2009年4月26日日曜日

エマキ・ネット

今週のほとんどの時間は、学生たちの学期レポートを読むために費やした。最初の通読がようやく終わり、これから採点やコメント記入に取り掛かる。いわば今学年の講義に関連する最後の作業だ。

学生たちが作成した参考書リストを眺めると、いかにもオンラインのリソースが多用されている。もともと一流の学術雑誌だって、いまやオンラインでアクセスさせてくれているという世の中だから、やむをえないというよりも、環境の便利さをただ切に感じるだけだ。一方では、その中において、伝統的な出版などには頼らないで、いわゆる自主作成したサイトやオンライン資料だって、侮れない。たとえば、「エマキ・ネット」というサイトから一人の学生が多く引用した。Neil Cohn氏という方が運営しているもので、サイトに入り、ついついあっちこっちと眺めまわって、その充実ぶりに感心した。そこまでの内容をもつものに「emaki」というドメンの名前を持っていかれても悔いはない、というのは、ワケもない印象だった。

サイトの運営者は、明らかに絵を描くということに関してかなりの腕前をもつ。したがってページのあっちこっちに漫画タッチのユニークな絵が散りばめられて、見ていて楽しい。一方では、世に溢れるマンガ、ひいては絵巻の愛好家と違って、「ビジュアル・ランゲージ」という独自の斬り口を持ち、それをりっぱに立ち向かっている。いわば絵というものの魅力を言葉を用いて解体させて、解説しようと努める。それから、用いている言語は英語、自然な結果として「エマキ」とはもうひとつの世界に存在するものとして接し、まずはそれを異質なものとして受け止めて語り始めるものだった。この奇妙な親近感と異様な距離感は、なんとも言いようがない。

たとえば、サイトがなにげなく用意した「絵巻とは(What are Emaki?)」という解題の一ページを眺めてみよう。タイトルバーにある絵巻という二文字をクリックするとよい。ほどよい分量の絵と文字、バランスよいイラストと写真の配置、じつに要領よくて分かりやすい。大仏に選んだのは、奈良のそれではなくて鎌倉のそれだったことは、東京観光にはしゃぐ若者たちの顔を思い出させて、ほほえましい。「マキ」を説明して、寿司を持ち出したところは、もう言葉通りのマンガ的なセンスにほかならない。しかも最後のところには、なんと世界地図に配置された絵巻だった。絵巻がエジプトやヨーロッパの名品まで並べられているものだから、それを囲んださまざまな古代からの伝統をさっそく調べて、確認したくなった。

このサイトの重みをなしたのは、PDFの形で公開された論考、それに作者本人の講演録画だろう。絵を言葉で説明する、という立場からすれば、その言葉とは、絵巻が用いた日本語ではないことに、一つの大きなチャレンジが加わった。言葉の壁は、高くて分厚い。その分、まったく異なる文化を身に持つ人々を惹きつける。英語も分かる絵巻ファンは、かならずしも作者が想定した読者に属さないだろうが、それでもじっくりと読んでみたい、話を聞いてみたいものだ。

エマキ・ネット

2009年4月18日土曜日

年度講義を終えて

さる金曜日をもって、大学今年度の講義がすべて終了した。翻訳で読む中国と日本の古典という授業も、二十九人の学生を対象に、計十三週間、三十八時間の講義を行った。例年に無く長くて雪の多い一冬だったが、終わってみれば、天気など自然などの理由に影響されたのは、「寝過ごした」「時差の変化に気づかなかった」と謝りに来たのとほぼ同じ数の極少数の学生に止まり、クラス全体はすべて最初に配ったスケジュール通りに進行し、いまはその全部の計画が完成されたという結果になる。

クラスの最後の二時間は、提出してもらうレポートについての口頭発表に当てた。一人ずつ三分の時間を与えて、取り上げるテーマ、アプローチ、それにハイライトについて語ってもらった。クラスの中でも外でも、積極的に交流しようとする生徒は、どうしてもその性格によるところが多い。そのために、半分強制的に発言させてみるというのも、一つの狙いだった。限られた時間内でみんなの前で個別の質疑を試みるということは、聞く人々にもいい刺激になったもようだ。

レポートに日本の絵巻にまつわるテーマを選ぼうとするのは、五人ほどに上った。このクラスは今度で四回目だが、過去に比べてずいぶんと増えたとの印象をもつ。一方では、すこしでもユニークな議論を持ち出そうとの努力は、期せずしてその構想をマンガ、アニメ、あるいは西洋の絵画との比較に走らせた。対象がビジュアル的なものであっても、あるいはそれだけに、どれだけ感性的な知識や生活の日常にかかわる常識が必要とされるものかと、改めて感じさせられた。参照物として身近なもの、あるいは直感的に自信のあるものを持ち出すということは、勉強の段階の一つとしては、賢明な選択だろう。だが、その分、対象とのあまりもの距離を、身近なものをもって感じ取ろうとするあまり、ありがちな誤解に直結することも、一つの落とし穴だ。教える人としてできることは、講義の中ではそのような比較や比喩を努めて避けること、それに、違うものを比較するにはその先にある何かを狙うべきだと繰り返すぐらいだった。

わずか二、三分の口頭発表の如何によらず、じっさいに書き上げられたレポートは、その出来栄えが格段に違うことは、これまでの経験で知っている。そのレポートの提出は、きたる月曜日。そのあとは、こちらがじっくりと読む順番だ。いつもながら、それには採点が伴うものだから、単純に楽しもうというわけにはいかない。なっとくのゆく評価ができるように、教師には、学生に負けないぐらい気の引き締まる作業だ。

2009年4月12日日曜日

マンガ対アニメ、一本勝ち

今学期の講義もあと一週間と終わりに近づいた。教室では、最後の一章の絵巻が課題となり、小テストも済んだ。その中のクラス風景を一つ記しておこう。

学生発表で、発表者が熱を込めてマンガとアニメとの優劣を語り続けた。メディア、音声などについての議論を促そうとしたわたしの講義の思い入れに答えようとした一つの努力に違いなかった。それを聞きながら、思わずつぎのような質問をしてみた。「もしおなじストーリを伝えるマンガとアニメが両方あるとすれば、どれを選ぶ?」学生たちはさっそく反応してくれた。発表者だけ迷わずマンガのほうに手をあげたが、結局はアニメのほうが、二対一以上の大差で勝ち、あっさりと勝負がついた。別の学生は、すかさず通的な意見を補足してくれた。曰く、日本でこそマンガが流行ってからアニメになるとの流れだが、北米にいると、そのマンガを読もうとしても読めず、結局はアニメでストーリを楽しむほかはないんのだ、とか。日本と北米での市場現状のことまで目を配った、非常に大人的な見解だった。

マンガとアニメ、もともと異なるメディアで、読書あるいは鑑賞もこれまたあくまでも個人的な経験なのだ。そういう意味で、違う体験を比較させようとする質問の仕方には、かなりの乱暴なところがあったのだろう。ただし、若者たちの無邪気な対応やはっきりした反応は、大切なヒントを示してくれていることも見逃せない。人間は豊富なメディアになじみ、豊かな感性を引き出すような表現手段をいったん手に入れてしまえば、かつてあった素朴な手段に逆転することなどとても難しい。「むかしはよかった」、「よいストーリはじっくりと時間をかけて噛み締めるべきものだ」、といった議論をしても、とうてい始まらない。

マンガやアニメが究極に発達したところに、「リア充」などの造語が世の中を流行ったとか。NHKニュース番組にてこれを聞いて、信じられなくて調べてみたら、すでにウィキペディアに解説が設けられている。ただし、ウィキペディアの日本語版のみで、英語も含めて、多言語での対応リンクは一つもない。これ自体は、アニメを語る教室の中の若者たちから感じ取った印象とはとてもマッチしていて、妙にナットクした。

2009年4月4日土曜日

デジタル「霊異記」

奈良女子大学が運営する「奈良地域関連資料画像データベース」に新たなタイトルが加わった。国宝・興福寺本『日本霊異記』である。タイトルを見るだけでわくわくしてきた。

さっそくサイトに入って覗いた。とにかく画質や画像表示のスタイルが素晴らしい。アクセス環境に配慮した二つの画像フォーマット、いまや普及が激しい大画面モニターに対応した自由サイズの表示枠、軽快なサーバーの動きなど、デジタル画像環境の飛躍な進歩を如実に表している。とりわけこの一点の資料の特性、すなわち時間的に先に書かれながらも、いつの間にか裏に回された『金蔵論』のありかたを伝えるために、「近赤外線撮影との比較」や「透過表示」といった工夫など、じつにいたりつくせりのデジタル公開である。

このような資料を眺めていて、どうしても二十年ほど前の研究環境を思い起こす。このような古い資料は、実物を簡単に見られるはずがない。国宝レベルのものだから、影印が施されて、読みたいところなどはそれに当ってみることも可能だが、いかせん「影印」(この言葉、いまやどれだけの人が聞いて分かるのだろうか)。サイズ、色、巻物ならぬ冊子ページにあわせたレイアウトなど、もともとの資料の姿をさぐるためには、よほどの想像力が必要だった。それでもそのような出版物は、若い学生まで含めた人々にどんなに重宝されていたことやら。それに比べて、デジタル公開は、情報の豊富さやアクセスの便利さにおいて、まさに雲泥の差だ。

文字を教えるという仕事の関心から、ついつい千年まえの文字の姿そのものをじっくり見つめた。たとえばタイトルともなった右の三文字、いかにも象徴的なものだ。現代文字の「霊異記」と距離がないようでいて、じつは三つのタイプの違いを見せてくれている。「異」はほぼその通りでいながらも、上は「甲」から「田」に変わったということで、字形に修正が加えられた典型例だと言えよう。「記」の偏は筆の勢いでこの形に終着したものだが、中国の簡略文字の言偏の由来を鮮明に表している。「霊」となれば、現代の文字のほうが真ん中に「一」が入って、千年前の書き方のほうが簡略だったという意外な事実を見せつけられた。文字の移り変わり、いたって味わいがあるのではなかろうか。

貴重な資料のデジタル公開をしてくれた興福寺に敬服の念を禁じえない。これだけ上質なデジタル資料を手にして、専門家はきっと多くの発見ができるに違いない。そのような議論もじっくり聞きたいものだ。

興福寺本『日本霊異記』