2011年4月30日土曜日

洋風和食店

近くに新しい和食の店が出来た。日本人がやっているとのことだが、店の評判というよりも、なぜかじっさいに試してみた人がさほどいない。ならばと、友人と誘い合って、昼食を試食してきた。

IMG_0185-1024x682店に入ってすぐ、料理の内容よりも、一回の経験としてはけっして悪くないと分かった。外から見た低い建物や狭い駐車場とは比例にならないぐらい、中は広い。背もたれの高い席、窓際のブース、定番のカウンターまでほんの一角に押された感じだった。腰を下ろして店定めをしていたら、さっそく鮨やてんぷらの二品が無料サービスでテーブルに並べられた。食事をしている間は、頻繁に繰り出される「出し物」に目を奪われた。シェフやウェーター総出で誕生日ソングの合唱、なぜか太刀を振りかざしてのパフォーマンス、若い子供へのおもちゃやお菓子の振る舞い、若いカップルと見定めたらとことん質問攻めの会話、一瞬クルーズにでも乗ってしまったような錯覚に陥った。ただ、手渡された店のメニューはちょっぴり分からない。今時の高校生、それも日本との接点といえば和食しかないような若者が主なターゲットにでも絞ったような感じで、大の男二人ながら、「ラブボード」ならぬ「キスキス」という名の一品を注文するはめになった。中身はてんぷらとウナギの二種類の寿司を、春雨などを使ってドラゴンに飾った豪勢なものだった。

和食の変容、あるいは強靭な生命力など嘆く必要など、なかろう。生活の感覚として、オーナーの国籍でもって、店のスタイルが左右される。そのような定説も、この場合はちょっと外れかなと思ったら、友人からさらなる裏話を聞かされた。店のオーナーはたしかに日本人だが、奥様はインド系の顔立ちをして、かつ流暢な広東語をこなす方だとか。ナットクできて胸を撫で下ろした。

2011年4月23日土曜日

青色とは

同じ「白蛇伝」をめぐって、さらに一題。ストーリに登場する女性は二人、侍女の立場にいるのは、小青という名前を持つ、蛇ではなくて鯉だった。青は白と対応的で、分かりやすい。ただ、青とはたしてどのような色なのだろうか。英語の翻訳は、「リトル・グリーン」。自分のイメージとなぜか大きな開きがあった。周りにはまさにこれを名前にしている友人がいて、試して本人に聞いてみたら、迷いなく「草色だ」と答えてくれた。こうも単純だと、自分の中ではかえって迷いがますます深まるばかりだ。

110423「青」は、たしかに緑だろう。日本風に言えば、「青信号」だ。一方では、ブルーもけっして的外れではない。「青空」だ。さらに言えば、青とはけっしてただのブルーではなく、「藍より青し」だから、どちらかといえば黒に近いものだろう。同じ空でも、あるいは月に照らされた澄み透った夜空を思えば、二つの青が依拠した共通点が浮かんでくるのかもしれない。そこにさらに一つ、「青ざめる」。こちらとなれば、黒とはまる反対の、むしろ灰色か白に近いものになってしまう。「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」と、青は確かに原色の一つのはずだ。だが、こうも違ってしまえば、なんとも不思議だ。

幸い日本語で記してきたこれらの多様多彩な事情は、中国語においてすべてそのまま今日の言語表現に生き続いている。一つずつあげるとすれば、「青天」、「青草」、「青出於藍」、「土青」といったところだろう。二つの言語は、ここまで共通しているということは、どれだけ面倒が少ないのか、計り知れない。一方では、深く考えずに言葉を使用できることから、そこに隠された誤解の可能性も、けっして見逃せない。

2011年4月16日土曜日

山鬼の姿

大学では今学期の最後のクラスを迎えた。例年ならいつも学生の発表に割り当てたが、今年は、まとめて画像資料を見せることにした。画像のことをクラスで口ばかりで説明してきたこともあって、学生たちは素直で熱心に見てくれた。そこで、見せる立場にいる自分は、これを準備するなどにおいて、やはりデジタルリソースの存在が助かった。

110416一例として、ボストン美術館に所蔵されている宋時代の絵師による「九歌図」があげられる。中国絵巻を伝えるためには非常によい実例で、構図から画面の細部まで、見ごたえの要点は数え切れない。とりわけクラスでは「山鬼」の一章を取り上げたので、美しい女性に描かれたその姿は、実際に見てみないと、言葉だけでは伝えきれない。しかしながら、いざ絵を見せようとすれば、やはり簡単には手に入らない。美術館の公式サイトは一通り全点の画像を載せていて、考えようによれば、並たいていの印刷物のカタログには相当していても劣らないぐらいの内容はすでに与えられていて、すでに十分に期待が応えられていると言えないこともない。だが、何気なく調べてみたら、やはり驚いた。ずいぶんと高い画質の画像がインターネットに載せられているだけではなく、どうやら特殊光線を施して撮影された画像まで簡単にアクセスできた。資料の性格から考えて、きっと美術館関係での作業の結果に違いない。ただし、それは美術館関係で正式に公開されたものではないことだけは、残念でならない。よく言えば熱心な愛好者たちの持ち合わせの資料の交換であり、悪く言えば、いわゆる「非法コピー」で一括して捉えられているものである。

絵巻研究において、カラー図版の出版によって開かれた環境の躍進やそれによってもたらされたインパクトは、いまだに語り継がれている。そのような経験についての記憶がいまだに鮮やかなだけに、電子データによる伝播の時代に踏み入れたいま、如何にして可能性を現実に変えられるか、やはり大きな課題なのである。

The Nine Songs of Qu Yuan (Museum of Fine Arts Boston)

2011年4月9日土曜日

地獄の美女

大学の講義は、今学期の最後の一章を迎えた。テーマは、「春日権現験記絵」から四段。中には、例の狛行光の地獄巡りも含まれる。地獄、それも難しい表現抜きの絵となれば、若い学生たちにも分かりやすい。連想ゲーム的に「西遊記」に描かれた地獄巡りだの、西洋のダンテの地獄だの、一つまた一つと話題が飛び出した。

地獄をテーマにした絵画資料は、洋の東西を問わず、たしかにたくさん作られていた。一方では、画像内容の性格も関わって、一流の、保存されるべきものよりも、大勢の読者に見せるための、いわば消費のためのものが多かった。その中では、春日験記はいうまでもなく格別だ。あらためて絵を見つめる。一段の絵の最後を飾る「剣樹」はとりわけ興味深い。この間の事情を詞書がまったく伝えようとしなかったが、その分、昔の読者にとっては、生活の常識の一部だったことを意味しよう。注釈書などを頼りに、たとえば「往生要集」の記述を披く。女性の様子と言えば、「以欲媚眼、上看罪人」とされ、女性が発した言葉と言えば、「汝今何故、不来近我、何不抱我」と記される。状況も会話も、まるで三流小説に用いられる誘惑文句の定番なもので、この上になく露骨でコミカル、それにどこか滑稽なぐらいだ。

110409そもそも地獄というところには、牛頭馬面の獄卒と、かれらに折檻されつづける罪びとという二つのグループの存在しかない。たとえ妙齢の女性がいたとしても、ぼろぼろの服装をして懲罰の対象とされ、取り乱した振る舞いで普通の人間としての面目も保たない。その中にいて、誘惑の道具として登場したこの美女の姿は、まさに一風変わったものだと言わなければならない。

2011年4月2日土曜日

絵と文字と

今週の講義テーマは、中国古代詩人屈原の詩を題材にする「九歌図」。一時間ずつの二回の講義では、集中して話を聞いてもらいたいとの思いから、絵を出さず、絵を見つめることをクラスの後の復習の作業に回した。

110402

「九歌図」と名乗る作品は、大きく二つの流れを持つ。中では、祭儀の様子などを内容にした、構図的には明らかに古いものは、なぜか関心の度合いが低い。作品に記された制作時間と、文字遣いからみた内部証拠と矛盾し、記録の内容が信用できないことがその一番の理由だとされる。代わりに、元の絵師張渥の作が多くの注目を集める。九つの詩(歌)にそれぞれの肖像画風の絵を当て、詩を絵の後に添えるというスタイルを取る。それぞれの絵は、互いに関連を持たず、しかもほとんどの構図は、文字が左へ展開するのに対して、反対の右向きになり、巻物という特性を考慮したとは思えないし、われわれが持つ絵巻に対する常識がほとんど通用しない。ちなみに同じ作品は世界中に五点以上の伝本が報告されるが、それらすべて同じ画家の作だとはとても考えられないが、判断するための確かな手がかりがないままである。

屈原の歌を記した文字そのものが興味深い。伝本の一つは隷書を用いた。制作者としては一番古風の文字を選んだとの自負でも持ち合わせていたのだろう。ただし、隷書は確かに中国歴史上の最初に統一された文字だ。ただ、屈原の生涯は、まさにそのような秦の統一に反抗して自ら命まで絶ったものだった。そのような考えは、絵巻成立の時点から見て、すでに千年も前のこととなり、なんら意義を持たないものになったと考えられていたに違いない。

吉林省博物館蔵「九歌図」