2017年11月25日土曜日

昇天する李白

大詩人李白。その生まれは太白星に由来するならば、その死もけっして凡人の真似るものではない。事実、李白の終焉については、病死説もあれば、酒に酔って船から水中に落ちた伝説もあり、はたまた天上に昇り仙人に姿に戻った派手な言い伝えもある。

昇天する李白の様子は、どうやら明の時代になって広く語り伝えられるようになったもようだ。その様子は、丘浚の詩「謫仙楼」などに詠まれている。そしてより詳しく、いきいきとしたものには、馮夢竜の話本「警世通言」第九話「李謫仙醉草嚇蛮書」があげられる。おなじく船に乗り、酒に耽る李白の周りに、とつぜん強風が吹き水面が荒れ、衆人が見守るなか二人の童子が現われて仙人を迎えにきたと声高らかに宣言する。はたして李白はそのまま天上へと消えて行った。ただこの場合、仙人を載せたのは、ちょっと一風変わっている。それは駕籠でもなければ竜でもない。なんと鯨なのだ。一方では、どうやら明の人間にはすでにこの伝説についてのビジュアル的な理解にある種の無理を感じていたらしい。その証拠に、「警世通言」初版本に添えられた挿絵は、この「鯨」という生き物を巨大な魚として描いた。しかも天の昇っているのだから、体にしっかりと羽がついている。

ちなみに「警世通言」は文学史的に重要な名作だったにもかかわらず、中国には伝わらず、二十世紀に入ってから日本から持ち帰られ、現代の読者に広く読まれた。対して、早稲田大学に所蔵されている初版本は、デジタル公開されており、クリック一つで全文にアクセスできる。

警世通言」(早稲田大学図書館蔵)

2017年11月18日土曜日

DHを語る

金曜日には、ややユニークな研究会が開かれた。ワークショップと名乗り、長年の同僚三人がそれぞれ30分の持ち時間で発表をした。ともに中世の文献を対象にするが、それぞれの文献の言語は、英語とスペイン語と日本語。しかも発表者はともにデジタルのアプローチを試みて20年以上の経験を持ち、なかでわたしのほうが一番キャリアが短かった。

わたしのテーマは、最近作成した「デジタル展示・からいと」を取り上げ、IIIFのアプローチを解説しみてた。IIIFのことはまだまだ知られていなくて、とても高い関心をもって迎えられた。それにしても、それぞれに続けられてきた九十年代からのアプローチとは、はたしてどのようなものだろうか。英語とスペイン語の二人の方の場合、ともにデジタルというツールを活かして、肉眼では識別しづらい、あるいはできないものについての発見に重きを置いている。いまや標準的なものになったが、かつては予想もしなかった可能性を感じさせた画像処理技術の利用やその成果が語られた。それから、個人的にあらためて印象を覚えたのは、デジタル研究と在来の研究との接点や融合に努力を惜しまなかったことである。デジタルの方法で得た知見は、いずれもしっかりと紙媒体の出版物にし、そしていろいろな規模の研究助成を長年にわたって受け続けている。北米の大学でのデジタル研究にまつわる状況の一端が垣間見る思いがした。

研究会に集まる場として、大学のデジタル図書館の中に位置する「ビジュアルスタジオ」を選んだ。椅子を30脚程度しか入らない小さな部屋だが、壁一面がスクリーンとなっている。すでに四、五年まえから利用できるようになったものだが、横四メートル、縦身長以上のスクリーンの前に立ち、それも手でタッチしながら話を進めるのは、自分にとってはじめての体験だった。人間よりも大きい、しかしけっして映りに負けない奈良絵本の画像を見せて、かなりのビジュアルインパクトを提示したと思う。

2017年11月11日土曜日

謡曲敦盛

学生たちと英語で読む古典、今週のテーマは謡曲「敦盛」。能とは何かというところから話を始めなければならないので、伝える知識を最小限に絞り、悲劇の英雄のありかたや中世的な視線を解説することに力を入れるように心がけた。言葉そのものにいまだかなりのハードルがあるため、舞台の録画よりも絵のほうを取り出して見せるようにした。

すでに五年近くまえのことになるが、『中世の物語と絵画』の一章として奈良絵本にまつわるデジタル環境のことを纏めたことがある。その中での一つの実例として、『小敦盛』諸本関連のデジタル公開を触れた。それを改めて読み返し、急速に変化する現状と照らし合わせた。結論から述べると、早稲田大学図書館蔵の全点公開、神戸市立博物館、サントリー美術館のサムネイル画像公開は引き続き利用できることに対して、国文学研究資料館蔵と慶應大学図書館蔵の二点はともに新たに撮影され、しかも今年に入ってからIIIF基準に準じてデジタル画像公開に至った。同じタイトルでも、わずかの時間の間にデジタル公開の状況が大きく前進したと言わなければならない。

クラスの話に戻るが、学生たちによるグループ発表に一時間の時間を与えた。若い学生たちは、いつもいまの日常から何らかの話題を拾ってきてクラスを楽しませている。それは、たとえば武士といえば黒沢の映画といったような、なんとなくかなり焦点がずれたものとなってしまう。しかしながら今週のそれは、「水曜日のカンパネラ」の最新アルバム「SUPERMAN」からの一曲「世阿弥」を流し、しかもインターネットで公開されているファンによる英訳まで添えた。ここまでなれば、教える自分はしっかりと教わった。

たとえば「小敦盛」と題する絵巻。デジタル公開(部分公開を含む)は五点と数えられる。五年ほど前に記録した状況と比較すれば時の進化を改めて知る。

「世阿弥」(水曜日のカンパネラ)

2017年11月4日土曜日

楊貴妃の死

狩野山雪筆の「長恨歌絵巻」は、一番のハイライトである楊貴妃の死を表現して、興味深い構図を用いた。敷皮に膝ずく楊貴妃に向かい、けたたましい武士は一本の縄を手にしている。日本の絵巻や奈良絵本などを見慣れた目には、このような人間の位置配置に素直に処刑と理解するところがある。たとえば「熊野権現縁起絵巻」(和歌山県立博物館蔵)や「熊野の本地」(駒澤大学蔵)などをすぐ思い出す。ただし、目を中国に転じれば、そう素直なものではない。白楽天の「長恨歌」に絞れば、むしろ問題はより大きい。

そもそも楊貴妃の死については、歴史書はたしかに「縊死(くくって死ぬ)」とある(「旧唐書」、「資治通鑑」、など)。一方では、同時代の伝聞などとなれば、かならずしもこれが答えのすべてではない。事件から数ヶ月しか経たなかったうちに書かれたと言われる杜甫の詩には、「血汚遊魂歸不得(血汚の遊魂、帰り得ず)」(「哀江頭」)との句が読まれる。そして、肝心の「長恨歌」は、「宛転蛾眉馬前死(宛転たる蛾眉馬前に死す)」、「迴看血涙相和流(迴り看て血涙相和して流る)」とある。死に方は明記していないが、血が流れていることだけは強く訴えている。もともと白楽天の詩をすべて字面通りに受け取ることも警戒すべきだ。同じく楊貴妃の死をめぐり、近代に入ってからのとある有名な考証などは、「不見玉顔空死処」にみる「空」を「むなしく」ではなくて「そら(ごと)」と解して、これを根拠に妃が死ななかったという破天荒な結論に辿った説まで導かれたものである。

つぎの水曜日に小さな発表が予定され、この絵巻を取り上げてみる。この週末は冬時間に変わるため、余分な一時間が生まれる。発表の準備に当てることにする。

The Song of Everlasting Sorrow