2014年3月29日土曜日

半旗

半旗は、亡くなった人への哀悼を表すフォーマルな儀式である。明らかに西洋的な概念であり、東洋の国々としてはひとまず舶来されたものである。興味深いことに、同じ半分に掲げる旗についても、日本語ではこれを「掲げる」ものであり、中国語では「下げる」であり、英語ではそもそも半分の旗というような表現がなくて、「half-mast」と旗ではなくて旗竿が言葉を構成し、かつこれが動詞として用いられている。

20140329思えば、半旗というものは、子どものころに事象と概念を合わせて覚えたものの一つだった。旗をあげること自体、年に数回の特別な国レベルの行事や祝日にしか行われていなかったものだから、半旗とはまったく普段の日常から程遠い、ときにはただならぬ思いや記憶を伴われたものである。一方では、この感覚は日本語の中でもさほど変わっていない。日本でも、国旗が半旗に掲げられることは、同じく国レベルの人への哀悼だと決められている。しかしながら、英語圏での生活の様子はだいぶ違う。掲げられているのは国旗であっても、まわりの人間がその対象となりうる。どこまで詳細な規定があるかよく調べていないが、勤務校の場合、在任中の大学の教職員の死亡などについて、大学の公式サイトにおいて広告され、あわせてキャンパスの真ん中に位置する国旗が半旗に掲げられる。

先週、同じ教科を担当し、二十数年もともに仕事をしてきた一人の同僚が闘病のすえ亡くなった。半旗を眺めながら、冥福を祈る。

2014年3月22日土曜日

護摩木

オンラインのイメージ検索、場合によっては辞書を調べるよりも便利で使いやすい。少なくとも言葉を対象にする教室では、そのようなことをかなり頻繁に実感している。先週もそのような一瞬があった。火渡り祭りの行事をレポートした学生に「護摩木」を説明するには、写真の集合を見せてあげるのは、一番てっとり早い方法だった。

護摩は大事な仏前の行事の一つなら、護摩木ということもきっと由緒正しいと睨んだ。ただ調べてみると、意外と古い用例は出てこない。護摩を焚くために、木材が主に使われたとしても、特化されなかった、ということだったのだろうか。語り物では、護摩は煙とセットになっている。中世の大事なイメージである煙の中でも、護摩こそ無常に至近距離にあったからに違いない。それからすぐに思い出されるのは、あの「平家物語」に出た衝撃的な祈願のエピソードだ。命をぶっつけて祈願するということを極限に拡大し、劇画的に語られたものだが、護摩の火を燃やすには木材に限らないものだと、実用的ではなくて、精神的な、想像的なレベルで虚構されたものだろう。

20140322一方では、護摩木にはこれといったあるべき形をしたのだろうか。もともと燃やして煙となるものだから、あるいは大切な要素ではなかったのだろうと想像していた。そこで検索で集合された写真を見て、熨斗が付いているのが多数あったことを発見した。護摩木はいまやすっかり商売のアイテムとなった。それ自体のサイズによって値段の違いを明らかにし、しかもりっぱな熨斗まで付けられ、贈与に用いられている。いかにも今風のものに成長したのだ。

2014年3月15日土曜日

歩月

言葉って微妙なものだ。古典からのものだといっそうそう感じさせてくれる。時にはかなり自信をもって使っていても、けっきょくはずっと誤解のままの誤用だったりする。使っている自分の教養が足らないと言えばそこまでだが、言語使用者の感覚、そして交流の目的達成まで持ち出したら、ことはそう簡単ではない。

20140315今週にもそのような実例に出くわした。「歩月」という言葉がある。個人的にはけっこう愛着があって、学生時代は遊び印に用いて、書の習作などにけっこう押していた。この言葉の意味するところは、神仙郷ならぬ月の上を一人歩くものだと気軽に理解して疑わなかった。しかしながら、実際に辞書を開いて調べれば、用例はかなり違っていたことに気付かされた。すなわち月の上に登ったといった大それたことではなく、あくまでも月に照らされて、誰一人いないところを一人徘徊するものだった。それこそ一人で琴を弾いて自省したり(「南史・王藻伝」)、はたまた離れた故里への思いに耽ったり(杜甫「恨別」)するものだった。対してだいぶ突飛なものとなれば、「步月登云の志」(謝讜「四喜記・赴試秋闈」)といって、月に到達するまでの行動を、いわば出来ようもないものとして用いたものもあった。

しかしながら、だからと言って月の上に到達したあとのものとしてこの言葉に接することはぜったいに間違いだとも、はたして言い切れるものだろうか。先週、学生たちを相手に設けられた書道クラスに助け役として出て、昔の遊び印を見せてあれこれと押してあげた。「歩月」を出して、「ムーンワォーク」じゃないよと冗談まで交えて説明したのだ。いまの学生には、月の光のもとを歩くより、月の上を歩いたほうがはるかに簡単に理解してもらえることだけは、確かだ。

2014年3月9日日曜日

最先端と教育

20140309叢書「DHjp」は、はやくも第二号が発行された。今度のテーマは、「DHの最先端を知る」と名乗る。しかしながら、編集者が抱いたもう一つのキーワードは、「若者たちへ」というものだった。それにあわせて、北米大学学部教育における専攻分野としてのDHの現状をリポートし、小さいな投稿をした。

レポートの終わりに、去年の暮れに公開されたオバマ大統領のYoutube動画スピーチのことを触れた。ここでもリアルタイムに議論に取り上げた。叢書の刊行が実現されたいま、なにげなくあれこれと読んでいるうちに、つぎの新聞記事が目に飛び込んできた。「プログラミング教育広がる・授業必修化、教室など活況」。しかも日付を見てみると、なんとあのオバマのスピーチよりちょうど一ヶ月前に公表されたものである。まったく同じ動きは日本でも確実に進められているものだと、粗忽ながらもまったく気づかなかった。一方では、ここでも同じような疑問的な立場を繰り返したい。この日本の記事では、責任者の発言としてつぎのようなものがあった。プログラミング教育の狙いは、「紙とクレヨンで絵を描いたように、プログラミングができればパソコンを自己表現の場として活用でき(る)」にある。気むずかしい「ロジック的な発想を育成する」などとしていない分、子供たちの実態に添えていると言えよう。ただ、コードとクレヨンとはまったく異質なものだということを忘れたくない。子供が成人して、クレヨンをペンや筆、ひいてはキーボートに変えることは同じ性質の道具の延長なのだが、コードというのはあくまでも特定のハードやソフトに依存した約束事であり、かつあまりにも完成形にほど遠い。はたしてこれを教育の対象とすることは、どこまで有意義なのだろうか。

「DHjp」第二号はもうすぐ店頭に並べられると思う。Amazonでも、いまだ「予約受付中」として、書籍のカバーも用意されていないのだが、同書の電子バージョンは出版社運営の専門サイトですでに販売されている。今度も編集者の厚意により電子の献本をいただいた。郵送の時間を待たずにさっそく読めたことに、ただただ感激だ。

E-BookGuide:「DHjp No.2 DHの最先端を知る

2014年3月1日土曜日

3Dポンペイ

20140301その名をずばり「ポンペイ」とした映画が上映された。学生時代、異様に蒸し暑い日差しのなか、ひっそりした史跡を訪ねた記憶がはいまでも残っていることもあって、一種の親近感を覚えた。しかも、あの「47 Ronin」だって数週間前のことだった。同じく3Dの、現実世界から離れたファンタジーものならば、どのように仕立てられるのかと、興味をもって映画館に入った。

普通の観衆にとって、ヨーロッパものは、さすがに日本のそれより距離が短い。ストーリの作りも、典型的な「災難もの」で、すぐ気づくことに、あの「タイタニック」へのオマージュだ。悲劇という結果が前提なので、それにあえて死を求めるという極端なテーマを付け加えた。それを可能にするために、剣闘士(グラディエーター)を主人公に据えた。死という終極な結末に向かい、ヒーローの、自由を得ての死と、悪人の自由を奪われた死という対置を設けて、一つの不可能なロマンを演出した。災難ものとしての見ものは、ここの場合、地震、火山噴火、そして裂け落ちる大地なのだ。中では、津波の様子はとりわけ迫力があった。古代ローマ風の神殿との組み合わせは、史実考証云々はともかくとして、視覚的にははなはだインパクトがあって、忘れがたい。

ちなみに、映画の公式サイトはとてもユニーク。映画宣伝の方法はいつの間にかすっかり変わったのか、それともこの一作だけが思いっきり新しいことを試したのかは定かではないが、とにかく予想とは違う。まずはさまざまな作りの写真が並べられて、まるで今どきのデジタル写真の見本市の感を呈する。映画制作者とは違う、見る側の視線を活かした観客参加型のアプローチの実験なのだろうか。

「Pompeii」公式サイト