2022年9月24日土曜日

現代語読み

古典文学研究の基本作業の一つには、読み下しがある。もともと漢文を対象に施したもので、原文の文字の順番を日本語に変え、読み方を示す。このやり方はやがて他の文体、平安の物語から中世の御伽草子などの仮名中心の文章に及び、文章の順番を弄る必要はなくなるが、漢字を加えるなど新たな需要が生れた。ただ、それ以外のところを変えないという方針が一つの前提として受け継がれた。

研究を目的とする人には、これにはいっさい違和感がない。だが、古典の文章をふつう読まない一般のの読者に文章を提供するとなれば、はたして最善の対処なのか、これまでほとんど考えもしなかったことである。そんな中、このころ、一つの小さな作業に取り掛かり、編集者から興味深い提案を受けた。漢字に置き換えるだけではなく、残りの文章にも手を加え、歴史仮名遣いを現代仮名遣いに変える、というもので、そのようなサンプルを提示してくれた。まったく意表をついたものだったが、論理上、漢字に書き変えるということは原文の姿を変えることを意味し、それなら、仮名を変えることも本質的な変化ではないはずだ。サンプルを一読して、その読みやすさにいささか驚いた。長文になるほど、その効果が明らかで、いわゆる原文と現代語訳との中間に位置するもので、古典に接するためのハードルは大幅に下がった。有意義な試みと認めなければならない。

このような対処は、「読み下し」という作業の意味するところを変更した結果になる。責任をはっきりさせることをふくめて、新しい言い方を考えてみた。すぐには良案が浮かばなくて、とりあえず「現代語読み」とした。このような、言ってみれば軽いアプローチは、どこまで受け入れられるものだろうか。

2022年9月18日日曜日

鬼の姿

鬼の噂やそれに右往左往する洛中の様子を伝えた『徒然草』第50段、一度は疫病をめぐって記した。(「鬼のそらごと」)一方では、この段を絵にする注釈が行われ、眺めていて同じく興味深い。

兼好の文章を絵にするという労作は、まず松永貞徳の『なぐさみ草』(慶安五年、1652)によって成された。絵は数えて156枚、全作の三分の二に近い段を取り上げたという計算になる。その中で、第50段を対象とする絵は、記事の後半の内容にスポットを与えた。「鬼が出た」と聞いて人々が集まり、逃げるのではなく、その姿を一目見ようとする。結局は待ちぼうけ、はてには群衆の喧嘩にまで展開したとのことだった。絵の内容は、挑発的なものだと言わなければならない。鬼は雲の中に座り、人びとをあざ笑うかのように下に指をさす。そのような鬼に見られていることなどまったく知らず、男たちは二つの集団に分かれてはでに喧嘩を始めようとする。いるはずもない鬼が生き生きとした姿や仕草をもって読書する人の目の前に現われ、男女入り混じった群衆が男ばかりの戦闘集団と化け、しかも周到に用意された武器代わりの長い棒を一様に振りかざしていた。兼好の記述からはみ出した絵は、注釈というより解釈、その自由自在な読み方はこれまた考えるほどに楽しい。

この『なぐさみ草』の構図は、広く読まれ、しかも『徒然草』の絵画化に大きく寄与した。その一例をここに報告しよう。徳川美術館蔵には「徒然草絵巻」(十二巻)がある。同美術館の公式サイトには、第三巻からの一場面を公開し、その構図はまさに慎重丁寧に『なぐさみ草』のそれに従い、再現したものである。読み比べてほしい。

素朴で飾り気のない木版印刷の絵注釈、豪華絢爛で一点しか存在しない絵巻。しかしながら、この両者の距離は、今日のわたしたちが漠然と思い込んだ感覚よりはるかに近かった。目の前の二枚は、その動かない実例だと言ってよかろう。

2022年9月10日土曜日

明月の賞で方

暦のうえで今日は中秋。中国や日本に遅れて十数時間、ここカナダも、大きくて明るい月に照らされる美しい夜になった。とりわけ中国は、「中秋節」といって国民休日にさえなって、SNSでは祝福の言葉が盛んに交わされている。

その昔、兼好も中秋の夜のことを記した。

八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。(『徒然草』239段)

きわめて短い一段だ。率直に清く明るいこの日に月を賞でるべきだと説く。さらに宿の日のことを付け加えられたが、今も占いなどの場において残される暦で、月を眺めることに関しては特別に新しい情報ではない。

改めて思い出したいのは、『徒然草』のほとんどの記述が、これを熱心に読んでいた江戸の知識人によって絵に描かれたことだ。この短い一段にも、右のような絵が添えられた。(『つれづれ艸繪抄』下巻49オ

月が主役だが、描かれたのは、兼好の記述とはおよそ関連が見つからない。舟を浮かべ、友と連れ合い、なだらかな沖に出る。月は水面に投影して二つとなる。その様子を即興に詠いあげる。

水の面にでる月なみをかぞふればこよひぞ秋のもなかなりけり

(水の面に、出る月波を、数ふれば、今宵ぞ秋の、最中なりけり)

もともとの『徒然草』の内容があまり簡潔だからだろうか、それともそれに刺激されて表現欲が湧き出て止まらなかったからだろうか、絵の作者は兼好に代わって、明月を賞でる一つの状況を作り出した。あくまでも饒舌だが、読む人の想像がおかげで豊になったこともまたたしかだ。

2022年9月3日土曜日

文豪5N

雑談の中で、「一番最初に購入したパソコンとは」と聞かれ、忘れがたい思い出に繋がった。つい自慢そうにそれを長々と語った。

それは、NECの「文豪5N」だった。パソコンのことを聞かれてワープロを持ち出すのは、誤答と言われてもやむをえないが、80年代の半ばというのは、まさにそのような時代だった。世の中はマッキントッシュで一世風靡したものだが、ただ言語の壁は高く、日本語を扱うことが出来なければ、視野の外に押し出してしまう。日本では、あくまでもワープロだった。そして、自分はその流れに乗せられた消費者の一人だった。「文豪」と名乗ったその機械は、あまりにも先端的で、いろいろな意味で語り草となっている。その証にいまでもCMがYouTubeに記録されている。

それを購入したのは、1985年の春ごろだった。鮮明に記憶に残ったのは、機械が寮の部屋の前に、販売の店員が届けてくれて、そこで熱心に説明をしてくれたことだった。いわく、購入時点の約束と違い、JIS第二水準の漢字を付け加えてあげたという、信じられないことだった。どれだけほっとし、得した気分だったのか。時はまさに修士論文を出した直後の、ほとんど放心状態の中だった。機械の使い方を覚えながら、手書きで提出した論文をワープロに打ち込んだのは最初の挑戦だった。その過程でキーボートの使い方を習得し、ためになる基本技能の一つとなった。写真は、部屋の中に鎮座する5Nの様子だ。たしかに1988年の春ごろまでずっと活躍していたものだった。

さきのCMを見ると、発売は前年の1984年、定価は39.8万円だった。じっさいはたしかに32万円前後払ったと記憶している。若い学生として、よくもそこまで投資したのだと、四十年近く経ったいまでも不思議に思う。ちなみに、思い返せば、そのあと、30万円を超えるパソコンを購入したことは、一度もない。