がよりふさわしく、インターネットの内容をせっせと保存してしまおうという試みなのだ。

インターネットで公開されているページをすべてアーカイブにしてしまう。その規模や構想は、途方もなく大きい。ただし、ここでは技術的なことはさほど問題にはならない。考えようによれば、むしろ逆に収集、保存する技術を持ちあまして、それなりの使い道を探ろうと自然に浮かび上がった課題の一つだとの側面さえある。存在しているものを用途など見極めていなくても、とにかく収集し、いまだ予想できないなんらかの将来の状況に備えるというものである。一方では、これを真剣な課題とさせるには、より深層にかかわるものがる。それはインターネットという環境に言ってみれば根本的に逆行するものだ。インターネットで公開されているものは、すべての人に読まれることを前提とし、日々更新を続けて時の移り変わりにそって内容を新たにすることが最大の特徴で、しかも一旦公開されたものなら巨大な網(ウェブ)に織り交ぜられることにより内容の存続が保証される。すなわち、以上のどれもが「アーカイブ」というアプローチの対極にあるものなのだ。公開されたものを究極的に言えば一つの完成品だと捉える立場があって、はじめてこれをアーカイブにかけて保存しておこうとする発想が生れるものなのだ。

だから、ここでも「著作権」に絡んだ議論が起こる。直接に利益に換算する権利ではなくても、たとえば著者が意図して消したものをまるで証拠ものでもあるかのように「記録」していくということは、著者の意思に反する可能性があるのだろう。インターネットアーカイブ創設者のケール氏の国会図書館での講演を伝える「OnDeck」(2011年6月9日号)は、同氏がお土産に東日本大震災以降の日本のWebサイトをアーカイブしたデータを国会図書館に寄贈したと報道する。その中身ははたしてどのようなもので、どのように生かされるべきで、はたまたどのような問題を呼び起こすものか、興味深い。

国立国会図書館・インターネット資料収集保存事業

2011年6月4日土曜日

膾と鱠

生牛肉にまつわる出来事は、いまや忘れ去られようとしている。しかしながら、「ユッケ」という言葉はどうしても気になる。韓国語から来たもので、「肉膾」だと新聞で読んだ。「膾」は中国語では「快」と発音が同じで、日本語でも「かい」と読むべきだろうけど、韓国語だけちょっとした異変が起こった。もともと現代の中国語ではさほど多く使われることがなく、ただ「膾炙人口」という熟語はいまだ広く知られている。そこで、「膾」とは切ることだと学校で教わったが、なぜか「炙」に先立つプロセスとして理解し、「切ってから火を通す」とばかり思っていた。普通の料理ならたしかにその通りだが、古代の生活常識では、むしろ両者が平行するものだと捉えられ、対応する二つの料理方法だったらしい。

110604料理する材料が肉だったり、魚だったりする。前者は「膾」で、後者は「鱠」となる。ここで料理のありかた、さらに言葉の変化を示すのに興味深い実例がある。元の雑劇に「望江亭中秋切鱠」という一駒が伝わる。主人公の女性は、普通なら会えるはずもない貴人の前に出るために、新鮮な魚を手に提げ、これを「切鱠」、すなわち「鱠に切ってあげよう」という口実を作った。しかも、手にした鯉の魚とは、「水煮油煎」には向かないで、まさに「薄批细切」にして最高のものになるのだと説明する。火を通すという料理の仕方を取らないで、しかも腕前に自信を持ち、これを切ってみせるということで相応の報酬を要求するという、一つの鮮やかな実例がそこにあった。いうまでもなく「鱠」とは料理する方法のはずだが、ここではむしろ一つの結果であり、料理の動作を示すには「切」という動詞が新たに加えられ、その分「鱠」がすでに古風のものになったことが示される。

だが、鱠とは「薄批细切」でなくちゃならない。薄く、細かく、となればその結果とは糸状のものにほかならない。日本の刺身とはまったく異質なものだ。ならば、その更なる先に現れたのは、粉々になった「ユッケ」なのだろうか。これなど、はたして料理の進歩したシナリオなのだろうか。

望江亭中秋切鲙