「後三年合戦絵詞」には、とりわけ記憶されるなシーンがある。清原家衡・武衡が籠城する金沢柵が危機に瀕し、せめて女性や子供が助かるようにと城のそとへ出したところ、容赦やく殺されてしまった(巻二第五段)。数ある残虐な絵巻の場面においても、殺戮の対象があまりにも同情を誘うものなので、繰り返し語られてきた。
一方では、ビジュアル表現として、その完成度をどこに求めるべきだろうか。これまではあれこれと模索をしながらも、いまだ特筆すべき方向性が見いだせていない。そこで、なにげなくページを開いた一冊の小説から、ちょっとしたヒントを得た。『女人平泉』(三好京三著、PHP文庫)である。小説の第一章は、明らかにこのシーンを基に敷衍したもので、絵巻が伝えた物語を文字をもって最大限に再構築した。そこで、女性や子供の殺戮にかかわる部分になると、かれらが一団となって兵士の中を横切り、やがて一か所に集められる形で全員殺されるという結末になったと構築された。あえて絵巻と比較するなら、激しく動き回るものと、不気味に固められたものという、動と静の両極を目撃できたような気がした。どれにも心を揺るがす迫力をもっている。ただ、動きを求める視線で絵巻を読み返せば、城から逃げるはずの女性たちが、逆に城へと必死に逃げ込むという、見る人の予想を反する絵の流れが、力強い表現となって異彩を放つ。
絵巻の画像を細かく眺めるには、「e国宝」で公開されている高精細のデジタル画像が一番だ。ただ、いま確認したところ、この作品を含むほとんどのものは、Chromeではアクセスできないようになっている。どうやらブラウザ側に問題がありそうだ。デジタル環境の厄介さのリアルな一例だ。
2020年6月13日土曜日
殺戮の様子
Labels: 画面を眺める
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