2015年12月26日土曜日

個人サイト更新

今年は残りあと数日しかない。このブログは、週一回の記入を継続してきた。一方では、勤務先のサーバーにある個人サイトは、しかしながら手付かず状態がかなり続いた。ずっと気になっていて、ようやく余裕が出来て、まとめて更新に取り掛かった。ほぼ一日の作業だった。研究活動の記録報告が中心だが、それでも、主催機関の公式サイトから関連の記録を探し出すには、やはりかなり苦労した。当然あるべきところにはなかったりするようなケース多くあって、空白のままにしておくほかはない。

あらためて感じたが、公共機関にせよ、個人にせよ、公式サイトの更新は、かなりの課題になっている。これの重要性、現実的な実用性などは、およそ共通認識になったが、しかしながら、日常的に管理しておかなければならない作業だけに、機関でも個人でも、どんなに力を入れたにせよ、胸を張って満足すると言えるところはむしろ珍しい。システム更新、移転、関連リソースの形成などにあわせて、公開方針の変更やデータの作成がつねに要求される。勤務校で気づいたことの一つは、機関全体で動くデータが末端の組織にどんどん影響を与え、形を変えていくということである。大学全体での講義や人事変更などは、そのまま学科のサイトに自動的に反映されるようになる。データ形成の新たな方法は技術の進化を緊密に映し出している。

一方では、あっちこっちクリックしているうちに、古典研究という相対的に特殊な分野においても、新たな変化が随分と現れたと感じ取れた。中でも、上質な出版情報誌のオンライン全文公開(「リポート笠間」59号)、「クックパッド」や「ニコニコ動画コメント」といった大衆的なデータと隣合わせの古典籍公開(「国文研古典籍データセット」)は、とりわけ印象深い。古典にまつわるデジタル環境の変化を予感させてくれるものだ。


2015年12月21日月曜日

盛久の奇跡

「平家」をテーマにした研究書が刊行された。絵巻に描かれた平家伝説を取り上げた一章を寄稿させてもらい、印刷されたものがようやく手元に届いた。同じテーマの研究集会が開催されてから、すでに四年以上経った。そこでの口頭発表に先立って原稿を提出していたのだから、この一章を書き出したのは随分まえだった。かなりの編集作業を通じて活字となり、研究集会の主催者である編集の二方には、ずいぶんとお世話になり、いろいろな意味で教わった。

あの源平の戦や平家の人物を取り上げる絵巻は、あまり伝わっていない。その中で一番古いものに属する「清水寺縁起」の中の一場面を考察の対象とした。いわゆる観音菩薩の霊験談である。処刑の場において奇跡が起こり、首斬りの瞬間から盛久が助かった。絵巻の読み方として、構図にじっくりと取り掛かろうと、あれこれとアプローチを試みた。もともと、首斬りの処刑という究極な状況となれば、物語のハイライトとして多く表現される内容であり、関連の実例を集めようとする作業は、さっそくかなりの数に到達した。そこから共通項や特殊例、言い換えれば画面構成における常態とその変形を分析し、絵画表現の一端に触れようとするのが、この一章を書いたときの立場だった。

盛久の奇跡の描き方、それが絵画伝統の中での位置づけ、それまでの表現の受け継ぎと新たな変化、これらの設問から出発した読み方は、そのまま構図のパターンへの注目に繋がり、やがて「絵巻の文法」とまとめるものの大事な柱となった。ただ、活字になった順番は、使用言語や出版状況の理由もあり、前後逆になった。この経緯も、あわせてここに記しておきたい。

Lovable Losers: The Heike in Action and Memory

2015年12月20日日曜日

絵のような風景の中で

年末に差し掛かり、大学での仕事も一段落して、短いバケーションを取った。今度はアメリカ南部へ旅行した。言葉とおりの絵のような風景を満喫した。そのような風景の中で、さまざまな人間と、まさに一期一会の交流を持たれた。これぞ絵にアクセントをつけたようなものだった。

印象に残った会話や、それを包む人間模様を二組記しておこう。二日目の夕食に、遅くやってきて同じテーブルに着いてきたのは、見るからにエレガントな中年の夫婦だった。こちらのアジアの顔を見て、さっそく香港への経験を持ち出し、しかもなんと仕事で京都にも数ヶ月滞在したことがあると自慢した。その間の思い出はと聞けば、旅館での経験など、確かな語り口で懐かしそうに披露した。そこまで話が展開されるまえに、すでになにげなく高価なシャンパンを注文し、聞きもせずにウェターに全員分のグラスを並べさせた。しかしながら、上質なフルコースをこちらが舌鼓をしながら満喫しているところへ、前菜にもメインにも遠慮無く文句を付けて取り替えさせた。しかも夫婦ふたりともまったく同じ行動を取っていたのだから、見て見ぬふりをして理由を聞かなかいことにするほかはなかった。その翌日。今度同席したのは、いささか歳に差があるかなと思われる、綺麗な身なりをしたカップルだった。しかし、座るなり、息子さんを連れての親子関係だと自己紹介をしてくれて、まずはびっくりさせられた。若い顔をした大学生かと早合点した若い男の子は、なんとその歳はただの14歳。いざ会話が始まったらさらに感心し、若者はスポーツ好きで、いまのめり込んでいるのはアメフト、プロにはならないが、全額の奨学金で大学に入ることが目標だとすらりと言いのけた。しっかりした会話ぶりは、だれが聞いても惚れ惚れだった。一方のしゃきしゃきのお母さんは、小学校の英語教師、それこそ根からの先生気質で、どんな質問をふっかけても理路明晰に説明をしてくれた。しかしながら、フルコースの料理には、二人とも前菜もメインも二品ずつ注文し、それまたどれも半分ぐらいしか食べないで、あとは残したままだった。

いわゆる文化の違いは、暮らしの価値観に極端と現われてくる。言い換えれば、あくまでも良きように、格好良く振る舞っているつもりであろうが、それは異なる価値観の立場からすれば、とても真似ができない。理解してあげよう、それがこちらとしてわずかにできることなのだ。

2015年12月12日土曜日

想像力

今週のはじめに、今学期の講義が終了した。ここ数日の主な仕事は、学生たちのレポートを採点することだ。二、三年まえから、想像力を働かせて自由な創作作品を出してもよいとの要求を出して、それ以来、自由創作に走る学生の割合は年々増えてきた。今年になると、はじめて大人数のクラスにななったのに、レポート読みにはまったく倦怠感がなく、つぎのファイルを開けることが楽しくてならないような瞬間はいくつもあった。自分ながらびっくりした経験だった。

若い学生たちの作品の魅力は、一言で言うと、その自由な想像力。日本語の勉強も半分以上の人がまったくしていない中、言語や背景の時代考証やら、人物の間の隠された関係やらを期待すれば、間違いなくハズレだろう。しかしながら、そのような考えにさえ捕らわれなければ、若ものの遠慮がない、たくましい空想には、ときには唸るばかりだった。わずかな知識を駆使し、それをうまい具合に継ぎ合わせたりする工夫は、まさに見事。壇ノ浦の海に消えた魂がイザナギに救われるとか、信長殺害に秀吉が酒呑童子を走らせたとか、数え出したらきりがない。マルチメディアの部では、オリジナル描き語りをビデオ動画に作成したのに、どれだけの時間を掛けたか計り知らない。クラスで一度だけちらっと触れた、あの餅搗きの三巨人の錦絵は、なんと十ページもの大作マンガに生まれ変わった。調べればきっとまっさきに出てくるだろう信長の辞世の句を、わざわざダジャレに書き換えたところなど、わけの分からない洒落、場合によってはナンセンスな笑い取りは、なぜか朗らかで、心地良い。

レポートの中から優秀作を選んで、いずれ「Old Japan Redux」の続きを作りたい。いささか笑いに走りすぎたものは、割愛するほかはなかろう。ただ極端なものがなくても、学生たちのありかたの一端を映し出すことに十分だ。出来上がったら、あらためてここに記す。

2015年12月5日土曜日

カメラとレンズ

日常的に読んでいるサイトにもよるけど、感覚的にはデジタル関連の新技術を取り上げる記事が多い。その中には、宣伝や広告代わりのものもけっして珍しくなく、ほとんどの時は読み流している。一方では、想像にも及ばない、不思議にワクワクさせてくれるものも確かにある。今週に出会ったそのような記事の一つは、「FlatCam(平らなカメラ」というものがあった。

20151205アメリカの大学の研究室から報告されたこの新技術だが、簡単に言えば画像を記録することを目的とするカメラから、レンズというものを取り除き、それの代わりになるものを提案している。その代わりのものとは、いわば電子のマスクなのだ。画像情報を焦点に投影するというレンズの原理を廃止し、これをフラットな平面において読み取り、その結果を電子的な計算によって解析し、電子信号で記録し、さらにディスプレイに再現する。どうやらただの着想には止まらず、このアプローチの可能性がすでに実証され、しかもこれを報告する動画においてかなり鮮明な画像が記録されたことが実演されている。

平らなカメラには、現実的な目的や効用において、さほど革命的なことが起こるわけでもなさそうだ。画像を一点通過ではなくて、面で読み取るがために、物理的にサイズをもつレンズが不要になり、記録機械が薄くなる可能性が生まれるとか。そのような現実的な用途よりも、ここまで既成の概念となっているものまで再定義することには、その発想の自由さや、長い歴史に挑戦する勇気を感じ取り、感動するぐらいだ。ただ、そもそもレンズまでなければ、カメラという名前まで変える必要があるのではなかろうか。

FlatCam