2011年8月27日土曜日

「ニコ動」デビュー

「ニコニコ動画」とは、いまやかなり認知されて、有意義な発表や交流の場となったことは知っている。しかしながら、ずっと動画と一定の距離を持ち続けてきたこともあり、その内容をじっくりと眺めたことはほとんどない。そんなところに、なんと「ニコ動」作者名に自分の名前が現われたのを知って、少なからずに驚いた。

作品のタイトルは、絵巻「蒙古襲来絵詞」そのものを掲げている。一年ほどまえ、この絵巻の詞書を全文朗読してウェブサイトに載せたのだが、その音声が用いられ、同じ作品の近世模写で、オンラインで素敵な形で公開されている画像に合わせて、動画に作りあげられたものである。このような作業をこなし、かつ情報の多い説明を添えて動画投稿サイトで公開しているのだから、制作者がかなりの苦労をかけたと想像できる。いうまでもなく、絵の出し方には、内容と関連をつけたスポットライトではなくて、ただ単に機械的にすこしずつ次へと移動するのみなど、議論しようと思えばいくらでも余地があるのだが、画像、音声に時間軸を加えて動画を仕上げるという試みは、大いに賛同したい。一方では、朗読者や絵の出自などをはっきりと記載したにもかかわらず、肝心の作業者本人の名前などは一切なくて、あくまでも匿名という形に貫く。これだけ作業をしたにもかかわらず、名前を明かそうとしないのは、はたしてどういう考慮から来るものだろうか。勝手に推測するのだが、なにか言われることかもしれないことへの予防策とでも考えていないのだろうか。そのような可能性が完全にないでもなかろうけど、少なくとも朗読を公開した私にはちょっと想像しづらい。わざわざオリジナル内容を制作し、公開した以上、それが異なる形で使われることも含めて、もちろん覚悟の上だ。いや、使われることは、作業が無駄ではなかったことの証であり、むしろ嬉しい。そう考えてみれば、そのような心配まで抱えながら作業に取り掛かったのかと想像して、なぜか余計に感心したものだった。

この動画には、すでに見た人のコメントが付いている。その中の一つは、「外人さんですか、wkwk」とあった。これまた初体験で、いわゆる「KY日本語」と現実的に出会った。ただ、調べなければそれを理解する知識を持ち合わさない。はたしてそれが「ワクワク」を意味するものだと知った。そうか、外人だから余分な関心を持たれるんだ。そうなれば、それも物ごとの一部だと言わなければならない。

ニコニコ動画「蒙古襲来絵詞」

2011年8月20日土曜日

概念図

数日前のことである。研究をめぐって雑談したら、近代史を専門とする同僚の一人が無造作に一枚の地図を見せてくれた。戦前の中国東北地方を描いたものだが、実用というよりも、観賞用にと掛け軸に仕立てられ、タイトルには「○○概念図」と掲げてあった。これまでまったく出会ったことのないタイプの資料で、むしろ唖然とさせられた。まずタイトルのつけ方に馴染みがない。一覧できないものを図に具像化したものだから、概念の逆にいくものではないかと、自分の中で整理が付かないまま質問を投げたら、情報学を専門とするもう一人の同僚は、否、存在したものの形に捕われないで抽象した形で表現したものだから、概念そのだと諭してくれた。

「概念」をタイトルとして使うことのインパクトを忘れられなくて、数日経って、その経験を今度は別の友人に確かめてみた。文学を専門とする方で、それはごく普通の言葉だと教えてくれた。その方向で自分の手で調べてみたら、まさにその通りだった。インターネットでこの組み合わせを入力すると、戦前など古い時期にもっといく必要などまったくなくて、いま現に行われている用例だけでも、「震源断層モデル概念図」、「放射性廃棄物処理概念図」、「東北百名山概念図」と、まさにナウなことばかりが対象にあげられ、百花繚乱だ。

110820そこでさっそくつぎのことまで連想した。中世の研究において、「古地図」(「古絵図」、「荘園図」など)という一群がある。ビジュアルで、眺めて興味が尽きない。それはまさに「概念図」にほかならなかい。琵琶湖北端の菅浦を訪ねた時に神社のホールで撮影した写真(部分)を掲げてみよう。実物は重要文化財で、これは複製だが、かなり精緻なものだった。しかも、その昔はなはだ実用的な資料だったが、いまは掛け軸の形で壁の中央に鎮座する。ここに至れば、絵図の掲示方法だって、時の流れを映し出しているものだ。

菅浦与大浦下庄堺絵図

2011年8月13日土曜日

菩提の色

すでに十五年ほども前のことになる。招待をうけて、東京で数ヶ月の研究生活を送った。その直接な成果として、「玄奘絵」の画面を見つめて、短い研究報告にまとめた。ただ、実物の絵巻に実際に対面することがついに叶えられていない。そこで、いまはそれが奈良国立博物館においてそれが展示されていると分かって、さっそく駆けつけて行った。

絵巻は、近年の美術館の展示においてかなり頻繁に登場していると聞く。しかしながら、それでも一点の作品のみを対象とし、その作品全体を展示期間において前半と後半に分けて、すべてを一斉に見せるというような企画となれば、やはりかなり珍しい。広い展示ホールは、メインの場面の提示や現代の風景写真を数点飾っただけで、あとは胸の高さにあわせた展示ケースに本物の絵巻を披き、じっくり鑑賞することに提供するものである。一点のみの作品を、長い観衆の流れに押されてひたすらに見続ける、まさに非現実的で至福な時間だった。いうまでもなくすべての画面は印刷されたアルバムや書籍の挿絵などにおいて繰り返し眺めてきたものばかりである。しかし、それでも実物と対面して、本物の迫力に圧倒される。あず第一、絵巻のサイズが大きい。普通の出版物としてすでにかなり大きめのアルバムでも、実はサイズをだいぶ落としたものだとあらためて知らされる。それから、作品の保存状態がよく、色合いはとにかく鮮やかだ。そのため、絵師の色についての感性がより目立った。110814たとえば秣兎羅国で十弟子のお墓を詣でるという場面(巻四)である。複数の菩提を描き分けようとしている意図があるだろうが、それにしても、金・銀・青という色選びはなんとも妙で、まるで突拍子がない。なにかの根拠に基づいての写実でもなければ、夢を託す理想図でもない。あえて言えばただただ想像にまかせての他愛もないものに過ぎず、むしろ想像力を形にするための、絵師たちがつぎ込んだ配慮や苦労が伝わるものだった。

絵巻を眺めて、大いに満足できたところに、隣の展示ホールに「おまけ」が用意されていると知って、意外だった。しかも、その迫力はこれまた大きい。中国宋の木版本から、手作り感溢れる電子展示のコーナーまで、言葉通りに時空を超えたものが一堂に集まり、見る人を大いに満足させた。

特別展 天竺へ~三蔵法師3万キロの旅

2011年8月6日土曜日

カメラを構える・続き

京都の街角を歩いていれば、写真の対象になるものが次から次へと目に飛び込んでくる。しかも観光客を大事にする町だけあって、カメラを大げさに構えていたら、まわりはすべて理解のあるまなざしを向けてくれるし、先日は、一度英語で声をかけられたことさえあった。しかしながら、カメラレンズの先は山や花ならいざ知らず、それが由緒あるお寺などとなれば、とたんにさまざま常識が絡んでくる。

国宝レベルのものであれば、たとえ高い拝観料を払わされても、問答無用の禁止だ。それも、普通の説明では伝わらないことを実際に分かっているからだろうか、カメラ没収などの警告文句を添えて、さまざまな外国に翻訳されて告知されていて、その告知自身が一つの風景だ。これより一ランクの低いところとなれば、三脚禁止、あるいは、山門を潜ったら撮影禁止という規則が多い。きっと修行の邪魔にでもなるからだと思って中に入って覗いてみれば、かなり荒れ果てた、だれもいなくて、手入れがまったくなっていない古い庭だった。眺めていて不思議な気に打たれる。いうまでもなくまったく逆の状況にも出くわした。古びれた山門の裏側には大きなサイズの張り紙が貼られ、よくよく見れば、そこを撮影した写真がどこかの写真コンテストに入賞したとの報告だった。

110806建物などをめぐる撮影禁止とは、はたしてどういう発想から来るものだろうか。建物などは最初から人々の目に映るものであり、それをより多くの人々に見せても、価値が増えるだけあって、減ることはなかろう。限られた想像力で考えてたどり着いたのは、あるいは日本ならではの撮影愛好家たちのスタイルに関連するのかもしれない。何々ファンのような、大群で押し寄せるような熱狂的なまなざしには対応しきれないということは、一つの理由にはならないのだろうか。しかしながら、遠出で東京国立博物館を訪ねたら、館内において大きなカメラを構えた人々、それもどう見てもプロではないカッコウをして歩き回っているのを目撃して、かなり意外な思いだった。思わずスタッフに尋ねてみた。なんと、常設展だから、特定の作品以外なら撮影可能、との答えだった。これまたなんとも言えない嬉しい驚きだった。
(写真は西本願寺阿弥陀堂)