2016年2月27日土曜日

学習する貴婦人

大学の演劇学科の学生たちによる舞台は、毎年りっぱなラインアップを組んでいる。今学期のそれは、モリエール作の「Les Femmes Savantes」である。十七世紀半ばの作品だが、日本では、「女学者」というタイトルでなんと十点以上と数える訳本が出版され、十九世紀の終わりには翻案作まで作成されたほどの名作である。同じ学部の教員ということで無料で劇場に入ることになっているのだが、そうでなくてもぜひとも観てみたいものだった。

とにかく楽しい舞台だった。ステージ上の大道具こそ、最初から最後までなに一つ変わらなくて、予算の限界を見せてはいるが、俳優たちの身に纏う服装は、奇を競うものだった。どこまで原作の意図を反映しているか定かではないが、とにかく鮮やかでいて、色彩の饗宴にふさわしいものだった。高くふくらませた髪型や、正統的なロココ調の誇張されたスカートをベースにして、はっきりした時代感覚を醸し出す一方で、なぜか帽子代わりの髪飾りには思い切って遊び心を前面に押し出した。女性たちの頭の上を飾ったのは、花束、書籍、望遠鏡、船、鳥かごと、目を疑うぐらいの精巧なものだった。昔の歌舞伎という精神をまさに共通していたのではなかろうかと、つい勝手に想像してしまった。長くて凝りに凝ったセリフも、分かりやすい英語に直されて、まるで歌声のハーモニーを連想させるような勢いで滔々と流されてくるものだった。

劇場にはかなりの観客が入っていた。スケジュールによれば、二週間続いた上演で、今日はその千秋楽。しかしとくべつにこれといった演出はなかった。そう言えば、この「千秋楽」という言葉も、英語の表現では「クロージング・ナイト」で、じつに素っ気ない。

The Learned Ladies

2016年2月20日土曜日

Old Japan Redux 2

一度は予告まで出したのだが、学生たちの学期レポートの中から代表作を選んで小さな一冊にするという作業はようやく完成し、勤務校の公式サイトで公開した。予想よりはずいぶんと長く時間を掛けてしまった。言い訳に聞こえるが、やはり若い学生たちはとても忙しい。そして、複数の人々を巻き込んでのことだから、一つひとつのステップは余裕をもって進めざるをえない。

収められたものは、そのハイライトについて前回短く触れておいた。それよりも、若者たちの想像力をすべて反映したものにはとてもならない。題材もアプローチもまずは重ならないように心がけ、似たものがあった場合は一つだけに留めることにした。あとは、使われたフォーマットも、ここに見られるもの以外では、特設のウェブページ、パンプレット、パこそコンゲーム、はたまた立体的なオブジェ、毛糸による人形、ひいては英語による巻物、などなど、あげて見ればじつに驚くぐらいの広い幅になる。それに対して、ここではあくまでも一つの読み物としての形に収斂した。いわば学生たちの学習成果のショーケースであり、そしてはっきりしたサンプルとして機能し、これからのクラスのためには目に見えるスタンダードになる。

この一冊も、もともとは前作と同じくGoogle Playを利用して公開する予定だった。しかしながら、現在同じサービスは利用停止ということを知った。ほかに安心して利用できるものはすぐに見つからず、しかもなによりも、電子ブックだから便利だという実感がいま一つ薄い。そのため、とりあえずPDFの形でダウンロードしてもらう方法を取った。電子出版は、いまだたしかなスタンダードの獲得に至っていないことをあらためて実感した。

Old Japan Redux 2


2016年2月13日土曜日

グーグル・サービス

グーグルとは検索を意味するとの認識は、いまやかなり浸透されている。一方では、検索を利用しようと集まったユーザーは、あわせて用意されたさまざまな便利なツールに気づき、それらを試すようになる。このような書いているわたしも、知らず知らずに惹かれて、いつの間にかかなり熱心なユーザーとなってしまった。そして結果的にグーグルが選択的に、ときには意図的に下した決断に振り回され、付き合わされる結果になる。

ここ数日の体験の一つを記しておこう。前学期の学生レポートから数編選んで纏まりのある一冊にするという、去年のいまごろに編み出したやり方を繰り返そうと、学生たちとのやりとりを続けた。それが一段落して、いざ同じく「Google Play」にアクセスしたら、書籍の形にすることへの対応はなんと数週間まえに閉鎖されるようになったことを知った。その理由には、さまざまな推測がされてはいるは、公式的な知らせは一切ない。そして、その目で見れば、ここ数日に入ったニュースには、あの「Picasa」の終了予告だ。こちらのほうは、電子出版とは比べ物にならないぐらい桁違いの影響が出てくるだろう。さらにグーグル地図では、地元の情報を提供させようと、あれこれと奨励措置まで用意されているが、個人の提供による写真の地図での表示は、いつの間には取り除かれた。かつてここでも記した「ストリート個人ビュー」も、リンクがあっさり切れてしまった。いずれも会社の都合による決定であり、それなりの周知さえ行われることなく、あくまでも利用しようとして初めて気づくといったようなものだ。もちろん、新しく加えられたものもある。今日気づいた「n-gram」というユニークな検索と表示は、じつに秀逸で、実用的でいて遊び心もある。そしてこちらもほうも、同じくどうやら正式に知らせた上での登場ではなく、関心があるユーザーなら自分で見つけ出して利用するという形態なのだ。

結局のところ、ここに「サービス」という名の提供者と利用者との間のユニークな関係性が出来上がっている。サービス、しかも無料となれば、提供者の取捨選択と、軽薄な責任感に直結することだろう。あえて言えば、利用者を利用するという暗黙の前提と、失敗や閉鎖を恐れない実験性なのだろう。これ自体は、いまの時代を映し出すユニークな「文化」だと認識しておくべきだろう。

Google books Ngram Viewer

2016年2月6日土曜日

ビデオ・エッセイ

今週、インターネットで語られる話題の一つには、YouTubeで公開されている映画の構図についての解説ものがあった。一つの作品として、分類されて「ビデオ・エッセイ」と言われる。アップロードされてわずか二週間ぐらいしか経っていないが、すでに13万回以上閲覧され、300近いコメントが残されている。

作品は、15分と、いわゆるオリジナルYouTubeものの中ではかなり長いものの部類に属し、そのため、まずは真剣にとりかかることを要求する。その内容といえば、かなりの数の映画から、代表的な場面を数秒程度切り出して繋げ、せりふなどを省いて統一した背景音楽を配し、その上、作者自身による、はっきりはしているが、さほど工夫されたとも思わない解説の音声を加えたものである。一つひとつ選ばれた映画の場面は、とにかく美しい。贅を尽くした色の饗宴から、古き好き映画への記憶にいたるまで、見ていてとにかく飽きない。肝心の構図について解説は、フレームの使い方や、見る人の視線の誘導とコントロールなど、テーマも内容もさほど独特なものがあるわけではない。むしろこれまでは学術書や大衆向けの解説書において繰り返し語られたもので、ところどころもどかしさを感じさせられるぐらいだった。しかしながら、映画の解説なら、ビデオはやはり似合う。そしてオンラインでの手軽でいて確実な閲覧方法も、大きく寄与したものだ。

作品のタイトルは、そのまま日本語に直せば、「物語を伝えるための構図」である。映画という言葉は、特別に出ているわけではない。いうまでもなく、構図の原理から理解しようと思えば、なにも映画に限るものではなく、テレビドラマも、漫画・コミックも、西洋の古典絵画も、どれについてもこの魅力的なタイトルで見直すべきだろう。そして、絵巻も、その例に漏れない。

Composition In Storytelling