2018年12月29日土曜日

バチカンの階段

休暇が終わり、予定通りに帰宅した。今度はローマをゆっくり歩きまわった。限られたものだが、地元の人々との会話まで楽しめた。アイスショーを終えたばかりでコスチュームのまま家族食事に加わった小学生、自慢そうに動画を見せてくれたそのお祖父さん、十代なかばから仕事をはじめたと誇りに語ってくれた電力会社の社員、公文書英訳資格を持っていると自慢し、熱心に通訳をしてくれた若い女性、なぜかみんな一様にはにかみながらも熱心に話しかけてくれて、なんとも心地よかった。

観光客としてのローマは、じつは二回目。前回訪ねたのは、数えてすでに32年まえのことになった。千年単位の歴史を自慢にするローマは、昔のままだ。バチカンの眺めをまったく同じ角度からカメラに収めることができた。有数の国際観光都市の名にふさわしく、整備されたスポットがさらに増えたらしく、ところどころまるで考古現場さながらの街づくりになっている。ローマ時代の建造物は、聳え立つ大理石の柱やどっしりした赤レンガ作りの壁などに象徴され、しかも悠長な歴史の中でさまざまな姿で利用されてきた。それらをめぐる簡単な紹介を読むだけでも言いようのない魅力に惹きつけられる。思えば中国や日本では簡単に目に入らない風景だった。

バチカン教会のドームは観光客に開放されている。有料のエレベータでドームの底辺まで上がり、そこからさらに165階の階段を辿ってドームの頂上まで登る。数珠繋ぎの観光客の大群が少なくとも過去30年以上毎日のように続いたことを思えば、ドームの頑丈な作りに驚歎せざるをえない。一方では、あの狭くて、一方通行の、先が見えない階段をよじ登った30年まえの苦労は、いくら記憶を探っても出てこない。それぐらいのことは覚えることだに値しなかったという事実に気づかされて、はっと思い返した。

2018年12月21日金曜日

言葉の分からない土地へ

スペインはバルセロナ、訪ねる機会のとても少ない土地だ。そこへ観光客としてはじめて足を踏み入れた。超高速で回ったのは、教会二つと地元の人々も溢れる繁華街のみだった。温暖な冬の日差し、石造りの建物群、充実していて平穏な顔、なんとなくなじみを感じる道端の食べ物の露店、どれを取り上げてみても、素敵な印象ばかりだった。

しかしながら、言葉はとにかくまったく理解できない。バスツアーに参加したが、そのガイドさんはなんと英語話者とフランス語話者を半々で構成したグループを引き連れ、すべての説明を二つの言語で平等にしゃべりまくった。さすがに多文化、多言語のところで、人間の言語能力も普通では考えられないと、小さな文化交流の縮図を見た思いだった。ただ、正直なところ、話された英語は半分ぐらいしか伝わらなかった。こうなると、現代的なツールを持ち出したくなる。スマホなどに入っている機械翻訳だ。街角の看板にカメラを向けたり、音声入力で片言の言葉を翻訳して相手に聞かせたりした。結論から言えば、単語レベルなら九割、文章なら半分程度使える、といったところだろうか。あとは想像で補い、あるいは会話の進行の中ですこしずつ修正しながら、正答(と思われるもの)に接近するしかない。

日本語がまったく分からない人が新宿の街角に立たされたときの困惑はよく話題になる。そのような気持ちにはすこし接近できたような気がした。来る春もまた二十名からなる学生のグループを東京に連れて行くことにっている。思えば得難いイメージトレーニングになった。

2018年12月15日土曜日

犬ヶ島

いつも感じるが、空飛ぶ飛行機の中なら別の時間が流れる。映画を取り出してみても、映画館に入ることはたいていの人より多いほうだが、どんなにユニークなポスターでも意表を衝く解説でも心を動かされないものでも、機内だったら思わず飛びつき、しかも我を忘れて終わりまで見てしまう。年末の休暇で飛行機に乗った今日も、日本映画二本を堪能した。とりわけ「犬ヶ島」が印象に残った。

映画のストーリーは定番で分かりやすくて、とりわけ書き立てることはない。それよりも見る人の心を掴んだのは、なんといっても味わいのある絵だった。「浮世絵スタイル」とでも言うべきだろうか、とにかく誇張した構図や色使い、ときには大胆な中間色オンリーの画面、ここまでできるのかと唸らせてしまう。デフォルメで、笑ってしまうことを通り超して、感心させられた。一例として右の画面を眺めよう。予告編に収められたものである。ぱっと見て、いかにも日本風景の代表となる銭湯だと分かる。なぜ銭湯なのかは、ストーリでの必然性はまったくない。銭湯といえばスタイル壁に描かれる絵。富士山のはずだが、ここではそれを連想させても、形も色もほど遠く、わずかなヒントに留まる。しかしながらその絵を見詰めてみれば、五重塔やら、桜やら、滝やら、丸橋やら、日本的な要素はこれでもかと詰め込まれてしまう。その中に数えきれない犬たちが充満し、主人公犬の顔が空中に浮かんでいて、こちらは物語の世界だ。どこまでも饒舌でいて、加えて湯舟の小さいサイズや関係者の超越した視線は微笑ましい。絵の中の山の形や独特な紺色は、「玄奘三蔵絵」から拝借されたものだと推測したら、穿ちすぎだろうか。同じような画面はいたるところに用意される。毒わさび入りの寿司捌きの場面も、可能ならば何回も繰り返し見たい。

エジプトやギリシアの古代絵画が現代の映画などに利用されているが、日本の絵巻はさほど振り向かわれないと議論したことがある(「動画とアニメ」)。あるいはこの映画に見たようなビジュアル伝統の伝承やそれへのリスペクトは、これまた違う使い方が開発されたと宣言できるかもしれない。

2018年12月8日土曜日

英語案内

今学期の授業は金曜日をもって最終日となった。今年も日本歴史を担当したが、毎回の最初の数分間、身の回りの話題を取り出して雑談することにしていた。英語のみという前提なので、キーワードも英語で提供しなければならない。たとえば数日まえに取り上げたのは「なまはげ」、新聞記事などを引っ張り出して英訳を探ってみたが、その中の一つは、なんと「Kid-scaring Namahage 」(子供泣かせなまはげ)だった。

日本のことを英語で伝える、ときどきこの単純な作業は予想以上に難しい。これもしばらく前の出来事である。自分と同年代のとある同僚が思い立って夫婦で日本旅行を敢行してきた。ゆっくりおみやげ話を聞かせてもらい、大都会なら英語看板がいたるところにあって、さほど苦労することもなかろうと話を振ったら、意外な答えが戻ってきた。いわく、たしかに英語が目に飛び込んでくるが、日本の英語は、文法には打ちどころがなくて、分りづらい、とか。不思議に思って実例を問い質したら、このようなものがあった。観光地の案内は、部屋のことをめぐりマットの数が羅列されて奇妙だった。部屋の広さを伝えようとして畳を用いた説明がそのまま英語になったと解説したら、謎が解けたように納得してくれた。同じ同僚は、東ヨーロッパの言語を中心に何カ国語も操り、どこまでも学者肌の、読書にかけては人一倍の自負を持っている人間で、それでも伝わらないとなれば、やはり考えさせられてしまう。

ちなみに、日本初体験のこの同僚だが、日本で食べる西洋風のお菓子は美味しいが、和菓子の色や甘さには共感できないと素直に告げてくれた。ただ、意外とうどんに嵌り、戻ってきたらスーパーで購入して満喫している、とか。

2018年12月1日土曜日

動画作品更新

一年ほどまえ、「Old Japan Redux」というウェブサイトを作成し、その前の秋学期に教えたクラスからの優秀作品を集めて公開した(「二つのビデオサイト」)。同じクラスには、今年も同じ作業を課し、あわせて七つの作品を選び、それに日本からの一作を加えて、同サイトを更新した。

今年も良い作品が集まった。内容を見ても、埴輪、万葉仮名から義経、信長、そして浮世絵と、多種多彩なものがあった。同じクラスで気づいたこととして、日本の人名、地名が正しく発音できないことを数週間前に触れた(「「イド」の苦悩」)。言い換えれば、日本からかなり遠い距離に身を置き、日本をめぐる知識がきわめて限定されながらも、動画作品に結集されたそのような若者たちの学習意欲、学習成果、そして表現力には、脱帽せざるをえない。あらためて言うまでもないが、クラスを担当している教師として、動画に到達する表現
の方法を教えたわけではなく、あくまでも記録、発表の場を作成しているにすぎない。あえて言えば、そのような成果を引き出すように基礎を伝え、奮闘を仕向けた。そのような溌剌した才能に羨望の眼差しを向け、第一読者になりえたことを自慢にしているのがむしろ本音に近い。

このような作業の成果をなにをもって図るべきだろうか。去年公開の作品のうち、閲覧数の一番多いのは、994と出ている。微々たる数字だが、閲覧者の視線を想像すれば、誇りに思いたい。

Old Japan Redux