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2021年10月9日土曜日

市政選挙

いま暮らしをしているここカルガリーという百万人の都市は、いよいよ市政の定期選挙を迎えようとしている。市長をはじめ、市議会議員、そして教育局長など二十以上のポストをめぐり、政治家、あるいはそれを目指そうとする人々にとっては、まさに一大事だ。市長候補だけでも数えて27人、名前も覚えきれない。

一般市民の目から見ても、この一か月ほどはずいぶんと熱度があがってきた。道端や住宅区内には看板が多数立てられた。そのサイズはさまざま、大きいものには写真、小さいものには名前のみ、手作りに近いものさえある。家にいても、電話はたえず鳴らされ、インターホンも何回となく押された。応対に出たら、敷地の芝生に看板を立ててもいいかと尋ねられる。熱心なサポーターたちだ。自分の妻のために回っているとまっさきに名乗る男性もいた。平均的には女性が正装し、男性が普段着のままという印象だ。一度は、「あなたの隣の家族と会話している」などと開口一番に言われ、なんのことかと思ったら、「候補の本人だ」と紹介される別の男が走ってきた。その人に視線を向けたら、最初の男と比べて輪をかけたようなラフな恰好だった

選挙の投票は、いつも月曜日。こんどもいまから十日あとの18日だ。もうすこし関連の規定などを調べて、今年はきちんと投票所に行こうと考えている。

2021年9月18日土曜日

乙矢

古い写真に色を付けたらどうなるのか、AIによる試みがあっちこっちで見られる。よく対象になるのは明治時代の古写真、眺めていて楽しい。そんなところへ右の一枚が目に飛び込み、少なからずに驚いた。例の『徒然草』第九十二段の記述が記憶に鮮明に残っているからだ。兼好がいう「師」の戒めにここまで明確に反しているというのはどういうことなのだろうか。

『徒然草』を読むと、「諸矢」、「後の矢」、「始の矢」など、普段使わない言葉にはすでにいくつも出会う。もうすこし調べて見ると、このリストはさらに長くなる。「甲矢(はや)、兄矢、早矢とも」、「乙矢(おとや)」、そしてこの二つが一セットとなる「一手(ひとて)」。『古今著聞集』に用例が見られるほど、コンセプトははやくから打ち立てられていた。ならば、兼好がわざとこのような専門的な語彙を避けていたのだろう。その真相がいずれにせよ、「諸矢」を手にして弓を引くという作法はしっかりと行われ、しかもそれが今日の弓道においても受け継がれ、関連の写真などを見れば、かなりの数が公開、共有されている。はたして『徒然草』を読み返すと、「初心の人」とあった。あるいは熟練した人なら、二つの矢を構えて良し、とでも兼好が言いたかったのだろうか。

兼好の文章を、注釈絵、くずし字による記述、朗読、そして字幕にあわせてどうぞ味わってください。(「朗読動画『徒然草』第九十二段 或人弓射る事を習ふに」)

2021年8月22日日曜日

ブクログ

とある新刊のブクログでのタイトルがツイッターで発信されている。惹かれてブクログに入り、あっちこっちをクリックして見てまわった。

書籍管理として、ブクログはいまや老舗になっている。書籍を登録して、さらにタグなどを付けることによって分類し、必要に応じてそれを引っ張り出して眺めたり、調べて確認したりするなど、書斎のデジタルカタログとしての機能がその基本だ。アマゾンなどの膨大な書籍データに連動しているので、タイトルを入れるだけで書籍のカバーから公式の内容紹介、読者のレビューなどと一体になり、使いやすい。

ブクログの使い方はまちまちだ。書籍管理以外のもう一方の柱は、ネットワーク機能だ。他人と本棚を共有することにより、さまざまな読書リストにアクセスすることになる。たしかに書斎のなかの本棚は、つねにカオス、そのまま他人に見せるのはちょっと考えられないし、さほど有意義だとも思えない。ただ、それも使いようによる。一例として白百合女子大学図書館が実施している、新着展示や企画展示を再現する本棚は、大いに歓迎されるべきだ。熱心な図書館の司書たちによる個人名の似たような本棚は多数公開されている。

そこでいわゆるエコサーチ、つい自分の名前を入れてみた。漢字表記と英語表記の名前によるものはまったく別人だとされ、キンドル本も在来の出版によるものも同列され、登録者が一人もいないものもきちんと顔を見せている。共著のものは検索にあがるが、公式紹介文で触れられた出版物は対象とならない。いろいろと観察できた。

ちなみにブクログは個人的にかなり使っていて、本棚にはじつに三千冊近くのタイトルを入力しており、しかも公開と設定している。ただ娯楽としての内容は大半で、あくまでも私的なメモとして利用しているので、わざわざここで共有する必要もない。

2021年8月1日日曜日

人それぞれの徒然草

「徒然草」朗読動画の公開を続けている。その中で、ポットキャストを聞いているSpotifyの推薦作の中に、「人生がより豊かになる243の徒然」というのが飛び込んできた。どうやって自分の関心事をここまでピンポイントで察知してくれているのかは別として、「徒然草」をめぐってこういうアプローチもあるのだと、まず率直に感心し、いくつか聞いてみた。

音声の内容は、二人の男性による対談形式で、あまり余分な突っ込みや脱線せずに、「徒然草」を順番に取り上げ、一回四分間程度のものである。中心をなすのは、原文の現代語訳というか、現代の感性に基づく超訳である。一通り好感が持てた。一方では、「吉田兼好」と連発するなど、いまごろの研究成果などには最初から感知しないというスタンスで、そういう意味では普通の読者においての平均的な読み方を呈しているとも言えよう。古典の名著を知りたい、すこしでも原典に近づきたい、といった現代人の思いは、けっきょくこのような形ですこしずつ結ばれてゆくものである。

もともと読者にはそれぞれの徒然草像を持っていよう。似たような目で見れば、アマゾン書籍で眺めたら、『眠れないほどおもしろい徒然草』、『仕事は「徒然草」でうまくいく』、『ヘタな人生論より徒然草』など、古典の魅力というか、現代人の思い込みがふんだんに持ち込まれた読み方が踊る。この現象は、一方では兼好の文章、兼好の言説にそこまでさまざまな思いを託すことのできる相手なのだと物語っているにちがいない。

2021年7月25日日曜日

京菓子と徒然草

今年は、『徒然草』がちょっとしたブームになっている。学術の界隈では、仏教文学会と金沢文庫共同企画の講演(動画配信公開)、中世文学会春季大会シンポジウム(配信公開対象は当日参加者のみ。近世文学会の公開があるだけに残念)が広く話題になった。そして、京都では有斐斎弘道館他主催の京菓子展「手のひらの自然ー徒然草」があって、裾の広さが示された。

京菓子展の公式ページを覗いた。楽しい。同じ企画の七年目にあたるらしい。眺めてみれば、琳派や蕪村といった絵画、百人一首や万葉の歌などのテーマに続くもので、兼好の思弁的で、ときには饒舌な随筆は、この流れにおいて明らかに新しい挑戦が仕掛けられている。それにしても、趣旨解説するための数行は味わい深い。数えてわずか二百文字ちょっとの文章だが、「江戸時代の文芸」、「不安定な世の中」、「不完全」、はてには「美意識の原点」(日本的な意識?)と、どこか『徒然草』読解の新たな指針を密に込めた挑発的な言説だった。

思えば表現の媒体としての菓子と随筆との組み合わせは人をわくわくさせる。慎重に構成された描写を抽象化し、そこから得られたコンセプトや感じ方を菓子という具体的な物体に置き換える。まるで離れ業だ。発表は秋ころになるだろうが、とても楽しみだ。

2021年7月17日土曜日

国宝指定

二日ほどまえに伝わってきたニュースの一つには、新たな国宝指定があり、今度「蒙古襲来絵詞」が筆頭になった。この絵巻が迂闊にもとっくに国宝だと思い込んでいて、いささか意外な思いでこれに接した。たしかに報道記事を読むと、「国宝級」などの記述が目立つ。「読売新聞」のオンライン記事は、三の丸尚蔵館が1993年に開館したこと、十分な保護があるため文化財の指定をされてこなかったことなどと親切に解説している。

「蒙古襲来絵詞」は、繰り返し読んだ経験がある。すでに二十年もまえになるが、その一端をある国際シンポジウムで発表し、活字記録まで残している(リンク)。さらに「音読・日本の絵巻」の一点として全文朗読を試み、欠字などにずいぶん苦しんだことを記憶している。一方では、その朗読の音声が妙な形でニコニコに登場した結果には、いまなお不思議でならない。(「「ニコ動」デビュー」)

デジタル環境が凄まじいスピードで進化している中、この絵巻への満足なアクセスはずっと叶えられないでいる。これもずいぶんと昔から公開されたものだが、小さな画像での全巻閲覧、しかも模写本との比較、英語による注釈まで添えられたサイトが稼働されている。古典作品のデジタル公開をめぐるさまざまな考慮や躊躇は、すこしずつ過去のものになったいま、この度の国宝指定を機に高精細画像によるオンライン閲覧が実現できることを切に願いたい。

2021年7月3日土曜日

ネット授業2021

二週間ほどまえに触れた予定のネット授業は、今週無事に終わった。いまやさまざまな行事がリモートで行われ、それには遠いはずの大学授業もオンライン提供がすっかり定番となった。教室に機材を持ち込むための苦労や、カメラ写しを配慮したライトの設置などの見逃しがちな気配りはZOOMのようなソフト一つで置き換えられ、多くの学生が携帯でそれにアクセスするなど、ネット授業は、その運営においてすっかり気軽なものとなった。

いつもながらこちらから提供する内容よりも、聴講する学生たちの受け止め方やその反応は頼もしい。今度のそれは、文字と画像、古典とデジタルという二つのテーマにきれいに収斂された。クラスでの質問応答も、授業のあとの感想文も、これにまつわるものが圧倒的に多かった。前者については、文字ばかりと認識していた古典には、絵もあるんだ、絵の表現がここまで慎重で自由自在、読み応えがあって魅力的だと繰り返し寄せられた。そしてそのような絵をもっと読みたいと続いた。後者については、古典を古典として片付け、見過ごすのではなく、現代の生活に生かしたいと纏めてくれた上で、こちらから提示する動画や朗読などのアプローチに共感するとともに、さっそく自分も動画を作りたい、講義を聞きながらすでに手もとでイラストを描いていると、さすがにデジタルネイティブ世代だけあって、なんとも心強い。

記録を調べれてみれば、このネット授業の最初回は2001年の秋、ここにもそれを記した。(「スカイプ授業」)あれから十年も経ったが、ほぼ毎年のように続けてきた。遠い日本への一つの窓口として、講義する本人が一番収穫が多かった。心から感謝したい。

2021年1月9日土曜日

陣と阵と

半年ほど前に一度くずし字をめぐる議論を試みた。(「くずし字」)そこに示した用例のページ(『絵本太閤記』、初編巻之九、十一ウ十二オ)は、もう一つの話題を提供してくれているので、記しておきたい。くずし字字体の識別から、それへの認識、さらに言えばそれに託された文字への美意識である。

わずか十一行の一枚(十一ウ)において、「陣」(10行)と「阵」(9行)が同時に現われた。同じ行に「东」(9行)の用例も認められる。違うページに「東」の字体が用いられることは容易に想像できよう。さらに見開きになっている十二オには、「討」(2行)と「诛」(8行)と、言偏の違う字形が並存する。中国の文字を語るところの「簡体」と「繁体」の字形は、ここまで隔たりなく、一体になったように溶け合うことには、少なからずの驚かされている。このような字形の変化、新しい形の成立の理由などなら、文字を歴史的に語ろうとすれば簡単だろうが、そのような違う字体は、時と場と書き手と、それから文書の性格の異なるものにおいてかけ離れたまま存在することが基本だろう。それがここまで狭い空間で隣り合わせにさせるには、はたしてどのような理由が働いていたのだろうか。答えの一つには、違う字体を用いてそれが美しいという意識が底流にあったと指摘できよう。そしてそのような感覚は、字母が異なる複数の仮名を同時に使うという仮名文章の実践に支えられていると考えれば、はたして穿ちすぎだろうか。

一方では、伝達の手段としての文字は、それを利用する側にとっても受容する側にとって、効果的でなければならない。そのため、字形はやがてどれか一つに統一することが要求されよう。そしてそのような実用的な要素は、やがて美しいと感じる感覚を乗り越え、そのような感覚を変えてしまうという趨勢を辿らなければならない。

2020年9月12日土曜日

寺の風景

ここカナダの町にも、お寺が数軒ある。その中の一つは、ダウンタウンのすぐ北側に位置し、建ったのはわずか20年前、建物ができた時のことは、わずかだが今でも印象に残っている。数日前、お寺の中を覗き、写真を数枚撮った。コロナの影響で週末しか開かないと、戸が閉ざされていた。

正殿の中には、それでもたくさんの光が灯され、供え物も結構な分量に捧げられている。普段訪ねると、お寺の管理に携わると思われる人の姿が常に確認できるが、袈裟を身にまとったような僧侶の姿は一度も見たことがない。入り口の前には立派な観音像や獅子像が鎮座する。ただ、庭と言われるほどの空間はなく、それらしい休憩の場所が用意されてはいるが、行き届いた手入れとは程遠い。どこか無愛想で投げやりな風景なのだ。あるいは僧侶の不在、修行する人間の欠落と関連することだろう。仏法僧という三宝の一つが抜けたら、それでもお寺と言えるのだろうか。

そもそもお寺の名前は、中国語では「居士林」とそれらしく聞こえても、英語訳となれば、「Indo-Chinese Buddhist Temple」。どうやら「インド」「中国」と入れないと十分に人々には伝わらない。仏教とこの土地との距離が極端に覗かせてくれている。 

2020年8月15日土曜日

グーグル地図の写真

ここしばらく旅行は出来ない。その分、グーグル地図などを眺めたり、これまでの自分の足跡を辿ったりすることが知らず知らずに増えた。遠い旅をする度に二、三の写真を載せるようにして、自分にとっては一つの記録であり、そしてグーグルを利用してきたことへのささやかなお返しにもなる。あらためて見たら、公開写真の数は約170枚、閲覧総回数は約50万、一番多いのは、「La Citadelle de Québec」を訪ねたもので、10万回以上閲覧された。

一方では、いまだ答えが得られない、対応策が見つからない難点はかなりある。一番にあがるのは、公開した写真にどうやってたどり着くかということだ。自分の名前で公開した写真は、たしかに一つのリンクでリストアップできる。しかし普通のユーザーは特定の貢献者から写真を探すとはとても思えない。場所からが一番自然だろうが、そこからはどうしてもたどり着かない。一例として、近くの小学校を撮って公開したが、小学校の名前からは写真が上がってこない。しかし、妙なことに、公開して数週間の閲覧数は、すでに千回超えた。ユーザーはどうやってこれを見たのか、まったく見当がつかない。それから、どうやら2016年より前に公開した写真の多くは、その場所の情報などが消えたり、写真自体にアクセスできないなどの状況が現われ、訂正の方法が分からない。さらに言えば、写真を公開しようと思ったら、公開時点の時間が記録されるが、それを写真の撮影時間に変えることさえ方法が見つからない。

二年まえ、似た状況をメモした(「地図に写真投稿」)。ここで書いたのは、それと重なることが多い。いっこうに解決策が見つからなくて、なんとももどかしい。

グーグルマップに公開した写真

2020年8月8日土曜日

ワスレナ草

先週、忘れ草について書いたら、思う以上に多数のコメントをいただいた。花のことを教えてくれる専用アプリ、特設ページをはじめ、個人的な思い出、そして歌謡曲の曲名など、勉強になるものばかりだった。中では、「わすれな草」を二人の方から触れられた。どこか交差するものではないかと気になって、思わずあれこれと調べてみた。

どうやらまったく違う、関係ない草のようだ。ワスレナ草のほうは、花が小さくて、色は青い。しかも、こちらのほうは西洋発のもので、日本に伝わったのは、明治以後になるらしい。花の名前も、ヨーロッパ言語の言い方の「Forget-me-not」を意味通りに日本語に訳されたもので、本家のヨーロッパでは悲恋物語までついているとのこと。一方では、漢字表記は「勿忘草」、この名前はそのまま中国語になり、調べてはいないが、あるいは他の多くの同時代の語彙と同じく日本から中国への輸出した言葉の一例に数えられるだろう。

あらためて花の名前を吟味すれば、「忘れな」との言い方はかなり妙だと気づかされる。古文の文法では解釈できない。原語との意味の上での交渉から考えれば、あくまでも「忘れるな」とのことだろう。はたしてその通り、一部の参考書などでは「忘るな草」との記述が見られる。そのような規則正しい言い方から変化していまの名前にたどり着いたのだろうか。

2020年8月1日土曜日

忘れ草

庭に植えてあるごく数少ない花の一つは、今日満開した。とても綺麗で、写真に撮ってインスタにアップした。もともと花には無頓着、これを機に名前を調べてみた。英語名はHemerocallis fulva、日本語になるとワスレグサ、なんと忘れ草である。

意識の中で、花の名前と実体がはじめて繋がった。いうまでもなく、この名前の花ならその伝統は長い。遠く万葉の時代から詠まれたのだった。そして「伊勢物語」(百段)は、この花を主役に据える。あの「忘れ草、生ふる野辺とは、見るらめど、こは忍ぶなり、後もたのまむ」との歌である。江戸時代の挿絵にはもちろん登場した。一例として右の場面を見てほしい。葉っぱのついた忘れ草は、あまりにも巨大で圧倒される。ただ一見して分かるように、肝心の花よりも、葉っぱが花びらの形を模っている。絵の描写力はさておくとして、特定の花を認識し、明確に伝えるという意味でその完成度には疑いようがない。(国文学研究資料館蔵『校訂伊㔟物語図会』より。文政八年刊、三ノ卅八オ

ちなみに忘れ草の原生は中国、その名は萱草。唐の詩人に詠まれたりして、同じく悠遠な伝統を辿ることができる。ただ中国でのそれは「母親花」との別名を持ち、親思いの感情を託し、とりわけ旅に出る子が親の居所に植えるものとして享受されていた。

2020年7月11日土曜日

緑のスクリーン

オンライン会議が日常活動の一つになったいま、バーチャル背景に利用する写真が話題の一つになった。それにそそられることもあって、今週の買い物には、緑のスクリーンがあった。購入したものを日記代わりに利用しているインスタに掲載したら、いささか意外なコメントが集まった。

自分の認識にあったのは、「ZOOM」だった。それを稼働すると、ビデオ設定のところに、「バーチャル背景」の項目がある。ただ、それがどこまでパソコンの処理能力を要求しているか不明だが、使っているものについては、対応不可とされ、代替として「緑のスクリーン」の選択が用意されている。それを確認したうえでスクリーンを購入したのであり、しかも予想した通り、それを設置すると、スムーズにバーチャル背景が導入することができた。(写真では、顔の代わりにカメラをかざしてみた。)

以上の経緯があって、緑のスクリーンはすっかり浸透していて、説明不要だと思い込んだ。しかし、インスタでは、「これなに?」という突っ込みは中国、日本、そしてすぐ身辺の友人から戻ってきた。少なからずに戸惑いた。どうやらこのようなスクリーンの使い方はけっして常識的なものではない、というか、自分のほうになにか見落としたらしい。そこで慎重に聞きまわったら、はたしてその通りだった。「MS Teams」では、物理的なスクリーンを設置しなくてもバーチャル背景が使える。中国で利用者の多い「騰訊会議」もそうだった。どうやらいまごろ物理的なスクリーンを要求している「ZOOM」は、少数派になったのだ。やれやれだ。

2020年5月30日土曜日

酒飲みのこと

酒を飲むことに関連して言えば、日本は間違いなく独特な仕来りを持っている。集団の親睦、年中行事、趣味の集まりなど、さまざまな局面において酒は大事な役割を果たす。しかもこれには厳然とした伝統があるものだ。そのような古い記述に出会うと、思わず膝を叩く。

『徒然草』百七十五段は、このテーマを記して、まさに傑作だ。兼好の筆に掛かれば、酒飲みにみる人間模様は、とりもなおさず「世に心えぬ事」、すなわち理解不可能な部類に入る。そこで、酒宴に見られるさまざまな醜態、狂態は、これでもかと書き並べられる。いわば、酒を無理やり勧める、一旦飲み出すと狂った人格に化ける、酒が入ったらばったり倒れてしまう、だらしない食べ方をする、当たりかまわずに踊りだす、聞かれてもいない身の上話をし出して泣き崩れる、喧嘩を始める、大事なものを壊す、人前なのに吐き出す、などなど。一方では、酒には罪がなく、以上のような飲み方がすべてだとは言わない。理想とする飲み方はもちろんある。それは、月の夜や雪の朝にゆっくり飲む、思わぬ友人が訪ねてもてなす、旅の途中で大した肴がなくて芝生の上で飲む、などがあげられた。数えてみれば、じつに二十近くの場面に上る。

個人的に試みた「注釈絵で読む徒然草」は、いつの間にかすでに四十九回と数えた。いまだ「四コマ」という枠組みを守っている。そこでこの段になると、どう対応すべきだろうか。兼好がスケッチしてくれた活劇はあまりにも面白く、絵の注釈もいきいきとしていて、簡単には割愛できない。この段には、やはり特別待遇を与えて、盛りだくさんで行こうと、いまは考えている。

2020年3月21日土曜日

リモート

勤務校は、先週の月曜日を休講にし、火曜日からすべての授業をオンラインで行うことに切り替えた。まわりを見渡せば、一通り無事に済み、予想したほどの困難や混乱がなかった。まずはいまごろの若者たちが、教えるがわの人間よりはるかにデジタル環境に馴染んでいるところが大きいからだろう。

教える側の人間を観察してみれば、おそらくつぎの四つのグループに分けられるのではなかろうか。まずは、ずいぶん前から積極的にこのような対応の可能性などを試み、じっさいにあれこれのアクションを実行した者たちである。かれらの多くは同僚たちにノウハウを伝えたく思い、これを良い機会に熱心に伝授している。つぎは、これまでの授業などで新技術を導入することにはさすがに躊躇っていたのだが、もともと新しい教え方などへの感性が鋭く、いまの環境の変化が強い押しとなり、敏感に反応し、おそらくあっという間に新機軸が打ち出して周りをびっくりさせることだろう。三番目は、デジタルなどにはもともと非常に馴染まず、いまだに一つひとつの操作を紙にメモを取りながら覚えていこうとする。いまのような状況にはかなり戸惑うが、それでも同じ姿勢ですこしずつこなしていき、やがて大きな可能性に気づくことだろう。最後のグループは、技術の応用などには抵抗があって、しかもいろいろな理由を並べて異議をし、たいていは声が大きい。さいわい自分周辺にはそのような人が存在していない。でも、大きな環境の移行においては、このような立場の声は、一種のバランスを促していることも見逃せない。

対して、公共機関の対応は、力強くてすばやい。勤務校の例でいえば、リモートに切り替えることが決まったあと、さっそくZoomが正規なIT環境に導入された。そのうえ、教え方など全般にわたるような配慮はかなり配られ、成績評価を単に「合/不合格」のみに切り替えることさえ噂されている。

ここまで激動する状況を学生たちがはたしてどう受け止めるのか。どのような新たな交流の形態が生まれてくるのか。これからの高等教育においてどのような発展が現われるのか。恐ろしい疫病は、一方ではまったく思わぬ機運をもたらそうとしているのかもしれない。

2020年3月14日土曜日

鬼のそらごと

「新型コロナウイルス」、この言葉はいまや実際の伝染者とともに、凄まじいスピードで地球を回り、口から口へと広がっている。机の前にじっと陣取りしながら、つい『徒然草』第五十段(GIF動画参照)を読み返した。

兼好の筆にかかったのは、鬼についての二つの出来事と、思わぬ落ちだった。都には、「女の鬼になりたる」(鬼になった女)が連れられてきた、また鬼が一条あたりに現われたとの噂があった。どちらも突拍子のないことだが、しかしそれよりも驚いたのは、都の人々の応対だった。なんと鬼から逃げるのではなく、まったく逆に集まってこれを見物しようとした。これを記す兼好でさえ、さすが自分が出かけなかったが、確認するための下の者に行かせた。けっきょく鬼が現われなかったが、それより前に待ち受けていた人間同士が「闘争」(喧嘩)を繰り広げたのだった。この鬼に纏わる騒動は、やがて現実の中でのほんものの疫病につながった。「二三日人の患ふ事」と締まったが、想像してみれば、きっと「二三日」程度の生易しいものではなかったのだろう。

兼好のこの記述は、いろいろな角度から解読されてきた。とりわけ疫病との関連において、つぎの見解が残っている。「此の時も此の鬼の沙汰におどろきてともにいひあへる族は此のわづらひをうけしなり。心を動ぜざる大丈夫は煩ひもおのづからせぬなり。」(浅香山井『徒然草諸抄大成』、1688年刊)曰く、あるはずもない鬼に心を惑わされたからこそ疫病に罹ったのだ。たとえ疫病がやってきても、正しく心を待つことが大事なのだ。その通りだろう。ただ、さらに一歩踏み込んで考えてみよう。鬼のような噂は、まさに「そら事」(妖言)、そのような正体を持たないものには惑わされてはいけない。しかしながら、「コロナ」のような正体を持つものについて、これをまるで「そら事」のように扱ってしまえば、とんでもないしっぺ返しを喰らうのだと、覚悟を持たなければならない。

2020年2月29日土曜日

中国ビデオサイトデビュー

中国では、いまでもコロナ対策としてかなりの人々は自宅待機を余儀なくさせられている。その中で、友人は自作の音楽ビデオを送ってきて、いまの生活の一端を披露してくれた。それに触発されて、こちらもすでにYouTubeで公開したビデオを中国のビデオサイトにあげてみようと、週末にかけてあれこれと試した。結論として、予想以上の苦闘だった。メモをしておく。

「騰迅視頻」。例のWeChat(微信)と連動しているので、まずはこれを試した。新規登録はQQ、WeChatの口座からという二つの選択しかなく、WeChatからすると、ビデオアップロードはできず、QQへと誘導される。そのQQは、海外からの新規登録を受け付けていない。ということで早々に諦めた。

「優酷」。こちらは中国のビデオサイトの老舗だ。しかしながら、おそらく繰り返しの合併などを経て「土豆」などの大手が傘下に収まったなどの事情からきたのだろうけど、互いにリンクされたユニットはあまりにも雑で理解しがたく、根気よく試さざるを得ない。最後の段階になっても、どうやら「大魚」にならないと、作者の写真や紹介などを入れるようなオプションが与えられず、個別に書き入れたビデオの紹介は閲覧の画面に現われてこないなど、かなり不完全な公開となった。その「大魚」となるためには、中国国内の銀行情報まで必要となり、海外からはそもそも無理だった。

「Bilibili」。とても妙な名前だが、とにかくいまはかなりの大手に成長したものだ。一通り最小限のことをこなすまでにはさほど苦労しなかったのだが、同じく「実名審査」というハードルがあって、パスポートなどの個人情報が必要とされ、しかも本人の顔写真とともに撮影されたものでなければならない。国内の銀行情報がなければ、大半のサービスが受けられない。そしてこちらの大きな特徴は、アップロードしたものが審査を受けなければならず、しかもタイトル集成といった編集作業も、あらためて審査の対象とされる。それも数時間が必要となって、自動審査ではない。ただ、週末にかけての作業なのに、迅速な結果が戻ってきたことには、小さな驚きだった。

とにかくかなり勝手が違う経験だった。このようなところからも分かるように、インターネットの世界もそのうちかなり方針の違う展開が生まれてくるものだなと、そのような徴候はすでにこんなところで見られたのだ。それはともかくとして、日本の古典は、中国でもしっかりと熱心な学習者、愛読者に届くことを秘かに祈っている。

黄表紙『敵討義女英』(YOUKU)(bilibili

2020年2月22日土曜日

因幡国の娘

注釈絵で読む徒然草」と名乗って、週二点のGIF動画の公開をつづけている。その中、第40段について、「妙な話」「満足な答えが得られない」とのコメントに対して、興味深い教示が寄せられた。小林秀雄の『無常といふ事』(1946年)を紹介し、それをめぐって議論する、わずか数週間まえのブログである。

あの批評の大家をして同じく「珍」をもってこの段を語らせたことには、まずは驚いた。一方では、小林の論が向かう先には、「無常」という大きなテーマにおいての兼好の立ち位置であり、兼好の書き方を鋭く指摘したと賛同しながらも、あくまでも抽象的で、同じ指摘は『徒然草』のほとんどの記述に当てはまり、その分、この40段への答えにはならなかったとも言えよう。

そこで、栗しか食べないという因幡国の娘をめぐり、その親がすべての求婚を断ったということをわざわざ記した理由とは、はたしてどこに求めるべきだろうか。兼好がそれを明記しなかった以上、読み手が答えを探るほかはない。はたして『徒然草』を熱心に読んでいた江戸の文人たちは、さまざまな言説を残してくれた。『徒然草諸抄大成』を頼りに二、三上げてみよう。娘の親を褒め称える意見として、娘の外見と内実が一致しないことを悟っているから失敗を避けた(恵空和尚『参考抄』)、もともと持ち合わせていないものを世の中に求めるべきではない(高階楊順『句解』)などに対して、そのような娘を育てた責任はそもそも親にあるのだ(長頭丸『貞徳抄』)という辛口の批判もあった。まるで重奏を成したかのような互いに譲らないこれらの見解には、納得の答えが隠されているのだろうか。

2020年2月8日土曜日

男と女の間

男女の間、夫婦の姿、これを持ち出したらまさに人間の数だけさまざまなドラマがあって、それの平均像、理想像などを求め始めたらきりはない。だが、その分だけ、フィクションの世界では長く語り口とされ、弛まずに追求されてきた。

先週日曜に放送した「麒麟がくる」三回目に、目を惹く一瞬があった。土岐頼芸から妙な一言を囁かれた斎藤高政が、その真実を母深芳野に問いただし、それが斎藤道三に悟られ、側室としての深芳野は夫婦睦まじい様子を懸命に息子に見せるという件だった。これだけ密度の濃い情報を本のわずか数分間の会話や演技に託したのは、さすがに映像のマジックと言わざるをえない。それのハイライトは、女が男に体を寄せ合うという、いわゆる王朝絵巻を思わせるような構図を地で行く振り付けだった。丁寧な演出に思わず唸った。

一方では、絵巻に見る「男女ならびゐたる絵」(「十訓抄」の用語)をかつて追い求め、国文学研究資料館主催の研究集会で発表したことまであった。それを想起してみれば、目の前にあったような、視線を交わさない、まるで舞台の上に座って観客にこれでもかと見せつけるような構図は、意外と記憶に残らない。一つの細やかな課題が現われた。なお、その経緯を記した「男女の構図」では、発表内容の未公開が嘆かわしいと呟いたが、その状況はいつの間にかすっかり変わり、ただただ嬉しい。

絵巻にみる男と女の間

2020年2月1日土曜日

光秀と麒麟

光秀をめぐる出来事のあれこれは、日本の歴史を講義する場合、なによりも恰好のテーマであり、若者たちはいつも目をきらきらしながら話を聞いてくれる。そのようなところに、大河ドラマになっているのだから、いっそう好都合だ。

ただ文学的な脚色だと十分承知しているつもりだが、それでも「麒麟」の意図するところが分からない。伝説上のめでたい動物、ひいては平和などといった由来が信じられたとしても、それと光秀との関連にはぴんとこない。もともと歴史事件の解読としても、平和を願う人物像を信長に求めたら、もうすこし分かりやすいようなものだが。

あれこれと不思議に思っていたら、江戸時代に書かれた『絵本太閣記』には、光秀の身辺をまつわる記述にたしかに麒麟のことが出てきた。思わずはっとなって読み返した。例の、光秀怨恨説の一端を担う、徳川(作品の中ではあくまでも「東国より」の「上客」としたのだが)接待での失策を描く件の一行である。

「麟の脯、鳳の炰なしといへども、山海の魚鳥、数を尽して蓄設け」(三編巻七「惟任光秀再恨信長公」より)

脯には「ほじゝ」、炰には「つゝみやき」と、読みが振られる。麒麟や鳳凰の干したり、焼いたりした肉、というものだった。

さらに目を凝らして読めば、そのようなものを用意されたのではなく、なかったと書いてある。「太閣記」においてだって、麒麟はいまだやってこなかったのだ。なぜかほっとした。