2010年5月29日土曜日

小松茂美氏死去

今週になって、小松茂美氏死去のニュースが伝えられた。小松氏の生き方をテーマにした新刊などが出たばかりということもあって、朝日新聞などの主要なメディアはいずれも大きく取り上げた。

絵巻の研究を志すには、小松氏の名前がおよそ避けて通れない。個人的にはつい一度も拝顔したことがないが、八十年代のあの「日本の絵巻」シリーズは、やはり絵巻に魅せられる決定的な理由だった。カラー印刷はいまだ高価なものだったなか、一巻の絵巻を空白の料紙の部分まですべて納めたことなどには、なぜか非常に大きなインパクトを感じ、おかげでたとえ原典を見ることが叶えられなくても、じっくり一点の作品に立ち向かう可能性が手に入ったと、そのときのわくわく感はいつまで経っても忘れられない。絵巻研究の基礎を用意してくれた小松氏には、つねに感謝の念を抱いている。

しかしながら、じつに不思議なことに、この小松氏を語るものは、なぜかつねにかれと「学界」との距離を強調する。しかもそれをまるで彼が非凡だとの証拠にと持ち上げる。ちょっぴり不可解だ。そもそも博物館職を全うし、研究などの実績をもって日本学士院賞を受賞された人物だった。その小松氏の編集にかかるシリーズものなどには第一陣の学者たちが競って投稿している。学会の集まりにあまりお出にならない、あるいは研究の不備を指摘する声がある、といったことは、この距離論の根拠にならないはずだ。そのような論調は、あるいは学界へ無理解、ひいては偏見によるものではないかと思えてならない。

古筆学者・小松茂美さん死去

2010年5月23日日曜日

慶応・中古文学会

短い東京滞在の間に、学術活動に参加することができた。昨日のそれは、慶応大学で開催される中古文学会への聴講だった。しかも同学会としては非常にめずらしく近世初期のものにスポットライトを当て、絵本絵巻の研究が初日のシンポジウムのテーマになった。じつに運がよかったと言わざるを得ない。

午後の時間をいっぱいに使った講演や討議からは、多くのことを習った。その中の一つは、在来の研究が示すデジタル環境への寄与と、それへの参加である。パネル発表者はまさにいくつかの典型的な立場を示した。主催校の慶応大学は新たなプロジェクトを立ち上げ、すでに公開したもの以上のアプローチを目指す。対してデジタルライブラリーの内容を大きく充実し、新たなタイトルをいくつも加えた国学院大学は、資料の公開と研究の発表を一セットのものとして捉えて、意図的にそれを行う。一方では、オリジナルものの公開に関連しない研究者は、すでに公開された資料全体を相手にし、そこから証拠を見出し、論を展開する。伝統的な出版物ではない電子の資料を論拠とし、俎上に載せるということは、どれだけ研究の環境が変化したものかと物語った。

いつものことながら、学会はまた友人、知人と再会する場でもあった。この学会のためにほぼ日常活動的な感覚で集まったきた学者や大勢の若い学生たちを目にして、日本での研究と交流のありかたをあらためて認識した。カナダなどでは、研究費などの制限もあって、実質年に一回か二回しか集まりに出られない実情を再び思い出すされる。

2010年5月16日日曜日

鎌倉の大イチョウ

学生たちの観光ツアーに加わり、土曜日は鎌倉を一日かけて歩き回った。若いものたちのエネルギーに盛り立てられて、食事も延ばし延ばしにして一日中とにかく歩き続けた。わたしが目指したのはなによりも鶴岡八幡宮。そこには夕暮れが差し掛かったころにようやくたど り着いた。

100515八幡宮の大イチョウが倒れたことをテレビで知った。すでに二ヶ月もまえのことにはなる。早朝5時まえの出来事で、しかもさほど風が強かったわけでもなかったと報じられたのだから、いわば樹木の寿命ということだろうか。千年も生き続ける木もあるが、あくまでもすべての環境が揃ってはじめて出来たものであり、どれもそこまでの幸運があるはずはない。ましてや大勢の人間に囲まれたものとなれば、こういう危険につねに直面してきたのではなかろうか。それにしても、根元から丸ごと倒れた巨樹の姿はあまりにも痛々しい。あらわになった根っこを目にして、なぜか言いようのない空しさに打たれた。ただ、わずか数日あとのテレビニュースには、樹身が切断されたが、りっぱに立ち上がった光景があった。突飛な形でおなじ場所に鎮座した。こんどはなぜか違う意味で励まされた思いがした。

大イチョウの前の広い広場には、薪火の用意が設けられ、まわりには着飾った巫女たちが忙しく動き回る。なにかの行事が予定されていたと見る。すでに新芽が吹き出した大イチョウの姿をカメラに収めて、学生たちとともに八幡宮を後にした。

2010年5月8日土曜日

画巻ふたたび

上海で開催されている世界博覧会は、最初の一週間を無事に過ごした。いまだ実際に訪ねた人がごく少数派だが、宣伝の役目を担うメディア関係が賑やかな会場、それにそれを取り囲む上海の現在にスポットライトを当て、多くの人々のために訪ねてみる理由を見つけ出してくれたようだ。

博覧会の中国館も豊富な話題を提供している。中でも少なからぬ驚きを感じさせてくれたのは、展示の目玉にこんどもまた画巻を選んだことだ。二年前のオリンピックに続くもので、関係者の説明では、実際に発掘され、保存されている景観があまりにも少ないこともあって、代わりに画巻の魅力を再認識したとか。興味深いのはその表現の方法だ。今度も途方もない大きなサイズに引き伸ばしたものに仕立て、しかも現代映画の手法よろしくと、描かれている人物を全員動かせたという、発案者が得意に思うだろうが、いかにも唐突で新味が乏しいと評価せざるをえない工夫を披露してくれた。

時を同じくして、去年の夏に提出した原稿が活字になって手元に送られてきた。唐の画家李公麟とかれの代表作「孝経図」を取り上げた。画面内容の解明を試みながら、画家にかぎらない中国文人の発想と価値観を覗いてみたものだった。ご批判をお願いしたい。

『漢文文化圏の説話世界』

2010年5月1日土曜日

遊び道具の双六

このブログにも寄稿してくださった吉田修氏は、先月初めにNHK(BShi)の新番組「熱中スタジアム」に出演し、江戸生活の一つを紹介して、ご自慢の双六コレクションを披露なさった。時計、枕、旅道具などさまざまな江戸の実物が番組に取り上げられたが、しかしながら、それらの時代ものの宝に並んで、時間の流れに負けないで、いまでも本来の遊び道具としての役目を存分に発揮する双六の魅力を垣間見ることができた。

スタジオの中で、吉田氏の指導で、司会やゲストたちは一席の双六競技を展開した。優雅な「根付」を持ち駒にし、賽を回しながらそれぞれに駒を進めさせた。そこは双六特有のスタイル。進めた先の枡には二個や三個ほどの100501数字と別の枡の名前が書かれ、それ以外の賽なら空回り、そのうちのどれかならその通りに次の枡に移すというルールである。枡の名を読み上げ、その内容によって互いに揶揄したり、語り合ったりして、見ていても、じつに楽しいひと時だった。数百年まえの遊びは、まったく同じ道具を使って体験できるものだと、あらためて驚嘆を覚えた。

話が変わるが、今週より語学研修を引率して短く東京に滞在する。それに合わせて、英語のブログを始めた。さっそくこのテレビ番組のこともテーマにしてみたので、興味のある方はぜひそちらにも立ち寄ってください。

お江戸