2022年10月1日土曜日

仮名と漢字

先週、「現代語読み」をめぐって書いた。今度は、それを支える理屈をもうすこし付け加える。

古典の原文を現代語表記に置き換える、とりわけ仮名遣いを現代のそれに直す、というのは、この提言の骨子である。言ってみれば、古典表記の漢字を現代通用のものにするというやり方は、すでに広く受け入れられるようになった。その方針を仮名に広めただけのことである。

漢字表記が今日の「通用」のものになったには、主に二つの要素が働いたと思う。一つは教育、一つはパソコン技術の進化。互いにかなり離れた分野だが、その作用が明かだった。ともに頻繁に使う漢字を精選し、使う漢字に優先順位をつけるものである。教育には、統一性、効率性が基礎であり、行き届いた教育を行うものとして必須のものである。パソコンの方は、汎用した技術に従い、JIS1、JIS2と工業基準が粛々と制定され、それから漏れたものは結局実用から遠ざかれる結果となる。あまりにも有名なあの「黒」、「黑」の例はいつもまっさきに挙げられる。いまや後者の文字もUnicodeによって簡単にアクセスできるようになったが、かなり長い間の実施により、後者を使わないという慣習が定着し、苗字や地名にこの文字をどうしても使いたい人は、どれだけ戸惑ったことだろうか。

仮名の変遷や現代仮名遣いに定着したのは、考えれば上記の漢字よりはるかに早かった。それを牽引したのは、読まれる通りに仮名を選ぶという単純な方針だった。助詞の「は」などあまりにも用例の多いものは特例を設けるなど、完全だとは言えない側面は多々あったが、現代語表記の安定的な一部になっていることは争えない事実である。

以上の視点から見れば、限られた漢字で古文を表記することが許せるなら、仮名表記を現代に変えられない理由はどこにもない。実際に文章を並べてみると、読みやすさが明らかに向上したのだから、このような実践、いろいろな場でもっと試してみたいと思う。