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2021年2月13日土曜日

春節の舞台

農歴の暦では、12日の金曜日をもって辛丑年に入った。ここに春が始まったことを祝賀し、新年の挨拶を申し上げる。中国では、爆竹など伝統的な春節の祝いは安全などの理由からかなり前から忘れられ、その代わり、「聯歓晩会」という名のテレビ特番が年越しの代名詞となり、いまそれがさまざまなチャンネルに乗って放送され、世界のどこでも簡単に受信できるようになった。

今年は、その中で一つの踊りが話題になった。絵巻を読む目にはとても素晴らしい刺激を与えてくれている。踊りのタイトルは『唐宮夜宴』、このリンクなどから見られる。かつての唐の盛況を宮廷の踊り子たちの姿に託し、王朝の美を追い求めたものだった。その踊り子たちは、ひっそりとした美術館から現われ、やがて色とりどりの山水画の中に入り、夢のような澄み渡った宇宙ではしゃぎ、そして宮廷の上に登って舞う。絢爛を極めて、忽然と絵の中に戻っていった。まさに一巻の最上の絵巻が動き出したものだった。なかでも、今日の審美に悖る太った踊り子たちの身なり、絵だけでは想像も及ばないコミカルで微笑ましい歩き方、互いに戯れる溢れんばかりの生命力など、どれも眺めていて古代の世界に迷い込んだ思いだった。

ちなみに数年まえまでは春節の舞台といえば中央テレビ局独占のようなものだったが、いまはテレビの地方局も競うようにこれに取り組んだ。この話題の踊りも河南省放送局の特番の一つである。地方の活力や魅力を感じるということも、大いに感慨深い。

2020年7月4日土曜日

授と受と

『徒然草』(一〇八段)を読んで、新しい言葉を習った。「筆受」。注釈や現代語訳などを調べたら、「翻訳を文章にする」などとある。外国語を勉強している身としては、やはり興味を持たざるをえない。

言葉の由来については、江戸時代の古注釈ですでにはっきりと指摘した。『参考抄』(恵空和尚)は、「長水楞厳疏」からの引用として、つぎの文を示した。「筆授或云筆受。謂以此方文体筆其所授梵本。緝綴潤色。令順物情。不失正理也。」(筆授は筆受とも言う。語られた梵語の原文をこちらの文章にし、表現を潤色し、読みやすくかつ元の意味を失わないようにすることである。)出典を確かめてみれば、たしかに「大正新脩大蔵経」(第三九巻八二七頁)に収録される『首楞厳義疏注経』にこの通りの文章が認められる。(写真は国文学研究資料館蔵『首楞厳義疏注経』一上十七オより)さらに中国のほうの記述などを見れば、同じことは仏典翻訳の作業として早くから確立され、とりわけあの玄奘法師が天竺から持ち帰った仏典を翻訳するという一大プロジェクトにおいて、すでに大きく役割を果たしていた。共同作業による翻訳の一端を覗かせてくれた。

考えてみれば、授と受は、まるきり対立する言葉である。なのに、ここの特定の文脈においてまったく同じ意味として使われている。その理由は、文字の発音が同じということにあるのだろう。そこで言葉の意味を解釈すれば、日本風に書くと、(文章を)筆をもって「読者に授ける」、あるいは「翻訳者から受ける」、といったところだろうか。

2020年6月20日土曜日

くずし字

つぎの文字は、寛政九年(1797)刊の『絵本太閤記』の一頁(初編巻之九十二オ)から無造作に選んだものである。いわゆる「くずし字」における漢字の典型的な一つの側面を伝えている。どれもかなり普通に使われる漢字だが、いくつぐらい読めるのだろうか。

まず答えを示そう。上の行は左から右へ「守、国、興、爰、用」、下の行は「気、土、兼、是、互」である。江戸の版本などにおいては、ほとんどどれもスタンダードなもので、同時期の読み物をたくさん読んでいる目には、さほど苦にすることはなく、自然と覚えたものだ。いうまでもなく、今日わたしたちが使っている文字、知っている文字からすれば、その構成から書き順までとにかく違う。これらの文字がこのような形にたどり着いたのは、それまで長い間書き受け継がれたからにほかならない。中国の楷書などの字形をもともとの基準だとすれば、そこからすこしずつ手書きにおいて簡略化され、書きやすく読みやすくしているうちに、ここに到達した。そしてそのあとの二百年に及ぶ時の流れにおいて、これらの字形が使われなくなり、違うものに変形したのだ。

いまやくずし字をAIの技術で読むということが大いに話題になり、関心を集めている。このレベルのものなら、AIにはおそらくまったく苦労しないだろう。十分な用例さえあれば、すなおに覚えてくれて、識別してくれる。言い換えれば、いまの汎用の字形に邪魔されないで、一つの新しい文字としてこれに取り掛かるのだ。これからくずし字の読解に取り掛かろうとするには、この姿勢こそ大いに参考になると言えよう。

2020年1月25日土曜日

百鼠図

中国の暦では、今日の日付をもって子の歳が始まった。「春節」とよばれる新たな一年の始まりは、中国国内の最大の祝日であり、いまや世界でも広く知られ、祝福の言葉が交わされるようになった。一方では、干支の文字は古風な言い回しに止まり、普段の表現としては、あくまでも「鼠」である。

鼠の年を迎えて、それをめでたく寿ぐ方法は、さまざまと案出され、楽しまれている。中では、ちょっと思いよらないものもある。たとえば、「百鼠図」。写真はその一例である。百の図と名乗り、同じ文字の異なる字形を百と集め、それを丁寧に書き並べるというのは、予想以上に長い伝統を持つ。その中で一番有名なのは、寿の文字を集めたものがあげられよう。清の文人の記録によれば、宋の時代にすでにそのような作品があり、しかも岩に刻まれたと伝わる(銭曾『読書敏求記』)。あとは「福」「禄」などの文字もよく書かれる。ここにいう百の違う字形は、古い篆書の恰好をしている。実際に伝わる象形文字、金石文字などの実例を寄せ集めたのが中心になるが、一方では楷書や行書の字形、ひいては文様パターンなどまで取り入れてのオリジナル字形も創出され、用いられている。これも同じく右の実例を眺めればすぐ分かることだ。

それにしても、鼠の文字を一面に書かれたものをどこかの壁に掲げて飾ることは、想像してちょっぴり落ち着かない。あくまでも廻ってくる新しい春を祝う一種の遊びだと、書く人も賞でる人もそう思っていることだろう。

2019年10月19日土曜日

オープンアクセス

数えてすでに九年まえのことになるが、雑誌『中国21』に小さなエッセイを書いた。ここ数日、ちょっとした必要があって調べてみたら、出版がわがすでにオンライン公開をしている。作者としては、ただただ嬉しい。同じ文章は、このブログにおいても個人的な記録として「雑誌投稿」の一篇に加えたので、さっそく同じリンクを添えた。(「留学の東と西」)

同じ雑誌のオープンアクセスにちょっと意外に思った理由とは、それがいわゆる商業ベースで発行しているからだ。出版元は東方書店、定価は2000~2200円、しかも同出版社はいまでもバックナンバーの販売をしている。一方では、この雑誌は多くの大学や研究機関の図書館において学術誌として収録されている。これまでのラインアップを眺めてみてすぐ分かるように、かなりの専門家の名前が執筆陣に認められ、一冊ごとに選んだテーマも、どれも挑戦的で、読み応えがある。そこで、オープンアクセスである。よく見てみれば、年二回刊行の『中国21』は、一年遅れに公開するというものである。雑誌の発行形態と考えあわせれば、ぎりぎりの判断だろう。特筆すべきのは、同雑誌のトップページにおいて、2015年9月付けで許諾関連の説明と不許諾用紙という二つの書類を用意されている。その趣旨は、「許可しない書類を送付しなければ許諾だとする」、「後日になっても許可しなければ直ちに掲載を取り下げる」というものである。とりわけ学術誌に関連する著作権の立場からの対応では、いまやこれが基本方針になっている。

ちなみに、CiNiiでこれを確認してみた。『中国21』公開分のほとんどの論文には「機関リポジトリ」とのリンクが付けられている。しかしながら、上記の短いエッセイは、掲載されてはいるが、おなじリンクが見られない。理由は分からないが、CiNiiの利用においてちょっと記憶しておきたい。

2019年9月14日土曜日

大唐玄奘

「大唐玄奘」、これは映画の名前である。なにげなくYouTubeをクリックしてみたら、三年ほどまえに公開されたこれが飛び込んできた。さほど期待を持たないで見はじめたら、意外とはまり、とても印象に残るものとなった。

いまだ時にふれ「玄奘三蔵絵」を開く。数々のハイライトは鎌倉の人々の想像にほかならないと知りつつ、なんとなく玄奘をめぐるイメージはそこに凝縮した。そういう意味では、映画が見せてくれたのは、かなり違う映像だった。一言でいえば、華やかさを数段落とし、理想、空想の世界に対しての、現実的で等身大のビジュアルだ。ストーリーの作り方としても、求法の道を遮る権力者には敵対心がなく、ときどき現れて旅を手伝い、玄奘を師と仰ぐ人々はかえってさまざまな事情を抱えて、一縄にはいかない設定には興味が尽きない。一種のロードムービーと捉えなくもないが、劇的なエピソードよりも対話に深みがあって味わいがある。

ちなみにタイトルにある「大唐」とは、あくまでも敬意をもっての称呼に過ぎず、日本語に直せば「唐の玄奘」ぐらいのニュアンスだ。タイトルの英訳は、あくまでも「Xuan Zang」である。

「大唐玄奘」のトレーラ

2018年5月25日金曜日

「才」と「芸」と

担当する授業の一つは、学生とともに絵巻を読むというテーマにした。昨日のクラスで取り上げたのは、あの「吉備大臣入唐絵詞」。所蔵先のボストン美術館はすでにこれを全巻デジタル公開し、学生への宿題はオンライン閲覧を課しておいた。若い大学生には、このような古典は意外と新鮮で、これまでには一度もまともに目を通していない人がほとんどらしい。戻ってきたコメントからも、そのような熱気が伝わった。

クラスで十分に展開できなかったが、じつは詞書の中に、文化史的にじっくり論じるべき大事なヒントがいくつも隠されている。たとえば、「才」と「芸」、両者の区別と関連。絵巻の中で、文選読みの試練を、吉備が鬼の協力で鮮やかなぐらいに撃退し、原典へのリスペクトまでおまけとして盛り込んで、じつに痛快だった。それを受けて、さらなる試練は、文才に対する違う分野のものだと、まずは枠組みが決められ、芸からの出題と、それの代表格として碁が選ばれた。「才はあれど芸はなし」(三巻一段)、明解で魅力的な文言だ。文字によって書かれたものに対しての、形を持たない、変幻自在の芸(芸能、芸当)、しかもそれが才の次の、才よりは高次元のものとして取り扱われるものだと物語が主張する。

いうまでもなくここに展開されたのは、中国の皇帝を囲む人々の口を借りて言わせたが、あくまでも日本的な発想だ。かつて「芸画」と「術画」をめぐる中国側の画論についてメモをした。まさにこのような議論に平行し、まるで違う視点を見せつけたものだ。しかしながら、吉備大臣をめぐる物語は、碁の石を盗み、飲み込んで隠すというような形でその到達の極致とした。いまの才・芸の言説において、このような行動原理はどのような形で加わるのだろうか、追跡を続けたい。

2014年11月22日土曜日

瑠璃の色

今週の講義テーマは、人形浄瑠璃。言うまでもなく一番基本から話を始めなければならない。おかげで自分の中で持ち続けてきた知識の頼りなさの一つに気付かされた。あの浄瑠璃姫の名前の意味するところの瑠璃の正体にかかわるものである。

20141122瑠璃とはインドに伝わる宝石だと分かっている。ただその色となれば、自分の中ではずっと緑だった。そこで紫ぎみのブルーと知らされて、少なからずに驚いた。それでも単なる自分の思い込みだと信じたくなくて、緑となる根拠を調べてみた。さいわい簡単に出てきた。やはり中国側の理解なのである。手近にある実例としては、承徳にある普陀宗乗寺の琉璃碑殿の色は、たしかに緑そのものだった。ただし一方では、北海公园にある琉璃九龍の壁は、ブルーを基本色としている。すなわち中国の伝統においては、緑や紺をはじめとする、簡単に得られない色の集合やその混在こそ、瑠璃の色なのだ。その理由は、宝石としての瑠璃はすでに不在のものとし、代わりに古来伝来の工法で製造されたガラス製品こそ、瑠璃という名を博したものだった。そのような瑠璃は、いまでも大事に作られ、さまざまな形で慎重に取り扱われている。ある説明によれば、瑠璃を拭くときに用いる水でさえ、12時間以上清浄しなければならないとか。

そのような瑠璃製造の工法となれば、まさに貴重なものとされている。中国では、それが2008年に公表された「第二回国家非物質文化遺産目録」と登録されている。あきらかに日本の「無形文化財」というシステムだ。ちなみに同じ目録には510の項目があり、斜めに読んでみれば、象棋、漢方養生、切り紙、そして醤油製造などじつに多彩なものが収録されている。

2014年11月8日土曜日

白骨の精

クラスからの話題だ。今週学生たちと一緒に読んだのは、「西遊記」。あまりにも有名なものであっても、原文を実際に読んだ若者はおそらく一人もおらず、その分、一番典型的で、短く読み切れるエピソードを持ちだした。あの「白骨の精」の話。小説誕生までの流れ、近代になってはじめて現れた「她」の文字など、周りの情報をあわせて持ち出したりして、単なる妖怪話に終わらないように心がけた。

20141108そこで、なんといっても「白骨の精」そのものだ。物語の中では、その姿は最後になってようやく明らかになる。孫悟空の如意棒に倒れされた妖怪は、骸骨の正体を現わにし、その背骨に「白骨夫人」との文字が書き入れられている。いささか芸のない結末なのだ。一方では、一つの文化的な記号にまでなった「白骨精」は、目まぐるしく移り変わる現代の中国において、どうやらまったく新しい意味を獲得したようだ。「職場」という言葉ーーこれも日本語からの外来語としてかなり普通の中国語に定着したのだがーーとペアに使われ、エリート女性を指すものとなった。その成り立ちは、いわば軽いのりの言葉遊びで、「白」領(ホワイトカラー)、「骨」幹(リーダー)、「精」英(エリート)との三つの言葉が集約されたとされている。言ってみれば、美しい女性の化け物という在来の恐れられ、嫌われるイメージから、美しい女性のリーダーという羨ましがられる存在となったのだ。言葉の変化という意味では、文字通りにマイナスからプラスへと、ありえない大転換を演じてしまった。

単純な言語の現象としても、これは実に妙な展開なのだ。懸命に考えてみれば、見立ては一つある。既成の概念に捕らわれず、ときには積極的にそれへの反動を模索することは、まさにいまの中国で共有されている思考パターンの一つだ。ならば、既成の言葉をわざと正反対の意味に用いるということもあるのだろう。ただし、そのように言われる人がこれを甘んじて受け止め、ひいてはこう言われることを愉しむという事実は、どうしても理解に苦しむ。

2014年10月26日日曜日

出像

版本に収められた絵に注目すれば、そこにはこれまで自分の知識に入っていなかった新鮮な世界がいっぱい広がった。今週もそのような思いを経験させられた。クラスが終わったら一人の学生が近づいてきて、「出像」という言葉の意味を聞いてきた。虚を突かれてなにも答えられなかった。しかしながらオンラインサーチを掛けてみれば、ずいぶんと常識的な用語だとすぐ気づいた。

20141025学生に聞かれたのは、「出像官板大字西游記」というものである。物語の内容を表わす絵が付いていて、しかも196枚という規模である。「西遊記」の成立や伝来を考える上ではかなり重要な底本の一つで、それまた日本で伝存され、30年代に北京図書館が買い求め、いまは台湾に所蔵されているという、数奇な運命を伴うものである。これだけ一点のものならば、「出像」という言葉の位相についてまだあれこれと推測もできるだろうが、しかしながら「西遊記」から目を離して、似た書物のタイトルを調べてみれば、なんと「隋史」、「水滸伝」、「捜神記」といったポピュラーなものをはじめ、「千家詩」、「楊文広征蛮伝」といった聞きなれないもの、ひいては「天主降生」といったキリスト教ものまで、じつに幅広い作品の数々には「出像」と名乗る版本が印刷され、流行していたものだった。

それにしても、言葉の成り立ちはどうだろうか。内容から考えれば、さしずめ「絵入り」ということに違いはない。ただし、たいていの漢和辞典にはまず入っていない。普通に考えれば、現在でも使われている「出席」、「出場」、「出演」などの言葉と同じ構成となっていると思われる。すなわち「絵に出る」ということで、広く知られていたエピソードが絵となって紙面に踊りでた、といった意味で用いられていたのだろう。

2013年9月21日土曜日

梓慶為鐻

学生たちとともに読む「夢十夜」。第二編に選んだのは第六夜だった。明治時代に紛れ込んだ運慶が、大勢に見守られて仁王の像を作るというあの夢である。個人的にはかなりの思い出があるもので、学生時代の、人生一大事の日本語試験に、解読文として読まされたものだった。ただ作者名も夢との設定もまったく知らされず、学習者として大いに苦しまれたという悔しい経験は、いまでも深く記憶に残っている。

久しぶりにこれを読み直し、関連の文献まで目を通したら、夢の設定は中国の故事を踏えていたということにはじめて気づいた。あの荘子に説かれた逸話だった。梓慶(しけい)という名の匠が、楽器である鐻(きょ)を作る、という話である。そこでは、人間離れの神技について、周りの驚愕に満ちた視線ではなく、匠本人が丁寧に解説を披露した。それによれば、しかるべき修行のプロセスを経て、ようやく到達できた最高の境地とは、自然の樹木を前にして、「見成鐻」、形を備わった鐻を自ずから見出せるのだと教わる。このように梓慶と運慶、楽器と仏像との対応がしっかりと結ばれ、芸術の境地が立体的に見えてくる。もともと、このような典拠が分かっていても、130921漱石の夢の魅力がすこしも減らず、とりわけ「土の中から石を掘り出す」といった洗練された比喩は、いかにも漱石らしく読む者に伝わり、表現としてますます光っている。

友人の好意により、今年もある書の同人展への出品を誘われた。試しにこの故事を内容とし、日本語による説明を添えた。ふだんまったく筆を取らないことは、書の先生にはすぐ覚られるに違いないが、一つの貴重な思い出としてここに記しておきたい。

2013年6月16日日曜日

巷の粽

かなり久しぶりに端午の日を中国で過ごした。いつの間にか端午とは国をあげての祝日となっている。今年のそれが水曜日に当たるため、ほとんどの機関や会社などは直前の土、日を出勤日とし、振り替え休日をもって連休を作り出しているという力の入れようである。昔の記憶にはなかったもので、はなはだ感心した。

ラジオとかでは、端午、そしてこれとセットになっている粽のことを繰り返し放送している。たまたまだっただろうけど、二回も耳に入ったのは、独りよがりな、重いアクセントを混じった語り口の学者による解説だった。正直、聞いていても要領が得ない。海外ではまるで新興のスポーツにまでなった感じのドラゴン・ボードのことは、どこでも触れられていない。端午というのは、そこまで説明が必要とされ、難解で理屈っぽいものなのだと、なぜか合点したような印象だった。一方では、粽はたしかに商業ベースのレールに乗り上げたものだった。街角にはまさに言葉通りのさまざまな形や中味の粽が充満し、しかもお土産用のものとなれば、その値段はカナダのそれとまったく変わらないものとなっている。ただ端午の日が過ぎれば、すべての粽はあっさりと店頭から姿を消してしまい、あっぱれなぐらいだった。

130615文字によって記された粽は、かなり古いものに遡るものだろうと漠然と想像して調べてみたら、なんと約750年まえの粽の実物までお墓の中から出土されたものである。しかもほんの20年ほど前の発見にすぎない。味やら歯ごたえやらもう知るはずもないが、写真を見るかぎり、現在のどこかのブランドもの粽の宣伝写真だと言われてもまったく違和感がないぐらい、完全に今風のものなのだ。少なからずに驚いた。

江西德安南宋周氏墓清理简报(『文物』1990年9期)

2012年3月4日日曜日

帝を誅す物語

荊軻、始皇帝を刺す。あまりにもよく知られている中国故事の一つだ。始皇帝暗殺は、その直前まですべて成功したにもかかわらず、最後の瞬間、琴の演奏を今一度聞かせてくれとの始皇帝の願いが許されたところで計画が崩れたという、これまたあまりにも文学的なエピソードと共に、千年のミステリーに魅力的な想像の空間を与えた。

一方では、既成の伝説や伝統をすべて再構築する、これまでと異なる可能性を探ってみる、というのはどうやらいま中国での流行のスタイルの一つだ。この暗殺劇についてもまったく同じ展開が見られる。記憶に新しいのは、「ヒーロー」という映画だ。この上なく美しいカンフー映画、ストーリーの骨組みをあの「羅生門」からそのまま借用するなど、話題が尽きない。中では肝心の始皇帝を刺すとのハイライトとなれば、刺客自身が「殺すか殺さないか」との問いを始皇帝その人から投げかけられ、真面目に悩み、結局は殺さないことを自ら進んで選び、殺されてしまうという、妙な結末だった。そこに、今年に入ってさらに一つ違うバージョンが公衆の視野に入った。日本で言えば「紅白歌合戦」にあたる全国規模の大晦日テレビ番組の一こまに、この物語が再び登場した。コメディタッチだが、始皇帝をあっさりと殺してしまったと、いま流行の「タイムトラベル」のいい加減さを批判しようとしたものだった。

120304目を日本の古典に転じれば、始皇帝暗殺は、遠く『源氏物語』、『今昔物語集』、『平家物語』に収められ、はてまた絵巻や屏風の題材になった。その中の一つ、静岡県立美術館所蔵『帝鑑図・咸陽宮図屏風』をめぐり、小さな行事が十日ほど後に予定されている。

帝誅しと帝諌めの物語

2012年1月8日日曜日

天橋か飛龍か

龍にまつわる話題をさらに一つ続けたい。辰年を迎える二日前、思い立って天橋立を訪ねた。手元に保存してある昔の写真を見返したら、たしか24年ほど前に一度訪れたことがある。そのような自分にとっての古写真を片手にして、旧地を再訪するのも一興だ。はたしてあの「股のぞき」の場所はすぐ見つかり、周りの風景は四半世紀を経っても変化のないことを容易に確かめられた。しかしながら、ゴンドラまで設置された観光スポットから海辺へ降りようとしたところに、「飛龍観」との看板が目にはいった。記憶にはまったくなかったものである。同じ島を眺めるいくつかの見物地点に違う名前が付けられ、足元にあるところはこのように呼ばれ、しかもそれなりに昔からこうなったもようだ。

120108三つの文字を眺めていて、興味が尽きない。不規則で優雅な形を為す島のことを、天にかかる橋とするのみならず、空飛ぶ龍だとも見なすことは、たしかに素晴らしい。それを表現して、看板の三文字は、「飛ぶ龍を観る」と分かりやすい。いうまでもなくこの文字並べは漢文の格好を取っていながらも、あくまでは日本語。すなわち文字の順番をそっくりそのまま日本語の通りに並べ、日本語の発想をそのまますなおに表現して、動詞と目的語との位置関係の和・漢の違いなどまったく気にしない。言い換えれば、漢字が並んだという優雅さを持ち合わせながらも、漢文であることを目標としない、一種の生きた言語表現なのだ。ただし、そこは天橋立。天にかかる橋として見るためには、視線を上下逆さにして、股から「覗く」ことを要求されるところだ。そのようなところで直立して「観る」ことは、なぜか鑑賞の仕方にはあまりにもギャップが大きい。和と漢の並立は期せずして俗と雅との対比をもたらし、それをよけいに際立たせる結果になり、ちょっぴり一抹の滑稽さがなぜか苦笑を誘った。

しかも、さらに言えばこの三文字をいまや古風の中国語として読めば、さらに一つとんでもない距離が出来てしまう。というのは「観」とは道教の廟の別名だ。まったく同じ文字の組み合わせの名前は、いまなお時代小説などで頻繁に顔を覗かせる。中国語しか分からない観光客なら、この看板を見てついつい近所にりっぱな建物があるに違いないと勘違いするのではないかと、別の空想が飛びはじまった。

2011年6月4日土曜日

膾と鱠

生牛肉にまつわる出来事は、いまや忘れ去られようとしている。しかしながら、「ユッケ」という言葉はどうしても気になる。韓国語から来たもので、「肉膾」だと新聞で読んだ。「膾」は中国語では「快」と発音が同じで、日本語でも「かい」と読むべきだろうけど、韓国語だけちょっとした異変が起こった。もともと現代の中国語ではさほど多く使われることがなく、ただ「膾炙人口」という熟語はいまだ広く知られている。そこで、「膾」とは切ることだと学校で教わったが、なぜか「炙」に先立つプロセスとして理解し、「切ってから火を通す」とばかり思っていた。普通の料理ならたしかにその通りだが、古代の生活常識では、むしろ両者が平行するものだと捉えられ、対応する二つの料理方法だったらしい。

110604料理する材料が肉だったり、魚だったりする。前者は「膾」で、後者は「鱠」となる。ここで料理のありかた、さらに言葉の変化を示すのに興味深い実例がある。元の雑劇に「望江亭中秋切鱠」という一駒が伝わる。主人公の女性は、普通なら会えるはずもない貴人の前に出るために、新鮮な魚を手に提げ、これを「切鱠」、すなわち「鱠に切ってあげよう」という口実を作った。しかも、手にした鯉の魚とは、「水煮油煎」には向かないで、まさに「薄批细切」にして最高のものになるのだと説明する。火を通すという料理の仕方を取らないで、しかも腕前に自信を持ち、これを切ってみせるということで相応の報酬を要求するという、一つの鮮やかな実例がそこにあった。いうまでもなく「鱠」とは料理する方法のはずだが、ここではむしろ一つの結果であり、料理の動作を示すには「切」という動詞が新たに加えられ、その分「鱠」がすでに古風のものになったことが示される。

だが、鱠とは「薄批细切」でなくちゃならない。薄く、細かく、となればその結果とは糸状のものにほかならない。日本の刺身とはまったく異質なものだ。ならば、その更なる先に現れたのは、粉々になった「ユッケ」なのだろうか。これなど、はたして料理の進歩したシナリオなのだろうか。

望江亭中秋切鲙

2011年4月23日土曜日

青色とは

同じ「白蛇伝」をめぐって、さらに一題。ストーリに登場する女性は二人、侍女の立場にいるのは、小青という名前を持つ、蛇ではなくて鯉だった。青は白と対応的で、分かりやすい。ただ、青とはたしてどのような色なのだろうか。英語の翻訳は、「リトル・グリーン」。自分のイメージとなぜか大きな開きがあった。周りにはまさにこれを名前にしている友人がいて、試して本人に聞いてみたら、迷いなく「草色だ」と答えてくれた。こうも単純だと、自分の中ではかえって迷いがますます深まるばかりだ。

110423「青」は、たしかに緑だろう。日本風に言えば、「青信号」だ。一方では、ブルーもけっして的外れではない。「青空」だ。さらに言えば、青とはけっしてただのブルーではなく、「藍より青し」だから、どちらかといえば黒に近いものだろう。同じ空でも、あるいは月に照らされた澄み透った夜空を思えば、二つの青が依拠した共通点が浮かんでくるのかもしれない。そこにさらに一つ、「青ざめる」。こちらとなれば、黒とはまる反対の、むしろ灰色か白に近いものになってしまう。「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」と、青は確かに原色の一つのはずだ。だが、こうも違ってしまえば、なんとも不思議だ。

幸い日本語で記してきたこれらの多様多彩な事情は、中国語においてすべてそのまま今日の言語表現に生き続いている。一つずつあげるとすれば、「青天」、「青草」、「青出於藍」、「土青」といったところだろう。二つの言語は、ここまで共通しているということは、どれだけ面倒が少ないのか、計り知れない。一方では、深く考えずに言葉を使用できることから、そこに隠された誤解の可能性も、けっして見逃せない。

2011年4月2日土曜日

絵と文字と

今週の講義テーマは、中国古代詩人屈原の詩を題材にする「九歌図」。一時間ずつの二回の講義では、集中して話を聞いてもらいたいとの思いから、絵を出さず、絵を見つめることをクラスの後の復習の作業に回した。

110402

「九歌図」と名乗る作品は、大きく二つの流れを持つ。中では、祭儀の様子などを内容にした、構図的には明らかに古いものは、なぜか関心の度合いが低い。作品に記された制作時間と、文字遣いからみた内部証拠と矛盾し、記録の内容が信用できないことがその一番の理由だとされる。代わりに、元の絵師張渥の作が多くの注目を集める。九つの詩(歌)にそれぞれの肖像画風の絵を当て、詩を絵の後に添えるというスタイルを取る。それぞれの絵は、互いに関連を持たず、しかもほとんどの構図は、文字が左へ展開するのに対して、反対の右向きになり、巻物という特性を考慮したとは思えないし、われわれが持つ絵巻に対する常識がほとんど通用しない。ちなみに同じ作品は世界中に五点以上の伝本が報告されるが、それらすべて同じ画家の作だとはとても考えられないが、判断するための確かな手がかりがないままである。

屈原の歌を記した文字そのものが興味深い。伝本の一つは隷書を用いた。制作者としては一番古風の文字を選んだとの自負でも持ち合わせていたのだろう。ただし、隷書は確かに中国歴史上の最初に統一された文字だ。ただ、屈原の生涯は、まさにそのような秦の統一に反抗して自ら命まで絶ったものだった。そのような考えは、絵巻成立の時点から見て、すでに千年も前のこととなり、なんら意義を持たないものになったと考えられていたに違いない。

吉林省博物館蔵「九歌図」

2011年2月12日土曜日

ヒーロー悟空

クラスで今週のテーマは、孫悟空。まずは、ドラゴンボールなどは、ぜったい絡ませないでと念を押した上で、学生たちに議論を展開させた。それでも、発言は自然と日本と中国の悟空像に走った。たとえばこのような見解が述べられた。日本の悟空は、ヒーロー、対して中国の悟空は、ワルだと言わないにしても、凡人以上に失敗する、周りを構わずに面倒を起こす。なるほどと思った。さらに追求すれば、日本のそれは、外国もののゆえに自由自在に変化を与えられるが、中国のそれは、大事な伝統だたら自由にできない、などと文化論まで話が大きくなった。

若い学生たちの意見を聞いて、思わず自分の学生時代の記憶が呼び起こされた。日本に渡って、日本バージョンのさまざまな西遊記話に初めて接したとき、それがなんと自由闊達なものだとかなりの驚きを覚えた。いうまでもなく自分の中にはっきりとできた唐三蔵、孫悟空像に相対させてそう考えたのだった。テレビドラマの中で有名女優が三蔵法師を扮すると聞けば、目からウロコの思いだった。中国では考えもよらなかった、かと言って西遊記の自由自在な精神に妙にマッチしたものだと、ひそかに感心もした。

110212しかしながら、だ。いまの中国に目を転じてみれば、古典ストーリの再生産に限っていえば、束縛されるものがすっかり解かされたことだけはたしかのようだ。同じく孫悟空の例でいえば、最新のドラマシリーズでは、それがいっそうの変わりようを見せた。あの名高いナタ太子とのエピソードでは、「断背」(これまた中国語の新語。あのアメリカ映画のタイトルから得た表現)、すなわち男性同士の恋愛までにおわせるものだったとか。ウロコどころか、開いた口が塞がらない、といったところだ。

2011年1月22日土曜日

辞の至らぬ所は、絵

明時代の画像資料をあれこれと探ってみるうちに、つぎのような短い記述に出会った。どうも演義小説を論じる学者の中で繰り返し引用されたもののようである。明の後期(十七世紀初頭)に刊行された「禅真逸史」という南北朝(五世紀初頭から六世紀後半)時代を背景にした小説に添えられた八項目にわたる解題内容の一つである。

110122図像似作儿態。然史中炎凉好丑,辞绘之,辞所不到,図絵之。昔人云:詩中有画。余亦云:画中有詩。俾観者展卷,而人情物理,城市山林,勝敗窮通,皇畿野店,无不一覧而尽。其間仿景必真,伝神必肖,可称写照妙手,奚徒鉛塹為工。

現代日本語に書き直したら、およそつぎのような感じだろうか。

絵は、幼稚に見える。しかしながら、世の中の浮き沈みや善悪を、言葉をもって著わし、伝えきれないところは絵をもってそれを描く。昔の人なら、詩の中に絵があるとよく言うが、我はそれに倣って、絵の中に詩があると言いたい。これを観る者は、頁を披き、人情道理、都会や山林、勝敗応変、中央や地方、市場や店舗の様子などすべて一覧してしまう。とりわけ自然を絵いて迫真のこと、人間を伝えて巧妙な出来栄え、まさに一流で、ただの活字を並べ変えたり、版を刻んだりするような工匠の域を遥かに超えたものだ。

絵の役目を解説して、それが言葉と絵との相補完する関係にあるものだと真正面から取り上げることには、感嘆を禁じえない。この解題を書き残した出版者の名前は夏履先、号は心心仙侶。杭州で書肆を営んだということ以外、かれについてさほど伝わっていない。おそらく一介の地方文化人にすぎず、独特の見解で世を驚かせるような存在ではなかったのだろう。その目で読めば、叙事の絵を述べながらも、「詩・画」との数百年も前の言説を繰り返すのも、いささかの陳腐を感じさせた。ただ、あるいはそれだからこそ、ビジュアルの表現を世の中の常識になったと、いっそう教えてくれているのかもしれない。

2011年1月15日土曜日

哪吒伝説

110115今週の講義は、哪吒伝説である。子供時代の読書記憶を呼び起こしつつ、学生たちとともに古典の原作を読み直し、少なからぬ愉しみを味わえた。

哪吒とは、中国伝統において一つのユニークなアイコンに違いない。明時代の小説に描かれたそれをいま読んでみても、ストーリの展開、エピソード表現のリズム、作者の想像力など、どれを取り上げてみても、初々しくて、魅力が衰えない。その理由の一つには、やや文学研究っぽく言えば、逆転の構図が挙げられよう。三年六ヶ月の妊娠の末に生まれてきた子供を迎える父親の最初の行動は、剣を振るい落とすことだった。しかも真っ二つに割れた肉の塊から赤ちゃんが飛び出す。竜宮とは遥か彼方に存在する巨大な建物なのに、哪吒が腹掛けを海に入れただけで、それが大地震に見舞われたように揺れ動く。強靭無敵な竜は、子供の腕飾りの輪の一撃であっけなく命を落とし、おまけに筋まで抜き取られてしまい、竜王本人でさえ、哪吒に命じられるまま、蛇(!)に姿を変えさせられてしまう。人々の常識を悉く反転させたエピソードの展開は、愉快痛快、極まりない。

哪吒伝説を記す「封神演義」は、同時代の作品の中で、格が劣る。しかも版本でしか伝わらず、ビジュアルものは数枚の挿絵に過ぎない。しかしながら、遠い昔に初めてこれを読んだとき、繰り返し現れた殺伐したエピソードで、目を覆いたくなる気持ちでいたことだけは、妙に覚えている。生々しい文学描写の裏返しだった、ということだろうか。