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2022年9月3日土曜日

文豪5N

雑談の中で、「一番最初に購入したパソコンとは」と聞かれ、忘れがたい思い出に繋がった。つい自慢そうにそれを長々と語った。

それは、NECの「文豪5N」だった。パソコンのことを聞かれてワープロを持ち出すのは、誤答と言われてもやむをえないが、80年代の半ばというのは、まさにそのような時代だった。世の中はマッキントッシュで一世風靡したものだが、ただ言語の壁は高く、日本語を扱うことが出来なければ、視野の外に押し出してしまう。日本では、あくまでもワープロだった。そして、自分はその流れに乗せられた消費者の一人だった。「文豪」と名乗ったその機械は、あまりにも先端的で、いろいろな意味で語り草となっている。その証にいまでもCMがYouTubeに記録されている。

それを購入したのは、1985年の春ごろだった。鮮明に記憶に残ったのは、機械が寮の部屋の前に、販売の店員が届けてくれて、そこで熱心に説明をしてくれたことだった。いわく、購入時点の約束と違い、JIS第二水準の漢字を付け加えてあげたという、信じられないことだった。どれだけほっとし、得した気分だったのか。時はまさに修士論文を出した直後の、ほとんど放心状態の中だった。機械の使い方を覚えながら、手書きで提出した論文をワープロに打ち込んだのは最初の挑戦だった。その過程でキーボートの使い方を習得し、ためになる基本技能の一つとなった。写真は、部屋の中に鎮座する5Nの様子だ。たしかに1988年の春ごろまでずっと活躍していたものだった。

さきのCMを見ると、発売は前年の1984年、定価は39.8万円だった。じっさいはたしかに32万円前後払ったと記憶している。若い学生として、よくもそこまで投資したのだと、四十年近く経ったいまでも不思議に思う。ちなみに、思い返せば、そのあと、30万円を超えるパソコンを購入したことは、一度もない。

2021年10月30日土曜日

黄表紙目録

朗読動画『敵討義女英』を制作したことから、黄表紙への興味が続いた。自分自身が研究分野とする中世の文学とは時代が違うとはいえ、絵画と文字をあわせもって物語を伝えるということが絵巻に通じ、その豊穣な世界に魅せられる。

一方では正直、まだまだ原文を自由に読めるまでの実力を持たない。じっくり眺めればなんとかなるだろうが、普通の読書のスピードと比べられるものではない。そのため、自然に活字で読めるものを探し求めてみる。こと黄表紙にかぎって言えば、その手ごろな長さも手伝って、先人たちによる成果が驚くほど多数残されている。その中のいくつかは、はやくも明治の後期や大正の時期に遡る。百年近くも前から、いまの自分と同じ思いを抱いていた読者がいたのだと考えてよかろう。ちなみにそれだけ年代が過ぎたから、すでに著作権の保護期間が終わり、その多くはオンランでマウスクリック一つでアクセスすることができる。

ここに、活字になった黄表紙作品の目録を作ってみた。名付けて「黄表紙活字目録」。すでに三百作近くなっているが、今日はまずその中から135作ほど載せて第一弾とする。

一つの学生時代の思い出がある。十数人ほどの大学院生が共同で利用する部屋で、江戸文学を専攻する先輩の一人は、草双紙類の作品をどさっと机の上に広げ、かたっぱしから読んで一人でよく笑っていた。なぜかまるで映画のワンシーンだった。いまの学生が同じことをしようと思うなら、きっとパソコンのモニターを睨み続けることだろう。

黄表紙活字目録

2021年10月16日土曜日

朗読動画特設サイト

『徒然草』の原文を読み上げ、それに江戸時代の注釈絵やくずし字によるテキストをあわせる朗読動画を作成し、週に三作の形で公開を続けている。今年の初めから始まり、この間の金曜日にアップロードしたのは第193段、数えて111作目となる。この分量となるとアクセスの方法に気を使う必要を感じ、ここ数日、集中的に作業をして、Googleサイトを利用した特設サイト作成した。

朗読する章段には、『徒然草』の原作すべてが対象とするものではなく、選択があった。極端に長いもの、短いものを一通り避けた。それから、そもそも注釈の画像が存在しない章段もある。そのため、結果的には、原作244段から140段を選んだ。YouTubeで公開するにあたり、語彙解釈、現代語訳、利用画像の所在、原文を表記する字幕など、多様な情報を付け加えた。一方では、公開が章段ベースなので、特定の章段へのアクセスとして、プレイリストのみだった。しかも作品数が増えるにつれ、リストを開いたらつねに同じ作品が飛び出しても魅力が少ないと考えて、新しく公開したものがリストのはじめに来る方針を取った。一通り役目を果たすだろうが、公開作品の全容を把握するにしても、特定の作品に飛びつくにしても、便利だとは言えない。今度のGoogleサイトは、まさにこの考慮への一つの対応である。

Googleサイトの作り方、作業にあたっての要点や気づいたこと、さらにこれまで作成したいくつかのサイトなどについて、この「note」エントリーに簡単に記した。

朗読動画『徒然草』

2021年1月27日水曜日

サイト&ポスター

サイト記事

Commendation Ceremony for UofC Professor X. Jie Yang (July 8, 2016)

Message from the MEXT Scholarship AAPP President (March 20, 2017)

X. Jie Yang, Fellow Gallery, The Japan Foundation, Toronto (2020)


ポスター

「詩の物語・絵の物語ーー絵巻『胡笳十八拍図』にみる中国と日本ーー」
青山学院大学国際シンポジウム「海を渡る文学ーー日本と東アジアの物語・詩・絵画・芸能ーー」(2006年9月2日)



「帝誅しと帝諌めの物語 : 狩野重信筆「帝鑑図・咸陽宮図屏風」を読む」
日文研フォーラム(2012年3月13日)



基調講演「デジタル時代と古典研究ーー画像資料のあり方を手がかりにーー」
国文学研究資料館「日本古典籍への挑戦ーー知の創造に向けてーー」(2016年7月29日




「物語る絵とその変容ーー絵巻の射程ーー」
国際日本文化研究センター「大衆文化の通時的・国際的研究による新しい日本像の創出」キックオフ・ミーティング(2016年10月12日


「デジタル技術が古典画像にもたらしたものーー「デジタル展示からいと」の制作をてがかりにーー」
KU-ORCASキックオフ・シンポジウム「デジタルアーカイブが開く東アジア文化研究の新しい地平」(2018年2月17日

動画&記事

公開動画

「学習成果披露の場を築くためにーー「カナダ日本語ビデオコンテスト」から習ったことーー」(リンク
JFT日本語教師オンラインセミナー(2018年4月11日)


Japan, Canada, & Me! (July 2, 2018)


A Manga-translation of Visual Commentary on Tsurezuregusa (2:01:15-2:20:53)
JSAC 2020, Japan Studies Association of Canada (ZOOM, October 18, 2020)


新聞記事

Calgary prof gets Rising Sun award
Calgary Herald (June 15, 2016)









Getting to know X. Jie Yang
Faculty of Arts, Alumni Connections (Spring/Summer 2017)


2021年1月16日土曜日

絵で読む徒然草

江戸時代に刊行した『徒然草』注釈書に収めた絵をGIF動画に仕立て、それを週二作公開するというちいさなプロジェクトは、今週をもって完了した。あわせて116作、FBにて「注釈絵で読む「徒然草」」という特設サイト、ツイッターにて「#注釈絵で読む徒然草」タグというのを公開の場とした。数えて58週、中断なしに続けてきて、いささかほっとした。

一口に『徒然草』の絵注釈と言っても、デジタル公開だけでも十に近い底本がある。そこで、『なくさみ草』と『つれつれ艸繪抄』(ともに国文学研究資料館蔵、日本古典籍データセット収録)という代表的なもののみを対象に絞った。すこしでも現代の感覚に近づけようと、注釈絵を四コマ漫画に見立て、パソコン画面にあわせて動画に直した。実際に費やした作業は、原文を取り出し、現代語に訳し、それにあわせて画像を確認するという内容だった。中でも、原文の取り出しに一番苦労した。限られた空間を有効に利用し、かつ中世随筆の妙を伝えようと、緊張の続きだった。はたして最善の結果に辿れたのかどうか、まったく自信がない。いずれにしても、『徒然草』の原文を味わい、絵を見つめるということは、なによりも楽しい経験だった。

すこしずつ修正を加えながらも、予定していた計画は一通り終了した。ただ、『徒然草』に魅せられるという気持ちは、むしろ深まるばかりだった。この探索をもっと続けたい。ということで、もうすこし違うテンプレートを思い描いた。近いうちにそれを形にしたいと考えている。またここでお知らせする。

2020年8月29日土曜日

noteデビュー

ブログホストサイト「note」。知人が書いて公開した文章が目に止まったりして、とりわけそのすっきりした画面が印象的で、気になっていた。ただ、サイトの名前はどうしても編集ソフトを連想させてしまうこともあったからだろうか、あまり深く考えなかった。そこで、同僚の友人に勧められて、あらためてそのあり方を眺め、そして、自分のアカウントを作って、ささやかなデビューをした。

実際に自分のサイトを作り、一つの文章を作成して公開してみると、やはり見えてくるものがある。まずすっきりした画面の特徴は、作者中心というこれまでのほとんどのブログホストサイトの設計と一線を劃したからだと気づかされた。たいていのブログサイトは、作者紹介、先行のエントリーや分類リストなどを前面に掲げて、作者像や運営の方針みたいなものをなんとなくと伝えている。対して、noteは文章閲覧の画面でそれらをいっさい取り払ってしまい、文章そのものへの集中を促した。さらに、手軽な投稿までのプロセス、作者同士の交流への仕掛けなど、提供者の気遣いが伺われる。提供された環境はあくまでも最小限であり、挿入画像は段落と段落の間の、しかも中心の位置にしか置けない、動画はYouTubeなど他のサイトのリンクのみなど、入力の簡潔さと機能の制限はまさに両立している。

これからも少しずつ発信を試してみる。読める内容を提供し、一つのテーマをゆっくり説明するというスタイルを模索して、読者との交流を願いたい。最初のエントリーは、「元祖・四コマ漫画」とした。ここですでに触れたことを噛み砕いて書いてみた。

2020年6月27日土曜日

フェロー記録

国際交流基金トロント文化センターは、成立三十周年記念行事の一環として「フェローギャラリー」を制作し、公開した。これまで国際交流基金フェローの経験者たちからそれぞれの関連する研究成果や個人的な記憶を集めたもので、連絡をうけてさっそく質問項目に返答し、その内容が今週公開された。

これまで同フェローを二回いただいた。それぞれ1996年と2007年である。最初のはいまの勤務校に務めて五年目にあたり、1990年はじめに日本を離れてから初めての再訪である。空港から迎えのタクシーに乗ってそのまま宿舎に向かったこと、鴨川沿いにある京都の交流基金事務所を訪ね、到着の報告をしたあと、昼食をご馳走されたことなど、すでに25年もまえのことだが、妙にはっきりと覚えている。二回目ははじめての長い東京滞在だった。フェローの研究は原則として日本国内に留まるはずなのに、二回も国際大会へ参加し、国外旅行が認められて嬉しかった。ソウルとライデン、恵まれた機会を逃さずに出なければとても叶えられないような出会いはいくつもあった。二回のフェローの経験は、自分の研究生活に大きな恩恵をもたらし、そしていずれも関連の研究活動に直結したのだが、それらのことは最小限に触れるに止まった。

同ギャラリーに登場した名前はすでに20名。カナダにおける日本研究の一端も分かって、とても有意義だと思う。あるいは知っている顔もあるだろうから、どうぞ覗いてください。

Fellow Gallery, The Japan Foundation, Toronto

2019年8月24日土曜日

リソースリストを更新

デジタル・リソース」と名乗って、デジタル公開の絵巻、絵本のリストを作成したのは2015年、それを大幅に更新したのは二年まえだった。あくまでもメモ風に仕立てたもので、個人的な関心が向くままに記し、体裁の統一もさほど拘らなかった。これ関連の変化は目覚ましい。さらに二年経ったので、今週、時間を取ってリンクを確認し、最小限の更新を加えた。

どのリソースも、提供機関においては精力的な作業の結果にほかならない。それにもかからわず、部署の統合改変などが大きな理由だろうか、中身が継承されていても、プロジェクトの名前の変更などが目立つ。さらに、それが理解出来ても、入り口のリンクまで変わってしまい、新しいサイトへの連結がほとんど行われていないことにはやはり意外だった。率直な印象として、機関内部でデジタル作業の立ち位置にさまざまな変化が起こり、その多くはより重要視されるようになるものだが、外部ユーザーの存在はあまりに考慮に入れていないのではないかと思われる。したがって今度の更新は、同じ機関にあったリソースがきっと存続しているとの見立てから根気よく検索し、それでも見つからなかった三機関も途中結果の形でリストの最後に残した。

この二年間の間に起こった一番大きな変化は、やはりIIIFの普及をあげなければならない。この新しい規格により、デジタル画像の画質やアクセスの方法において格段な飛躍が見えた。優れた再利用の波がやってくることを期待しつつ、あらためてありがたい気持ちを記しておきたい。

2015年8月22日土曜日

絵巻詞書集

貴重な文字文献としての絵巻の詞書を纏めて電子テキストにし、いろいろな使い方に備えるということは必要だと、前からずっと気になっていた。単純なものだが、なかなか現われてこない。ならば、個人の読書メモも兼ねて作ってみようと思い立ち、夏休みも終わり近づいているここ数日、実行に移った。さっそく最初の形が出来たので、ここに記しておく。

いまのところ、対象に取り上げたのは、とりあえず10作品。短いものは、「結城合戦絵詞」で70行程度、対して「石山寺縁起」はあわせて900行も超えた。詞書の原文を提示することが目的なので、句読点やカギ括弧など一切排除して、適宜に濁音点を付け加える以外、原文をそのままテキスト化することに徹した。やや例外なのは「吉備大臣入唐絵巻」と「伴大納言絵詞」の二作品だけで、ほとんど仮名のみなので、読み下しを付け加えた。電子リソースを提供することがそもそもの出発点なので、絵巻そのものがオンラインで公開されているものについて、リンクを貼り付けた。公開されたものの形も画像の画質もさまざまだが、それにしてもこれだけすでに公開利用が可能になっていることは、現状点検という意味においても、有意義なものだった。加えて、絵巻の摸写もリンクの対象とした。いまだ正面きっての模本研究が少ないが、いずれはしかるべき注目を集めることだろう。そういう立場からすれば、特定の絵巻についての論考もオンラインで多く読めるようになったら、そういう情報のリンクも必要になってくるだろう。

20150822今度は、ページのデザインにさほど時間を使わず、単純に印刷物をイメージする白黒にした。しかしながら、縦書だけは出来ないと話にならないので、辛抱つよく対処方法を探った。さいわい「htvR.js」という名の、とてもよくデザインしたテンプレートにたどり着くことが出来た。これを用いた縦書き表示は、テキストをそのままコピペして利用することも可能だし、スマホやタブレットでの表示にも対応している。クレジットをはっきり付けて、使わせてもらった。

絵巻詞書集

2015年7月11日土曜日

リソースリスト更新

周りは夏休みまっただ中。その中で、大学では使用しているオフィスの中のものをすべて一時移し出すというかつてない作業をさせられ、かなりの労力と時間を費やした。それも一段落したところ、ずっと気にかかっていたデジタル・リソースの更新を集中的に取り掛かった。公開されている作品名まで添えて、さらにすこし違う読まれ方ができるのではないかと期待している。

あらためて見てみれば、このリストを作ったのは、すでに六年も前だった。デジタルリソースそのものは、まさに生きもののように世の中で増殖している。対象を絵巻や奈良絵本に限定して見ても、新しく増えたり、読者に惜しまれながら消え去っていったりするものは、じつに多くあった。それらの一つひとつには、どれだけの関係者の努力や、外部には知られていない苦労や葛藤があったのか、想像に難くない。あくまでも利用者の立場からの観察からすれば、苦言あるいは提言について、つぎの二点どうしても記しておきたい。一つは、リソースのリンクアドレスレベルの調整はあまりにも多いことだ。おそらくサーバーの更新や整備などに伴う結果だろうが、ひいては々図書館の中での互いのリンクがすでにつながらないようなケースも複数見られた。このリソースリストの作業としては、一旦作られたものはきっとどこかにあるものだと狙いを付けて取り掛かり、キーワードを用いて機関内ではなくインターネット全体を対象にしてサーチする方法でなんとか対応できた。もう一つは、いくつかの機関において、文庫など特殊蔵書ごとにデジタル化し、公開を行っている。おそらく予算の取り方など機関内部の理由があるだろうが、外部一般に公開する場合、きわめて伝えづらい。

六年以上も年月が経ったが、新しく増えたリ機関数はけっして多くない。一方では、一番大きな変化と言えば、デジタル化された絵巻や奈良絵本は、公開機関のカタログに溶け込み、その一部になったことだ。そのような資料は、けっきょく図書検索の要領で対応するほかはない。そのため、リソースリストの内容としては例示に留まることしか出来ず、致し方がない。だが、絵巻などを対象にこれをデジタル資料にして公開するということは、多くの機関において、資料利用方法の模索と、蔵書内容の宣伝という側面を最初からもっていた。そこから考えれば、デジタル化する方法を確立し、絵を持たない古写本まで対象を広め、さらにそれを全体の蔵書の中に戻すということは、まさにデジタル環境の進化を端的に物語っていると言えよう。

2015年7月10日金曜日

デジタル・リソース(増訂版)

--絵巻、奈良絵本を中心に-- 大学付属図書館
東北大学 デジタルコレクション
✤赤穗記彩色繪;赤穗義士繪卷;石清水放生會繪卷;梅津長者物語;繪師草紙;大江山繪卷;高野大師行状圖畫;勝畫;菊池軍記繪卷;公方樣御成行列之圖;雲井の秋;後三年合戰繪詞;三十二番職人哥合繪卷;職人盡歌合;新撰三十六歌仙;相撲繪卷模本;鷹野繪;檀林皇后廿七歳命終九想之圖;追儺圖;納經行列繪卷;子日遊圖;年中行事;放屁之卷;百鬼夜行;福富草紙;身延山主日楹登;上行列繪卷;御行幸の次第;蒙古襲來繪詞;融通念佛縁起繪;融通念佛縁起繪卷筆者畫工考;驪黄物色圖;往生要集繪;儉水堂器用之策;職人盡歌合 
東京大学 総合図書館所蔵古典籍
✤電子版「百鬼夜行図」絵巻
東京大学史料編纂所 
玉ものまへ
慶応義塾大学 奈良絵本コレクション
あゐそめ川;あみだの本地;雨わかみこ;安珍清姫絵巻;伊勢物語;伊勢物語小絵巻断簡;磯崎;いそさき;伊吹;うらしま;浦島太郎;絵源氏;扇合物かたり;扇の草紙;をときり;小倉山百人一首;かけきよ;かさしのひめ;花鳥風月;くはんをん本地;きわう;ぎょうしゅん;熊野權現縁起;源氏物語・存葵;源氏物語抄出;小敦盛;こふしみ;四十二乃物諍;しゆてんとうし;しゅ天童子;酒呑童子;清少納言枕草子詞;是害坊絵巻;たからくらへ;竹取物語;玉たすき;俵藤太;土くも;常盤の嫗;ときはのうは;ともなが;鳥歌合画巻;七草ひめ;はしひめ;八幡本地・蓬莱物語断簡;はもちの中将;彦火々出見尊草子;ひしやもん;ふせやの物語;文正草子;ふんせう;辨慶物語;判官都ばなし;虫物語;物くさ太郎;もんしゆ姫;やひやうゑねすみ;夕雲雀;ゆみつき;六代;六波羅地蔵物語;わかくさ
早稲田大学 古典籍総合データベース
✤(絵巻にて検索)後三年合戦絵巻物詞書;花咲爺絵巻粉本;長崎阿蘭陀屋敷絵巻;源氏流瓶花規範絵巻;げんじ今様絵巻あふひ;今様源氏絵巻 : はつのごげんおしききぬぎぬ;絵巻物五十四帖 : 葵;げんじ今様絵巻わかむらさき;今様源氏絵巻 : 忍び頼阿古木の宇良;源氏物語絵巻断簡 : 須磨;三十六歌仙絵巻;職人尽絵巻;紫式部日記絵巻;十二神将絵巻物詞書;地獄絵巻;日光山東照宮大祭行装絵巻;職人尽絵巻物. 乾,坤;明和二年宇和島藩狩猟絵巻;屁合戦絵巻;源氏五十四帖絵巻;風俗絵巻;敦盛絵巻;寳生勧進能絵巻;合戦絵巻;江戸時代風俗絵巻;平安貴族風俗絵巻;仏鬼軍絵巻;時代不同歌合絵巻 : 模本;卜養狂歌絵巻;尾張家外山御庭絵巻物;後三年絵巻;前九年合戦絵巻;関ヶ原合戦絵巻;桜田事変絵巻 : 水戸浪士奮闘之図;求賢絵巻物之訳;十二ヶ月風俗絵巻;舟山島画巻;室町物語;三十六歌仙;随身騎馬人物図;道成寺之絵;十二類絵詞;長崎港南京貿易絵図;年中行事絵抜書
筑波大学 電子化資料・貴重書コレクション(→奈良絵本)
✤住吉物語絵巻;文正草子;一尼公さうし;浦風;住吉物語;しやかの本地
立教大学 竹取物語絵巻、竹取物語貼交屏風
國學院大學 貴重書・コレクション画像データ
✤伊勢物語;磯崎;咸陽宮絵巻;木曽物語絵巻;恋塚物語屏風;呉越絵;酒呑童子絵巻;大江山酒呑童子絵貼交屏風;大織冠;竹取物語絵巻;張良絵巻;平治物語 常盤之巻;堀川夜討絵巻;ものくさ太郎;住吉物語;田村の草子;ひいな靏;百鬼夜行絵巻;舟のゐとく;平家公達草子絵巻;義経奥州落絵詞;羅生門絵巻 
東洋大学 貴重書デジタルコレクション
✤をこぜ;松姫物語;化物婚礼
駒沢大学 電子貴重書庫
✤熊野の本地;是害房絵
白百合女子大学 貴重書画像コレクション
✤いづみがじやう;いさよひ;釈迦の本地;うばかわ;小おとこ;七草;さされ石;うらしま;大江山子易物語絵巻;伊吹山酒顛童子絵巻;福富草子;浦島太郎詞書;四十二物あらそ似 
明星大学 奈良絵本絵巻の世界
✤絵本平家物語;絵巻北野通夜物語;絵巻十番切;絵巻文正草子;絵本新曲;絵本徒然草;地誌一目玉鉾 
都留文科大学 デジタル化資料
✤冨士の人穴;冨士の人穴の由来;福富絵巻 
岐阜大学 奈良絵本
✤小しきふ 
京都大学 貴重資料デジタルアーカイブ(→彩りの挿絵、吉田南総合図書館所蔵)
✤伊勢物語;宇津保物語;烏帽子折草子;雁の草子;妓王;國女歌舞伎絵詞;車僧ノ巻物;西行物語;しほやきぶんしやう;四十二の物あらそひ;玉藻の前;付喪神;弁慶物語;病草子;寛永行幸絵巻;年中行事絵巻;五節渕酔之屏風絵;祇王物語;菅丞相;七くさ 
龍谷大学 貴重書画像データベース
✤三十六歌仙絵巻;異なものじゃ物語絵巻;狂歌絵巻;源氏物語絵巻;一休骸骨絵巻;大織冠;竹取物語;竹取物語;長恨歌;大和物語 
佛教大学 デジタルコレクション
✤いはや;大江山奇譚;十二月あそひ;法然上人形状絵図;羅生門 
立命館大学アートリサーチセンター 「酒呑童子」研究所
✤ビゲロー本「酒呑童子」絵巻;古法眼本系「酒伝童子絵巻」三巻 
大阪大谷大学 電子版貴重図書コレクション
✤長恨歌絵巻;俵藤太絵巻;酒天童子絵巻;大原御幸;志都香;ぶんしゃう;大職冠;鶴の草子;鉢かつき;夜うちそか;夜討曾我;百合若大臣絵巻;伏見常盤;満仲殿雙紙;十番きり;秋月;張良;いわや;七夕の草紙;布袋の栄花;住吉相生物語;さざれ石;玉藻前草子;源氏和歌絵巻;福富草紙絵巻;三十六歌仙絵巻;名所十二景絵巻;中将姫;七くさ;大はしの中将 
奈良女子大学 奈良地域関連資料画像データベース
✤転害会図絵(手向山八幡所蔵電子画像);多武峰縁起絵巻ほか(多武峰談山神社所蔵電子画像集);袋中上人絵詞伝(山城郷土資料館寄託電子画像);海住山寺縁起(海住山寺所蔵電子画像);橋柱寺縁起(大智寺所蔵電子画像);蟹満寺縁起絵巻(川崎大師平間寺所蔵電子画像);日張山縁起絵巻(青蓮寺所蔵電子画像集);当麻練供養図(誕生寺所蔵電子画像);春日権現験記絵模本(奈良女子大学所蔵関連電子画像集) 
奈良教育大学 奈良絵本
✤熊野の本地;烏帽子折;しぐれ 
広島大学 奈良絵本室町時代物語
✤伊勢物語;すヽめの夕かほ;硯わり;住吉物語;たはら藤太;中将姫;つるのしうけん;はちかつき;花世姫;ふんせう;やしまのさうし;横笛草紙;よしのふ;頼豪阿闍梨絵巻 
愛媛大学 電子図書館
✤多田満中 
九州大学 貴重資料
✤(絵巻にて検索)竹取物語絵巻;うつほ物語絵巻;絵巻物語今様姿;しゆてんとうし;奈良絵本では、;文正草子;文正物語;程嬰杵臼豫譲繪詞;竹とり物語;たまも;たまも下;曽我物語;ふんせう;たなばた;いせ物がたり;中将姫
図書館、美術館

国立博物館 e国宝e国宝
✤(絵巻にて検索、38点)
東京国立博物館 カラーフィルム検索
✤(絵巻にて検索、227点) 
国立国会図書館 デジタルコレクション
✤(絵巻にて検索、241点)/絵入り本の様ざま
国立公文書館 デジタルアーカイブ
✤桜町殿行幸図;琉球中山王両使者登城行列 
サントリー美術館 コレクションデータベース(絵画→絵巻)
✤四条河原風俗図巻;鼠草子絵巻;善教房絵巻;和歌の橘図巻;扇の絵尽し絵巻;天稚彦物語絵巻;酒伝童子絵巻;吉原風俗図巻;伏見常盤絵巻;雀の小藤太絵巻;小敦盛絵巻;浄瑠璃絵巻;放屁合戦絵巻;西行物語絵巻;熊野本地絵巻;道成寺縁起絵巻;おようのあま絵巻;西行物語絵巻;隅田川名所図巻;住吉物語絵巻;藤袋草子;三十二番職人歌合絵巻;十二ヶ月景物絵巻;新蔵人絵巻;玉藻前草子絵巻 
日本芸術文化振興会 文化デジタルライブラリー
✤国立能楽堂が所蔵する能楽資料の内、文献・絵画の画像データ約2,000点 
京都府立京都学・歴彩館 京の記憶アーカイブ(→画像ギャラリー、古典籍・図書)
✤繪卷物長谷雄卿逢羅城門鬼神之圖;土蜘蛛之草紙;百鬼夜行圖 
神戸市立博物館 名品選(→中世の神戸)
✤小敦盛絵巻;源平合戦図屏風一の谷・屋島合戦図;源平合戦図屏風 屋島合戦図;一遍上人絵伝(断簡) 
秋田県立図書館 オープンライブラリー
✤御曹子島渡り;佐竹本三十六歌仙絵巻 
内藤記念くすり博物館 収蔵品デジタルアーカイブ
✤天神縁起;ささやき竹;いさよい;夜打曽我;和田酒盛;敦盛;花鳥風月   
研究機関

国文学研究資料館 新奈良絵本画像データベース
✤唐糸草紙;ささやき竹;しつか;住吉物語;火おけのそうし;文正草紙;法妙童子;狭衣;みなつる;御所まと;文正草子;保元平治物語絵;しつか(屏風);転寝草紙;貼交屏風;大黒舞;小敦盛;小男の草子;大橋の中将 
国際日本文化研究センター 絵巻物データベース
✤地獄草紙絵巻;鳥羽絵巻;長谷雄草紙;寛永行幸図巻;中納言長谷雄卿図巻;百鬼夜行絵巻;化物婚礼絵巻;道成寺縁起;土蜘蛛草紙;酒天童子繪巻;化物尽絵巻;伊吹山酒呑童子絵巻;吉光百鬼ノ図;土佐光起百鬼夜行之図;滑稽百鬼夜行絵巻;田原藤太秀郷;妖怪絵巻;付喪神絵詞;道成寺縁起;武家はんじょう;福富長者物語;風俗画巻物;小町十相図;玉藻前物語絵巻;藤袋の草子;禽獣図巻
参考リンク、関連記事
文化庁 文化遺産オンライン (部分公開の情報を含む)
藤原重雄 リンク集・デジタル奈良絵本
笠羽晴夫 デジタルアーカイブ百景(2006-01~2008-11)
山本和明 「日本古典籍コードの国際標準化」成果報告書(2014年度)
つぎのサイト、アクセスできなくなった
青山学院大学 本学デジタル資料 ✤みぞち物語
中京大学 電子図書館 ✤花鳥風月;大職官;築島;ひめゆり
諏訪市博物館 竹取物語絵巻

(更新:2017-09-09, 2019-08-23

2013年1月19日土曜日

学生の作文

今学期の担当授業の一つには、作文指導がある。すでに数回用いた方法を再開して、一つのテーマを決めてもらい、週一回の作文を課して、その結果を特設のブログで即公開するという方法を取った。いわば作文のマラソンであり、しかも結果を公にすることをもってそれぞれのやる気や緊張感を引き出すものだ。前回の同じクラスに較べて学生人数は倍以上になって、今度は自分の気力がどこまで続くかが、課題の一つに上がった。

学生たちの作文は、言葉通りに多彩なものだ。すでに秋コースで教えていた顔ぶれもかなり入ってはいるが、やはりこちらからの講義と違って、思い思いに書かせてしまうと、それぞれの性格が実に生き生きと浮かんでくるものである。しかもいまの大学生は、まさにいわゆるソーシャルの環境で育った世代で、不特定多数に向かって個人の経験や思い出を語ることにすこしも躊躇を覚えていないように見受けられる。その陽気な振る舞いは、読む人を奮い立たす不思議な魅力を持っている。そして、そもそも日本語による作文だからだろうか、内容には日本との接点が多い。言葉の勉強以外、実際の経験はかなり限られ、しかもあったとしても大分昔のものになったものも多いはずなのに、文章からはそのようなニュアンスがほとんど感じられない。ここにも、思いの入れようや記憶の仕方が垣間見られて、興味深い。

あくまでも言語表現に限ってのことだが、文章には逐一手入れを施してある。クラスの中や個別のやりとりを通じて出来るかぎりの確認や説明などをしているが、それにしても教育の方法としてはたして最善なのかどうか、十分な自信があるわけではない。これだけは、学習者の感覚、そして何よりも時間を経ってからの結果から判断しなければならない。丁寧に観察をしたいものだ。

日本語作文ボード

2012年8月19日日曜日

注釈付き奈良絵本研究書デジタル底本

『御伽草子』(日本古典文学大系38、岩波書店、1958年)
「あきみち」
あきみち(国立国会図書館・デジタル化資料)
『御伽草子集』(新潮日本古典集成34、新潮社、1980年)
「小敦盛絵巻」
小敦盛(慶応義塾大学・奈良絵本コレクション) 
「弥兵衛鼠絵巻」
やひょうゑねすみ(慶応義塾大学・奈良絵本コレクション)
『室町物語集』(新日本古典文学大系54-55、岩波書店、1989年)
「雁の草子」
雁の草子(京都大学・絵巻物奈良絵本コレクション)
「さゝやき竹」
ささやき竹(国文学研究資料館・新奈良絵本画像データベース) 
「大黒舞」
大黒舞(国文学研究資料館・新奈良絵本画像データベース)
「毘沙門の本地」
ひしやもん(慶応義塾大学・奈良絵本コレクション)
『室町物語草子集』
(新編日本古典文学全集63、小学館、2002年)
「文正草子」
文正草子(筑波大学・電子化資料) 
「御曹司島渡」
御さうし島わたり(秋田県立図書館・所蔵貴重資料)
「ものくさ太郎」
おたかの本し物くさ太郎(国立国会図書館・デジタル化資料) 
「磯崎」
磯崎(慶応義塾大学・奈良絵本コレクション)
「中将姫本地」
中将姫本地(東京大学・電子版貴重書コレクション)
                                        更新:2012-08-19、2017-04-08

2010年8月7日土曜日

書き人知らず

書き手の名前が記されていない匿名メールは、そもそも削除して読まないと相場が決まっている。しかしながら、時にはまったく違う文脈でそのようなものに出会う。今週も一度そのような経験をした。

なにげなく入ってきたのは、二年半ほどまえに公開した「義経地獄破り」サイトに関連するものだった。一点の間違ったリンクの存在を指摘してくれた。完全にサイト作業の手落ちで、これまで気づかなかったのが不思議なぐらいだ。メールの内容は、とても親切。間違い指摘という用件とともに、青森のまつりに出かけてこの作品のことを知り、インターネットであれこれと調べて音読の試みにたどり着き、さらにファンタジックな古典をもっと読みたいなど、朗らかな内容だった。このような読者に役立てるとは、うれしいかぎりだ。いうまでもなくさっそく間違いを訂正し、お礼の返事を送った。

和歌では、無数の「詠み人知らず」の作品が存在する。それにならっていえば、匿名のメールは、まさしく「書き人知らず」と言えよう。返事を期待する、関わりを明記させるなどと思われなくない、という遠慮の表われだろう。きっとそれに違いないと思う。

2009年11月28日土曜日

学生のビジュアル表現

普段の生活を大きく乱してしまう大雪は、年に一度は降る。朝起きて降り積もる雪に嘆くときが多いが、昨日はそれが夕方のラッシュに起きた。10分程度の距離は一時間か二時間以上も掛かってしまって、とんだ週末となった。

雪本番を迎えつつ、大学では学期の終わりに近づき、どの授業も纏めに入った。学期末試験はほぼ作成できて、来週明け早々にも印刷に回し、初級クラスは残るは講義一回だけで、あとは小テスト、それにグループ発表のみだ。書きたての原稿を手にして、せわしく話し合っている学生の姿が目立ち、動画で提出しようと、撮影のロケも「野次馬組」まで交えて行われていたりして、ほほえましい。

今学期の新しい試みの一つに、少人数の作文のクラスにおいて、作業を週一度にオンラインに公開するというやり方を取った。どうも学生たちの波長にかなり合ったらしく、予想以上の手ごたえを感じた。そのクラスも最後の一回のみとなって、写真の使用を制限するというこれまでの方針を外して、今度はビジュアルによる表現、という要求を出した。

英語圏で生活していて余計に感じることだが、ビジュアル手段を生かして表現を豊かにするということに掛けては、日本の文化にかなりのマジックパワーが隠されている。それは、百年千年の伝統を持ち出すまでもなく、毎日の生活の中で目に入ってくる新聞、雑誌の紙面、あるいは街角に充満する広告ポスターなどを眺めれば十分に感じ取れる。ビジュアル表現をするために、異なる手段ひいては絵描きなどの能力が必要だ云々と議論する以前のものである。

いうまでもなく日本語のクラスでビジュアル表現法を教えているわけではない。だが、そこが若い学生たちの驚異的な吸収力だ。絵描きを習っていなくても、日本語の発音やセンテンス構造との格闘とともに、日本ならではのものがいっぱい目に入っていて、それを肌で感じ取り、表現に取り込む。その感性がどのように無理難題な宿題に反映されることだろうか、はなはだ興味深い。

日本語作文ボード

2009年10月3日土曜日

絵に耳を欹てる

絵巻のありかたを考える場合、絵を一つのメディアとして眺めるということは、さまざまな新たな視野を開けてくれる。メディアとしての絵に注目すれば、それに並ぶメディア、読むものなら文字あるいは記号やサイン、体の五感でアクセスするものなら音、味などがあると言えよう。

この中では、おそらく音/声のことが一番魅力的ではなかろうか。絵や文字とはまったく異なる次元のものでいながらも、一方では、読まれるものとはつねに互いに支えあうような関係にあって、緊密な連動が認められる。とりわけ多くの人間が文字を読めなかった、あるいは絵そのものに簡単にアクセスできなかった昔の時代であれば、音のメディアとしての役目がとりわけ際立った。

そのような音のことには、なぜかつねに一種の魅力を感じる。できれば、中世の、絵巻が盛んに読まれた、楽しまれた時代のことが知りたい。だが、どうやって探求すべきだろうか。録音という手段も、そのような可能性への想定もまったくなかった時代のこと、はたしてどこまで模索できるものだろうか。そもそもどこを出発地にし、試しの一歩を、どこから踏み出したらよかろうか。手探りの状態だが、その難しさでさえ一つの刺激に変わった。

じつは、これをテーマにしたささやかな論考を試みた。中世の日記から得られた実例、踏襲される表現様式にまで成長した絵の構図、絵巻作成にあたっての自覚と覚悟と、一つの絵巻をめぐるいくつかの側面を意識的に同じ土俵に並べてみた。その論考が先週出版されたことをここで報告したい。

『文学』第10巻第5号

2009年7月18日土曜日

音読・蒙古襲来絵詞

「音読・日本の絵巻」に新しいタイトルを加えた。『蒙古襲来絵詞』である。

これまでの音読のどのタイトルもけっして「易しい」ものがなかったが、「蒙古襲来」のこの一篇は、詞書との格闘となれば、また格段だった。文字の分量は約9200字、原文と現代語訳の音読は合わせて70分をちょっと超えた。上質な全巻写真、さまざまな研究による翻刻や語彙、段落の内容検討など、基礎的な条件がかなり整備されていると言わなければならない。それに加えて、詞書の原文には人名などの漢字語彙には多くの振り仮名が付けられていることも、声に出して読むためにはなんとも有り難いものだ。

それでも、やはり難しかった。

まず一番に挙げたいのは、詞書に消えてしまったものがあまりにも多いことだ。中世から伝わる絵巻には、詞書の散逸はむしろつき物だが、この一篇はとりわけ違う。なにせ段落ごとだけではなくて、連続して一行に数文字ずつ読めないのだから、およその意味合いが推測出来ても、声に出して読むにはいかにも響きが悪い。

二番目は、その特殊な文章のスタイルだ。かなりの長文にも関わらず、その多くはまるで自分の子孫のために書いたものだとも思えないような、内輪でない人間にはとても伝わりにくい書き方だった。あえて言えば、共に戦場を潜り抜けた者同士、ひいては著者自分自身にしか分からないような内容ばかりだった。分かってもらうという意識の希薄さと、膨大な作業を経ての絵巻の作成という行為との距離は、いったいどのような精神構造に支えられたのだろうか。もともとそのような困惑に襲われながらも、声で伝えるということを考えれば、文字よりは音のほうがいく分読者に届けやすいのではなかろうかとも思った。もちろん、それは音読するこちらの理解が間違っていなければの話に限るものだが。

このタイトルの作成に大いに助かったのは、全巻にわたる現代語訳がすでに施されたことだ。大倉隆二氏の『蒙古襲来絵詞を読む』(海鳥社、2007年)である。インターネットに公開されている情報を辿って、唐突に著者に連絡を取ったところ、さっそくのご快諾が届けられて、感謝に堪えない。努めて翻訳文を変えないで、読むための情報(注釈的な人名や年号、語彙単位の言い換え)を一部省略して朗読した。著者の意図を大して背かなかったことを祈るのみである。

最後に、技術的なことを一つ記しておきたい。詞書の掲載は文字テキストによる縦書きに拘ってきた。しかしながら、安心して対応できるのはいまだ「Internet Explore」のみ。日増しにユーザーを増やしている「Firefox」、「Chrome」などへの対応の方法もあれこれと報告されているが、どれも便宜的なもので、ブラウザーの更新には対応しきれない。仕方なく「Internet Explorerにて縦書きの詞書をご覧ください」との一行を加えた。

音読というささやかな試みは、名作の絵巻が楽しまれ、勉強や研究の場でもすこしでも役立てればと願う。

音読・蒙古襲来絵詞

2009年7月4日土曜日

会話の日常

大学の研究室にいれば、ときどき誰かがドアを叩く。たいてい教えた、あるいはこれから教えるであろう学生だが、大学という場にさほど縁のない人も現れる。勇気をもって訪ねにやってきたということが顔に書いてあるような、畏まった姿勢であり、こちらもいつになく丁寧に対応する。

そのような知らない人々との会話は、どこかスリリングでさえある。まずどの言語を使うかを判断するところから始まる場合が多い。英語が母国語かどうかは、ほぼすぐに見当がつくが、英語でなければ、それが中国語、日本語、ひいては韓国語のどれかとなると、服装や身なりでは簡単に見分けられない。中国語だと言われても、台湾や香港ならなんとか気づくが、マレーシア、ベトナム、あるいはインドネシアなどとなれば、本人が説明するまでとても区別がつかない。しかも共通の母語が中国語だと互いに了解したとしても、そのまま英語での会話を続けたいとの人もけっして少なくない。

短い会話を成し遂げるためには、互いにどのような知識を持ち、どの分野に関わり、どういう結論が期待されるかを把握することが肝心だ。なにせ突然持ちかけられてくる話題は、あまりにも広い範囲にわたる。それこそ小学生でも知っている漢字の書き方や意味から、骨董品の鑑定メモ、自作の漢詩、法律書類の説明など、見ず知らずの人にさっと見せてよいものやら、あるいは逆に知らない人だからこそ見せてしまったのではないかと、こちらが考えさせられるものばかりだ。

先日もそのような訪問客がいた。今度は、本人では解けないという一点の禅詩を持ち込まれた。努めて分かりやすい言葉に置き換え、似たような詩の読解要領などまで交えて説明してあげた。こちらの話をどこまで理解してもらえたのだろうか、あのようなアプローチではたしてためになったのだろうか、その人が帰った後もなぜかしばらくずっと気になっていた。

大学という職場ならではの、一つのユニークな日常風景である。

2009年6月27日土曜日

声の今とむかし

                   (「CAJLE Newsletter」2009年6月号より)
大学での講義は四月に終わり、例年と同じように九月までは研究に専念する時間だ。今年は、一年以上前から約束していた一篇の雑誌論文をまず書き上げること。そのテーマは、日本中世の声である。

わたしの研究対象は、絵巻という、きわめて日本的な要素の強い中世の古典だ。典型的な絵巻は、詞書と絵とが交互に書き入れられる。このような作品を理解するために、声という視点を持ち込むというアプローチのきっかけは、しかしながら、いたって現在的なものだ。それは、マルチメディア。これまで文学と言えば、言葉の通りの、文によって成された学問であって、文字によって記録された資料に限定してきた。文字記録は当然一つのメディアであるが、それが一つのみで、比較する対象を視野に取り入れないがために、メディアという目で眺めることが少なかった。それに対して、絵巻は絵と文字という異なる記録方式によって成り立つ。ビジュアルとテキストと、メディアの競演だと捉えれば、そこに自然に音声という要素が浮かびあがってくる。りっぱなマルチメディアだ。

このように、メディアという角度から物ごとを眺めてみれば、さまざまなことに気づくようになる。話はだいぶ飛ぶが、たとえばわたしたちが仕事にしている日本語教育について考えてみよう。日本語学習者を育てるには、声、声を発する、しゃべってもらうことは、言語能力を図る上で何よりも大事な指標だ。発音、イントネーションなどは、学習者の成績判定が難しい。筆記試験となればいい成績が取れても、会話となるとまったく満足に交流できないという学生の苦労を、われわれは数え切れないほど知っている。また、反対のこともある。話すことをもって言語能力のすべてだと考えるあまり、会話能力のみをもって勉強の結果を判断しようとする。かつてかなり広く使われていた教科書があって、その全編にわたってすべてローマ字表記にしたものだった。仮名や漢字の読み書きなどは一切不要で、会話だけに専念してよいとの意図がありありだった。一つのメディアへの極端な傾斜だったと言えよう。

ところで、日本の古典を考える上で、メディアについての観察からどのような手がかりが得られるのだろうか。まず、明らかなことだが、録音機といった便利な道具は現代の特権であり、これに恵まれなかった中世の声そのものは、たとえば古典芸能や古来の祭りの伝承を信じる以外、そのあり方を伺うことなどもう不可能なことだ。しかしその反面、中世の声が聞けなくても、それをめぐるさまざまな情報が文字や絵などの形で伝わり、そこから声の様子をさぐることができる。一つの資料群を挙げてみるとなれば、中世の文化人が記した日記がある。これは膨大な分量に上るもので、いまやその多くがデジタル化されて、オンラインで検索することまで可能だ。その中から、いろいろな声が聞こえてくる。たとえばつぎのような記録がある。ある文化人が旺盛な勉強意欲を満足させるために、忙しい日常の中で、食事などの間に仕える人に書籍を読み上げてもらった。まさに人間録音機よろしくといった、ほほえましい風景ではなかろうか。それから、日本古典の核心を成す物語は、まさに「物を語る」行為から出来上がり、口から耳へという伝達を基本としたものだった。したがって、一部の学者によれば、声を出さないで本を読むという黙読は、近現代ならではの行動であり、古代、中世の人々には、声を出しての音読以外、読書する術をまったく身に着けていなかったと、いささか極端な意見まであった。

高々と読み上げられ、語られる声を伴う絵巻の鑑賞は、したがって声があるゆえの場、時間、ないし読者たちの精神のありかたを現代のわれわれに伝えている。声のある、いや、エネルギーに漲った声が充満する日本中世の時空への旅は、知の刺激が詰まっていて、まさに興味が尽きない。