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2022年9月18日日曜日

鬼の姿

鬼の噂やそれに右往左往する洛中の様子を伝えた『徒然草』第50段、一度は疫病をめぐって記した。(「鬼のそらごと」)一方では、この段を絵にする注釈が行われ、眺めていて同じく興味深い。

兼好の文章を絵にするという労作は、まず松永貞徳の『なぐさみ草』(慶安五年、1652)によって成された。絵は数えて156枚、全作の三分の二に近い段を取り上げたという計算になる。その中で、第50段を対象とする絵は、記事の後半の内容にスポットを与えた。「鬼が出た」と聞いて人々が集まり、逃げるのではなく、その姿を一目見ようとする。結局は待ちぼうけ、はてには群衆の喧嘩にまで展開したとのことだった。絵の内容は、挑発的なものだと言わなければならない。鬼は雲の中に座り、人びとをあざ笑うかのように下に指をさす。そのような鬼に見られていることなどまったく知らず、男たちは二つの集団に分かれてはでに喧嘩を始めようとする。いるはずもない鬼が生き生きとした姿や仕草をもって読書する人の目の前に現われ、男女入り混じった群衆が男ばかりの戦闘集団と化け、しかも周到に用意された武器代わりの長い棒を一様に振りかざしていた。兼好の記述からはみ出した絵は、注釈というより解釈、その自由自在な読み方はこれまた考えるほどに楽しい。

この『なぐさみ草』の構図は、広く読まれ、しかも『徒然草』の絵画化に大きく寄与した。その一例をここに報告しよう。徳川美術館蔵には「徒然草絵巻」(十二巻)がある。同美術館の公式サイトには、第三巻からの一場面を公開し、その構図はまさに慎重丁寧に『なぐさみ草』のそれに従い、再現したものである。読み比べてほしい。

素朴で飾り気のない木版印刷の絵注釈、豪華絢爛で一点しか存在しない絵巻。しかしながら、この両者の距離は、今日のわたしたちが漠然と思い込んだ感覚よりはるかに近かった。目の前の二枚は、その動かない実例だと言ってよかろう。

2022年9月10日土曜日

明月の賞で方

暦のうえで今日は中秋。中国や日本に遅れて十数時間、ここカナダも、大きくて明るい月に照らされる美しい夜になった。とりわけ中国は、「中秋節」といって国民休日にさえなって、SNSでは祝福の言葉が盛んに交わされている。

その昔、兼好も中秋の夜のことを記した。

八月十五日、九月十三日は、婁宿なり。この宿、清明なる故に、月を翫ぶに良夜とす。(『徒然草』239段)

きわめて短い一段だ。率直に清く明るいこの日に月を賞でるべきだと説く。さらに宿の日のことを付け加えられたが、今も占いなどの場において残される暦で、月を眺めることに関しては特別に新しい情報ではない。

改めて思い出したいのは、『徒然草』のほとんどの記述が、これを熱心に読んでいた江戸の知識人によって絵に描かれたことだ。この短い一段にも、右のような絵が添えられた。(『つれづれ艸繪抄』下巻49オ

月が主役だが、描かれたのは、兼好の記述とはおよそ関連が見つからない。舟を浮かべ、友と連れ合い、なだらかな沖に出る。月は水面に投影して二つとなる。その様子を即興に詠いあげる。

水の面にでる月なみをかぞふればこよひぞ秋のもなかなりけり

(水の面に、出る月波を、数ふれば、今宵ぞ秋の、最中なりけり)

もともとの『徒然草』の内容があまり簡潔だからだろうか、それともそれに刺激されて表現欲が湧き出て止まらなかったからだろうか、絵の作者は兼好に代わって、明月を賞でる一つの状況を作り出した。あくまでも饒舌だが、読む人の想像がおかげで豊になったこともまたたしかだ。

2022年8月20日土曜日

読則実例

先週取り上げた山東京伝の「読則」。それが作品の中でどこまで実際に応用されたのか、おもわず検証してみたくなった。幸いその実体はすぐ分かり、律儀に実施されているのだと、小さくほっとした。

述べられた「印」は、あわせて五つあった。『八重霞かしくの仇討』を披き、目で追っていくと、六丁裏~七丁表の見開きにそれらをすべて用いたことを確認できた。便宜に番号をつけて順に見ておく。

①〔よみはじめ〕。読み出しの部分は左の端に来た場合などは必要がないが、このページのように真ん中で文章が始まり、左側に文字のグループが複数あって、はじめて用いられた。

②〽。この記号は、人物の会話を表わすための定番のもので、いまさら必要だとはとても思えない。ただ、そのような会話が記述の文字の中に入りこんだ場合などは、やはりあると助かる。

③〔つぎへつづく〕。このページにある会話などを読まないでページを捲り、つぎのページにある文章を読み終えたあと戻ってくる、という指示なのだ。いまの感覚からすればかなりユニークだ。

④▲。■●など複数挙げられた中の一つ。文章の続き具合はこれでよく分かる。

⑤〇。長文の説明に、「唐土の小説に却説の両字を用る所に此印をおく」とある。内容的に新たな展開を示すことだろうが、いかにも読書人らしい工夫なのだ。

ちなみに、「〽」の記号を京伝は「小かぎ」と読む。いま、多くの人はこれの読み方も、入力の仕方もよく分からないと言えよう。調べたら、「庵点(いおりてん)」、庵の形をしているからこの呼び名となり、ウィキペディアにはこれの項目が立てられている。ユニコードは、「U+303D」。知っておくと便利だ。

2022年8月13日土曜日

読則

山東京伝の合巻『八重霞かしくの仇討』(1808年)。その扉に刷られた文字を読めば、意外な内容にいささか驚く。普段なら、作品の内容やら出来栄えやら、作者の思いを語るに最適のこの場所に、「読則」と掲げられている。

その最初の二行は、これだ。

予が著述の絵草紙、すべてかならず読則あり。本文、画にへだてられて読がたきも、此則によりて読ば、埜馬台の詩に蜘の糸を得たるが如くなるべし。

あの野馬台詩の典拠まで持ってきたのだから、恐れ入ったものだ。述べられていることは、それ自体は分かりやすい。絵の中に大量の文字が入り、しかも絵の空白を埋めるような恰好で配置していくものだから、その文字情報を読む順番を説明している。「〽」「▲」「〇」などなど、分断された文字の塊の続きを示す記号が用意され、親切とさえ言える。しかしながら、このような文章読み取りに関する基本的な方針は、はたして京伝という一人の作家の、「予が著述」云々で開陳すべきことだろうか。時はすでに文化年間、膨大な数の黄表紙の作品がとっくに世を賑わせたなか、読者がそこまで基本的な知識を必要としていたのだろうか。

それにしても、あの右へ展開する縦書きの実例は印象に残る。(「縦書き右へ」、「縦書き右へ二例」)丁寧に読んで確認したいものだが、京伝には、そのような対応をしたことがあるのだろうか。はたまたなんらかの記号でも用いられていたのだろうか。興味深いことだ。

2022年7月23日土曜日

駅の姿

真夏に入り、今日からちょっとした小旅行に出かける。いつものように出発までにあれこれと調べものをする。今度の旅先は、鉄道と関連がある。漫然とクリックしているうちに、右の一枚が目に飛び込んできた。

『頭書増補訓蒙図彙大成』巻三「居処」に入ったものである。ここに描かれたのは、二つの風景。後ろに建つのは「護摩堂」、前に連なるのは「駅」。書き込まれた文字は、「駅、むまやど」、上段に書き込まれた説明は、さらに「駅は道中のはたごや馬つぎをいふ。駅館とも又駅舎とも駅伝ともいふ」と読む。「駅」という存在をあわせて六つの言葉を連ねた。

道路を行き交う人々は、「護摩堂」よりも後者の「駅」にかかわる風景なのだ。駅を彩るさまざまな人間を眺めると、飼料に食いつく馬や、荷下ろしをする宿の男、馬との長旅から解放されて座って一服する旅人を中心に、旅を急ぐ男はさらに三人描きこまれている。笠や頸から肩にかける袋が目を引く。一方では、三人も描きこまれた女性たちのことは、どうだろうか。それぞれの宿から送り出されて、客を引き止めるように務めているに違いない。すぐに思いつく言葉は、「飯もり」なのだ。

それにしても、訓蒙の図は興味深い。物を分解して標本のように示すものだとばかり思っていたら、こういう生き生きとした構図もあるものだ。一枚の絵に向かって、さまざまな言葉を用いて説明することができる。考えてみれば、それだからこそ、勉強のツールとしても最高だと言えるのではなかろうか。

2022年6月25日土曜日

文字絵とは

先週とりあげた北斎の「在原業平」の続きとして、noteで同じ北斎の六歌仙シリーズから「僧正遍昭」を解読してみた。(「文字絵「へんぜうそう正」」)このように「文字絵」に惹きつけられる中、江戸の人が残した文字絵についての定義に接して、なるほどという思いだった。

国立国会図書館のサイトには、「本の万華鏡」というシリーズの一篇として「へのへのもじえーー文字で絵を描くーー」がある。そこに記された「遊びの文字絵」において、『嬉遊笑覧』(巻三書画)が述べるところの「文字絵」を紹介している。つぎの文章である。(原文のリンク

「宝暦ころ、童の習いの草子に文字絵とて、武者などの形を文字にてかき、頭と手足をば絵にてかきそへたるものあり。

狙うところの人物などの形を文字で描き、文字だけで十分に表現できないところは絵をもって書き出す、まさに文字絵と呼ばれるユニークなジャンルの作品の作り方である。半年ほど前にとりあげた十返舎一九による『文字の知画』にみる犬という、仮名文字のみで流麗に犬を表わした秀作でさえ、目を表わす点睛の工夫が施されている。(「江戸の犬は怒りっぽい」)

上記の記述をさらに読み直せば、文字絵が登場するのは、「習いの草子」だとされているところが目に止まる。だが、すくなくとも目の前にある北斎の六歌仙は、そのような範疇から大きくはみ出したのだ。なにはともあれ、大人でも真剣に挑戦しないと簡単に読めるものではない。これもあわせて覚えておきたい。

2022年6月18日土曜日

北斎の文字絵

北斎には、六歌仙を題材にした文字絵の浮世絵六枚組がある。複数の所蔵がデジタル公開され、色合いの異なる作品などもあって、見比べて楽しい。その中の「喜撰法師」を解読し(「文字絵「きせんほうし」」)、共感のコメントが寄せられ、嬉しかった。

そこで、ここにさらに一題。大英博物館蔵の「在原業平」。見詰めていて、何回も諦めようとした。まずはどうぞ挑戦してみてください。

ようやく答えが見えてきて、おもわず膝を叩いた。こういうやりかたもあったのか。仮名とばかり睨んだら、漢字、それも崩された形のそれを紛れ込ませたとは、一種の変則だと言わなければならない。ちなみに使われた字形は、上段に書き込まれた文字と同じものだ。絵師の得意そうな顔が絵越しに見た思いだ。この手の絵を眺める醍醐味なのだろうか。

答えをGIF画像に纏めて、ここに置いておく。


2022年6月4日土曜日

ページから飛び出す

黄表紙の作品を何気なく眺めていたら、絵の構想の楽しいことにたえず唸らされる。ここにそのような一枚。『奇妙頂礼胎錫杖(きみょうちょうらいこだねのしゃくじょう)』、作者はあの十返舎一九、刊行は寛政七年(1795)。一九が黄表紙の作成に取り掛かる最初の年であり、この一年のうちに三作を世に送り、これがその中の一つである。

絵のタイトルは、「三千世界槩之図(さんぜんせかいおほむねのづ)」。見ていてすぐ気づくことだが、一枚の図は複数のパーツに分かれ、それらを切り抜き、立体的に「三千世界」を組み立てるものである。それぞれのパーツには、糊をつける空白が慎重に用意され、そして文字の説明が添えられる。それには、「てんぢくの人」、「からの人」、「からの女」、「日本の人」、「日本のやね」などと、分かりやすい。組み立てられたものには、驚くような世界観も、目新しいビジュアルな表現も特別に込められたわけではないが、それでも二次元の表現から三次元の空間を想像させる工夫は、魅力的だと言わなければならない。

木版印刷によって仕上げた薄い紙の書物から、そのまま見るに耐えうる作品が作れるとはとても思えなくて、無理が多い。ただ、それでも読者にはまったく違うような刺激を与えている。このようなアプローチがいまや学習雑誌や児童読み物の付録などで頻繁に見かけられることとあわせて考えれば、二百年前の出版人の工夫に感嘆せざるをえない。

2022年5月7日土曜日

塩秀才

此奴和日本(こいつわにっぽん)』という黄表紙の作品がある。物語の主人公は、中国で暮らす塩商という大家の息子塩秀才だ。海の向こうの中国では、海に囲まれた日本と違って、塩がとても貴重なものだと、なかなかもっともらしい設定をして楽しい話を展開した。

その中の圧巻は、右にあげたこの一枚にほかならない。塩秀才は、中国のことに関心がなくて、とにもかくにもすべて日本が最高だと決めつける。テキストには「書籍は明州の地へ頼置て日本記、今川万葉集、源氏平家の物語、新渡の絵草子、顔見世評判記まで封の切らぬを取りよせる」と記し、部屋の真ん中に鎮座するのは、そのような書物を入れた人の背丈よりも高い書籍箱、机に飾ったのは「天の浮橋の鶺鴒の羽根」、「瀬戸物の水入れ」、そして絵のことまで登場し、「壺屋」、土佐の「大津絵」と、「唐絵とちがってまた和絵は特別なものだ」と絶賛される。憧れの唐ものに正面から向こうを張る日本のさまざまな伝統や流行がここまで言葉を惜しまずに持ち上げられて、読む者は思わずウキウキする気持ちになった。

この一冊が刊行されたのは、天明四年(1784)だった。いうまでもなく黄表紙一流の思いっきりの空想を売り物にしたものだった。しかしながら、250年も経った今日になれば、予備知識を持たないでこれを読めば、あるははその笑いどころがすっかり分からなくなったかもしれない。この場面に登場した古典や品物をいまふうのマンガ、アニメ、ゲームに置き換えたら、この状況を地で行く中国の人間が大勢存在する。中国語では、「哈日」という表現まで生まれ、これをもって誇りにしたり、冷たい視線を浴びたりしている。もしこの状況を知っていれば、作者の四方山人はきっと塩秀才の物語を作れないに違いない。

2022年4月23日土曜日

断簡

今週披いた絵巻は、『狭衣物語絵巻』。手元で読むのは、「日本の絵巻」18に収録されるものである。一方では、東京国立博物館所蔵のこの一点は、「e国宝」でデジタル公開され、画面を眺めるには、印刷されたカラー写真より遥かに高画質で細部まで鑑賞、閲覧ができる。

この作品は、五枚の断簡しか伝わっていない。五枚とも画像が中心で、その中で、建物がテーマで、物語性がきわめて薄い一枚にのみ、数えて十行の文字が添えられている。ただ、「日本の絵巻」の解説によれば、画像の裏にその経緯が記された。江戸後期の住吉派の画家板橋貫雄が、伝二条為氏筆の「源氏物語・澪標」断簡の一葉を選び、ここに貼り付けたのだった。絵には文字、そのような絵巻の体裁に基づき、大昔から伝来した美術の宝物に、鑑賞のための手がかりを提供しようとしたものなのだ。一つの画像の断簡に対して、文字の断簡が新しい命を吹き込み、江戸の文人ならではの、絵巻享受の一端が覗かれた。

思えば、このタイトルは、これまで何回となく読み返した。特設ページ「古典画像にみる生活百景」において、貴族たちのユニークな行動を取り上げ(「目撃」)、「第38回国際日本文学研究集会」での発表(「絵巻にみる男と女の間」)は、直接に引用する余裕がなかったが、男女の構図を議論した。記録を確かめると、後者の場合はすでに十年も近くまえのことだと気づき、自分ながら驚いた。

2022年4月16日土曜日

三つのつづき

今週披いた絵巻は、『信貴山縁起絵巻』。その第二巻、「延喜加持の巻」の詞書を眺めた。はじめて気づくことがいくつもあった。

出だしは、俵を鉢に載せて飛ばせたところを記した。その二行目からの三行において、「つづき」という言葉はじつに三回も現われた。無数の米俵は、「雁などの続きたるやうに」「続き立ち」、「群雀などのやうに続きて」飛び去った。三つとも「津ゝき」と書き、書き方も字の大きさもほとんどまったく同じだ。あえて言えば、「き」の字の縦線が、右下へまっすぐ伸ばす二つに対して、三つ目の場合は、縦線が沈みぎみに波打つ状態になったと見える。ここまで同じ言葉を登場させたら、文章としてどうしても素っ気ない印象だ。もともとその目で読めば、空飛ぶ雁が「続く」にぴったりだとしても、雀となれば一斉に飛び立つもので、両者のイメージにはかなりの隔たりがある。降りてくる俵の群れは絵にも描かれたのだが、はたして「雁」と「雀」のどちらにより近いものだろうか。

このようになんとなく思い返しているうちに、この絵巻をめぐる新聞記事が目に飛び込んできた(「国宝「信貴山縁起絵巻」第1巻公開中」)。国宝として博物館に寄託されているが、それが毎年に一巻だけ所有元の信貴山朝護孫子寺で展示され、そして寅年だけ一年のうちに三巻とも展示されることになっているもようだ。近くにいたら訪ねてみたいものだ。

2022年3月26日土曜日

存在しない干支

文字絵を楽しむ『文字の知画』。改めて開き、その序文を眺めた。なにげなく最後の一行まで目が進んだら、不可解な文に出会った。出版の時を明記するもので、「文化丁寅孟春」だ。

「丁寅」?干支のことだが、これはありえないものだ。干支は十干と十二支、両者が順に組み合わせて六十年を一回りとする。十番目の干の次には一番目が来て支の十一番目に合わせ、今度は支の十二番の次に一番目が来て干の三番目に合わせる。このような作りになっているので、奇数と偶数の干支がそれぞれ組み合わせるが、奇数の干と偶数の支、あるいは偶数の干と奇数の支とが合わせることはない。したがって「甲乙丙丁」と干の四番と「子丑寅」と支の三番が組み合わせることは存在しない。ちなみに、文化という年号は1804年から1818年までと十五年続き、その間に丁は、文化四年の丁卯(1807)と文化十四年の丁丑(1817)と二回回ってきた。

刊行の時間は孟春、初春あるいはお正月であり、本書のつぎのページの見開きはまさにお正月の風景を集めたもので、刊行はまさに一年の始まりだと理解すべきだろう。作者の十返舎一九がそこまで時間のことを無頓着だろうか、それともなにかを狙ってのかれ一流のヒネリなのか、にわかに分からない。

2022年1月22日土曜日

縦書き右へ

『文字の知画』を読んでいて、まるで謎解きの経験をした。十丁オを読み進んだところ、文章は通じるようで通じない。かなり困ったところ、ぱっと答えが現われた。なんと縦書きの文章は、突然のように左から右へと一行また一行と展開されたのだった。

絵によって出来上がった二つの離れた空間を埋める文章である。上の部が左いっぱいまで来たら、下の部でどう続けるのだろうか。この一冊ではこのような状況が何回となくあって、ここまではずっと「▼」「▲」の記号をそれぞれの終わりと始めに置くことによってその繋がりを示してきた。分かりやすい。そんなところへ、ここの文章となって、なんと方向逆転の対応を仕掛けてきたのだ。大胆というか、無茶というか。思い切って肩をもってあげるとすれば、もともと絵も内容も、そしてそもそも文字そのものを対象に遊びや戯れをいっぱい施し与えた書物だから、ここへきて文章のレイアウトにまで手を加え、それを弄ってしまった、といったノリだろうか。

縦書き右へ。このようなレイアウトは、はたしてどのような書籍に姿を見せたのか。そこには著者や版元のどのような気持ちが隠され、読者との間でなんのキャッチボールが行われたのか、知りたいものだ。

2022年1月8日土曜日

将軍時宗

黄表紙の作品を読んでいくと、当世の浮世ものがさかんに描かれるなか、数は多くないが、歴史上の出来事に装っての物語があった。その中には、時々あっとさせられるものが混じり込む。つぎのは、その一例である。

蓬萊山人亀遊の作なる『敵討女鉢木(かたきうちおんなはちのき)』(安永六年刊)。親の敵を討つけな気な二人姉妹の地味な物語だが、その出だしの一行は読む人を怪訝に思わせる。「かまくら六代将軍北条時宗公のおんときに…」(写真は東京都立中央図書館加賀文庫蔵より)。時宗を含め、北条家の面々が幕府の実権を握っていたとは言え、いつ将軍にまでなったのかよと、ツッコミを入れたくなる。あの蒙古襲来に当たって懸命に奮戦した北条時宗、同時期の「宮将軍」宗尊親王はたしかに六代だと数える。妙に現実感があって明らかに大らかな書きぶりは、あるいはまさに黄表紙の不思議な魅力の一つだったかもしれない。ちなみに、この作より遥か影響力があって広く読まれた『敵討義女英』(寛政七年刊)も、似たように「かまくら三代将軍源の実朝公のころかとよ」と語り始める。いうまでもなく、二作とも物語の内容はこのような時間の設定とはまったく関係なく展開された。そもそも「かまくら」と語り出すことの意識そのものが今日になったら図りがたいものとなったと言わざるを得ない。

思いがこのようなところに行き来することは、いうまでもなく大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に惹かれたものだ。いまや「北条」、「義時」、そしてけっして聞きなれない「鎌倉殿」の言葉がテレビ画面に溢れる。はたしてどのようなドラマになるのやら、あと数時間で初回放送となり、楽しみだ。

2021年8月7日土曜日

ほうみやう童子

世界の図書館や研究機関所蔵の日本古典へのアクセスは、デジタル環境のおかげで大きく変容している。かつて調査のために経験しなければならないさまざまな苦労は、まるで不思議な昔噺になった。この週末も、暇を見つけてアメリカ議会図書館を覗いた。「日本貴重書デジタルコレクション」のもとに数えて三十七点が公開されている。

そのうちの一つ、『ほうみやう童子』。簡単に調べてみれば、『国書総目録』、『日本古典文学大辞典』、そして二〇〇二年刊行の『お伽草子事典』は、いずれもこの伝本を触れていない。一方では、国文学研究資料館「日本古典籍総合目録DB」はこれを掲載し、しかもフィルムありと記されている。ただ、実際に立川を訪ねてみなければ閲覧は難しい。そのような貴重なものは、いまやマウスクリック一つで高精細のデジタル画像がモニターに飛び出してくる。しかもダウンロード保存まで可能になっている。写真は、主人公の母が苦難を嘗め尽くした場面だ。なぜか『福富草子』のあの著名な打擲の構図を連想させてくれて興味深い。

ここまで進化した環境をどのように生かすべきだろうか。遠い外国にある所蔵も簡単に閲覧できるようになったいま、研究も読書もそれに見合った対応が自然に要求されるようになる。新たな課題だと言わなければならない。

2021年7月10日土曜日

古画会唱歌

だいぶ古いニュース記事がたまたま目に入った。北京故宮が主催する、中国の古典絵画の魅力を音楽で表現するコンテストだった。たいへんキャッチなコンセプトのわりには、この行事の行方や結果などはさほど記録に残っておらず、関連の報道も見られない。古典をめぐる数々の模索の中の一つだったと思われる。それでもYouTubeに公開している二つの宣伝ビデオを繰り返しで眺めた。

ビデオの中では、中国の名画についてさまざまな現代的なアプローチの事例が開示された。絵の内容をアニメにすることはすでに方法的には確立された感があるが、現代的なタッチで古い絵を描き直し、二階建ての水車の構造や利用を伝え、あるいは鷹峰の地名を解説して空飛ぶ鷹がやがて山となって固まる。二番目のビデオでは、絵に文字を入れて、楽器の存在を浮き立たせて名前を加える。思いつかなかったのは、AI技術の導入だ。山々の画像から輪郭を抽出し、それをそのまま歌のリズムや詩の脚韻とし、それに文字を合わせる。一つの大胆な方法としての有効性や達成はともかくとして、名画に対面するにあたっての魅力的で、チャーミングな提案なのだ。

中国の古典絵画は、日本のそれと較べて、叙事よりも詩的な美しさを追及する傾向が明かだった。それが絵の構図、作品の形態、名作をめぐる記述法、鑑賞法などもろもろの方面に現われている。そして、総じて音楽との距離も、日本のそれより中国のそれがはるかに近いと考えられよう。このような伝統に立って、デジタルやAIなどの技術を躊躇なく生かして古典の画像に立ち向かう姿勢は、まさに刺激的だ言いたい。

丹青千里MV
古画会唱歌

2021年6月13日日曜日

頸をとる

プリンストン大学デジタル図書館が公開している奈良絵本『平家物語』を眺めた。全三十冊、本文は『平家物語』流布本、絵は半帖と見開きとあわせて二百八十九枚、しかもかなり保存状態が良好で、『平家物語』の享受にしても、奈良絵本の流行にしても、思いに馳せるにはまたとない伝本である。

関心はやはり絵、それも物語の描き方に走る。あまりにも絵が多くて、簡単に纏められない。それならばどれか一つ定点観察をしようと、まずは「鹿ケ谷」を開いた。同じことをめぐり、「瓶子あれこれ」(note)において記した。そこで取り上げたのは、明星大学蔵『平家物語』(デジタル公開)と林原美術館蔵「平家物語絵巻」の二点だった。比較するには格好の対象である。ともに物語の内容を再現しようと真剣に取り組んだと見られるが、しかしながらその物語の状況の理解において不明が残ったので、その迷いが如実に絵に現われた。『平家物語』が語ったのは、西光法師が「頸をとるにはしかず」と声を上げたうえで、「瓶子の頸をとってぞ入にける」というものだった。おなじ「とる」にしてその二つの意味が微妙に混在した。前者は「もぎ取る」であり、後者は「手に取る」である。これに対して、前出の二点の作に収まった絵を読めば、明星本のほうは西光が瓶子を引っ提げて走り込んだところを描き、絵巻のほうは瓶子の頸が破れたところを法師が喜ぶところを描いた。対してプリンストン大学本は、どちらか一方の状況に従うことを拒み、扇子を手にした法師が瓶子の頸を叩きながらしゃべるという曖昧な構図を取った。三点の絵がここまでそれぞれ異なる物語の読み方を見せてくれていることは、むしろ鮮やかと言いたいぐらいだ。

プリンストン大学本のデジタル公開は、綺麗な撮影、親切なページごとへのリンク、そして英語と日本語との両方の併記など、特記すべきところが多い。一方では、用いたテンプレートは洋書の左捲りに対応するもので、そのためキーボートのキー動きやページ進みの表示バーとの対応は、表示内容と逆になり、理解するまでにはちょっと一苦労だった。

2021年5月8日土曜日

言わザル

江戸時代の『徒然草』注釈、とりわけ絵による注釈の基礎を作り上げ、一つの大きな達成を見せた松永貞徳の『なぐさみ草』(1652年)は、絵の構成、構図においてところどころに思い切ったものを示した。ここに、その一例として第七十九段を眺めてみよう。

この段は、『徒然草』にくりかえし現れるテーマの一つ、兼好の、批判者としての説教と先達として伝授である。説かれたのは、都会人の教養やその身なり、振る舞い。いわくなんでも知った顔をするのは「片田舎」の者、どんなことについても、ぺらぺらとしゃべらないで、「問はぬ限は言はぬこそいみじけれ」、といった内容である。これを注釈する画像として、田舎者や都会者、身振り手振りを交えた会話の様子など、いくらでも構想できるところ、『なぐさみ草』がもってきたのは、なんとあの三つの猿だった。しかも、述べられているのは言うか言わないかという明白な行動なので、「言わ猿」にスポットを当てても良さそうなのに、三猿をあくまでも平等に描いた。驚くほかはない。

思えば、この一枚の構想は、兼好の説教が当時の読者ならだれでも熟知しているはずのあの三猿の教えと同質なものだとの認識から出発したのだろう。身近な価値判断をもって『徒然草』を読み、それが述べたところを噛み砕いて伝える。しかも三猿はすでにつねに一セットになっているからこそ、原典の言説にいちいち拘らない。考えようによれば、一つの注釈のありかたとして、最高の境地に達したとさえ言えよう。

朗読動画『徒然草』第七十九段

2020年7月25日土曜日

化け損じる

中世の人々は、妖怪のある生き方をしていたとよく言われる。そのような様子を伝える「徒然草」230段は、味わい深い。五条内裏において、公卿たちが碁を差したところ、御簾の外で見物する人がいるらしいと、声をかけたら狐だと騒ぎ、その狐がさっと逃げたとの一幕である。ことの経緯の結論とは、「未練の狐、ばけ損じけるにこそ」だった。

この記述を読み返して、その表現になぜかひっかかる。「化け損じる」、あるいは今日の表現に直して「化け損ねる」とは、はたしてどのような状況だろうか。化けることに失敗した、化けようとしてけっきょく出来なかった、ということは、結果として分かる。一方では、その失敗とは、化ける途中に起こったものであり、化けるプロセスが始まったが、成就しなかったというニュアンスを感じる。目の前の一例について言えば、碁という人間たちの高度な文化に関心を持った狐は、それがその本性から離れたということを意味するにほかならない。これを認めるとなれば、化けはじめた以上、狐の姿形にもすでになんらかの変化があったのだろう。化けることが失敗したからと言って、即そのまま元の形になれるはずはなく、そうなるまでには、変化したのと同程度に苦労が必要とされよう。

以上のような思いはどうやらあまり共鳴が得られない。写真は、「つれづれ草絵抄」(苗村丈伯、1691年)にみるこの段の絵注釈である。化け損じた狐とは、なんの変哲もないただの逃げ惑う狐なのだ。

2020年6月13日土曜日

殺戮の様子

「後三年合戦絵詞」には、とりわけ記憶されるなシーンがある。清原家衡・武衡が籠城する金沢柵が危機に瀕し、せめて女性や子供が助かるようにと城のそとへ出したところ、容赦やく殺されてしまった(巻二第五段)。数ある残虐な絵巻の場面においても、殺戮の対象があまりにも同情を誘うものなので、繰り返し語られてきた。

一方では、ビジュアル表現として、その完成度をどこに求めるべきだろうか。これまではあれこれと模索をしながらも、いまだ特筆すべき方向性が見いだせていない。そこで、なにげなくページを開いた一冊の小説から、ちょっとしたヒントを得た。『女人平泉』(三好京三著、PHP文庫)である。小説の第一章は、明らかにこのシーンを基に敷衍したもので、絵巻が伝えた物語を文字をもって最大限に再構築した。そこで、女性や子供の殺戮にかかわる部分になると、かれらが一団となって兵士の中を横切り、やがて一か所に集められる形で全員殺されるという結末になったと構築された。あえて絵巻と比較するなら、激しく動き回るものと、不気味に固められたものという、動と静の両極を目撃できたような気がした。どれにも心を揺るがす迫力をもっている。ただ、動きを求める視線で絵巻を読み返せば、城から逃げるはずの女性たちが、逆に城へと必死に逃げ込むという、見る人の予想を反する絵の流れが、力強い表現となって異彩を放つ。

絵巻の画像を細かく眺めるには、「e国宝」で公開されている高精細のデジタル画像が一番だ。ただ、いま確認したところ、この作品を含むほとんどのものは、Chromeではアクセスできないようになっている。どうやらブラウザ側に問題がありそうだ。デジタル環境の厄介さのリアルな一例だ。