2012年12月30日日曜日

クリスマス・ツリー

今年もクリスマスが過ぎた。この地に住み着いてもうだいぶ年月が経ったが、それでも毎年この時期になると、妙な気分を繰り返し味わう。というのは、周りの人々にとっては、クリスマスとはまさに年に一度の最大の休みであり、日本風にいえば「お正月」である。だが、そのような節目が過ぎて、ずいぶんと祝日ムードがおぼろげになったあと、ほんとうのお正月がようやくやってくる。言い換えれば周りの人々に較べて、一週間以上の間隔をあけてうきうきとお正月を二回も楽しめるという、なんとも言いようのない得な気分に捉われるものである。

クリスマスとなれば、やはりツリーを飾らなければならない。これを普段の人々の日常に取り入れていない国となれば、いまやそのツリーというものは一種の公な飾り物になったと感じてならない。とりわけ最近の電力消耗はさほど問題とならないライトが普及し、いつの間にかそれがとっくに一本のツリーを通り越して、建物、あるいは広場全体に広げてゆくという傾向にある。一方では、英語圏では、ツリーはやはりそれぞれの家の中にあってこそのものである。人の丈ぐらいのそれを設けて、その下には家族同士で交換するプレゼントをうず高く積んでおく。まさにクリスマスの風物詩だ。対して家の外の飾りつけとなれば、数121229で言えば意外と多くはない。近辺のことで言えば、屋根に飾り付けをしたのは半分にもならないといったところだろうか。もちろん中には熱心な家はかならず現われる。今年、近所の一軒はライトにあわせて音楽を鳴らす仕掛まで道端に取り付け、道行く人々の視線をけっこう集めた。

ちなみにクリスマスツリーの作法は、違う国から来ている人にその内容がかなり異なる。同僚と雑談したら、ツリーには本物の松の木を使わないと意味がないと教わった。我が家ではおなじ組み立て式のツリーを何年も繰り返し使い続けたと伝えたら、本気に驚いたと見る。ツリーをめぐる伝統、奥が深い。

2012年12月22日土曜日

遊ぶカメラ

いつの間にか、掌に収まる携帯ツールにはカメラがスタンダードなものとして装着され、新製品が出る度にその機能が向上してきた。カメラを常にポケットに入れて動き回ることが現実的ではないだけに、そのようなおもちゃ感覚のカメラをいじることは知らないうちに多くなってきた。

友達とこれを話題にしたら、さっそく「レンズのサイズで分かっていることだ。あんなもの、いい写真が撮れるはずがない」と指摘される。たしかにその通りかもしれない。理屈はよく分かる。しかしながら、大きく伸ばしたり、すみずみまで精細なものでパソコンのスクリーンセーバーに飾り付けたりするなら別として、周りの様子を記録するにはすでに十分な画質をもっているものだ。一方では、機械の計算処理能力の飛躍的な向上にあわせて、電子ならではの処理の技は、やがてレンズの限界を補うに足りるようなものが現われた。電子画像の楽しみの一つは、パソコンを使ってあれこれと編集し、「フィルター」やらを試して変化を与えることにある。そこで、そのような電子的な加工は、出来上がった画像に対するのではなく、撮影する時点で参加させた。その結果、カメラは情況を記録する媒体であることに止まらず、撮影そのものが娯楽の一つとなり、まさに遊ぶカメラと呼ぶにふさわしい。

121222手元の実例を一つ付記しておこう。使っているのは、iOSアプリ「PhotoVideo」の無料バージョンである。もともと立体的な風景や顔写真などを想定して作ったアプリだろうが、iPod Touchにインストールして、わざとレンズを絵巻の画面に向けた。特徴を成す線を上手に算出し、濃淡を付けて産出していることに、さすがに感心した。

2012年12月15日土曜日

賦は描写

半年の講義が終了した日、学生たちはほっとしてさまざまな集まりに走って去る中、教員たちもささやかな息抜きをした。その中で、数人の同僚で小さな勉強会をやって、話題提供者に中国からのとある老教授を迎えた。中国古典研究の有名人で、定年のあと、この都市に住み着いた子供のところで日々を送っているということが一席の縁となった。

話の内容は、老教授の得意な漢賦と決まった。まったく疎いものである。賦というものは、一つの大きなジャンルであり、しかもジャンルというものは歴史的見て。つねに時代の流行に乗り、それまでになかったものが現われ、ピークに達したと思えば新意のないまま繰り返されたものだとの認識からだろうか、漢賦そのものを漢の時代の特殊なものとして敬遠し、消化しきれないぐらいの美辞麗句の代名詞のように記憶した。そこで、老教授の締めの一言が大いに刺激になった。曰く、賦の本質は言葉による描写にある、と。なぜかなんの予備知識もない文章も、一遍に身近なものとなり、観察する手がかりが鮮やかに提示されたように思えてきた。絵と言葉とのことがずっと大きな課題だったからに違いない。しかも絵を取り出すためにはもう一つ飛躍が必要かと思ったら、老教授はなにげなく考古出土品の絵に触れて、絵画的な実証を説きはじめた。一方では、いかにも古典一筋の学者らしく、現在盛んに取り組まれている口語訳についての考えはと質問したら、それへの根強い抵抗を隠さずに語り、訴えた。

手元には、まさにある小さな論文の二校の依頼が寄せられてきて、一年前にあれこれと考えていていたことをあらためて読んでみた。そのテーマは中国の古典である。直接な関連はまったくないが、基礎にかかわる認識を確かめられたような気がして、充実した思いだった。

2012年12月8日土曜日

普通の人々の会話

年末に差し掛かり、日本では今年のベストセラーのランキングが発表されたと聞く。一位になったのは、人に話を聞くことがテーマのものだとか。あの番組は、たしかに他とちょっと違う雰囲気を感じさせるところを持っているが、それにしても、それがナンバーワンになったとはやはりいささか意外だった。

121208このようなことを考えるわけでもなく同じニュースに繰り返し接している間に、週末にはある映画を見た。日本総領事館の好意により行われた学生たちを相手にした上映会で、「Light Up Nippon」という映画だった。ひさしぶりに見るドキュメンタリー映画、言葉通りに見入った。映画の魅力は、あくまでも普通の人々の会話をありのままに見せてくれるという一点に尽きる。それは、どこまでも普通でいて、真剣に話しかける、言葉を交わす会話そのものだった。映画のテーマからはすぐ想像が着く情熱、謙虚、不屈な生き方や言葉は至るところに認められるが、それには止まらず、不満、拒絶、喧嘩、そして涙、照れ隠し、まさにさまざまな話し方、接し方、人間同士の交流とアプローチの形など、ずいぶんと生き生きとしたものだった。そしてなによりもあの巨大な災難がバックに広げられているものだから、不用意に立ち入ってしまえば、それには圧倒されて、ただ呆然と眺めるほかはないという迫力が潜められていた。まさに簡単に体験できない貴重なレッセンだった。

しかしながら、あれだけ普通の人々に訴えるような行事なのに、このネーミングにはいかにも今時の言語生活の一端が隠されたように思えてなりません。ローマ字続きの横文字で、そのまま訳せば、「火を点ける」、あるいはもうすこし意訳して「希望の光」といったところだろうか。こういう英語のフレーズ、いまの日本ではどんな人でも簡単に発音したり、聞き取れたりすることなど、基礎教養になったに違いない。ただ「花火」という情報がどこにも入っていないから、ポスターの絵に頼るほかはないのだろう。妙な言語表現の一例だ。

2012年12月1日土曜日

為義斬首

先週のクラス、「保元物語」に語られた為義の最期を学生たちと英訳で読んだ。画像資料を触れてもらいたいとのことで、絵巻が伝わらないこのエピソードを、おそらく散逸する前の絵巻を構図に参照しただろうと思われるメトロポリタン美術館蔵の屏風絵を取りあげた。二回の講義に続き、学生にグループ発表をさせ、今時の若者らしく、このエピソードを表現した動画をインターネットにアクセスして上映させた。それまた実にこの上ないぴったりした動画だった。

Untitled現在も放送中の大河ドラマ「平清盛」からの一こまである。半年近くまえに放送されたものだが、為義、義朝を中心にダイジェストしたもので、かつ英語の字幕まで付いている。処刑する場面がドラマの山場となる。はるかに狭く作られた河原の空間、二グループの斬首を隣り合わせにした設定など、いかにもドラマらしい安易な対処だが、斬首の場面はやはり手に汗をにぎるものがあった。死体が転がり、さまざまな視線が交差し、そして音響や音楽に包まれて、短い時間、教室にいる全員は息を呑んでスクリーンを見つめた。文字を視覚にすることをあれこれと説明した直後だけに、そのような静的な情報を今度は動的なものに置き換えたことの、その感性への訴え力には、あらためて感じさせられるものがあった。

それにしても、いわゆる時代劇の常だが、長く伝えられてきたことを悉く逆転してみせるというのは、どうしてもその得意業のようだ。なにも古い語物が事実をそのまま伝えていたとは言わないが、それでも死んでゆく人々が一様に「斬れ」と叫ばせたところは、やはりどこか恣意的な作為が目立ちすぎて、こちらのほうが目を覆いたくなる思いだった。

「平清盛・叔父を斬る」(あらすじ)