2017年5月27日土曜日

漢への視線

今度の東京滞在も、あっという間に後半に突入した。この週末、学生たちはホームビジット。すこしばかりの自由の時間を手に入れて、学会の集まりを覗いてみることにした。そこは、東京。いまの時期では、どうやら体がいくつあっても足らないぐらいだ。週末にかけての「学会はしご」という贅沢な時間となった。

土曜日に参加したのは、中古文学会。非会員であるが、まったく隔たりなく参加させてもらえた。資料を購入して会場に入り、第一印象は、参加者の数と、大学院生と思われる若者の多いことだった。学会のテーマは、漢文学。パネリストたちが取り上げ、そして真剣に議論を交わしたのは、吟詠、句題詩、皇后、そして薫物といった、それぞれにおいてユニークにして、鋭く時代の様相に切り込むようなキーワードだった。平安時代の漢文学といえば、かつて個人的も大きく関心をもつ分野の一つのはずだったが、いまやただただ学問の進歩を実際にこの目で確認する程度のことしかできず、同じ分野でも、自分の知識の範疇ではとっくに捉えられないものになったと実感した。

中古の文学となれば、中世のそれと比べて、とにかく規模が大きい。そしてこの事実への一つの具体的な対応だろうか、学会のパネルには、たっぷりと議論の時間を用意してあげても、たとえ議論がやや繰り返し気味になっても、フロアからの質問を事前の記入式に限るものとした。加熱な議論に参加できないことに、聴講者たちははたしてどう感じたのだろうか。

2017年5月21日日曜日

斬首の場

「平家物語」の絵を取り上げた小さない論考を収録した論文集が一年半ほど前に公刊し、ここでも報告した(「盛久の奇跡」)。そのあと、論文集の論考を一篇ずつ丁寧に触れたレビューが二篇も書かれ、公開された(Eisenstein氏Chance氏)。いうまでもなく、個人的にこのテーマについての関心が消え去ることはなく、作例の存在をつねに期待と不安をもって蒐集してきた。

その中で、思わぬ形でユニークな一例を知り、ここに書き留めておきたい。慶應義塾大学斯道文庫「平治物語(存巻8)」(センチュリー文化財団寄託資料)の中の一場面である。この構図の特異さは、簡略に述べればつぎの通りである。これまで見てきた(したがって上記の論考で取り上げたもの)は、ほとんどの場合、処刑されようとする人間にスポットライトを与えている。多くの場合、処刑の場を象徴し、読者にそれを明確に伝える役割を果たすのは一枚の敷き革、対して、その上に座らされた罪人にはなんらかの形で特別な行動を取らせて、それをもって構図の特異化を図ろうとするものだ。その普通ではない行動とは、たとえば辞世の句を書き留めたり、事情が理解できなく子供が周りと会話をしようとしたり、ひいては運命を受け入れられずに最後のもがきを試みたりするものである。それらの構図に対して、目の前の場面は、罪人の周りの人間の配置に異様な展開を与えた。それは、処刑への指示、死を悲しむ泣きわめき、あるいは熱心な見物といった繰り返される人間像ではなく、太刀取りの行動に呼応して、刀を抜き出す複数の侍の姿だった。ただ、これらの侍は、首斬りに取り掛かろうとする太刀取りに敵対するものだとは考えられないので、かれらの存在の理由や、伝えようとする情報は、正直、いまはなかなか理解できない。

上記の写真は、一年半前の展示カタログから取り出したものである。二日まえ、斯道文庫の佐々木孝浩先生のご厚意により、同絵巻を拝見できた。短い日本滞在の間、最高のおもてなしを受け、ここに心よりの感謝を記す。

元和偃武400年太平の美─書物に見る江戸前期の文化─

2017年5月13日土曜日

蛇人間

語学研修の学生たちを連れて短い東京滞在を始めた。この春は、古典画像テーマの展示はいくつも行われている。中でも企画される段階から話を聞いていた「絵巻マニア列伝」にはずっと関心を持ち続けてきた。最初の自由時間になってさっそく駆けつけ、終了前日に滑り込みの形でじっくり鑑賞することができた。

思いに残ったものはとても多い。ここに画面を見つめての記憶の一つを記しておきたい。近年、いささか話題になった「地蔵堂草紙絵巻」をはじめて目にした。ストーリとしては、竜宮での良い思い出が人間の世に戻ったら体全体が蛇になったという、奇想天外を滑稽談にするような、愉快なものだった。とりわけビジュアルに表現される蛇人間の姿に驚きを覚えた。かつて短く書き記したものだが、蛇になった人間といえば、頭が人間で体が蛇、あるいはその反対の体が人間で頭が蛇という二つのシナリオしか考えに上がらなかった(「人面蛇身」)。そんなところに、と三番目の構図が目の前にあった。いわば蛇に身を載せた人間で、二者が分かれられずに一体になったというものである。そもそも非日常的な様子を限られた画像空間に取り入れようとすれば、ここまで苦労が多い。

展示会の眼目は、いうまでもなく「マニア」という一言に尽きる。違う時代の代表格のビッグネームに焦点を絞り、貴族日記を紐解いて、読み下しと現代語訳を添えての構想は、とても魅力的だ。いっぽうでは、会場からも分かるように、普段の人々と古日記との距離は、さすがに簡単に埋められるものではない。ビジュアル資料を対象にしているだけに、ほかになにかもっと伝わるアプローチがないものかと、ついつい思いめぐらしたものだった。

絵巻マニア列伝(展示構成)

2017年5月7日日曜日

平成縁起絵巻

勤務校では、二年一度の個人業績報告を提出する時期になっている。あれこれとデータを確認したりしているうちに、二年前の新聞ならぬ旧聞にたどり着いた。リアルタイムに気づいていなかった。絵巻は、比喩的な使われ方に留まらず、いまだ古来そのままの用途を果たしていることに感動を覚えたぐらいだった。

オリジナル絵巻を清水寺が制作した。絵巻の全容は、すぐには分からない。展覧会の形で実物を公開していたとのことだが、あるいはいつか書籍の形にでもなるのだろうか。全容を知りたい。これを紹介するテレビ番組がスポットを与えたのには、戦乱の歴史をくぐり抜けた歴史や、近辺の人々の日常に溶け込む姿などに加えて、とりわけ鳥辺野や観音桜があった。人間の死を直視し、それを通しての生への思いや記憶を形にすることは、間違いなく清水寺の大きな側面だ。一方では、たとえば今日の暮らしの中で、清水寺の舞台が全国的に知られるのは、むしろあの「今年の漢字」披露の風景ではないだろうか。まさに日本的な風物詩の重要な一コマであり、はたしてこの平成絵巻に取り入れられているのだろうか。

さまざまな理由から、テレビ番組は、たとえ二年まえのものでもそのままの公開はしていない。ただ、文字起こしの形で読ませてくれていることは、なんともありがたい。対して、このような性格の絵巻は、それ自体の価値を増やすためにでも、秘して見せないのではなく、デジタルなどの形で広く公開すべきだろう。そのような動きがいまだ見られないのは、いささか残念と言わざるをえない。

絵巻がひもとく清水寺