2014年12月28日日曜日

ドリーム

年末にかけてささやかなバケーションを取った。言葉通りの休憩が目的なため、典型的な観光地を選び、あとはただなにかをするわけではなく、リラックスして時間を過ごした。その間の一つの愉しみは、舞台を見ることだった。今度見た中でとても印象に残ったのは、「ドリーム」というタイトルのものだった。

20141227劇場は、十数メートルの高さをもつ円形のホールで、2000人ぐらいの観客席が均等な円形をなす。席に着いて見下ろす劇場の中央は一面の水、やがてパフォーマンスの展開にしたがって中央には円形の台が水から上り出して舞台となり、水の中に消えて深さが計り知れないプールとなる。俳優たちは空中からロープに伝って登ったり降りたりして、立体的に舞台を構成し、ハイライトの一つには、ホールの頂上からプールの中に飛び込むものがあった。色鮮やかな服装、眩いライトや重厚な色彩、火炎やスモーク、それらが織りなす空間は、まさに幻想的なものだった。そこで、タイトルとなる「夢」である。色彩や音楽などは、十二分に現実離れした夢の世界を演出しているのだが、それでもストーリが必要だった。ただそれはじつに単純なものだった。普通の服装をした一人の少女がまっさきに登場し、ベンチに横になって眠りに入る。そしてさまざまな苦難や奮闘の果てに、その彼女が手に入れた夢というのは、白馬の王子よろしくと、一人の美男子が現われ、二人揃って空中へと登っていくというものだった。あっけないぐらい分かりやすい。

つきつめて言えば、舞台の内容は水上サーカスだった。ただし、難度の高い技の完成を見せ場としないのは、演出のミソだと言わなければならない。思えば、子供のころから「雑技」という名の舞台を数えきれないほど見てきた。だが、それらのすべての記憶を色あせさせたこの舞台は、まさにストーリを擁しながらの、視覚要素を総動員した演出にそのインパクトの秘密があったのだ。

2014年12月20日土曜日

プレゼント交換

大学での講義が終わって二週間経った。週末までにはようやく採点を終え、「D2L」という名の学内情報システムに学生の成績を記して提出し、今学期の授業関連の仕事はこれで完了ということになった。新学期は新年最初の週から始まり、それまでに短い冬休みに入る。

まわりはまさにクリスマス。さまざまな心暖かい行事は繰り広げられ、たとえばこのような一つがあった。クリスマスと言えば、友達も家族同士もプレゼントを交換する。そこで今年から就職した若者と雑談して、会社で用いられた一つの方法を教わった。20人そこそこの小さなグループの中で、全員平等にプレゼントを持ち寄って、交換するという定番である。普通に考えられるのは、一斉に出してランダムに選ぶ、あるいはもうすこし凝ったやり方で、もらってもらう相手を事前に抽選して決めておいて、その人のために最適のものを選んであげる、といったようなものがある。だがそこの会社はもうちょっとひとひねりを加えた。それはこのような内容である。まずはみんなで予算を決めておく。石油会社だが、今年の場合は20ドル。そこで人数分のプレゼントがラッピングされて集まったら、今度は「取り合い合戦」となる。最初の一人は一個取り出して、みんなの前でラッピングを開ける。中身が分かった状態でつぎの人は新しく一個取り出して開けるか、あるいは前の人のも20141220のを取り上げるかという選択ができる。手に入れたプレゼントを取り上げられたら、再び再スタートできる。これの繰り返しだ。すなわち最終の状態ではすべてのプレゼントの内容が分かり、かつ同僚全員はそれを少なくとも一回は選び、かつ選ばれるほど選ぶ機会が増える、という内容の「合戦」なのである。ちなみにどのような方法にせよ、プレゼント交換会のことを「シークレットサンダ」と呼び、予知しなかったサンダからのお土産をいただくという、ありがたいネーミングなのだ。

他愛もない日常であるが、その中で手の込んだルールを作り、これをみんなで夢中に愉しむ、はなはだ西洋的な光景の一つなのだ。

2014年12月13日土曜日

歴史フィクション

今年の秋学期はあっとという間に終わった。例年のようにコースの終了に合わせて学生たちにレポートを書かせている。限られた枚数で一つのテーマについて調べ、まとめるという大抵の講義に用いられている要求には学生たちもずいぶんと慣れていて、しかも現実的にはいくつかのコースのために似たことを集中的に取り掛かっている。そのような一種のマンネリ化を避ける意味もあって、歴史課題についてフィクションものを書いても良いとの要求を出した。さらに形式にも努めて新味を取り入れるようにと付け加えた。

これはやはり正解だった。さすがに今ごろの学生、発想も表現も自由自在、普通のレポートよりはるかに時間を使ったことが目に見えて分かる。集まってきたものには、形式から言えば、読み切り小説、描きおろし或いは写真にデジタル加工を加えた漫画、歴史人物を主人公にしたビデオ、おまけにオリジナルパソコンゲームまで二つ現れた。内容を見れば、アマテラス、公暁から、明智の家人、韓国出征の兵士など、じつに奇想天外。一番の傑作は、なんと自作の絵巻。その内容はクラスで読んだ今昔物語の一話。今昔のテキストをそのまま詞書とし、それに合わせてとてもセンスの良い絵を加えた。詞書は手書き字体での印刷、絵はオリジナルもの。絵巻というものをたくさん見ていないはずなのに、よくもそのリズムや絵のアプローチのコツをつかんだものだとただただ感心した。

ここまでの完成度のあるものだから、教師一人やクラス内だけではやはりなんとももったいない。なにかの方法でこれを公表すべきだ。これからの作業リストの一項目に入れておこう。

2014年12月6日土曜日

ショーウィンドウ

国文学研究資料館に行く最寄りのモノレール駅には、同館を紹介する小さなショーウィンドウが設けられている。丁寧に飾られていて、思わず足を止めて眺め、ついにカメラさえ取り出してスナップを撮った。

展示の主役は、古典の絵や文字である。それも陰影を付けたり、画像を切り出して立体的に見せたりして、楽しい工夫が施されている。その内容は、百人一首の色紙や王朝絵巻の詞書や絵、翻字がそえられて、古典の文字への知をそそっている。簡潔に用意されたパネルは、研究機関である資料館の紹介とともに、道順が示されて、駅に必要な近辺案内の役目を果たして唐突感を和らぐ。よく見つめていれば、限られた空間において、たとえば著名な研究者の紹介や研究成果の宣伝などは一切なく、あくまでも古典という世界への想起を促し、それをテーマにする研究活動が地道に行われているということを告知している。もっぱら国の予算をもって運用して機関だという性格からすれば、とても良心的で良識的なものだ。一方では、たまにしか訪ねて来ない研究者たちも大勢ここを通りすぎていく。自分もその中の一人だが、自明でいて追求をつねに必要としている世界も、一歩外に出てしまえば、普通の人々の目にはこのように映るものだと、あたらめて知らされ、思わず襟を正す思いがした。

同じ駅を起点に、さらに国語、極地などを対象にする研究所が建っている。きっと代わり代わりにこのスペースを使っているに違いないと推測している。はたしてどれも似たようなアプローチを取っているのだろうか。
20141206

2014年12月1日月曜日

初冬の東京

国際研究集会に招かれ、この週末、東京に滞在している。厳しいスケジュール覚悟で弾丸旅行をし、さまざまな会話や新たな知との出会いにわくわくしながらの三日となった。今度は運悪く飛行機の機械故障に巻き込まれ、まるまる8時間も予定より遅く到着し、しかも飛び立った空港に逆戻りをさせられ、消防車の出迎えを受けるというまったくめでたくないハプニングに見舞われた。いうまでもなく無事に済んだあと、すべて楽しい会話の種と化した。

20141201東京は半年ぶり。初冬の街並みを見たのは、もうすこし前のことだったが、それでもそんなに昔のことではない。激しく移り変わる日々ではあるが、大きな変化は何一つないとも言える。雪に包まれた町からやってきたら、きちんと緑色を見せている芝生や葉っぱにはやはり感激してしまう。紅葉や黄葉を見せる並木も残り、季節の移り変わりをあらためて知らされる。時差で朝は余計に早い。街角に出かけてみれば、忙しく動き回る配達の車や丁寧に歩道を清掃するふつうの住民の姿は相重なり、昼や夜のにぎやかを思い浮かべれば、まるで舞台裏を覗いている思いだ。人々の会話はあくまでも静かで落ち着いていて、他人への思いやりを礼儀としている。昼にでもなれば、まわりの様子は一変する。とりわけ若者に目を向ければ、週末になっていることもあるだろうが、派手やかに着飾って町を闊歩する女の子が目を惹く。なかには友達とそろって黒い文字を頬に刺青スタイルで大きく描いている。文字の意味は読み取れず、いつからの流行なのか分からないが、なにかのファンクラブだとすれば効果的な出で立ちだと言えなくもない。夜が深ければ男女のカップルの姿が目立つ。なかには明らかに未成年の若者は、学校制服のまま手を握りあって颯爽と駅を横切る。対して、人々が慎重に避けて歩いている道端には、反吐が散らかされ、しかもその中に一本のネクタイが捨てられることは、妙に真剣な苦しみを訴えている。

日本の文化を教えるクラスでは、毎回の初頭に日本からの写真を見せて、なんらかの日常を説明することが定番になっている。これらの風景は、考えてみれば最高の教材だ。写真をさっそく整理して、つぎのクラスに持ち出そう。はたしてどのような印象として学生たちの記憶に残るだろうか。

第38回国際日本文学研究集会

2014年11月22日土曜日

瑠璃の色

今週の講義テーマは、人形浄瑠璃。言うまでもなく一番基本から話を始めなければならない。おかげで自分の中で持ち続けてきた知識の頼りなさの一つに気付かされた。あの浄瑠璃姫の名前の意味するところの瑠璃の正体にかかわるものである。

20141122瑠璃とはインドに伝わる宝石だと分かっている。ただその色となれば、自分の中ではずっと緑だった。そこで紫ぎみのブルーと知らされて、少なからずに驚いた。それでも単なる自分の思い込みだと信じたくなくて、緑となる根拠を調べてみた。さいわい簡単に出てきた。やはり中国側の理解なのである。手近にある実例としては、承徳にある普陀宗乗寺の琉璃碑殿の色は、たしかに緑そのものだった。ただし一方では、北海公园にある琉璃九龍の壁は、ブルーを基本色としている。すなわち中国の伝統においては、緑や紺をはじめとする、簡単に得られない色の集合やその混在こそ、瑠璃の色なのだ。その理由は、宝石としての瑠璃はすでに不在のものとし、代わりに古来伝来の工法で製造されたガラス製品こそ、瑠璃という名を博したものだった。そのような瑠璃は、いまでも大事に作られ、さまざまな形で慎重に取り扱われている。ある説明によれば、瑠璃を拭くときに用いる水でさえ、12時間以上清浄しなければならないとか。

そのような瑠璃製造の工法となれば、まさに貴重なものとされている。中国では、それが2008年に公表された「第二回国家非物質文化遺産目録」と登録されている。あきらかに日本の「無形文化財」というシステムだ。ちなみに同じ目録には510の項目があり、斜めに読んでみれば、象棋、漢方養生、切り紙、そして醤油製造などじつに多彩なものが収録されている。

2014年11月15日土曜日

来たり去ったり

今週のクラスで取り上げたのは、絵巻。個人の経験をふくめて話を進めて、70年代に入ってからのカラー印刷と出版がもたらしたインパクトを触れた。90年代生まれの大学生たちにはまったく実感のないもので、絵巻そのものと感覚的にさほど変わらない距離をもつ出来事だと気付かされた。一方では、かつて全巻カラー印刷の出版物に興奮を覚えた経験からすれば、いまオンラインで公開されている絵巻を見て、使い方などまで考えなくても、少なくとも画像の見やすさというもっとも基本的な意味で、印刷物をはるかに超えたものなのだと改めて感慨深い。

ただ、そうは言っても、デジタル画像はまだまだ安心して使えるものではないことも、これまた紛れない事実だ。素晴らしいものはどんどん現われてくる一方では、かつて公開されたものはいろいろな理由で消え去っていく。これには、まずはデジタル技術それ自体によるものが多い。九十年代半ばから公開されたものは、すでにサイズや色は満足に行かず、さらにそれらを載せるシステムの構築なども更新を必要となってくる。環境の許されるところではすでにかなりのやり直しの実例を見るが、貴重な古典を取り出して改めて撮影するといったことは、とても簡単に繰り返すものではない。しかもデジタル資料そのものへの考え方がすこしずつ変わる中、公開のありかたを見直す動きも少なくない。

身近には一つの具体例がある。慶応大学が運営している「世界のデジタル奈良絵本データベース」は、公開を終了した。理由は公表されていない。デジタル資料が盛んに注目を集めている今、このような形で資料群があっさりとアクセスから消えてしまう実例はさほど見ない。検索で調べてみても、利用を促す、発見を報告するリンクなどは多数残っているが、終了を取り上げる知らせや議論は見えない。しかも一時は最先端の実践として望まれるスタンダードを樹立したこのリソースは、けっして十分な評価を受けておらず、たとえば奈良絵本研究という一番緊密な学界からも利用、応用に関する報告はあまりなされていない。かつて数えきれないほどアクセスした一利用者として、残されたのは「来たり去ったり」という語りようのない感傷みたいなもののみなのだ、

2014年11月8日土曜日

白骨の精

クラスからの話題だ。今週学生たちと一緒に読んだのは、「西遊記」。あまりにも有名なものであっても、原文を実際に読んだ若者はおそらく一人もおらず、その分、一番典型的で、短く読み切れるエピソードを持ちだした。あの「白骨の精」の話。小説誕生までの流れ、近代になってはじめて現れた「她」の文字など、周りの情報をあわせて持ち出したりして、単なる妖怪話に終わらないように心がけた。

20141108そこで、なんといっても「白骨の精」そのものだ。物語の中では、その姿は最後になってようやく明らかになる。孫悟空の如意棒に倒れされた妖怪は、骸骨の正体を現わにし、その背骨に「白骨夫人」との文字が書き入れられている。いささか芸のない結末なのだ。一方では、一つの文化的な記号にまでなった「白骨精」は、目まぐるしく移り変わる現代の中国において、どうやらまったく新しい意味を獲得したようだ。「職場」という言葉ーーこれも日本語からの外来語としてかなり普通の中国語に定着したのだがーーとペアに使われ、エリート女性を指すものとなった。その成り立ちは、いわば軽いのりの言葉遊びで、「白」領(ホワイトカラー)、「骨」幹(リーダー)、「精」英(エリート)との三つの言葉が集約されたとされている。言ってみれば、美しい女性の化け物という在来の恐れられ、嫌われるイメージから、美しい女性のリーダーという羨ましがられる存在となったのだ。言葉の変化という意味では、文字通りにマイナスからプラスへと、ありえない大転換を演じてしまった。

単純な言語の現象としても、これは実に妙な展開なのだ。懸命に考えてみれば、見立ては一つある。既成の概念に捕らわれず、ときには積極的にそれへの反動を模索することは、まさにいまの中国で共有されている思考パターンの一つだ。ならば、既成の言葉をわざと正反対の意味に用いるということもあるのだろう。ただし、そのように言われる人がこれを甘んじて受け止め、ひいてはこう言われることを愉しむという事実は、どうしても理解に苦しむ。

2014年11月2日日曜日

温かいハロウィン

年一度のハロウィンがやってきた。今年は週末と重なることもあって、子供や若者たちはなにかと元気が良い。テレビやラジオから伝わってくる日本の様子では、ハロウィンが日増しに注目を集めるようになったらしい。しかし、なにともあれ、いわば文化や新しいはやりという側面が強い日本と違って、ここではあくまでも日常生活の大事な節目なのだ。

年齢層によって、ハロウィンの過ごし方は違う。大学生たちは、昼からすでに堂々とこの日をアピールしている。仮装というよりもゆるキャラよろしくと変装して朝からキャンパスをウロウロし、教室の中に平気に入ってそのままの格好で受講をしていた。対して中学生以下の子供たちは、夜まで待ちわびて、やっと仮装を身につけて街に繰り出す。七時あとをピークに、歳もスタイルもまちまちな子供たちは後からあとからドアの前にやってくる。かれらを迎える者として、どうしても視線は仮装した顔よりも手にした容器に惹かれる。袋はそれぞれ個性があって、大きなプラスティックのもあれば、特製の専用道具もある。その中の猛者となれば、バックバッグを重そうに背負っている。小さいこどもは、ベルに手が届かずにドアをいっぱい叩く。手にした袋は非常に小さくて、底が空っぽになっているが、中身を随時に待機している親の手元に移していることが分かる。その親といえば、あるいは車で随行し、あるいはカメラを構えてひたすら撮りつづけた。子供たちの構成は、二、三人の仲良しが基本だが、中には一人で申し訳なさそうにやってくるのいれば、十人を超えるグループで風のように移動するのもいる。そうなれば話に夢中にし、反応の良くなさそうな家を平気に飛ばしていた。一方では、このような夜を迎えてきちんと用意をしなければならない。今年は、ドアの前の飾り物まで気が回らなかったが、キャンディをしっかりと360個用意し、それを二時間近い間にさほど残らないまできれいに配った。

昔のハロウィンは、必ず大雪の中だった。今年は天気が異常なほど暖かく、気持ちの良い夜だった。だが、翌日からは雪が降り始め、いまはすでに十センチ以上積もった。自然のリズムはそう変わらないものだと改めて知った。

20141101

2014年10月26日日曜日

出像

版本に収められた絵に注目すれば、そこにはこれまで自分の知識に入っていなかった新鮮な世界がいっぱい広がった。今週もそのような思いを経験させられた。クラスが終わったら一人の学生が近づいてきて、「出像」という言葉の意味を聞いてきた。虚を突かれてなにも答えられなかった。しかしながらオンラインサーチを掛けてみれば、ずいぶんと常識的な用語だとすぐ気づいた。

20141025学生に聞かれたのは、「出像官板大字西游記」というものである。物語の内容を表わす絵が付いていて、しかも196枚という規模である。「西遊記」の成立や伝来を考える上ではかなり重要な底本の一つで、それまた日本で伝存され、30年代に北京図書館が買い求め、いまは台湾に所蔵されているという、数奇な運命を伴うものである。これだけ一点のものならば、「出像」という言葉の位相についてまだあれこれと推測もできるだろうが、しかしながら「西遊記」から目を離して、似た書物のタイトルを調べてみれば、なんと「隋史」、「水滸伝」、「捜神記」といったポピュラーなものをはじめ、「千家詩」、「楊文広征蛮伝」といった聞きなれないもの、ひいては「天主降生」といったキリスト教ものまで、じつに幅広い作品の数々には「出像」と名乗る版本が印刷され、流行していたものだった。

それにしても、言葉の成り立ちはどうだろうか。内容から考えれば、さしずめ「絵入り」ということに違いはない。ただし、たいていの漢和辞典にはまず入っていない。普通に考えれば、現在でも使われている「出席」、「出場」、「出演」などの言葉と同じ構成となっていると思われる。すなわち「絵に出る」ということで、広く知られていたエピソードが絵となって紙面に踊りでた、といった意味で用いられていたのだろう。

2014年10月18日土曜日

随筆と絵

学生たちと読む古典、今週のテーマは徒然草である。英訳を通してではあるが、中世的な思弁と饒舌を体験してもらおうと、まとめて最初の19段を取り上げた。表現の妙に共感を覚えてもらうのが目的だが、それでもなんらかのビジュアルなものがあればと、絵を探してみた。近年の出版により広く知られるようになった海北友雪の絵巻にはすぐにアクセスできず、代わりに版本の絵に目を向けた。

調べてみれば、デジタル公開で利用できるものだけでもかなりの数にのぼる。「徒然草絵抄」(京都大学附属図書館)、「頭書徒然草絵抄」(国会図書館)、「つれつれ草 : 絵入」(早稲田大学図書館)はいずれも全文収録で、画質もかなり高い。検索を続ければ、きっとあるに違いない。簡単に見比べた限りでは、互いに構図などの直接な関連は認められず、どこまで基礎的な研究がなされているものか、これにも興味をそそるものである。木版の書籍に文字に加えて絵を彫り込むものだが、そもそも絵そのものの意味合いがそれぞれかなり違う。頭注、すなわち本文に対しての一種の図解、あるいは絵による索引という姿勢で臨むものもあれば、たとえば奈良絵本の流れを汲み入れ、挿絵に仕立てるものもある。興味深いことに、前者の絵の頭注の場合、絵と文字との対応にさほど自信がないせいか、あるいは逆に対応の仕方を明らかに表すことに強い責任感からだろうか、絵の中に本文の文句を長々と書き入れている。書籍の中に入った絵のありかたについて、表現者はそれなりに苦労をし、迷走していたことをかいま見た感じがして、なぜか手に汗を握る思いがした。

20141018木版印刷の絵は、媒体の条件によってさまざまな制限を受けていた。一方では、優れた構図は、絵巻を含むそれまでの絵画の伝統と無関係なはずはなく、その一部は、実際にあらたに作られる絵巻にしっかりと影響を与えた。版本の絵と絵巻との交流、これまた魅力的なテーマである。(右は、「つれつれ草 : 絵入」(八オ)より)

2014年10月11日土曜日

古典画像アクセス

古典画像は、かてつ絵巻、屏風などのシリーズものが刊行されて普通の研究者や読者に読まれるようになるのが、ほぼ唯一のアクセスの方法だった。そのようなシリーズものへの期待や、そのような刊行がもたらす影響は、いまだ変わったものではない。一方では、そのような出版は明らかにペースが落ち、対してデジタル画像公開は日増しに広がり、印刷刊行がなければ、古典画像へのアクセスは実物しかないという事情は、すこしずつ変わった。

20141010「平家物語」をテーマにした画像群のことを例にしよう。これまでの印刷出版を通して、絵巻、屏風、それから版本の挿絵などの資料がさまざまな形で紹介されている。一方では、ウェブで公開されているデジタル画像に目を移せば、以上のような資料に加えて、さらに奈良絵本、伝存あるいは流失した絵巻の模写という二つのグループの存在が浮かんでくる。これらのデジタル画像へのアクセスは、古典の電子化を精力的に取り掛かっている国会図書館や早稲田大学図書館、国立や地方の美術館の所蔵を集約する「e国宝」や横断検索の「文化遺産オンライン」、それから電子公開を積極的に行う明星大学などのサイトに入り、「平家」「源平」などのキーワードを用いて、図書館の本棚なででは期待できない画像群に簡単にたどり着くことができる。ちなみに、ウィキペディアは関連の画像を慎重に選んで公開していることを付記したい。単純に画像の見やすさ、とりわけその画質、保存と利用などを考えれば、デジタル画像は紙に印刷されたものには勝っても負けていないことは、いまや共通の認識になっていると言えよう。

いうまでもなく、印刷物として出版された古典画像は、たいてい在来の研究の手法を守り、注釈や解説を周到に加えている。このような研究的な対応は、デジタル画像にも応用しなければならない。言い換えれば、デジタル資料をめぐっての学問的なアプローチーーそれはおそらく自然とデジタル的な方法を取るのだろうーーが、明らかに必要なのだ。

2014年10月4日土曜日

Surface Pro

旅行に出かけたら、ノートパソコンに頼るしかない。先週の旅では、なぜか手持ちのもの反応の遅いことがとても気になり、のんびりした時間の中でいらいらした瞬間を数回覚えた。このパソコン、手に入れてちょうど二年ぐらいになる。ハードとしてはまだまだ現役の資格を十分持っているが、ソフトの環境変化から考えれば、いよいよ替えどきだ言えないこともない。

20141004そう決めてしまうと、さっそく動いた。パソコンは豪華版を使わないという方針は変えたくない。ノートパソコンも、ひと通り基本的なことができて、ある程度軽い、というのを条件にした。しかし、調べてみたら、満足そうなものは、意外と値段が高い。一方では、同じ機能で考えれば、Surface Proは、却って手頃だと分かった。そこで大学内の店で迷わずにゲットした。

パソコンを入手して、二日経った。といっても、かなり雑用の多いこのころなので、まったく思う通りにさわっていない。ただ基本ソフトを入れておいただけで、具体的に何の作業もしていない。ハードとしては、文句はない。ピキピキした動きはじつに快適で、手応えが良い。一方では、タッチスクリーンがハイライトになるのだろうが、あれこれと試してみても、どうにもなじまない。新鮮なのはたしかだが、今ひとつ落ち着かなくて、要領が得ていない。思えば、指でタッチするということは、アップルに教わったようなものだ。わずかなサイズのスクリーンの上を指でさらに邪魔をする代わりに、やっている作業は思い切り洗練されていて、アクションの一つひとつは単純でいて明快だ。そういう意味で、Windowsは機能が豊富で強力な分、作業のアプローチと指の操作との間の隔たりはすぐにはとても埋めきれない。いうまでもなく、これはあくまでも数時間触っただけの印象にすぎず、これまでになかった操作の可能性への対応には、Windowsだって真剣に取り掛かっているのだから、やがて確かな変容が起こることだろう。

パソコンの進化は、止まるところを知らない。デジタルは、よく紙に喩えられるが、はたして何時ごろになって紙のようにある程度の完成形を迎えるのだろうか。

2014年9月29日月曜日

北京にて

この週末は、北京で過ごしている。「中華日本学研究協会」の招待を受けて、久しぶりに中国で日本研究の学者たちと交流ができた。非常に貴重な機会で、周りの人々と大いに語りあって、たいへん見識を増やした。

20140927中国は、さすがに環境もスタイルも違う。全体の印象を一言で言えば、とにかくすさまじいスピードでルールを作り、試行錯誤も含めて新しい伝統を残す。しかもかなり意図的にやっており、傍からみていてすがすがしい。きわめて表面的にことだが、あわせて40近くの発表者が集まっていても、午前の全体会議と午後の分科会議で一気に終えて、二日目は名勝を回しながらの自由交流にあてる。発表者には、国外の代表もかな入ってはいるが、やはり国内の研究者が中心だ。ただ国内と言っても飛行機やらで千キロ以上の遠距離を移動しての参加である。発表に立ったのはあくまでも第一線の研究者であり、大学院生など在学中の学習者に発言を任せることはほとんど見かけない。出身校や特定の研究者の指導を受けたグループはすでに出来上がってはいるが、それは個人の会話に留まり、宴会などの場では、むしろ若い学者ばかり集まっている地方大学の数人がまとめて挨拶を回る姿が目立っていて、初々しい。それから、かなりの金額の研究費は国から受け取る研究者が現われ、かれらの研究テーマなどは大いに取り上げられて注目を集め、一方では、一人で九人もの博士コースの指導を現在あたっているなど、教育のスケールにはやはり目をみはるがあって、ちょっぴり想像は追いつかない。

一方では、週末だけの旅のために、あわせて四つのクラスを留守にする結果になった。録画しておいたものを時間限定で視聴してもらうという対応を取った。問い合わせのメールなど一通も入っていないことからみて、とりあえずは予定通りに動いていることが分かるが、やはり気になるものだ。

2014年9月20日土曜日

不美人

今学期の講義もあっという間に二週間過ぎてしまった。慌ただしい毎日で、内容の展開に並走するという格好でその日その日のスケジュールを追い続けている。中では、二年ぶりの英訳で古典を読むクラスにおいて、『源氏物語』の一章はすでに終わった。今年は「末摘花」を選んだ。それも一帖の内容をまるごと読んでもらうことに決め、議論の時間を十分に用意した。

20140920あの不美人の集大成のような人物である。英訳と原文とを並べてじっくり読みなおして、あらためて描写の強烈さに打ちのめされる。見るともなく発見してしまった末摘花の容姿は、源氏の目から捉えて、つぎの言葉の数々だった。まずはその鼻、ここはなんの前触れもなく「普賢菩薩の乗物」とずとんと一発。この一言だけで、あの人懐こくて、神秘な白象を台無しにしてしまう。そして、鼻に続いて、源氏の視線は末摘花の全身に渡る。その結果、色は「白うて真青」、額は「はれたる」、面は「長きなる」、体は「痩せ」ていて、肩は、痛々しいほど服の中から覗かせている。不美人だと分かっていても、そこまで言うかと目を疑うぐらいだった。まとめて言えば、普通の人間とは違う器官のみならず、他人と変わらない体も、その全体において不養生で不健康なのだ。一人の若い女性を図る器量とか、才能とか、立ち振舞とか、そこまで注意が行く前の観察なのである。残念ながら、これらの描写を伝えてくれる古典的なビジュアル資料は知らない。現代になってこそ、末摘花は、新作歌舞伎、オペラ、映画、アニメや漫画と、絶好の人物像になったのだけど。

現代の大学生たちにとって、源氏の、そして末摘花の存在は、まったく不思議でいて、別世界のものだ。それでも、議論においては、つとめて現在の価値観でも受け入れられる範囲で善意に説明を見つけ出そうとしている。そのような結論の向けている方向は何処にせよ、異質な世界に触れてもらうことが、教える側としての最大の狙いなのである。

2014年9月13日土曜日

書籍として出版

今週に伝わってきたニュースの一つに、「昭和天皇実録」が公開されたということがある。一万を超えるページ、出版に先立っての内容公開、動乱の時代を横たわる貴重な記録としては、さっそく各方面から注目が集まり、中国などのニュースメディアまでさっそくコメントを出したりしている。

image政治史にはまったく縁のないものとして、むしろこの報道に接して、出版に関連して、興味深い一瞬をキャッチした。これを伝えるNHKのニュース番組は、来年から順次「書籍として出版」とはっきり述べている。思わず耳を疑いたくなった。ついにここまで来たのか。出版という言葉は、自分の中では書籍の形態にして公にするという意味しかもっておらず、書籍ではない出版など、個人的にはいまだ見聞をしていないが、どうやらそうとも言えないぐらい、世の中にはすでに変化が起こった。思わずインターネットで調べた。すると、あるわあるわ、まったく同じ用例以外、極端な場合になると、「紙の書籍として出版」とまであった。そういえば電子書籍があるのだから、書籍だって自明ではなくなった。一方では、良く考えなおすと、この表現にはべつの理由があるのかもしれない。ことこのような規模のものとして、電子の形で公開したら、もっともっと使いやすいに決まっている。検索だけではなく、読みたいものに飛びつくこともはるかに簡単なはずだ。もちろん、資料の性格上、あえてそのような処置を取らない。もしそのような理由からの表現だったら、データベースではないよ、との断りなのだろうか。

言葉は生き物である。言葉はどんどん変わっていく。これまでずっとあったものでも、弱小なものに流されたおりには、限定や説明がつくようになる。言葉におけるこの変化のあり方を、やはり自覚しておくべきものだ。

2014年9月6日土曜日

スマート・テーブル

新学年はいよいよ始まる。これにあわせて、特別な予算が組まれ、新しい教師用の会議室のレイアウトを検討するようにと言われ、楽しく想像をふくらませている。教室や会議室と性格の異なる家具や植木などを入れるのも必要だが、可能でしたら、テーブルになっているパソコンでも導入できないものかと、調べてみた。

20140906たしかに気楽な会話や同じ視線での議論などには、もってこいのもので、もうすこし普及されてもおかしくない事務用品なはずだ。しかしながら、最初の一歩、思わぬ形で躓いた。あれは、そもそもどのような名前で呼ばれているのだろうか。自分なりに思案して、「テーブルパソコン」から始めた。それなりにヒットがあった。代表的なものは、どうやらサムスンの製品で、洒落ていて、結構宣伝もされているもようだ。しかしよくよく見れば、関連の報道記事はすでに二年も前のものとなっている。これしか上がってこないようでしたら、調べ方が悪いに決まっている。そこで、大学図書館に設置されたものを手がかりに、それの紹介文を読み直して、「スマート・テーブル」との名に辿り着いた。どこかいい加減に決めた言い方のようで、頼りない感じだが、検索に掛けたらはるかに多くのヒットが現われてきた。しかも、マルチタッチスクリーン、コーヒーテーブル、Windowsやアンドロイド対応など、さらにキーとなるポイントがどんどん出てきた。ただし、どう見ても完成したものではなく、販売もベンチャー企業によるものばかりだ。値段ひとつ取り上げてみても、その間の様子がありありと分かる。40センチのテレビは500ドル台、タッチスクリーンモニターは1000ドル台、という目下の相場に対して、同じサイズのモニターのテーブルはいずれも6000ドル以上の値が付いている。いまだ開発途上のアイテムだ。

ちなみに、はたして「スマートテーブル」という言葉が日本語でも通用するのかと、興味本位に試してみた。画像検索では、たしかに同じものが上位に飛び出してきた。ただしヒットリストを読み続けると、同じ名前でも、車の中に取り付けるテーブル、ナノ構造測定の作業台、はてには食事にあたってのテーブルマナーと、驚くぐらい多様なものが対象となっている。はたしてその中のどれがこれの命名権を確保できるものだろうか。

2014年8月30日土曜日

ゲームとフィルム

前回の話題の続きを記しておく。まずは、おなじく言葉についてだが、英語表現にみるいささかな不思議がある。それは、学問分野としての映画についての研究のことを、なぜか「ムービ」研究とは言わず、「フィルム」研究と呼ぶ。きっとなにかの理由があるに違いないが、自分の中では、「能」と「謡曲」との使い分けのようなものだと勝手に解釈しているが、いつか確かめておきたい。

ここにフィルムを持ち出したのも、先週のゲームをテーマにした集まりに関連している。集まりの主催者は研究機関だということで、発表者となるとゲームを対象にした研究者が圧倒的だった。ゲームを実際に創作する人もいたが、あきらかに少数派に属する。ゲームという、まだまだ娯楽の一つとしての新参もので、変化もはなはだ激しいのに、はたして研究の対象となりうるのか、正直内心かなり疑問をもっていたものだった。そのようなわたしの目に映ったのは、多くの研究者がまるで正統な映画研究の手法を意識して踏襲したかのように、映画を語るがごとくゲームに立ち向かったものだった。いわば、ゲームの表現方法、ゲームの世界観、ゲームをまつわる社会現象や文化認識、などなど。はたしてゲームがそこまで文化的な意味合いを荷負うだけの完成度を持っているのだろうか。プレーヤーを惹きつける力だけあげてみれば、小説の読者や映画の観客と比較しても引けを取らないことはよく承知してはいるのだが。

以上の思い、とりわけ映画研究の方法論への自覚の有無について、一人の研究者に思い切ってぶつけてみた。意外な答えが戻ってきた。いわく、その方の研究意識においては、ゲームというものはいかにして映画と違うのかということへの追求が最大のテーマなのだ、とか。どうやら素朴な問いは、当たらなくても遠く外れてはいない。ゲームをめぐる文化的な視線としての、現時点の一つの立ち位置として、記憶に値するかもしれない。

2014年8月24日日曜日

DH再考

20140823週末にかけて、誘われてゲームをテーマとする学会に出かけてきた。とくべつに研究に打ち込んだわけでもないのに、ともかく発表に名前を入れてもらって、わずかな時間だがみんなの前に立った。あとは、あくまでも関心をもつものに耳を欹て、知恵を集合した作品を眺めていた。ためになるものには数多く出会った。中でもDHという言葉をめぐる議論がとても印象的だった。

この話題を持ち出したのは、複数招待された基調講演の方々の一人だった。DHという言葉をタイトルに現れたのだから、どのようなアプローチが取られるものかと、興味津津だった。実際の話が始まると、カナダ風の鳥鴨ローストだの、ロシアドールだの、聞く人を楽しませるひっかけはいっぱい用意していて、中身は新たに作られた研究所の苦労話や驚異な成果の宣伝などが中心で、結論になってようやくDHが飛び出した。一方では、講演者の所属大学はたしかにDHのプログラムを提供している数すくない機関の一つだ。いささか妙に思い、さっそく質問に立って、DHということをわざと避けたのではないかと、その理由をやんわりと訪ねた。しかしながら、その答えは、率直でいて鋭い。いわく、DHという言葉は、学者受けが良くて、研究者同士、ひいては教育機関の運営者からすれば魅力的なものだ。しかしながら、いったん社会に向き変えると、受け止め方はまったく異なる。そもそも人文学という言葉からその意味するところを説明してあげなければならない。そこで、そうと分かったら、その対応はまさに鮮やか。大学や研究助成の申請などには、DHを前面に持ち出すが、一般社会に向けて、違う言葉を選ぶ。そして講演者の場合、それはゲーム研究・開発というものなのだ。

言葉をいじるということの強烈なぐらいの実例だ。言葉の本質は、聞く人との交流にある。そのために、聞く人の関心を見抜き、それに応じて発信するということは、まさに言葉選びのイロハにほかならない。分かりきったことだが、あらためて知らされた思いだった。

Replaying Japan 2014

2014年8月16日土曜日

アプリを求めて

のんびりした時間が続いたら、ときどき思い出したように身の回りのガジェットをいじってみる。なにかの作業のツールを探し求めるというのは、一種のリラックスした時間の過ごし方である。この間、アンドロイド携帯用の、写真をスライトショーにするものをと、狙いを定めた。どうせすぐにでも見つけられるだろうと睨んだが、意外と苦労した。

とりあえずまずはグーグル・ストアから始めた。写真などのキーワードを入れたら、たしかにかなりの数のものが飛び出してきた。かたっぱしから二、三個、ダウンロードしては試し、予想が外れたらさっさと削除する、こういうプロセスを結構繰り返した。なかなか思う通りのものが現われてこない。そもそもシステムに組み入れられた写真閲覧のアプリには、スライドショーの機能が付いるが、スライドのスピードも含めていっさいオプションが用意されていない。そこであれこれとアプリを試したら、写真のスライトショーという、こんなに基本的で単純なものであっても、アプリによって対応がまちまちだと気づいて唖然とした。中には、スライドはしてくれるが、写真のサイズがすべて変形されてしまったり、写真を選んだらまとめてかなりのサイズの動画ファイルを生成したり、あるいは一枚一枚の写真につき見せる時間を聞いてくれたりして、信じられないくらい面倒で、使いものにはならない。ここでようやく方針変換をし、アプリレビューサイトにアクセスすることにしました。他人が書いた使用感想などを読み比べて、やっと使えるものに辿20140816り着いた。事実、スライドショーのみに止まらず、オンラインとローカルを写真を管理したり、ひと続きのファイルをまとめて処理できたりすることから、これまで使っていたシステム付属のアプリを不要のリストに取り下げたくらいだった。ちなみに、気に入ったアプリとは、「QuickPic」という名前だ。

期待したものを満足に手に入れて、ほっとした。そこで、よく纏めてくれているレビューのサイトについては、その名前さえ覚えていないことに気づいた。あんなに熱心してまとめてくれた情報、そして何よりも無料で使えるアプリ、使いものにはならないのも含めて、作者たちはどれだけの時間と知恵を注ぎ込んだのだろうか。ただただありがたい。そして、かれらにとっての名もないユーザーとして、はたしてどうやって感謝の気持ちを伝えるべきだろうか。

2014年8月10日日曜日

巨大な碁盤

学生時代から、舞台劇を観るのがを愉しみの一つにしている。舞台上に立つ俳優たちの演技力や、ドラマの進行などとともに、限られた空間、そしていつもは限られた予算によって限定された大道具の出来栄えやその使用の仕方にも注意を奪われる。それがたとえちゃちで、見え透いたものであっても、ときにはそうであるほど、魅力を覚えてしまう。

絵巻の画面を眺めていて、ときどきそのような舞台の大道具と錯覚する。言い換えれば、空間や情況の設定に合わせ、背景となる建物や家財道具の類は、それがそうなのだと分かるぐらいで十分で、それ以上の配慮を与える余裕などとてもなくて、まるで舞台装置そっくりの役目しか担わされていない。た20140810とえば、右の画面がよい実例だ。「慕帰絵」に描かれる鎌倉の唯善房の屋敷である。画面の中で異様に存在感のあるのは、巨大な碁盤である。近くの人間、そして置かれている床の畳まで意識して見つめるほどに、妙なものだ。そういえば、品物のサイズには、まったく無頓着、しかもそれは一点のものに限らず、周りの物体や建物全体にかかわる。描かれた人間を基準にすれば、それらは異常に大きかったり、小さかったりする。もともとそのような観察は、現代の写真などを見慣れた視線のもとに現れた感覚にほかならない。

ただし、舞台装置なら、たいてい必要最小限のものに限る。そう考えれば、巨大な碁盤は、まったく逆の、不必要でかつ最大限のものに映る。この違いをどう解釈すべきだろうか。詞書には登場しない、ストーリと必然性を持たない碁盤は、はたして何のメッセージを訴えようとしているのだろうか。答えが見いだせないままでいる。

2014年8月2日土曜日

胸を裸ける女

20140802絵巻には、ときどき奇妙で、今日ではちょっと考えづらい、どう受け止めてよいのか戸惑うような場面が描かれる。その一つには、性別に関わるものがあげられよう。たとえば『一遍聖絵』に収められている右の一コマだ。

全国を雲遊する一遍の足あとは、いうまでもなく聖地や名山に及ぶ。ただ、かれの伝説的な生涯を伝える伝記は、そのような名勝の地に過剰なレスペクトを抱き、きわめてステレオ的な視線で捉えている。一方では、これを丁寧にビジュアル表現する絵巻になると、たいていのところを一様に右へと展開していく建物群をもって表現している。そのなかで、ここでの画像はあの当麻寺の門前に繰り広げられた風景の一つである。寺もほど近くなり、群衆の一群は寺を目指して道を急ぐ。かれらの身の上のことを詞書が何一つ触れることなく、出で立ちも仕草も一遍の遊行との関連においてとくべつな必然性が見られない。その中で、ここに見られるような大ぴらに胸を裸けた女性の姿が登場した。身に纏っている服装のあるべき効用をあきらかに無視し、しかもなにかの極限の情況で身なりに気を配る余裕がないとかのような設定でもなく、画面が表現しようとする意図はなかなか簡単に読みきれない。はたして女性はどうしてこのような格好をしなければならないのだろうか、これを周りの人々、それから絵巻が作成された当時の読者たちがどのように受け止めていたのか、正直さっぱり見当がつかない。

あるいは確実に言えることは、このような格好や身なりは、今日にいう色気とはさほど関係ないということぐらいだろう。当時の平均的な読者たちは、色気というものをきっとこのような構図ではなくて、まったくべつのところに求めていたに違いない。答えが見いだせないままだが、このことが確認できて、時代によって読む人の常識も異なることに気づかされただけで、まずは有意義だとしよう。

2014年7月26日土曜日

手習い・絵描き

中世の随筆などを読めば、時にははっとさせられる記述に出会う。素っ気もない簡単で単純な文字でも、考えるほどにそこから伝わるその時代の常識に心を打たれる。

たとえばあの「徒然草」の中の一節である。「しづかに思へば、よろづに過にしかたの恋しさのみぞせんかたなき」と始まる三十三段。兼好は身辺の整理をし、過去のものを取り出し、破り捨ていくという、今ふうに言えば、かれ一流の「断捨離」の達人ぶりを発揮するあたりである。そこで、つぎの一行が目に飛び込んできた。「亡き人の手ならひ、絵かきすさびたる見出たるこそ、ただその折の心地すれ。」思わず立ち止まり、ひとまず兼好の文脈からこの一文を切り離し、ここに読み取れる絵というものへの認識をあれこれと考えめぐらした。手習いと絵描きとを並べたところからにして、文字と絵との並列関係が明らかだ。それのみならず、描くこと、習うこと、描くことが並べられているところからすれば、いずれも平等でいて、かつ相互に交換できるものだと捉えてよかろう。すなわち文字を書きながら覚えているのと同じく、絵も同じく描きながら上達していたものだった。そのようなプロセスの結果として残された文字と絵は、時間が経つに連れ古び、そしてそれが特定の人、時と場に繋がっていたからこそ、見る人の思いを呼び起こすものだった。さらに、文字は、たとえ手紙のような実用的なものではなくてただの名筆の臨書だったにしても、何を選んだかによって情況が異なり、絵の場合となると、目の前の人物、植物や建物を描いたのならば、そのまま今日の写真の役目を果たす。ビジュアル情報を記録する媒体がきわめて限られていただけに、そのような絵がどんなに幼稚でいて、不完全であっても、想像を誘い、イメージを再現させるためには大きなインパクトを持っていたことなど、簡単に想像できるものだろう。

古典の絵と対面する場合、どうしても仰ぎ見るような神聖な気持ちを視線に含ませる。それ自体は当たり前だとしても、多くの絵はさまざまな身近なプロセスを経て生まれたものだと忘れないことも、これまた同じく大切なことだとあらためて教わった。

2014年7月19日土曜日

野外劇

それは奇妙な視覚体験だった。

はるばる二時間ほど車を走らせてたどり着いて見たのは、野外劇で繰り広げられるバイブルのストーリだった。キリストにまつわる伝説の一コマ一コマを、丁寧に群集劇で再現したものである。場所は、恐竜の発掘で世界でも有数な平原地帯、特徴ある地形を利用しての、年に一度、十回ぐらいの公演でかなり長く続いてきた由緒あるユニークなイベンドである。

視覚経験の新鮮さということは、自分なりに整理すると、このような理屈になる。そもそもいまごろ、ストーリを目で楽しむとなれば、まずは映画があげられる。クローズアップやらモンタージュやらでこれでもかと見せようとするものを観客に強いる。いまやテレビだってこのような映画の手法やリズムを目一杯活用している。一方では、舞台劇などとなれば、たしかに俳優たちによって等身大の芝居が繰り広げられるが、なにせ舞台という限られた空間だから、人為的な背景に頼るほかはなく、ライトなどの助けによって見る人の目を誘導する。これらに対してまったく異質の野外劇である。照明はあくまでも自然光、背景は起伏に富んだ山々、登場するのは大勢の俳優、観客の視線を惹きつけるのは、せいぜい俳優たちの仕草であったり、ステレオの音楽だったりする。しかも演出は頻繁に観客の予想の裏を掻いて思わぬところで俳優を登場させたり、あるいはわざとだれも見ていないところで芝居が展開させたりする。そこには計算し尽くされ、巧妙に運用される自然のままの舞台があり、起伏する丘の間に俳優たちは自由に姿を現したと思ったら身を隠し、群衆も馬もロバも走り回り、終いには視線の届くかぎりの遠く高い山々の頂上で俳優が旗を振り、ポーズを取ってみせるものだった。

その結果、とてつもなく立体的な山も宮殿も妙に無限な平面に見えてしまった。記憶の中で、人間の激しいドラマの場面は、そのまま静止の画像のように取り込まれ、残されてしまう。このような記憶との対話と確認は奇妙と言わざるをえない。おかげさまで、画像を見るための目は、また一つ肥えた気がしてならない。20140719Canadian Badlands Passion Play

2014年7月12日土曜日

使用許可取得

論文集に投稿した一編について、使用する画像の掲載許可を取ってくるようにと編者から連絡が入った。いずれも中世の文献だとはいえ、出版やデジタル写真撮影を行った機関には敬意を払うべきだという意味では、たしかにその通りだ。許可を取ることははじめてではないが、集中して取るということはやはりそれなりの作業であり、緊張感をもって対応した。

使う予定の画像はあわせて十枚。所蔵者をリストアップしてみれば、八つの機関に数え、しかもきれいに公立国立の博物館、大学図書館、それに私立の文庫やお寺など、性格の異なるものにバランスよく別れた。おまけにアメリカの美術館まで入っている。まとめて問い合わせのメールを作成し、一気に発信した。その結果がすぐにも分かったことに驚いた。昼夜の時差があるにもかかわらず、二十四時間以内には半分、二日目に入ると六つの機関からの返事がすでに届いた。使用に関して有料、無料にかかわらずどこもいたって親切でいて、研究活動をサポートするという姿勢を前面におし出している。嬉しいことに、デジタル公開を積極的に進めている多くの公立機関は、学術活動での使用を一々許可を申請する手続き不要で臨むという体制に切り替わっている。それについて、国会図書館の場合、具体的な作品についての問い合わせを具体的に答えながらも新しい方針を説明してデジタル政策の啓蒙に努め、アメリカの美術館の場合は、サイトに公開されている法律用語をいっぱい綴った長文の説明のリンクを知らせるだけで、自己責任を促しながらも対応自体はあくまでも素っ気ないものだった。

許可取得の作業全体についていささか苦労したのは、むしろ最初の連絡先を見つけ出すことなのだ。日本の機関はとくにそうだが、責任部署の連絡先を明記しない、あるいはいまだにファクスのみの対応に徹するスタイルを続けている。やむなく明らかに関係ない部署にとりあえずメールを送り、責任者に転送してもらうという方法しか取れなかった。それに親切な内容にもかかわらず署名は部署だけで、責任者の個人名が記入されていない返事も複数もらった。日本らしい個人の役目や責任の取り方についての姿勢が垣間見られたように感じてならなかった。

2014年7月5日土曜日

流氷

一週間の休暇から戻ってきた。今度の旅先は、北の大地、アラスカ。ただ、陸に上ったのはわずか数時間、旅のハイライトは、あくまでも氷河の様子を海から眺めるというものだった。「アーム」と呼ばれる行き止まりの細い海湾をくぐり抜け、氷河にゆっくりと近づいて行く、これだけでのんびりと一日の時間を取ったのだった。

20140705視覚的に新鮮な衝撃を受けたのは、やはり流氷だった。はじめての経験であり、前もって調べておくこともなく、ともかく目の前に展開されてくる未知の世界をじっくり見てみようという姿勢で臨んだ。流氷の海域に入るのは朝の七時だと知らされ、カメラを構えて備えた。狭い海路に入り、遠くからはまるで水墨画の中に登場するような長閑な釣り船のシルエットが濃い霧の中からわずかに現われた。甲板に集まった人々のざわめきが聞こえ、はじめてそれが巨大な流氷だと気づいた。しかもその奥には小さな島のようなものが視線を遮り、それを回って船がまっすぐ進むかと思ったら、目の前には突然に視界いっぱいの絶壁が迫ってきた。かなりの迫力があった。崩れ続ける氷河を視線に捉えるのはそれからさらに数時間あとのことだが、進むに従い数が増えてきた流氷の数々を目にして、大自然の威力をただただ噛みしめるものだった。

まさに「氷山の一角」という表現があったように、流氷の九割は水面の下に隠されている。しかしながら、そのわずかな一割でも、大きいほうとなると、観光ボートよりもずいぶんと大きい巨大なものだった。近づくほどに青色に見える氷は、密度が高いがために自然の色をすべて吸収して、青だけを反射するという物理の原理が生み出した色だとガイドに教わる。それでも、活発なアザラシたちはそのような流氷の周りを泳ぎ、氷の上に登ってひなたごっこしたりして、まさに安住の楽園としたことがとても印象的だった。

北へ向かって

休暇というものを、今年もしっかり取ろうと、出かけた。日常の仕事がないわけではなく、加えて、いつの間にか締め切りもかなりの数に積み上げてしまった。だらかこそ、思い切って短い休みに入ろうと決心した。しかも、人の面倒をみてあげるような日々が続いたので、こんどはとことん見てもらうものを選んだ

飛行機に乗って空路の旅は一時間、あとは、海に浮かべて、ただただ北へと向かう。スケジュールとしては、氷河の見られるところまで北上し、あとは、小さな町を、四日も転々と見て回るといったものである。なにも考えず、ともかく食べて、ショーを見て、海を眺めるということである。いうまでもなくかなり大勢の人びとが集まった。言葉通りに赤ちゃんから車いすの年寄りまで、言語も人種も異なるさまざまな人びとである。中では、元気な老人たちの姿がとりわけ目立つ。ワインのグラスとボトルを両手に握り、ほくほく顔で階段を上り下り、エレベーターを乗り降りする銀髪のおばあちゃんの姿など、とてもアメリカン。周りの人とすぐ打ち解けて旧知のように会話を交わす人もいれば、家族にだけ没頭して自分の時間を噛みしめる人もいる。バケーションの楽しみかたは、それこそ人それぞれなのだ。

それでもパソコンを持ち出してきた。なにかとタイプしておかないと、なかなかリラックスを感じられない。ただし、インターネットを使用せず、特別にお金を出して接続しようとする努力もしない。一週間以上にオフラインの生活を送ることは、考えてみればかなりの経験にはなるが、ささやかな課題として、試してみようと思う。
20140628

2014年6月21日土曜日

映画ゴジラ

映画「ゴジラ」の封切りは、すでに一ヶ月まえのことだろうか。今度の出来栄えはいささか評判だ。事実これだけ時間が経っても、いまだ映画館で上映され、平日を選んで入ったら、思った以上の観客が集まっていた。

20140621ハリウッド映画の分類で言えば、いわゆる災難映画というかなり大きなジャンルに数えられる。ただしここで、ゴジラは悪として退治されるのではなく、不死身のヒーロに作り上げられ、温かい拍手を集めた。対して、人間の世界で起こされた災難の数々は、きちんとハイライトになっている。それもとことん破壊されたにもかかわらず、どこか無機質で、まったく痛みを感じることができない。一方では、現代の映画らしく、悪にはそれなりに理由を与え、象徴的な意味合いを持たせている。この映画の場合、それは原発であり、汚染進入禁止地域であり、おまけには巨大な悪の生き物は原発廃棄物を主食にするという破天荒の着想まで持ってきてた。災難そのものの具現としては、津波もあれば、不気味な戦闘機墜落もあり、ビル直撃の飛行機に至ったら、同じ角度をもってなにげなくあの911まで再現してしまった。ただ地震だけどこか迫力が欠けていて、妙なものだった。

映画の売りの一つは、オリジナルゴジラの再現である。個人的にはあまり知識を持っていないが、それでも漠然と記憶しているゴジラその通りのイメージだったことに感心した。ハリウッドであれば、いわゆるアジアの市場を意識する云々が議論されるが、ゴジラの場合に限っていえば、そこには名作シリーズへの隠れもない敬意を感じさせてくれている。

2014年6月14日土曜日

卒業式

カナダの大学には、入学式というものはなく、その代わり卒業式はきちんと行われている。一ヶ月以上の旅から戻ってきて、さっそくそのような式に出てきた。しかも教える者として卒業生に向き合う席というこれまでの数回の経験と違って、こんどは真横の父兄の席に座った。横に広がる眺めは、清々しくて素晴らしい。

考えてみれば、大学の卒業式ほど大事な門出の儀式がない。大学を離れた若者は、言葉とおりに成人となり、一人前の社会人となる。それを祝う儀式の、きちんとやるということは、有名人に顔を出してもらうとか、ひいてはなんらかのパフォーマンスを見せるとかといったようなものではなくて、最小限の祝辞に続いて、とにかくすべての卒業生の名前を一人ひとり読み上げ、壇上に上がってもらって、大学の代表者と握手を交わすものだった。単純な儀式だが、計算してみれば途方もなく時間のかかるものだった。事実、勤務校の学生数は3万人を超え、年間8千人の卒業生を育て上げ、かれらのために用意した卒業式は、一日二回の日程で、一週間も続くものなのだ。実際に参列したのも、学生の名前を読み上げる役目は、四人に分かれて担当させたものだった。晴れの舞台を横切り、背筋を伸ばして学長と握手する若者たちが見せた華やかな笑顔は、なんとも羨ましくて最高だった。

そう言えば、不意に自分のことを振り返り、まったく環境が整わなかった時代に育ったことの現われそのものにほかならないが、入学式も卒業式も、どれ一つ経験していない。その時その時、つぎのステップを目指して突っ走ってきたものだが、節目の儀式への感覚は、理屈上の理解に頼らなければならなかったことは、残念なものだ。20140614

2014年6月8日日曜日

胎内写真

ラジオからは「入梅」という言葉が聞こえた。数日の異常気象の天気が過ぎ、ようやく梅雨に入った。降りしきる雨の中、東京を離れ、今度の仕事滞在は無事に終えた。ただ新幹線に乗り入れる直前まで一つの学術講演会に出て、丁寧に企画された二つの講演を会場にいる500人以上の聴衆とともに聞き入った。

講演会司会者の言葉を借りれば、二つの講演はまさに硬軟を代表するものだった。とりわけ二番目のは、純粋に一つのプロジェクトのみをめぐる報告で、予備知識などを持たないままではとっつきにくいものだった。取り扱ったのは、江戸末期の、死去した実在の皇女たちのために作成された坐像だった。木像の規模も出来栄えも、とても時代の達成を代表するものではなく、しかも尼寺に秘蔵されて、普通の信者に訴えるものじゃないから、自然に関心も少ない。しかしながら、講演者はたくさんの写真を見せてくれた。普段まったく見られない風景を目にして、とても新鮮に感じた。調査では、木像の頭を取り除き、胴体にカメラを差し入れる。カメラは特製のもので、わずかな空洞になっている胴体の中を綺麗に写して、内側に記された文字を写真に収めた。修復では、木像を持ち出して数年を掛けて作業をして、小さな坐像を細かく独立のパーツに完全に解体してしまう。その過程で、前回の修復で絵の具の下地に使われた新聞紙を丁寧に解読し、それをもって前回の修復年次の判断の根拠とした。しかもそのような修復はこれまで二百年程度の間に数回も繰り返されことをあらためて知った。

主催機関の長い伝統により、公開講演会の様子はインターネットで実況放送され、かつ録画のビデオはそのまま公開される。あくまでも開かれた学術報告であり、関心を寄せる人々を地道に増やす努力は素晴らしい。

世界の中の日本研究−京都から語る−

2014年5月31日土曜日

日光の鶴

特別に行事のない日を狙ってまた出かけた。今度はちょっぴり遠くへ足を伸ばして、ずっと訪ねる機会がなかった日光東照宮に入った。写真などで十分に見て、大体の様子もなんとなく想像が付いてはいるが、それでもあの金粉をいたるところに用いた装飾のあり方に少なからずに驚かされた。しかも多くの建物の色は他所ではあまり見かけない黒や白などを用いたこともあって、いっそう特異な感じを覚えた。

20140530東照宮には、鶴が多い。壁画、彫刻、銅像など、どれだけの数のものがあったのだろうか。じっさいに家康のお墓の前に立っているのも鶴だった。そんな中、陽明門を潜ったら、桐油蒔絵の鶴が特別に紹介されていることに気づき、まわりに貼り付けられた新聞記事などと合わせてしみじみに見入った。たしかに綺麗な絵であり、ユニークな構図である。絵師は狩野祐清、蒔絵師の名前は不明、とされている。興味深いことに、この蒔絵が二百年も前から貴重なものだとされ、これを保護するという目的で寛政のころ浮き彫りの彫刻をもって覆い被ったとのことだった。先祖から伝わる絵を大切にしようとする気持ちはありがたいが、それにしてもこの保護の方法は思い切ったところがあった。人目に触れさせないということは、考えてみれば究極な方法だと言わなければならない。

そのような先人の意図の割には、目の前の展示はいかにも素っ気なくて、なげやり的な思いさえ起こさせてしまう。絵自体は厚手のビニールシートに覆っただけで、しかも切り貼りされた新聞記事以外は、説明のパネルさえ用意されていない。当の陽明門はいまは大修理のまっただ中だ。門全体は白いテントに姿を隠されていて、しかもこれがすでに一年も経ち、さらにこの先五年も続くとのことだ。その中で顔を出しているこの蒔絵は、残念がる見物客へのせめての慰めなのだろうか。

2014年5月25日日曜日

舞台絵巻

20140525学生たちはホームステイに出かけた。仕事の合間を縫って、さっそく観劇を楽しんだ。チケットが入手できたのは、「七人みさき」というもの。気持ちをワクワクして劇場に入った。500人程度の小劇場だが、座席は八割程度埋まり、雰囲気はとてもよかった。

たいへん真剣で真摯な舞台だった。ストーリ、音楽、人物造形など、ツッコミを入れようと思えば、それなりのリストにはなる。しかしながら、大いに堪能できた一側面はあった。宣伝チラシには、「戦国幻想絵巻」との謳い文句があった。いまごろ、絵巻という言葉のこのような使い方はいささか陳腐だと感じられるぐらい繰り返されている。たいていの場合、綺麗な、俗世間離れの場面が後から後から展開してくる、といったつもりで共有されている。しかしながら、俳優たちの、運動靴を履いての動き、無国籍、無時代の衣装、大道具はほとんどゼロという質素さ、どれを取り出してみても、そのような連想をさせてくれない。しかしながら、舞台の展開には、あっと言わせるものがあった。舞台上において、つぎのような演出が頻繁に用いられた。グループAの一群の会話の中に、グループBの人間は静かに入る。そこで後者の会話が始まり、それが経過しているうちに前者の人間がゆっくりと消えていく。すなわち同じ空間にともにいるはずもない人間の姿がともに存在し、会話の内容をもって関係ない人間は存在しないというステージの約束を巧みに創り出したものである。同じ空間での共存するはずのない人間や状況の同在は、まさに絵巻の定番であり、それをステージ上で目撃できて大いに満足した。

このように書いていても、演出方法の記述にはなるだろうが、理屈の説明の無気力を感じざるをえない。流れるような舞台の展開、それこそ理屈ぬき、説明なしに楽しめるものだった。インタメンとしては、そもそもそうあるべきだと言わなければならない。

『七人みさき』

2014年5月17日土曜日

キトラの寅

日本の滞在もあっという間に一週間過ぎてしまった。毎日のように行事が続いていても、その合間を縫って出かけてきた。中でも美術館を二つ訪ねた。それもとても対照的になっていて、一つは良いものが展示されていてもほとんど参観者はなく、もう一つは意外なほどの少ない点数の展示品にもかかわらず考えられない人数の観客が集まった。平日の午後にもかかわらず、しっかりと行列を並ばされ、二時間待たされた。

140517熱心な参観者を集めたのは、あの「キトラ古墳壁画」である。ただこれも美術館ならではの効用だが、ずっと立った情報まま行列の移動を待たざるを得ない状況に置かれてしまうと、まわりの限られた情報や素っ気ないパネルの記述もついつい熟視、熟読し、それにより見逃しがちな知識が不思議なぐらいに頭に入ってきた。キトラ壁画の場合では、青龍と白虎の身体の構図はまるで互いに複製しているのではないかと思われるぐらい似通っていることにはっと気付かされた。両方ともに同じ形で尻尾と後ろ足が絡め、しかもその尻尾が空にむかって立ち上がっている。白虎の向く方向も通例のものと違い、南北が逆さまになっていることを知った。そしてなによりも十二支の一つである寅の鮮明な構図には驚いた。人間の身体や中国風の装束をし、威厳や凶悪な相を完璧に隠して、可愛さのみが残された虎。あえて言えば中世の鼠草子にみられる婿入り行列の鼠たちをすぐ連想させてしまうような造形には、はなはだ意外で、滑稽でいて愉快に思われるものだった。

今度の展示の中で、一つのハイライトは壁画の複製陶板とあげなければならない。しっかりした質感と、本物紛いの精密な制作、現物と並べて見られたからこそ、複製ものの完成度をあらためて認識させられ、それの積極的な利用方法をあれこれと想像したくなった。

特別展「キトラ古墳壁画」

2014年5月10日土曜日

婚式行列

学生たちを連れての東京滞在は、ささやかな観光をもって最初の一日を過ごした。勉強熱心な若者を相手に、毎年すこしずつ日程に手を加えたりして、今年は初めて神社参りを取り入れた。明治神宮を参詣した。参宮橋から入ったので、ゆっくりと正門に回る予定だったが、神殿の中庭において結婚式が執り行われ、新郎新婦を取り囲んだ行列が庭を練り歩く姿を目撃すると、みんなでわっと庭に走りこみ、一斉にシャッターを押しまくった。

婚式の行列はじつに立派なものだった。艶やかな一行を演出したのは、巨大な日傘。新緑をバックにした真っ赤な色は、まさにめでたい。それに照らされて、新郎の黒い袴、新婦の白無垢、それに赤と白を上下に着飾った二人の先導の巫女、まさに絵になる。よくよく見れば、新郎はなんと長身の白人だ。行列の中にも、同じく西洋人男性の姿が目立つ。なぜか身の回りの学生たちの身分と呼応して、妙な和洋折衷の一瞬を絵に描いたように感じ取った。現代の生活では、神社での結婚式は、かなり人々の意識に浸透したものであり、かつさまざまな形をもって、結婚式そのものを参拝客の目に触れるところで繰り広げ、神社風景の一つに定着したものである。悠長な儀式にせよ、あるいは短い行列にせよ、他の参拝客から驚嘆や羨慕の視線を集めることが式の要となる。そのような視線の中に、日本にやってきた初日の若者たちも入っていることは、なんとも素晴らしい。

学生たちの元気に押されて、あの清正の井戸まで立ち寄った。神聖なパワーを一身に浴びて、これからの集中した勉強をしっかりと迎えてもらいたい。

20140510

2014年5月4日日曜日

春だ、日本へ

今年も勤務校の職務として、日本行きの旅が待っている。東京まで直行便が利用できるので、わずか十時間そこそこの空の旅で、あっという間に地球の半分を飛び越えてしまう、まったく苦にしない旅行が予定されている。

仕事の内容は、二十名の元気はつらつな若者を引率しての語学研修だ。グループの構成は男女十名ずつ、しかも全員日本語のクラスを通っている学生に限っているので、素性を知っていて、安心していろいろなことを企画したり、指示したりできる。しかもそのほとんどの者は、日本、あるいはそもそも海外旅行が初体験で、旅への期待感の高いこととなれば、計り知れないものがある。出発に先立って、二十時間のクラスを設けることになっていて、ここ数日、連日の集中講義が続いている。それの中心的な作業として、グループを作ってブログを書かせることを課している。日本での毎日のクラスの合間に作業をしてもらうこともあって、今週から週一回、計五回のエントリーをノルマに20140504している。出発に先立って、とりあえずブログの立ち上げとそれぞれのテーマ、それにメンバーの紹介を要求した。実際にクラスで口頭で発表させてみれば、タイトルは非常に凝っていて、テーマも多彩多様で、教える立場にいながらも、こちらが吸収すべき議論や知識の多いことにあらためて驚いた。

旅の荷造りをしているこの週末。その中で、今日も雪が降って、それもじつに十センチ以上の積雪ができた。出発の日まで小雪が降り続ける、との予報だ。例年ながらこの季節の雪でもけっして異常気候とは言えないこの土地である。学生たちともども、春を飛び越えての初夏の日本が待ち遠しい。(写真は五月三日のバンフ)

Senshu 2014

2014年4月26日土曜日

摸写コレクション

古典の作品を手元に蔵め、気が向くままにそれを開いてみる。オリジナルものでなければならないという拘らないさえ捨てていれば、個人の蔵書という形で研究をやっている者なら誰もが真剣に取り込んでいると言えよう。一方では、古典作品の電子公開に伴い、在来の印刷物ではなく、電子画像を対象とするものなら、まったく次元の違う集合が可能になってきた。

現在に進めている「後三年合戦絵詞」をめぐる研究にあわせて、とりあえず一つの実践例を試みることにして、この絵巻にまつわる摸写本情報をまとめてみた。絵巻や摸写の基本書誌なら、これまで丁寧に集められている。しかし権威がある分、時間が過ぎたものであり、それを補うための公の研究機関による電子データベースでさえ、十分な更新が行われていない。一方では、公私の機関に所蔵され、あるいは新たに購入されたものはつぎつぎと公表、公開された。特定の作品について、既存の基本書誌、新出のタイトル、それに公開されたもののリンク、この三つの情報をまとめておけば、鑑賞や研究にそれなりに役立つものではないかと思い至った。有意義なものとして、名づけて「絵巻摸写コレクション」というささやかなセクションをこのブログの右下に添えた。

「コレクション」という名にふさわしく、内容はすべてを反映している自信がなく、あくまでも一人の調査範囲に止まる。だが、電子の形態だから、世の中に向かって開放し、関心から人と共有し、有意義な情報提供さえ密かに期待している。しかも随時に更新可能だから、怠らうに手入れを続けたい。

2014年4月25日金曜日

「後三年合戦絵詞」摸本書誌

基本書誌
『国書総目録』(増補版、一九八九年、岩波書店)
・・「後三年合戦絵」の項目に、東博重文本と31点の摸写、「奥州後三年絵巻並絵詞」に1点の摸写を収録。この内、巻物形態の摸写は計19点。
国文学研究資料館「日本古典籍総合目録データベース
・・上記の書誌を掲載するとともに、さらに館蔵のフィルム11点、この内、『国書総目録』未収録の巻物は6点。

新出諸本
後三年合戦絵巻」、東京富士美術館蔵(部分電子公開、下記参照)
後三年絵巻」、早稲田大学図書館蔵(電子公開、下記参照)
後三年合戦絵詞」、永青文庫蔵、三巻、福田太華写、天保15年(1844)
八幡太郎絵詞」、成城大学図書館蔵、三巻
後三年之戦図並文」、立教大学図書館蔵、一巻(巻下)
後三年合戦絵詞」、中野書店蔵(店頭にて電子公開)
後三年軍記」、大英博物館蔵(電子公開、下記参照)

電子公開
後三年合戦絵巻」、国立東京博物館蔵、重要文化財
・・元禄十四年(1701)補修の持明院特進基時奥書。なお現在知られている模本はすべてこの補修以後のものである。(「e国宝」)
前九年絵巻物」、国立国会図書館蔵、七巻
・・「後三年絵巻物」は最初の六巻(「国立国会図書館デジタル化資料」)
後三年役絵巻」、京都大学付属図書館蔵、一巻(上巻と中巻より)
・・嘉永六年(1853)、呉景文写、墨線の絵(「京都大学図書館機構」)
後三年合戦絵詞」、早稲田大学図書館蔵、三巻
・・同図書館カタログに「『国書総目録』記載」と注記(「早稲田大学古典籍総合データベース」)
後三年絵巻」、早稲田大学図書館蔵、一巻(上巻)
・・小嶋一鳳識語、文政6年(1823)(「早稲田大学古典籍総合データベース」)
後三年合戦之絵」、早稲田大学図書館蔵、一巻(下巻)
・・松岡清助識語、文政4年(1821)(「早稲田大学古典籍総合データベース」)
後三年合戦絵詞」、東北大学付属図書館蔵、一巻(上巻)
・・後半は着色なし(「東北大学デジタルコレクション」より)
八幡太郎絵詞」、東京国立博物館蔵、三巻
・・渡辺始興、平成十七年(2005)修理(「東京国立博物館画像検索」)
奥州後三年記」、国文学研究資料館蔵、国文研貴重書、三巻
・・鈴木熹三二尚志、松平忠厚蔵本を用い、「私に彩色す」とある。文政13年(1830)(「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」)
後三年役絵巻」、国文学研究資料館蔵、一巻(上巻)
・・(「所蔵和古書・マイクロ/デジタル目録データベース」)
後三年合戦絵巻」、東京富士美術館蔵、三巻
・・源琦、明和7年(1770)(「東京富士美術館」)
後三年軍記」、大英博物館蔵、一巻(中巻)
・・1881年同博物館収蔵(「Collection online - British Museum」)
後三年合戦絵詞」、中野書店、三巻
・・(同書店店頭展示、2013年7月確認)

2014年4月19日土曜日

摸写の創意

絵巻は摸写されていた。そのような摸写の作は、実はかなりの数に及び、しかもその多くは今日まで伝わっている。わざわざ絵巻を摸したのだから、きっと全神経を使い、ありったけの注意を払って、オリジナル絵巻に似せるようにしたに違いないと想像されがちだが、現実的にはそれに程遠い。しかも、たとえば技術的に不可能だといったような理由で簡単に片付けられるようなものでもない。

20140419「後三年合戦絵詞」の摸写作品を披き、配色のことを取り上げてみよう。それこそ千差万別であって、原典を円心に置くとすれば、その出来栄えはきれいにさまざまな方向に散り張っている。中には、内容に関係なく豪華な配色もあれば、最初こそあれこれと色を試して、途中になってまるで諦めたかのうに色を投げ出したものある。色を一切退けて、流暢な墨線のみによって絵を描きおこして見る者を関心させたと思えば、こまこまと色について文字で指示を示して、そのような情報をどうやって受け止めるべきかと戸惑いを感じずにはいられないものもある。さらには、巧妙な色感覚を披露して、原典の様子にお構いなく、それ自体が一つの独自に統一された美しい世界を演出している。(写真:大英博物館に所蔵されている「後三年」摸写本より)

以上のような「後三年」摸写の諸状況を纏め、ささやかな分析を加えたものが最近活字になった。今度もまた印刷した抜き刷りは郵便の手違いでいまだ手元に届かず、代わりにさっそくオンラインで公開されたお陰で電子ファイルで読めるようになった。あわせてここにリンクを添えるので、関心ある方はどうぞ目を通してください。

絵巻の摸写から何を読み取れるか

2014年4月12日土曜日

ポンチ絵

さる火曜日、めずらしく授業外の時間においてふだんの学生たちを対象にささやかな文化の講義をした。はじめての試みとしてのレクチャー・シリーズの一環として設けられたもので、絵巻の話を持ち出した。そこで、すこしでも学生たちの日常に近づけようと、漫画への展開をテーマに据えた。音声や動画まで動員させて、何人かの好奇心を確実に惹き起こすことがあればと、願うばかりだ。

20140412話を準備している間に、「ポンチ絵」という言葉を知った。これまでの自分の語彙リストにはまったくなかったものである。調べてみれば、国語辞書には確かに収録されていて、れっきとした使用例を擁している。江戸も最末期においてイギリス人が発刊した雑誌「The Japan Punch」に由来したもので、パンチならぬポンチとなったと、一様に解説されている。雑誌の中味は、一コマ漫画なる「カトーン」。時事諷刺と社会批判などをモットとし、あの時代の雰囲気を垣間見る格好の資料として、近年は複製まで出版されている。ならば、あの「北斎漫画」にいう「漫画」と、いまごろの「マンガ」とを繋げる最高の中継点を成すものなのだ。なによりも、絵描きの手本的なスケッチではなくても、内容のあるものだから、それまでの「漫画」とは一線を劃したものだ。一方では、ポンチのままだとどうしても言葉としては収まりが悪い。普通の人々にも素直に受け入れてもらうためには、やはり在来の、しかもおそらくはそこそこしか知られていなかった漫画という名称に置き換えられることが、ささやかな運命だったかもしれない。

それにしても、一つのユニークな言葉としてのポンチ絵は、世に現われた上限が明らかだが、それははたしていつごろまで使われたのだろうか。いまごろ、発達されたデータサーチのリソースを持って、簡単に答えが得られるものだろうけど、まったく利用していない分、その様子には不案内で、すぐには手がかりが得られない。

2014年4月5日土曜日

言語習得の理論と実践

勤務校ではあれこれと変化が起こっている。身近な出来事の一つに、所属している学科は他の学科と統合して倍の規模になり、名前も変った。行政的に発効されたのは去年の七月からのことだが、二日まえから、二日連続のささやかな学科新設の記念行事があった。言語学と五つの外国語が集合されたので、アメリカから言語学と外国語教育の研究者を一名ずつ招待して、合わせて三回の講演会が開催された。

言語学と外国語教育は、至近距離にあるようでいて、まったく違う分野である。そういう意味もあって、互いの分野の人をも相手にしながらの講演や議論を聞いていて、あれこれと興味深い。中にはこのような一齣があった。言語学の学者は有名な理論を紹介して、言語習得は幼児からでなければならない、一定の年齢を過ぎたらもう無理という仮説を紹介した。これに対して、外国語教育の学者はすかさずそれ自身の経験を持ちだして、十七歳からはじめて勉強を始めたにもかかわらず、いまはその言語の教師として誰にも引けを取らないとのことを持ちだした。もともと和やかな場で論争を披露するのではないから、このような鮮明な対立でも、「自分はきっと例外だったに違いない、晩熟したものだった」と、いかにも優雅に紛らしたものだった。その通りだろう、成年になってから外国を学習してそれを熟練に操る人や、逆に子どものころからしっかりした生活や教育を経験しても母国語を満足に使えない人、いやというほど知っている。ただ、一つの影響力のある理論は、どのような実際の反例があったにせよ、特定の文脈の中で検討され、展開されてきて、人々の認識にきちんと貢献していることも、疑えないことだろう。

個人的には、就職したその日から所属の学科には「東アジア研究」という名前が加えられたもので、それが一つのひそかな自慢だった。それもいまや過去の歴史となった。ただただ時の流れを実感させられるものである。

2014年3月29日土曜日

半旗

半旗は、亡くなった人への哀悼を表すフォーマルな儀式である。明らかに西洋的な概念であり、東洋の国々としてはひとまず舶来されたものである。興味深いことに、同じ半分に掲げる旗についても、日本語ではこれを「掲げる」ものであり、中国語では「下げる」であり、英語ではそもそも半分の旗というような表現がなくて、「half-mast」と旗ではなくて旗竿が言葉を構成し、かつこれが動詞として用いられている。

20140329思えば、半旗というものは、子どものころに事象と概念を合わせて覚えたものの一つだった。旗をあげること自体、年に数回の特別な国レベルの行事や祝日にしか行われていなかったものだから、半旗とはまったく普段の日常から程遠い、ときにはただならぬ思いや記憶を伴われたものである。一方では、この感覚は日本語の中でもさほど変わっていない。日本でも、国旗が半旗に掲げられることは、同じく国レベルの人への哀悼だと決められている。しかしながら、英語圏での生活の様子はだいぶ違う。掲げられているのは国旗であっても、まわりの人間がその対象となりうる。どこまで詳細な規定があるかよく調べていないが、勤務校の場合、在任中の大学の教職員の死亡などについて、大学の公式サイトにおいて広告され、あわせてキャンパスの真ん中に位置する国旗が半旗に掲げられる。

先週、同じ教科を担当し、二十数年もともに仕事をしてきた一人の同僚が闘病のすえ亡くなった。半旗を眺めながら、冥福を祈る。

2014年3月22日土曜日

護摩木

オンラインのイメージ検索、場合によっては辞書を調べるよりも便利で使いやすい。少なくとも言葉を対象にする教室では、そのようなことをかなり頻繁に実感している。先週もそのような一瞬があった。火渡り祭りの行事をレポートした学生に「護摩木」を説明するには、写真の集合を見せてあげるのは、一番てっとり早い方法だった。

護摩は大事な仏前の行事の一つなら、護摩木ということもきっと由緒正しいと睨んだ。ただ調べてみると、意外と古い用例は出てこない。護摩を焚くために、木材が主に使われたとしても、特化されなかった、ということだったのだろうか。語り物では、護摩は煙とセットになっている。中世の大事なイメージである煙の中でも、護摩こそ無常に至近距離にあったからに違いない。それからすぐに思い出されるのは、あの「平家物語」に出た衝撃的な祈願のエピソードだ。命をぶっつけて祈願するということを極限に拡大し、劇画的に語られたものだが、護摩の火を燃やすには木材に限らないものだと、実用的ではなくて、精神的な、想像的なレベルで虚構されたものだろう。

20140322一方では、護摩木にはこれといったあるべき形をしたのだろうか。もともと燃やして煙となるものだから、あるいは大切な要素ではなかったのだろうと想像していた。そこで検索で集合された写真を見て、熨斗が付いているのが多数あったことを発見した。護摩木はいまやすっかり商売のアイテムとなった。それ自体のサイズによって値段の違いを明らかにし、しかもりっぱな熨斗まで付けられ、贈与に用いられている。いかにも今風のものに成長したのだ。

2014年3月15日土曜日

歩月

言葉って微妙なものだ。古典からのものだといっそうそう感じさせてくれる。時にはかなり自信をもって使っていても、けっきょくはずっと誤解のままの誤用だったりする。使っている自分の教養が足らないと言えばそこまでだが、言語使用者の感覚、そして交流の目的達成まで持ち出したら、ことはそう簡単ではない。

20140315今週にもそのような実例に出くわした。「歩月」という言葉がある。個人的にはけっこう愛着があって、学生時代は遊び印に用いて、書の習作などにけっこう押していた。この言葉の意味するところは、神仙郷ならぬ月の上を一人歩くものだと気軽に理解して疑わなかった。しかしながら、実際に辞書を開いて調べれば、用例はかなり違っていたことに気付かされた。すなわち月の上に登ったといった大それたことではなく、あくまでも月に照らされて、誰一人いないところを一人徘徊するものだった。それこそ一人で琴を弾いて自省したり(「南史・王藻伝」)、はたまた離れた故里への思いに耽ったり(杜甫「恨別」)するものだった。対してだいぶ突飛なものとなれば、「步月登云の志」(謝讜「四喜記・赴試秋闈」)といって、月に到達するまでの行動を、いわば出来ようもないものとして用いたものもあった。

しかしながら、だからと言って月の上に到達したあとのものとしてこの言葉に接することはぜったいに間違いだとも、はたして言い切れるものだろうか。先週、学生たちを相手に設けられた書道クラスに助け役として出て、昔の遊び印を見せてあれこれと押してあげた。「歩月」を出して、「ムーンワォーク」じゃないよと冗談まで交えて説明したのだ。いまの学生には、月の光のもとを歩くより、月の上を歩いたほうがはるかに簡単に理解してもらえることだけは、確かだ。

2014年3月9日日曜日

最先端と教育

20140309叢書「DHjp」は、はやくも第二号が発行された。今度のテーマは、「DHの最先端を知る」と名乗る。しかしながら、編集者が抱いたもう一つのキーワードは、「若者たちへ」というものだった。それにあわせて、北米大学学部教育における専攻分野としてのDHの現状をリポートし、小さいな投稿をした。

レポートの終わりに、去年の暮れに公開されたオバマ大統領のYoutube動画スピーチのことを触れた。ここでもリアルタイムに議論に取り上げた。叢書の刊行が実現されたいま、なにげなくあれこれと読んでいるうちに、つぎの新聞記事が目に飛び込んできた。「プログラミング教育広がる・授業必修化、教室など活況」。しかも日付を見てみると、なんとあのオバマのスピーチよりちょうど一ヶ月前に公表されたものである。まったく同じ動きは日本でも確実に進められているものだと、粗忽ながらもまったく気づかなかった。一方では、ここでも同じような疑問的な立場を繰り返したい。この日本の記事では、責任者の発言としてつぎのようなものがあった。プログラミング教育の狙いは、「紙とクレヨンで絵を描いたように、プログラミングができればパソコンを自己表現の場として活用でき(る)」にある。気むずかしい「ロジック的な発想を育成する」などとしていない分、子供たちの実態に添えていると言えよう。ただ、コードとクレヨンとはまったく異質なものだということを忘れたくない。子供が成人して、クレヨンをペンや筆、ひいてはキーボートに変えることは同じ性質の道具の延長なのだが、コードというのはあくまでも特定のハードやソフトに依存した約束事であり、かつあまりにも完成形にほど遠い。はたしてこれを教育の対象とすることは、どこまで有意義なのだろうか。

「DHjp」第二号はもうすぐ店頭に並べられると思う。Amazonでも、いまだ「予約受付中」として、書籍のカバーも用意されていないのだが、同書の電子バージョンは出版社運営の専門サイトですでに販売されている。今度も編集者の厚意により電子の献本をいただいた。郵送の時間を待たずにさっそく読めたことに、ただただ感激だ。

E-BookGuide:「DHjp No.2 DHの最先端を知る

2014年3月1日土曜日

3Dポンペイ

20140301その名をずばり「ポンペイ」とした映画が上映された。学生時代、異様に蒸し暑い日差しのなか、ひっそりした史跡を訪ねた記憶がはいまでも残っていることもあって、一種の親近感を覚えた。しかも、あの「47 Ronin」だって数週間前のことだった。同じく3Dの、現実世界から離れたファンタジーものならば、どのように仕立てられるのかと、興味をもって映画館に入った。

普通の観衆にとって、ヨーロッパものは、さすがに日本のそれより距離が短い。ストーリの作りも、典型的な「災難もの」で、すぐ気づくことに、あの「タイタニック」へのオマージュだ。悲劇という結果が前提なので、それにあえて死を求めるという極端なテーマを付け加えた。それを可能にするために、剣闘士(グラディエーター)を主人公に据えた。死という終極な結末に向かい、ヒーローの、自由を得ての死と、悪人の自由を奪われた死という対置を設けて、一つの不可能なロマンを演出した。災難ものとしての見ものは、ここの場合、地震、火山噴火、そして裂け落ちる大地なのだ。中では、津波の様子はとりわけ迫力があった。古代ローマ風の神殿との組み合わせは、史実考証云々はともかくとして、視覚的にははなはだインパクトがあって、忘れがたい。

ちなみに、映画の公式サイトはとてもユニーク。映画宣伝の方法はいつの間にかすっかり変わったのか、それともこの一作だけが思いっきり新しいことを試したのかは定かではないが、とにかく予想とは違う。まずはさまざまな作りの写真が並べられて、まるで今どきのデジタル写真の見本市の感を呈する。映画制作者とは違う、見る側の視線を活かした観客参加型のアプローチの実験なのだろうか。

「Pompeii」公式サイト

2014年2月22日土曜日

「馬木」

20140222郵便局は薬局の中、はなはだカナダ的な風景の一つだ。ふだんは訪ねることが少ない。荷物を受取るということで立ち寄り、きれいな切手に目を惹かれた。そういえば、中国のお正月が過ぎたばかりで、今年も午年の切手が出されている。しかも特別記念セットとして、行く年来る年よろしくと、去年の分と合わせて一枚に纏められ、とても洒落に仕上げられている。使う気もないまま買っておいた。

カナダ郵便局の公式サイトで確認すると、モントリオールで活躍している芸術家のデザインによるものとのこと。ならば馬の絵柄も色もオリジナルなものだ。輪郭だけで描き出された馬は、去年の、まるで巨大な草食動物の唇をした蛇とは、対極した着想を見せている。輝く黄金色もいかにも東洋の感覚を醸し出している。ただし、切手の中やセットの背景に大きく施された「馬木」という二文字は、どうしても解せない。この二つの文字は、どう読んでも馬と木だ。ただ中国語として、年のこともふくめて、このような語彙は知らない。はたして何を意味し、どこから生まれた言葉なのだろうか。さきごろの公式サイトの説明を読みなおして、すくなくともデザインした人の意図が分かった。いわゆる五行説で馬は木に属する、とか。もっともらしい説明だが、それぞれそれなりに考えられたのだとしても、こうして並べられて伝わるものとはとても言えない。

カナダという社会の中で繰り返し出会う、いわゆる東洋文化への漠然とした表現と認識の、その中でもきわめて極端な実例の一つに数えられよう。中国文化を象っているだろうけど、妙な組み合わせになってしまい、けっきょくはまったくピント外れとなってしまう。中国の、それも現在の常識に合わせようとしない、あるいは中国文化の博大な内容はこのような理解や享受まで受け入れていると言えば、それまでのことだが。

Year of the Snake to Year of the Horse

2014年2月15日土曜日

模写の理由

「なぜ制作されたか」ということは、絵巻研究における基本課題の一つだ。これに対して、「なぜ模写されたのか」という問いには、これまでけっして十分な注意が払われていない。模写とは綺麗な複製だと捉えられ、それ以上でも以下でもなかった。ただ考えてみれば、複製だと言っても、今日では想像も及ばない膨大な労力と技術、財力と権力がなければけっして成し得なかった。その分、複製という活動の理由と狙いをもうすこし考えを与えてもよさそうだ。

このような問いに正面から取り上げる論文を読んだ。そのタイトルは、そのまま「絵巻はなぜ模写されたのか」なのだ。「春日権現験記絵」の模写をめぐり、国学者長沢伴雄の活動を慎重に追跡したものだ。用いられたのは、模写に添えられた製作者の記述、そして一大事業を陣頭指揮を取り、しっかりとプロデュースした長沢伴雄の日記など当事者の記録であり、クローズアップされてきたのは、これを取り巻く政治的な力であり、これが置かれたさまざまな学問的な活動であった。結論から言えば、この一件の模写の目的は、結職故実だった。さらに言えば、国学の一環としての活動であり、根底にある方法論において共通しているということだった。長沢本人が書き記したつぎの一行が引用されて、とりわけ印象深い。「古書画はそのかみの事をしるにいと便利よろしき物なれは別てあまたに模しおくへし。」

模写の実際を理解するためには、じつに精緻な一例だ。一方では、同じ課題にむかって、たとえ当事者の記述が残されていなくても、さらに言えば、当事者個人の意識意図如何に関わらず、模写の制作にかかわる理由やその効用、それを支える時代の常識を、模写作品それ自体から読み取ることも可能なはずだ。魅力ある課題である。

「絵巻はなぜ模写されたのか」

2014年2月8日土曜日

IT教室、そのニ

去年の秋から新学年の始まりにあわせて使用されはじめたIT教室は、いまごろになってささやかな開幕のセレモニーを迎えた。これ自体もかなりお国柄が垣間見られる対応ぶりだが、いずれにしても予算などを許可した行政責任者、熱心に企画した担当者、実際に使ってきている教師、そして校内の記者まで駆けつけてくれて、ユニークな教室の存在をアピールした。

教室の機材配置と言えば、たしかにいまごろの最先端を代表している。キーボード一つ取り上げてみても、キーはそれぞれ独立した液晶モニターのような構成になっていて、英語以外の言語をそのまま写しだしている。かつてはラボのパソコンを更新したら、すべての端末のキーボードにロシア語のステッカーを貼り付ける作業を実際に経験させられただけに、技術の進歩には感無量のところがあった。一方では、技術の限界、あるいは技術の現在進行型もいたるところで見せつけられている。こんなに単純でいて丁寧に用意されたプレゼンでも、思わぬハプニングが付いた。発表担当者が直前まで繰り返し練習したものだが、その練習がアダとなって、実演の途中にパソコンがフリーズしてしまった。司会、発表者、それに技術責任者が三人も集まって緊急対応し、やむなくリブートする数分間を待たせざるをえない現実は、いかにも象徴的だった。結論からいえば、こんな小規模なネットワークでも、インターネット全般のスタンダードな対応で臨んだがために、リソースを無駄にしているという技術的な問題が決定的にあるのだろう。単純な作業を単純にこなせることを要求されるものだが、言語教育、それも複数の言語を日常的に共存しているような環境など、けっきょくはほんの小さな市場に過ぎず、対策などまだまだ待たされることだろう。

考えてみれば膨大な予算を投入しての環境作りだ。その成果といえば、使う人に頼らなければならない。まわりの人々を見れば、ハイテクにかなり疎い教師でも、じつに黙々と、前向きに取り組んでいる。技術に憧れをもつ立場からすれば夢のような話だが、勉強をかさね、余分な時間をかけて根気よく育てていかなければならない。現実でいて、妙なものだ。

2014年2月1日土曜日

DHjp

20140201今週、「DHjp」と題する新刊が店頭に並べられた。郵送されてくる実物がいまだ届かず、実際に読むまでわくわくしている待ち望んでいる。目録を読めば、じつに多種多様の課題や新たな展開などが取り上げられている。中では、掲載された原稿の一点はすでに著者によって全文公開され、カラフルな紙面や充実した議論がすでにインターネットを通じて伝わっている。

DHとは、いうまでもなく「Digital Humanities」のことである。この言葉について、かつてここでも議論した。個人的には、「デジタル人文学」という普通の日本語の表記を取りたい。しかしながらどうやらいまでも簡単に決まるというわけにはいかず、「デジタル・ヒューマニティズ」といった長いカタカナ言葉もあり、このようなインパクのある出版物は「DH」という英語のままの表記を選んだ。複数の表現はいまだ共存し、どれも流動的だというのが現状である。その結果、使う人がそれぞれのニュアンスを持たせ、使用する時や場、思いや狙いが込められている。そもそも、英語表記においても、まったく同じことである。勤務校で今週行われた集中的な行事の一つにおいて、周りはまたまた一つまったく異なるバージョンを作り出した。いずれ実際の形に結んだら紹介したいと思う。学問の中味が変容を続けているばかりでなく、その称呼まで流動していることは、まさにいまの時代に廻り逢う貴重な経験の一つだと言えよう。

DHjpは、シリーズものとして計画されている。その創刊号に短い一編を投稿させていただいた。ずっと一つの理想像として受け止め、個人的にはまったく関連しなかったプロジェクトを紹介した。いくらか参考になれればと願っているばかりである。

DHjp 新しい知の創造

2014年1月25日土曜日

鵜の寿命

今年も「日本語作文ボード」を再開した。すでに三年目に入るが、その年度に卒業する学生たちを対象にしたクラスが全員で運営するサイトで、週一回の更新をしている。今年の学生数は11名、いずれも個性豊かで、やる気いっぱいだ。学期を通して十二編を書き上げるという予定で、まさに作文のマラソンである。

ukawiさっそくやや意外な話題が取り上げられた。日本旅行の思い出を記したものだが、なんとわざわざあの長良川の鵜飼を見物してきたものだった。宇治川の鵜飼しか思いになかったのだから、虚を突かれて、クラスではなんとか場を凌ぎ、パソコンの前に座ったらあれこれと調べてみた。鵜の鳥を道具にしての漁は、せいぜい釣り人の享楽なものだとばかり考えていたのだが、なんと「隋書」に記されたものでは100尾を下らないと言い、さらに明治時代の記録だと、一晩で一羽の鵜が300尾を取ってきた、とか。ただそれでも特権や援助が付きもので、強力な経済活動には程遠いということには変わらない。それから、観光のハイライトになっているだけに、ショーとしての要素は強い。ただし、どうやらそれだけでは捉えきれないところがあり、鮎などの魚が、釣り糸と闘わなかった分、新鮮でいて骨が柔らかく、旨味が上等だ、とか。

しかしながら、鵜の首に輪を取り付けるということ自体、いまごろの西洋的な発想だと、どうしても動物本位の疑問が付きまとう。じじつ、同じ作文に寄せられたコメントには、さっそく「鵜が可哀想だ」と書き入れられた。じっさいに見物してきた学生は、これについての答えをきちんと抱き、「普通の鵜の寿命は四五年、鵜飼に使われた鵜は二十年近く生きられる」との知識をすらすらと披露した。動物を道具に用いる実践になると、このような回答は、観光地などではっきりと用意され、大きく伝えられたのだと、感心した。

日本語作文ボード

2014年1月18日土曜日

ストリート個人ビュー

20140118ストリートビューは、グーグル地図の大事な一部分だけではなく、いまやほかのオンライン地図のスタンダードにまでなっている。その中で、グーグルはまた新たな試みを始めた。ユーザに写真投稿を呼びかけ、公式のストリートビューの一部分として地図の上で公開するというものである。そのような「個人ビュー」は、公式サイトからキーワード検索などでもアクセスできるが、地図の上にアイコンを引っ張ってストリートビューを使う方法だと、公式ビューは線、個人は丸い記号と、完全に一つのインターフェースに集合されている。

個人でも画像データを制作できるということは、スマホなど携帯ツールの機能向上に頼るところが多い。どこでグーグルは「sphere(球形、天体)」と名乗る360度写真フォーマットを用意し、だれでも手軽に撮影ができるようになった。しかもたいていのスマホカメラでも、じつに良い画質のものが出来て、実際に使用されている公式ビューの画像とはさほど変わらない出来栄えになっている。おまけにスマホのGPS機能を活かしたら、位置情報まで記録されて、場所特定の作業さえ自動的に完成される。公式ビューに個人のものを加える理由については、街角の違う表情を伝えたいとの説明が行われている。考えてみれば確かにその通りだ。街の風景は、まさに時間とともに刻々と変わり、ストリートの表情を成している。そのような無限を埋めるには、個人ユーザーの参加はまさに一つの新たなスタートだ。

興味深いことに、個人ビューのクレジットの付け方だ。共通したインターフェースからアクセスできて、あくまでも公式ビューの一部分と化したそのような画像データには、グーグル+のユーザ名をそのまま用いたのである。つまり画像は投稿してグーグルに渡したのではなく、あくまでもユーザ同士で共有するというものである。しかも共有したあとの確認やアクセス数の報告など、グーグルは丁寧なフォローを忘れない。一人でも多くのユーザを誘い、慎重に枠組みを建てる努力を見逃してはならない。

Google Maps | Views

2014年1月11日土曜日

異界RONIN

「47 RONIN」は、日本に遅れて地元の映画館にやってきた。クラスでは「忠臣蔵」のことにあわせてこれまで二回もこれを話題にしたから、見ておかなくてはということになった。平日を選び、それなりの期待をもって、映画館に入った。3Dバージョンで撮られているのだから、製作者の力の入れようを感じずにはいられなかった。

宣伝にもあったように、なぜか「セップク」には異様なほどの執着ぶりだった。普通の映画なら一回で十分な内容なのに、ここでは二回もじっくりと見せた。47人の最期となると、たしかに予告編にあったように全員一堂に集まり、介錯なしで短刀一本で命を終わらせた。それもまるで団体体操よろしくと、白装束を脱ぎ捨てるところを一斉にやりきることで視覚の美を表現した。なにからなにまで奇想天外で、短冊だけは生々しく用意され、そして主人公をこい恋慕する女性の手に握られるところで幕が落ちた。もともとそういう目で見ると、映画全体はどこまでもフェックション。庭園といえばサイズも橋の作りもまったく異界もの、刀がスポットライトを受けて奇跡として手に入ったとしても、裸の刀で鞘はなく、布でも纏いあ20140111げられたような格好となった。悪役の手助けに空を飛ぶ魔物の女性が加えられたが、せっかく道成寺があるのに、竜のイメージと変わってわずかなヒントも台無しになった。しかも悪の権化なる吉良を倒した最後の立ち回りでは、その命を断ち切った方法は、やはり腹に斬りつけたものだった。

しかしながら、この映画を見に行ったよとクラスで触れたら、先生が不思議だという雰囲気になって学生たちに笑われた。事実、映画館では、平日だとは言え、観客はわずか数人、それも全員友達連れではない男性だった。一つの映画として、どうしてここまで評判が悪くなることが可能なのか、それがミステリーになりそうだ。画面やストーリへのつっこみを入れたり、滑稽さを取り出して笑ったりするのも一つの楽しみ方だが、このように映画鑑賞をしたら、製作者にはやはり失礼なのかな。

2014年1月5日日曜日

セレネの馬

20140104大英博物館には、数えきれない秘宝が陳列されている。そのスケールには、まさに見るものを圧倒する迫力がある。古代ギリシアの展示ホールを歩いていて、思わず足を止めた一点があった。真っ白の大理石で彫られた馬頭である。ほぼ実物大のサイズを持ち、傷だらけで、斜めに石の台に載せられている。広い空間の中で、言いようのな生命力を迸り、絶大な存在を見せつけている。

添えられた説明文をゆっくり読んだ。彫像は紀元前5世紀のものである。アテネの神殿の東側の切妻壁に彫られ、月の女神セレネを乗せる二輪戦車を引っ張る群馬の中の一匹である。説明文曰く、「馬は徹夜の疾走に疲れきったーー目が膨れあがり、鼻の穴が広がり、口が大きく開く」。セレネの馬は、明らかに大英博物館の自慢の一つである。同館の公式サイトはこの一点のために特別な一ページを用意し、さらに詳しい情報を提供している。それによれば、同じ切妻壁の彫像はほとんど失われたが、女神セレネのトルソー(頭および手足のない裸身の彫像)はいまだアテネに残されている。さらにこの馬頭の彫像は、古代ギリシア彫刻の展示品の中でもっとも著名で、一番愛されていると結論している。同じページにはさらに音声案内の音源まで公開し、馬頭の裏側という、切妻壁の飾りとしては見えないはずの部分まで丁寧に彫られていると、より詳しい情報を伝えている。

思えば、すでに二千五百年も前のものとの対面である。人間と馬との友情、打ち砕かれても壊れても、隠しようのない生命力を訴えつづけている彫像、素直に心を動かされ、深く思いに残った。午の年の始まりにこれを記す。

Head of a horse of Selene