2017年12月9日土曜日

ビデオコンテスト

前からずっと関心をもつ構想の一つには、学生たちのビデオ作品を集めて披露するというものがあった。今年の夏、国際交流基金からの助成が与えられ、日本語の課程を開設しているカナダの大学に声を掛けたら七つの大学からの賛同が得られて、「カナダ日本語ビデオコンテスト」を実施した。募集の締め切りは二週間ほど前であり、実行委員会によって選出された候補作30作が公開され、ただいま特設の審査委員会に審査をかけられている。

行事の告知から、応募作品の提出、そして公開などすべて既存のものを利用する方針を採用した。そのため、コンテスト名義のグーグルアカウントを取得することから始まり、公式サイトはグーグルサイト、応募はグーグルフォーム、そして作品発表はYouTubeチャンネルと、すべてグーグルの環境に依存することにした。この過程において、じつにいろいろなことを習い、多くの知識が得られた。行事を主催するにあたり、著作権関連のことにとりわけ注意を払ったので、実際の経験から管理の一端が見えてきた。動画作品には、音楽が欠けられない。利用された音楽になんらかの権利を侵害しないかと慎重を期して、「AHA Music」というツールを利用してタイトルや歌手の情報を取得した。その場合、著作権フリーの音楽まで歌手情報などが明確に得られた。一例のみ、動画の作者が本人がもっている音源を利用したものだが、YouTubeサイトは、「歌手が利用を許可する、広告が現れる可能性あり」との旨の知らせをアップロード画面に残した。画像情報については、著作権に抵触するものはないとの表示はチャンネル設置の画面にはっきりと出ていて、そのような角度からYouTube側が目を光らせたことが分かる。

今年の「新語・流行語大賞」には、「ユーチューバー」が候補の一つになった。ただ、世の中では、これを語るになぜか収入やらフォロワー数やらに関心が集まる。動画と収入は、もともと連結する必然性はない。単なる視聴者の数を狙うのではなく、動画媒体の表現や記録、ひいては教育や文化宣伝における有効な手段としてのユーチューバー的な活動の可能性も見逃してはならない。

カナダ日本語ビデオコンテスト

2017年12月2日土曜日

デジタル絵解き

去る月曜日、笠間書院から「日本文学の展望を拓く」五巻が郵送されてきた。待ちに待った出版である。手元の作業を投げ出し、小包を開き、いずれも400頁近い新刊を後から後から捲った。まず頭の中に浮かんできた言葉は、ひさしぶりに体験し、強烈に伝わってくる「書の香り」だった。

わたしが投稿したのは、「絵画・イメージの回廊」に取り上げられた絵画メディアに沿った一篇である。論考の内容は自由に選んでよいという寛大な編集方針に甘えて、デジタル関連の最近の仕事を報告することにした。そもそも紙媒体の出版物にデジタルの作業を説明する機会はかなり限られている。そんな中で、与えられた貴重な紙幅を用いて、ここ数年手探りで試みてきた画像、音声、動画などの異なるデジタル方法を絵巻の読解に応用した経緯、成果、そしてそれに掛けた思いなどを纏めた。そして、この一連の実践を一括りに「デジタル絵解き」と名付けて、絵に向けてきた歴史的な視線との関連、連続、継承を訴えようとした。

今週オンライン全文公開された「リポート笠間No.63」において小峯和明先生が自ら触れられたように、このシリーズは小峯先生の古稀記念のために企画されたものである。思えば、いまからちょうど20年まえの1997年の夏、外来研究員として立教大学に招かれた以来、小峯先生にはその教えに接し、研究や生活などにおいて数え切れないほどのご配慮を賜り、お世話になった。このブログの出発も、まさにそのような研究滞在の一つから生まれたものだった。池袋界隈での日々を覚え出し、各巻の編者や錚々たる執筆者の顔ぶれを思い浮かべて、なんとも感慨深い。

日本文学の展望を拓く

2017年11月25日土曜日

昇天する李白

大詩人李白。その生まれは太白星に由来するならば、その死もけっして凡人の真似るものではない。事実、李白の終焉については、病死説もあれば、酒に酔って船から水中に落ちた伝説もあり、はたまた天上に昇り仙人に姿に戻った派手な言い伝えもある。

昇天する李白の様子は、どうやら明の時代になって広く語り伝えられるようになったもようだ。その様子は、丘浚の詩「謫仙楼」などに詠まれている。そしてより詳しく、いきいきとしたものには、馮夢竜の話本「警世通言」第九話「李謫仙醉草嚇蛮書」があげられる。おなじく船に乗り、酒に耽る李白の周りに、とつぜん強風が吹き水面が荒れ、衆人が見守るなか二人の童子が現われて仙人を迎えにきたと声高らかに宣言する。はたして李白はそのまま天上へと消えて行った。ただこの場合、仙人を載せたのは、ちょっと一風変わっている。それは駕籠でもなければ竜でもない。なんと鯨なのだ。一方では、どうやら明の人間にはすでにこの伝説についてのビジュアル的な理解にある種の無理を感じていたらしい。その証拠に、「警世通言」初版本に添えられた挿絵は、この「鯨」という生き物を巨大な魚として描いた。しかも天の昇っているのだから、体にしっかりと羽がついている。

ちなみに「警世通言」は文学史的に重要な名作だったにもかかわらず、中国には伝わらず、二十世紀に入ってから日本から持ち帰られ、現代の読者に広く読まれた。対して、早稲田大学に所蔵されている初版本は、デジタル公開されており、クリック一つで全文にアクセスできる。

警世通言」(早稲田大学図書館蔵)