2015年4月25日土曜日

「かかあ天下」とは

今週の間、飛び込んできたニュースの一つには、「日本遺産」があった。テレビ画面を見つめて、正直、ちょっぴり分からなかった。名前からして、世界遺産のローカル版、という印象を受けるが、説明を聞いたら、どうやらそれが正解に近く、設立の主旨としてはそれをかなり意図したもののようだ。ただ「文化遺産」を冠した、同じ政府機関が主宰するあのデータベースが身近にあるのだから、在来の文化財との関連でどのように位置づけされているか、すんなりと答えにたどり着くことはできないままだ。

最初に指定を受けたは、数えて18点。「祈りと暮らし」を内容とする琵琶湖、「おもてなし」と持ち上げられた岐阜、「西の都、東アジアとの交流拠点」と認定された太宰府、どれを見ても、納得するには一ひねりを感じずにはいられないものばかりだった。公式発表の場では、とりわけ「かかあ天下」が話題になった。「絹物語」という副題が付いて、なかなか文学的で洒落たものだが、それがあまりにもキャッチなフレーズだからこそ、はたしてなにを伝えたいのか、忖度したくなった。「かかあ天下」とは、20150425あくまでも右のはがきで伝えている内容だろう。それが絹と関係を持たせたとたんに、意味合いが変わったとは、なかなか思わない。しかも、これを伝えるNHKのテレビニュースは、親切にも「働く女性」の意味だと字幕つきで解説した。この流れだと、「亭主関白」も、これまた「働く男性」という意味になるのだろうか。

大きな名前をもつ「日本遺産」は、オリンピックまで100点、ただ認定を受けた先に対しては、「ガイドの育成や外国語のパンフレットの作成などにかかる費用を補助」という措置を取ると報じられている。なぜかどこまでも本気度を感じられないというのは、個人的な理解に問題があるからだろうか。

文化庁 新設の「日本遺産」に18件認定

2015年4月18日土曜日

アウェー・トーク

一学年の講義は水曜日に終了した。これと同時に、若者中心の活動はいっそう活発になった。中では、かなりの伝統をもつ大掛かりなイベントが開催されている。日本風に言えば「漫画フェス」、週末にかけての四日に及ぶ日程で、千人単位の入場者が予想されている。一人の学生に誘われたまま、一席の話をしてきた。そしてまたとない機会とあって、カメラを片手に会場をゆっくり歩きまわり、見物してきた。

イベントの構成は、さまざまな規模のトークショーと、数えきれないほどの出店という二つの内容につきる。前者のほうでは、かなりのファンが付いているアイドルたちが主役となる。かれらの分野は、コミックやアニメの作者、音楽家、俳優や声優から、流行をリードするコスチューム作家など多岐に渡り、その影響力に応じて簡単に数百人がトーク会場をいっぱいにするものだった。一方ではいくつも続いた巨大ホールを占領したのは、無数の売店。並べられている商品は、けっしてやすっぽいシャツやおもちゃには止まらない。りっぱな毛皮、触らせてお金を取る蛇や巨大とかげ、数人が一斉に横になっているタトー入れの現場などを見て、つくづく普段の想像力では適わないと知らされた。20150418そして、イベントの主役は、なんと言ってもコスプレー。奇抜なコスチュームを身に纏ったのは、来場者の二割といったところだろうか。その内容はまさに奇を競うものなのだ。アニメキャラの服装はおよそスターンダード。LEDライトを仕込んだスカート、音声変換のスピーカを隠したバックバッグ、室外の草むらに身を隠す偽装、長い尻尾を引っかかっての曳行などなど、まさに枚挙に暇ない。熱気あふれる人々の中に身を置いて、大昔からの市場の存在やその原理を思い出す。まさに年一度の祭りであり、日常から抜け出す非日常の仮装なのだ。

話の場は、高級ホテルなみの、椅子ばかりいっぱい詰めた綺麗な部屋だった。ただ集まってきた聴講者の一部は、奇抜な身なりやコスチュームのままだ。しかしながら、それでも非常に要領の得た質問も戻ってきた。ちょっぴり学問っぽい話しかできなかったが、それでもまったくの無駄ではなかったような実感を覚えた。

Calgary Expo

2015年4月11日土曜日

メールグループ

いつごろから、どういうきっかけで入ったのかよく覚えていないが、日本の古典をテーマとする研究者のメールグループに参加している。普段はきわめて静かなところだが、昨夜からは一挙に百を超えるメールが舞い込んだ。どうやらいま利用しているグーグルの関連サービス終了が噂され、フェースブックへの移動との提案が上がり、それへの熱心な反応だった。簡単に想像できるように、意見はまさにまちまちなのだ。単純な賛成、反対から、検索機能の利用、グループメールを送った場合の不在返信への不満、フェースブック以外の代替サービス、はたまた日常的にメールグループを運営している者からの提案にいたるまで、ほぼ想像できるタイプの答えが一遍に集った。普段は古典を対象にした研究者の集まりなのに、こうも多彩な人間が集まっているのだと改めて認識させられた。

メールグループをもっぱら利用してきたこういう集まりが、フェースブックに移動できるとは、そもそも考えられない。どちらもインターネットで繋がった情報交流のプラットフォームであり、その違いというのは、突き詰めていえば、あくまでも利用方法の仕方に過ぎない。さらにいえば、研究者の情報交流という目的に絞って考えてみても、メールという形が最適だとはとても思えない。ただ、長くやってきたのだから、この実績はなかなか変えられない。どうしてもプラットフォームの変更を実施してしまえば、結局はこれまで集まってきた人々の大多数が離れ、代わりに新しい人間が参加してくる、ということだろうか。利用者の習慣、それがもつ慣性と言えばそれまでのことだが、けっして軽く見ることができない。いまのインターネットの展開も、そのような慣性への対応を、あまり強調してはいないが、現実的にこなせなければならない。具体的に、目の前の実例にしても、これまでの枠組みに添ったやり方を、大きなサービスなり、個人のサーバーなりを利用することで決着することだろう。いまの技術からすれば、けっして難しいことではなかろう。

ちなみに、このグループで個人的にはしかし発言したことはほとんどない。数名の知人をはじめ、発言者の顔を想像しながら、その熱心な議論を読んできている。これも一つの参加であり、しかも同じ方針を取っているのはきっと少なくないと、想像している。

2015年4月4日土曜日

いまごろ、桜が大いに咲いている。今年の春は、開花が早いだの、皆既月食だの、話題が尽きない。日本語学習者たちに向かって、テレビニュースを見せながら、花の下に座って飲み食いをしなければ「お花見をした」とは言わないのよと説明したら、一様に感心した表情が戻ってきた。そこで一つのささやかなことをここに記しておこう。

20150404日本語を習ったところの学校は、去年の秋に創立五十周年を迎えた。祝賀行事の呼びかけに応えて、同じクラスに通っていたクラスメートたちは、桜を贈ろうと思いついた。話が上がったのは、行事まで一年前のことだった。さっそく行動に移り、当時三十二人のクラスメートのうち、賛同した三十名は、決まった金額を熱心なリーダに送った。そこからの展開は、すごい。苗の購入、土壌の改良、植樹の儀式、はては記念石碑の作成、すべてほんの数ヶ月の間にみごとに実施され、完成されていた。しかも提案からわずか半年の後の去年の春、きちんと花が咲いたものだった。まさに「中国スピード」。地球の裏側からは、ただただ目を瞠る思いで見つめるものだった。

それからさらに一年の時間が流れた。この土曜日、クラスメートの数人は花見で集まっている。遠くから駆けつけることが適わない面々はチャットルームで盛り上がっている。ちなみに花の下で酒を飲み交わすことはさすがになくて、一同はレストランに移動して歓談を繰り広げたとか。国が違うことを思えば、これもいたって自然な変容と言えるだろう。

桜姫と共に