2018年7月28日土曜日

欠航

今度の日本滞在は、数えて105日となった。予定した講義は金曜日をもってすべて終了し、残りはレポートを読みながらの採点と、成績提出という最後の作業である。その中で、意外とこれまで未体験のことに出くわした。

家族は一足さきに日本を離れることになっている。そこで、台風12号が関東地域を直撃した。予定はそれにもろに被さった。土曜の早朝に空港にたどり着いたら、フライトが24時間遅延するとあっさり告知される。移動する気力はなく、電車運行停止なども考えあわせて、その場で空港近辺に一泊するホテルを探そうと心を決めて取り掛かった。オンライン予約などすぐに飛ばし、情報サイトに上がったホテルのリストを言葉通りに順番に電話をかけていくというようなスタイルを敢行したが、それでもどこも満員というがっかりの回答だった。結局のところ、航空会社が見つけてくれたところに落ち着き、まずまずの結末となった。強風が千葉県を通過したころ、窓の外を吹き抜ける風の音を聞きながら学生の成績を入力して時を過ごした。忘れがたい今度の日本滞在の最期の週末と記憶に残ることだろう。

一方では、この週末、友人、知人が関わるものだけでも、「歴史的典籍」、「環境文学」、そして「投企する古典性」という三つの研究集会が進行され、どれも可能性があれば聴講したい、あるいは予定まで企てたものばかりだ。どうやらいずれも欠席という、なんとも残念が残る旅の締めくくりである。

2018年7月21日土曜日

Kahoot@日本

「Kahoot」を教室に持ち込む。この話題は三年ほどまえここに記した(「Kahoot」)。今学期の講義も終わりに差し掛かり、復習なども兼ねて大人数の二つのクラスでこれを遊ばせた。具体的なやり方は、これまでと何も変わっていない。あえて一つあげるなら、画像を取り入れたぐらいだ。ただ、手ごたえは上々、学生からの反応は予想を遥かに上回った。どうやらこのような手軽なアプローチは日本にはさほど伝わっていないらしい。

学生からの素直なコメントで印象に残ったのは、たとえば「日本語版がほしい」、「これ、先生が作ったのか」といったようなものがあった。前者は、プレーヤーの名前入力などの画面に現われた英語の指示に直面しての緊張感そのものであり、後者は、決まったパターンを提供してくれるようなこの手のサービスの理解不在を物語ったものだろう。それはさておくとして、「まだまだやりたい」、「学習のためになった」、ひいては「このようなクラスなら大学に来たい」といった大げさで、はたしてこれでよいのやらのようなものさえあった。学生たちの大学の講義への期待感とは、そしてそれらの修正にかけての教える側の義務など、つい考えさせられるものが多かった。

手軽なゲームをめぐる使い手側の気持ちも整理したくなった。賑やかなひと時は、講義のリズムを変えたり、教室の空気を調整するにはちょうどよい。ただそれを一度だけのものに止め、あまり繰り返したくない。その最大の理由は、正答を覚えさせるためのクラスにしたくないに尽きる。ただ、どこに講義の要点があるのか、どこに注目すべきなのか、そのようなことを併せて伝えられることも覚えておこう。

2018年7月14日土曜日

絵巻を教室へ

客員として担当した講義も残り二回となった。教養科目に選んだテーマは絵巻、登録者は120名超え、個人的には未到の記録だ。講義内容として、うちの九回は一点ずつ絵巻を選び、それをトータルに見せるということにした。絵巻を教室に持ち込む。実物、せめてその複製を講壇に広めるに超したことはないが、とても簡単には行かない。そこで次善の方法としてデジタルに頼った。

講義の内容は基本的にパワーポイントに纏めておいた。そこで、画像をスキャンや写真に収めてスライドショーにすることはまず考えられる。それから、たとえば「e国宝」を開いて画像サイズを自由に変えながら見せるのも素晴らしい。ただスライドなら巻物の一部分を切り取る結果となり、美術館サイトだとスクリーンが埋まるまでの待ち時間はもどかしい。そこでたどり着いたのは、画像をローカルに保存しておいて特製のHTMLファイルで繋ぎ、それをブラウザで開く方法である。スクリーンの解像度にあわせて画像を縦に同じサイズに調整し、それらを横に順番に並べていく方法である。このやり方だと、一巻の絵巻、たとえ十数枚の画像でもなんのストレスなく一気にブラウザに読み込め、あとはキーボードを使って左右に自由に移動することができる。目の前に特定の長さの画面が開き、そしてスムーズに左へ右へとスクロール、まさに正統な絵巻鑑賞の再現である。教室のライトを落として大きなスクリーンにそれを投影すれば、本ものの絵巻以上の迫力がある。

取り上げたタイトルは、「音読・日本の絵巻」収録のものを中心に選んだ。全巻の朗読は無理でも、どれか一段について音声を聞かせながら画面を操作した。かなり前に試みた音読を、一度に百人以上の若者に聞かせるという形で利用して、なんとなく報われた思いをした。

2018年7月7日土曜日

古書入札会

この週末、二日にわたり「七夕古書大入札会」が開催されている。すでに53回と数えるこの行事は、古本屋さんしか入札の権利がないが、普通に関心をもつ人々にも公開され、これまで数回覗いたことがある。さいわい好天に恵まれ、今度も出かけてきた。

出発の直前になって、妙なメールが飛び込んできた。「双六ねっと」を頼りに、まったく面識のない愛好者がニューヨークから連絡を寄越し、個人所蔵の双六の写真を添付してきた。感心して入札会の目録を眺めてみれば、今年はじつは11点も出品されている。さほど注目を集めているようには見えず、一人しずかにそれを眺めることができた。自由闊達でいて、情報が豊富に詰まっているこの貴重なジャンルは、やはり魅力に満ち溢れている。表現の様式という視線で観察していても、さまざまなバリエーションがそこに開示されている。「賑式亭繁栄勝双六」は文字情報がいちばん多い。それぞれの枡に薬の名前が掲げられ、効用の説明から値段まで充実な宣伝文句が添えられる。その枡から振り出される賽の数字への指示も丁寧に記入されている。これに対して、「大日本六十余州一覧双六」は、地名とその地の有名人や風景に加えて数字の指示が見られ、「東海道五拾三駅大双陸」はつぎの枡の地名とそれまでの距離だけ掲げ、数字の指示はない。「新板七津伊呂波清書双六」となれば、舞台上のポーズに順番が振られているのみで、枡のタイトルさえ提示されていない。ただし、じっくり眺めてみれば、どれも遊びの道具として明らかに機能し、おそらくその時その場のローカルルールが案出されるのではないかと思わせるものだった。

入札会の魅力は、どの出品も自由に触れられるとのことである。今年も、「大江山絵巻」(三巻)と「二十四孝」(二巻)をゆっくり披いた。素晴らしい思い出になった。

七夕古書大入札会