2013年12月29日日曜日

聖書絵

パリ・ノートルダム大聖堂は、建築全体をもって宗教の圧倒的な威厳を伝えている。それのみならず、建物の中に入っていれば、絵、座像、窓ガラスなどさまざまなメディアを用いて、宗教の教えや神の奇跡を語っている。一例として、正面十字架の裏に回れば、かなり目立ったところに彫刻のレリーフが装飾されている。簡潔な構図、絵の下に添えられた横書きの解説、そしてなによりも聖書ストーリの内容など、どれを持ち出していても、絵巻と良い比較になる。

聖書に述べられた壮大な物語、エピソードの詳細をめぐる重厚な伝統に照らし合わせて、レリーフの内容は、あまりにも簡略だ。人物も、背景も、描かれたアイテムも、幼稚なぐらいに感じさせる。しかしながら、それでも眺めてみれば、はっとさせられるものがあった。一連の構図の最後の一こまは、あの最後の晩餐だ。ただこれについて、あのダ・ヴィン131228チの絵があまりにも鮮烈で影響が大きかったせいか、説明文を読まなければまったく内容に気づかない。まずは人物たちが一列になって食事をするのではなく、半分は座り、半分は立ち上がっている。しかも身振り手振りで語っているイエスと思われる人は、たしかに真ん中に位置するが、食事についてわけではない。あれだけ著名な場面でも、ここまで自由な構図がなされていたんだと、あらためてはっとさせられた。思うに、このテーマの構図を集めるだけでも膨大な分量になり、きっとしっかりした研究がすでに結ばれているに違いない。しかも世界各地に現在なお残されている実際の画像例の数を想像するだけでも、無尽の発見が待っているに違いない。

レリーフの説明には、いくつかの言語によるものが添えられていて、日本語文は「よみがえったキリストの出現」となっている。悠長なキリスト教の歴史から考えれば、言語表現にもそれなりの伝統が出来上がっているだろう。ただすなおに読めば、表現自体はあまりにも吟味されていない。同じところの中国語訳はいっそう怪しい。場所は場所だけに、説明文の翻訳者の表現能力を疑いたくはないが、これだって、りっぱなミステリーだ。

2013年12月21日土曜日

大英春画

131221真冬の小雨の中、大英博物館の前に立った。十分に予備知識をもって訪ねているにもかかわらず、ギリシア風の柱の間から飛び出した巨大な「Shunga」の文字には圧倒され、言いようのない驚きを感じた。

大英博での特別展は、きっとつねにこうなるのだろうけど、遠方からの一見の客にはすべて特別なものなのだ。まずは料金システムが違う。あれだけの博物館が無料なのに、この展示ホールに入るには、ほぼ日本の普通の美術展と同等の入場料を払わされる。また、ほかの展示はほぼすべて写真の撮り放題なのに、ここだけは撮影禁止だとしっかりと釘を刺される。そして一旦中に入ってしまえば、展示を見る行列の進行スピードは極めて遅く、みんな熱心に長文の解説文を最後まで目を通す。展示の内容と言えば、肉筆絵の比重はあきらかに高く、それも巻物や掛け軸など、普段さほど多く紹介されないものが多い。しかもなんの前触れもなく西洋の、それも時代違いの春画をすべての展示より前に置かれ、中国の春画、明治に入ってからの写真などをあまり関連もなく差し込まれ、終りには学者たちのシンポジウムの様子が写真入りで掲げられて、内容は内容だけに、微笑ましいお愛嬌ものが多かった。そのような企画側の配慮に十分に応えて、見学者の数や質は素晴らしい。日本での特別展と比べれば、見学者の数がおそらくかなり見劣るものだろうけど、智的な関心を呼び起こしていることが一目で分かる。一人だけの、学者然の見学者が多いだろうと想像していたが、そのような顔は男女問わずたしかに多数見られた。一方では、親しげな同性の友人、年が離れて母と娘に思わせる連れ合いなど、もの静かに会話が交わされ、用いられている言葉もずいぶんと聞き分けられないものがあった。対して興奮気味の浮いた若いカップルはごくごく少数派なのだ。

展示の場は大英博だということは、春画のことを改めて考えさせている。エジプト、ギリシアの古代石像が圧「館」の空間だけに、英雄、宗教、死と弔いなどはベースとなる。その中にあって、普通の人間にぐんと近いこのテーマが大きな関心を集めたことは、いたって当然に思えてならない。

2013年12月14日土曜日

オバマ・コード

131214一つの短い動画が話題になっている。画面に踊りでたのはあのオバマ、語られたのはコード。しかしながら、ここの「コード」は法律や政治と関係なく、字面の意味の暗号でもなくて、あくまでもパソコンのソフトあるいはタブレット機械用のアプリを創りだすプログラミングのコードである。これを習おうと提案する有名人の一人に、オバマの名前が加えられた。アメリカ大統領からの公のメッセージとしては、なぜか突飛な感じをしてならない。

はたして普通の人々にはコードの書き方、あるいはその仕組についての基本的な知識が必要だろうか。はなはだ疑問的だ。一時期かなり書き続けた個人的な経験からすれば、パソコンのコードというのは、なにもみんなのみんなが触ってみる、試してみるようなものではない。そもそもソフトやアプリの作品とそれを構成するコードとの間にあまりにも距離が遠い。どんなコードにせよ、それが狙っている結果を実現させるには、特定の道具に頼り、その道具がさまざまな方針をもってコードの発想と構成を決めてしまう。言ってみれば、プログラミンは言語だと呼ばれても、その本質においては、約束事の度合いがかなり多い。そのため、道具は千差万別で、コードそのものも汎用性がなく、共通する基準など存在しない。加えて、実際のコードの規模は大きく、意味ある作業なら簡単に百行、千行を単位とするコードが必要となる。子供にでもできるなど、コマーシャル的な宣伝文句は頻繁に目に飛び込んでくるが、はっきり言って間違った先入観を植え付けてしまい、誤解をさせてしまうほうの不安が大きい。突き詰めて言えば、パソコンのコードは、文章を組み立てる文字とは根本的に異なり、そもそもだれでも分かるような文字の機能を狙っているわけではない。その意味では、まさに暗号そのものだ。

もともとオバマのスピーチには、「すべてのアメリカ人がコードを習おう」との副題が付く。すなわち国民全体に向かっての、教育をめぐる一つの発言である。とある集まりがあって、みんなの前でこの話題に振りかけたら、ある情報工学の老教授は、「自分がとっくに言っていても、だれも反応してくれないのに」と、わざとらしい苦言で一堂の笑いを誘った。しかしながら、その教授本人は、情報工学には未来がないとの持論を延々と展開したものだった。教育におけるコードは、教育のありかたを含めて、自明なようでいて、孕んでいる問題は大きい。

President Obama calls on every American to learn code

2013年12月7日土曜日

タイマーを持ち込めば

テレビのニュース番組から「反転授業」という言葉を知った。小中学校などで実験的に取り行われている試みで、かなり新鮮なものとして受け止められている。この言葉は、たいていの国語の辞典にはいまだ登場していないが、ウェキペディアを調べてみたら、三ヶ月ほどまえに登録されている。いうまでもなく、北米の現場では、均一した授業内容への期待が薄い分、かなり頻繁に採用されている。

大学の教室は、なおさらその通りだ。今学期に担当している文学のクラスでは、全体の五分の一程度の時間は、学生たちに講壇に立たせ、各自に調べておいてもらった内容を発表させるものである。今学期は、とりわけわざわざ大事な内容の一つや二つを関連の講義で避けるという方針を取り入れ、けっきょくはそれの半分以上のものは、きちんと学生たちがカバーしてくれて、大いに感心した。同じクラスは金曜日に最終講義を迎えた。最後の二回分の講義は、学期末レポートの口頭報告に当て、学生全員にそれぞれ五分の持ち時間を与えた。似たような口頭発表はこれまでも数回やってきたが、131207こんどははじめて大きめのタイマー時計を持ち込んだ。その効果はまさにテキメン。発表者も聴講者も一様に緊張感を持ち、教師としては余分なことを考えないでただただ質問を投げかければ良かった。それも学生たちの熱心な議論を言葉通りに割り込んでの、気楽なものだった。一つのささやかな仕掛けでクラスの雰囲気はこうも変わるものだと、あらためて実感させられた。

一方では、なにともあれ、大学の日程表などでは授業のことを間違いなく「レクチャー」と明記している。なにもかも学生に作業させたらいいということではけっしてない。しかもこれまで自分が受けてきた教育のせいか、どうしてもクラス全員にむかって一方的にしゃべってはじめて充実に教えた「気」がする。つぎの世代の教師たちはきっと違うと、密かに見守りたい。

2013年11月30日土曜日

春画動く

「shunga」という言葉は、このままの表記で英語の語彙に入ろうしている。そのための大いなる一歩は、現在大英博物館で開催されている特別展にほかならない。英語での新聞に止まらず、日本国内の新聞や週刊誌も揃って取り上げている。それも子供が登場した絵が展示から除外されたとか、このようなテーマの特別展はいまの日本で難しいとか、話題にこと欠かさない。

気軽に大英博の公式サイトを覗いた。現在進行中で、トップに挙げられている4つのテーマの二番目という位置に付けられている。展示のキャッチフレーズは、「他所とは一線を劃す日本の版画、絵画を発見しよう」である。特設ページにアクセスすると、まず目に飛び込んでくるのは、映画の予告編さながらの紹介動画である。言葉通りに、ここでshungaが動いている。131130ただ気になるのは、その動き方、あるいは動かして見せようとする絵の魅力の捉え方である。古典の絵に動きを加えるとなれば、まさにさまざまな可能性が選ばれる。絵の内容とリンクすることは、事は会話やら労働やらではないから、この場合遠慮して除外するとしても、あとは浮世絵だから、版を重ねて色を付けだしていくとか、木版そのものを彫り出すプロセスとか、多く考えられる。しかしがなら、ここの動画はあくまでもポップな音楽にあわせて絵の線が白紙の上に広がるという、今どきのパソコンソフトが提供しているスタンダードな処理方法に頼ったのだった。肉筆と木版との区別さえ定かではない、ひいて言えば主な展示品についての誤解さえ招きかねないもので、残念でならない。

金曜日の講義の内容は、まさに浮世絵だった。それも教科書は、わざわざ数行を割いてshungaを記述している。このヨーロッパでの出来事は、まさに最適の脚注なので。ただクラスが終わって、熱心な学生に聞いたら、まったくの初耳のものだったとか。「shunga」という言葉が英語に定着することなど、いまのところあくまでも幻なのだ。

Shunga: sex and pleasure in Japanese art

2013年11月23日土曜日

ハリウッドRONIN

来週最初の講義のテーマは、江戸の武士。教科書は、政治の執行者、道徳の手本という二つの側面を大きく強調している。それにあわせてあれこれと準備を進めていくと、今年も映画「47 ronin」が上がってきた。ずいぶんと苦労し、脚本も制作もかなりの紆余曲折を経たのだと伝わるが、映画館ではすでに予告編が流されているから、今年こそ無事上映することだろう。

師走となれば赤穂ものと、いつからかこういう相場が出来てしまった。それにしても北米までこの習わしに加わったとは予想もしなかった。しかしながら、予告編を見ていて、はなはだ呆れた。どこでどう苦労し、何を勘違いしたのか、さっぱり見当が付かない。僅かな情報からまとめてみれば、討ち入りの対象は、まったくの異界となってしまった。よっぽどの面倒があったからだろうか、この世とのつながりを映画はばっさりと切り捨てた。残されたわずかな関連と言えば、刀を武器にする以外、47という数字、そして、その数の人間たちが切腹した、といったところだ。予告にはその切腹シーンがきちんと入っている。集団で集まり、全員白装束して、反対側の人間が一人も見えない設定の中で、与えられた畳を前に妙に恭しく一礼する。設定としてはさすがに新鮮だが、長い伝説にビジュアル的な想像の新たな一頁を加えられようとしていることを思えば、気が重い。クラスでちょっぴり釘を刺しておかないいけないとしっかりとメモをした。

関連するニュースなどを見てみれば、すこし前のものだが、主演俳優の真面目なインタービューが乗っている。しかし語られたことと言えば、中国の武術、それも太極とやらの流派の師匠から指導を受けたことを嬉々として自慢気に語られている。同じ俳優は、夏に公開した、とある漫画をテーマにした武士もののファンダジー映画を主演したばかりだ。セットなり、ひょっとしたら画面まで使い回しをしていないかと、ツッコミを入れたくなった。

131123

2013年11月16日土曜日

清洲会議

このころ、伝説的な一大事件を語る、かなり現代的なニュアンスをもつこの言葉がかなりのヒットを得ている。個人的には、たまたま目に止まった電子ブックを購入し、さっと読み終わったころになって、これが映画とセットとして制作され、かつその映画もわずか数日前に封切りされたばかりだと知った。いまごろの時代劇は、天文やら、会議やらと、娯楽をベースにかなり対象を拡大したのだと感心した。目の前の講義の内容は、まさに信長と秀吉。クラスの最後の時間を利用して、学生たちといっしょに映画の予告編を楽しんだ。

131116同じ伝説を語るビジュアル的な古典材料といえば、おそらく右の絵だろう。「絵本太閤記」四篇の巻頭を飾るものだ。添えられた説明文は、「三位中将信忠卿之嫡男三法師君之像、羽柴四位少将筑前ノ守平ノ秀吉公之像」と読む。一つの歴史事件、あるいは闇に隠されたミステリアスな経緯をめぐり、それを語り伝え、思う存分に面白おかしく粉飾していく様子を至るところに伺える。ストーリの構成、文学的な虚構、歴史の虚実、そのどれを取り上げてみても、時間的にも空間的にもあまりにも離れているからこそ、すっかり楽しめる象になったものだ。たとえばこのような何気ない一枚の挿絵を取り上げてみても、はたして画像的な違和感は、どこに一番由来するのだろうか。秀吉の殿上人の装束、そして三法師が身に纏っているミニチュアバージョンの束帯姿などは、まずは考えれば考えるほどに滑稽に見えてくる。一方では、現代の小説となれば、秀吉の対応には、馬乗りや唐繰人形などのエピソードが案出されている。歴史といっても、時代の嗜好やその時々の常識にあわせてこのように形造られたものだと、あらためて思い知らされた。

ちなみに、この挿絵は、ウィキペディアの同条目の冒頭に掲げられている。一方では、はるか画質の良いものが早稲田大学の図書館から公開されおり、簡単にアクセスできる。デジタル環境の恩恵を示す好例として、あわせて記しておきたい。

「絵本太閤記」より

2013年11月9日土曜日

鎧を纏い餅を搗く

大学の講義で、来週のテーマは織田信長。薄い教科書は、あのホトトギスのじゃれ歌を持ちだして、信長・秀吉・家康を並べる。まさにここ数日、とある週刊誌をめくってみたら、時事諷刺漫画の実例として「道外武者御代の若餅」を取り上げたのが目に止まった。戦国時代の三人の巨人について、こういうしゃれたアプローチが根強く楽しまれていたのだと、あらためて知らされた。

131110餅搗きの風刺画は、宮武外骨著の『筆禍史』に取り上げられたことで注目を集めたと聞く。それよりも、時事という文脈から離れて、遠く離れた歴史上の一齣を解説する一つの表現として読んでも、十分に楽しい。三人の人物の特定方法といえば、猿だけすぐ納得する。そこからさらに目を凝らして見れば、武家紋から信長と光秀が分かり、そうなればあとの人は家康にほかならない。一方では、餅というテーマは、それがお正月の付き物だと思い出されても、「御が代」との関連の必然性にピンとこなくて、おそらく江戸の人々の何かの感性に基づくものだろう。それにしても、鎧を纏い、家康となれば兜まで被っている姿と食べ物作りに夢中になるという状況との組み合わせは如何だろうか。天下取りに生涯を費やした人物たちだと分かっていても、このようなかなり無理の多い状況を目撃して、この上ない可笑しさを感じるのは、はたして江戸の感性なのか、それとも現代の思いつきだろうか。

ときはまさに奈良の正倉院展が終了を迎えようとしている。今年の展示では、家康が寄進した唐櫃まで出品されて、いささか話題を呼んでいるとの噂だ。しかもあの蘭奢待を切り取った信長、興味を持たなかった秀吉云々と、またもや三人の巨人の比較が語りぐさになっている。目の前の教科書へのまたとない注釈となるので、クラスで若い学生たちに紹介してみよう。

味の素・錦絵アーカイブ

2013年11月2日土曜日

イメージとは

ちょっとした理由で、三年ほど前にこのブログで一度取り上げた本をあらためて取り出した。タイトルは、「The Archimedes Codex」。デジタルと古文書の復元、しかも対象は西洋の書物なので、新鮮でいて刺激になる内容が多い。中では、イメージそのものについての興味深い議論があった。読んでいて、まさに「目からウロコ」との思いだった。

著者曰く、いわゆるイメージというものは、美術館員の立場からすれば、「芸術家が創り出した形」である。しかしながら、同じことをデジタル技術を駆使する科学者に問い質せば、イメージとは「光が生み出した数字」にほかならない(202頁)。まさに明晰でいて、はなはだ挑戦的な記述である。著者は解説を展開する。前者の「形」は、普通の感覚に合致するもので、およそなんの疑問も持たない。対してデジタル技術をもってこれを記録し、再現するとなれば、物事はまったく違う様相を呈している。突き詰めて言えば、光がなければイメージが見えてこない。さらに言えば、見るということを、なにも肉眼という、人間が備え付けている器官だけに頼るものではない。肉眼には見えない波長の光を用いれば、肉眼ではけっして見えていないイメージも数字に記録することが可能である。そこに、このマジックのような数字、いわゆるデジタルである。デジタルの真髄は、けっして記録、伝播、再現といった、単純な媒体に止まるものではない。もう一つの、遥かに大きな機能は、一定の規則に則っての操作である。いまやほどんどどんな基礎的な画像処理ソフトにも付いている色のチャンネルを用いての編集機能ということを挙げれば分かりやすいだろう。このような操作を加えられたデジタルデータは、肉眼では見えないイメージまで確実に再現できる。そのようなデジタルデータを巧妙に動かして進めた操作、そしてそれによって得られる結果の成功例というのは、まさに芸術的なものとしか言いようがない。

以上の内容を含む報告は、著者のWilliam Noelがあの「TED」の講演で披露している。あまりにも多くの発見やプロセスをごく短い時間にまとめることは、さぞ苦労したし、必ずしも十分に伝わったとも思えないが、魅力的なデジタルプロジェクトについての、一つのユニークな要旨説明だと捉えれば、大いにためになるもの言いたい。

TED:失われたアルキメデスの写本の解読

2013年10月26日土曜日

断簡映画

久しぶりに映画館に入って日本の映画を見た。海外文化事業としての放映で、「天地明察」だった。ベストセラーがさっそく映画になったことを前から知っていたが、こんなに早く外国で見られるとは嬉しいばかりだ。

131026とりわけ時代劇を内容とする映画は、絵巻のようだとよく言われ、そして製作者もおそらくかなりそのように撮り方などで工夫をしていると思う。この映画もその通りだ。いくつかの場面は、思わずその美しさに唸り、あるいは構図に一人合点して内心微笑んだ。一方では、絵巻の感覚を働かせて映画を鑑賞すれば、なぜかまっすぐに思いに浮かんできたのは、まるで断簡になった絵巻のような作品、あえて言えば、断簡映画だったという言葉なのだ。たしかに上下二巻で刊行された小説を二時間のドラマに仕上げるのは、どう考えても至難な業だ。大事なストーリの内容を割愛したくない、それなりの山場も見せなくてはならない、などの理由は分からないものではない。それでも、どうしても首を傾げるものが多かった。りっぱな天文観察所の襲撃は、それをなし得る勢力の存在が分からず、まったく無説明とはどうしても納得ができない。主人公が頼りにしていた人物が、刀を抜き出して主人公の首に当てることなど、激高した会話以外、まったく必然性はない。そもそも日食とは、暦の正誤を証明してみせるのには確かに雄弁なのだが、それを何回も経験できたことは、すでに幸運だと言わなければならず、その上当の主人公夫婦は、まったく歳を取らない。あれもこれも、まるでいくつかの画面が知らずに失われた絵巻と対面しているような感じをしてならない。

そもそも映画というものは、ツッコミを入れてはならないものだ。そのような暗黙の理解を無視したら、それこそヤボというほかならない。それをたしかに承知はしているが、それでもこう考えざるを得ないのは、この映画をあまりにも期待し、長く楽しみにしていたということの裏返しだとしよう。

2013年10月19日土曜日

よだかの星

先週、クラスで取り上げたのは、宮沢賢治の「よだかの星」だった。ずいぶん久しぶりに読む童話もので、議論することも少ない単純なものかと漠然と想像していたのだが、良い意味で裏切られた。自然、星、そして鳥と、象徴的なアイテムの発想にフォーカスを合わせられれば、あとは意外と人間世界の経験と重なりあう。いじめ、意思と行動、死と再生など、話題が尽きない。さらにアンデルセンのダックの童話まで持ちだしたら、若い学生たちもすぐ読解の手がかりが得られたと見る。

131019童話の名手だけあって、「よだかは、実にみにくい鳥です」で始まる文章は、ふだんは遠慮がちな軽い悪口を小気味よくまくし立てて、不思議な世界を醸し出している。それもさっそく主人公よだかその鳥の外形が描かれる。「顔は、ところどころ、味噌をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています。」このような文章を読むと、読者はきっとはっきりしたイメージを想像できるだろうと思った。しかしながら、ことはそう簡単ではなさそうだ。現実、これをテーマにする漫画やアニメなどはこれまでかなりの数が作られているのだが、このよだかという鳥の格好となれば、どうやら決まった姿が得られていない。代表的なものをいくつか取り出してみても、その結果はじつにばらばらで、びっくりするぐらいだ。いくら書き手が上手だったとしても、文字で描かれたものには限界があって、それをいざビジュアルに変えようと思ったら、その結果にはかなりの幅が伴われるものらしい。

一方では、これをタイトルとする物語映画は、ほんの二三年まえにも作られたのだった。いうまでも宮沢賢治の世界を借りての、はなはだ文学的な意図に立脚したものだが、ふつうの外国人の観客には共有されないだろう。もともと、今日の日本の観客にだって、どこまで伝わるのやら、これ自体もとても興味あることだ。

2013年10月12日土曜日

アリス・マンロー

クラスでは、現代文学、とりわけ日本のノーベル文学賞作家の話をしている。それだけに、年一度の発表のニュースにいつも以上に関心を持ち、それも今年は珍しくカナダの作家が選ばれ、さっそくこの話題をクラスに持ち込んだ。

131012思えば、この作家の名前も、すこし前に学生に教わったのだ。読書好きの学生から、実際に本人と会えたのだとの自慢話だった。20人そこそこのクラスで訪ねてみたら、ほぼ全員は、この作家のことならもちろん知っているという答えだった。しかしながら、このような質問を投げ出している講壇のわたしは、ほとんどまったく無知に近い。それもあって、受賞の記事を読んだら、さっそくオンラインでアクセスできるものを探して、とりあえず二編ぐらい読んだ。率直な読後感と言えば、とてもいい感じのものだった。取り上げられている生活や人物は、日常生活とほどよい距離を持っている。書き方としても、端正で抑制が効いていて、かといってストーリには十分な山場が用意されて、けっして飽きさせない。近年の純文学にありがちな難渋なところもなければ、去年の受賞者のような、過剰としか言いようのない饒舌さもなく、味わい深い。もうすこし読みたくなり、市民図書館の、それも電子書籍の部に入り、読み物、そして朗読録音などを見つけて、予約リストに名前を連ねた。いまのところ順番は十番目以内だが、実際にいつごろ借りられるのか、これ自体も一つの小さな楽しみになっている。

ところで、同じ文学賞発表について日本の新聞記事を見てみると、どんなに短い記事でも、タイトルには日本作家が受賞を逃すと打ち出す。完全に型にはまった報道の仕方は、まったく読ませる気持ちが伝わらない。自国の作家に関心があることが分かるにしても、ここまでなるとちょっぴり不健康ではなかろうか。もうすこしバランス感覚を取り戻してほしい。この文学賞について言えば、そのような時間的な余裕は、十分にあるはずだ。

2013年10月5日土曜日

洛中洛外アプリ

ちょうど去年のいまごろ、京都をテーマにした講義で「洛中洛外図屛風(舟木本)」を取り上げ、その一部をこのブログにも記した。今年も同じ講義をしなければならず、関連のことを調べたら、ちょうどいまごろ、これがメインの出品の一つとして、京都がテーマの展覧会が開かれようとしていることを知った。しかも展覧会にあわせて新規のタブレットアプリまで制作された。展覧会は無理でもアプリを覗くのは同じだと、わくわくした気持ちでさっそく試してみた。

131004屏風アプリは、中味から言えば、初心者には十分な内容があった。迫力ある精細画像、かなりポップな解説152ケ条、検定と称する知的遊び、普通のカタログやパンフレットなどと比べれば、遥かに充実した内容を出している。狭い意味での電子メディアの応用という角度から考えても、一つの開発、利用の方法として多くのヒントを提示している。すでに長く公開されている「e国宝」と根本的に違って、すでにあったデータベースへのアクセスではなく、特定のオリジナル内容を拵えて独自のプレゼンをしている。そして、販売方法も、あの「産経新聞」アプリと同じく、サイズの違うデバイスで、無料と有料の両方を同時展開している。いまだ電子メディアの姿が定まらない中、貴重なアプローチだと大いに応援したい。

アプリのハイライトは、屏風の画面をめぐっての文字説明である。ただ、ここで文字と画像は、それぞれ独立したものに止まった。突き詰めて言えば、デジタルメディアが両者の融合した説明の方法を可能にしたにも関わらず、屏風の画像を満遍なく解説する知識も、そういう知識の建て方もわれわれはいまだ手に入れていない。たいていの古典のテキストなら、たとえば大学院院生のゼミ発表だって取り上げているが、そのような実践は、古典画像の解読ではいまだ広く行われていない。これから地味に続けるべき大事な課題だ。

「洛中洛外図屛風」アプリ

2013年9月28日土曜日

羅生門のヤモリ

今週、取り上げたのはあの「羅生門」。同じく学生時代からさまざまな思い出を抱いてきたものだ。数え切れないほど読みなおしたはずだが、それでもクラスの中という設定となると、若い学生に教わるものが多くあった。

三十分ほど講壇を学生に譲ってあげれば、さまざまな読み方が提示された。その中の一つ、作品の中に登場した動物に焦点を絞った。ストーリの主人公に名前が与えられていない事実にあわせて、人間の動物本能が著者の意図の一つに違いないとの指摘だった。具体的に用いられたのは、下人と老婆130928の対面に現れた守宮と猿。なるほどと思った。しかもその目で読めば、短い文章の中には、きりぎりす、鴉をはじめ、情況や比喩で登場した動物たちの顔ぶれは、狐狸、犬、猫、守宮、蜘蛛、猿、鶏、肉食鳥と、じつに十と数えられた。もちろんさらにストーリの内容に関連する蛇と魚も忘れてはならない。そこでヤモリから始まったのだから、そのイメージとは、と問えば、農場育ちの経験をもつ若者が積極的に語り出した。しかしながら、どうやらプラスになるイメージはなかなか現われてこない。繰り返し問いただしたら、蚊を喰ってくれるぐらいかな、とあった。こちらはなぜかすぐに漢方薬の事を思い出した。

そもそも羅生門という用語は、興味深い。日本語での一番新しい用例としては、最近のとある演歌のタイトル、それもどうやら男らしいという意味で用いられたものだった。台湾での政治用語、中国映画での借用などと脈絡もなく紹介したら、学生は「Rashomon effect(羅生門現象)」と持ち出した。なんと英語ウェキペディアにも登録され(日本語ウゥキの対応項目なし)、しかも同じ構想をもつ映画九点、テレビドラマ三十六点も紹介された。羅生門という言葉も、まさに「ヤモリ」そのものなのだ。

2013年9月21日土曜日

梓慶為鐻

学生たちとともに読む「夢十夜」。第二編に選んだのは第六夜だった。明治時代に紛れ込んだ運慶が、大勢に見守られて仁王の像を作るというあの夢である。個人的にはかなりの思い出があるもので、学生時代の、人生一大事の日本語試験に、解読文として読まされたものだった。ただ作者名も夢との設定もまったく知らされず、学習者として大いに苦しまれたという悔しい経験は、いまでも深く記憶に残っている。

久しぶりにこれを読み直し、関連の文献まで目を通したら、夢の設定は中国の故事を踏えていたということにはじめて気づいた。あの荘子に説かれた逸話だった。梓慶(しけい)という名の匠が、楽器である鐻(きょ)を作る、という話である。そこでは、人間離れの神技について、周りの驚愕に満ちた視線ではなく、匠本人が丁寧に解説を披露した。それによれば、しかるべき修行のプロセスを経て、ようやく到達できた最高の境地とは、自然の樹木を前にして、「見成鐻」、形を備わった鐻を自ずから見出せるのだと教わる。このように梓慶と運慶、楽器と仏像との対応がしっかりと結ばれ、芸術の境地が立体的に見えてくる。もともと、このような典拠が分かっていても、130921漱石の夢の魅力がすこしも減らず、とりわけ「土の中から石を掘り出す」といった洗練された比喩は、いかにも漱石らしく読む者に伝わり、表現としてますます光っている。

友人の好意により、今年もある書の同人展への出品を誘われた。試しにこの故事を内容とし、日本語による説明を添えた。ふだんまったく筆を取らないことは、書の先生にはすぐ覚られるに違いないが、一つの貴重な思い出としてここに記しておきたい。

2013年9月14日土曜日

夢百年

新しい学年が始まった。今学期の担当には、現代文学がある。名作を英訳で読むという内容で、漱石の「夢十夜」から始まった。十日に一章というベースなので、十夜は長く、第一夜と六夜だけに絞った。丁寧な翻訳もあって、若者とともに夢を読む、という楽しい経験をしている。

夢の名作だから、とにもかくにも夢心地を楽しむことを忘れないでほしいということから入った。誰でも共有できる夢の経験を思い出してもらい、そこからストーリの内容を読み取れるように努力した。それにしても、ストーリの内容というのはどのように捉えるべきだろうか。学術論文の検索サイトで調べたら、「夢十夜」と名乗る論考だけで231篇と数えられる。ちらっと目を通しても、兄嫁への恋心など作者個人の事情を物分り良さそうに嬉々と並べるなど、ちょっぴり腑に落ちない。あるいは文章にあった男の「腕を組」み続けるというポーズ、しかもそれが「わたし」だったことが邪魔したからだろうか、多くの解説はフォーカスが合わない。素直に読んで、一人の男の信じて疑わない、一途な純愛物語として受け止めてよかろう。なによりも、疑わずに言われるとおりに事を進め、じっくりと百年を待ち続けることは、美しい。

一方では、クラスで取り上げる予定の別の一編は、三島の「卒塔婆小町」。夢こそ謳っていないが、漱石の一夜とのリンクはあまりにも多い。恋する男女の死と再会、それまたちょうど同じ百年を待つなど、まるで漱石の夢の変奏だ。しかしながら、こちらのほうでは、百年待った男が、解放され、救われたのではなく、まるでその逆の結末を辿った。いわば女性に喰われた男の物語である。詩人というレッテルを貼られたとは言え、簡単に個別化することができず、はなはだうす気味悪い。このもうひとつ百年の恋は、若い学生たちにどのように映るのだろうか。とても気になる。

2013年9月7日土曜日

英語落語

20130907英語による落語、英語を話す人を対象にし、伝統的な落語のスタイルを用いて、あくまでも「Rakugo」の市民権を得ようとする試みである。きわめて明瞭な概念であり、広くて奥深い実践である。ただ、たとえば日本に行ったらわざわざ英語でのものを求めたりはしないこともあって、これまで意外と一度も見たことがなく、先週、市内にある小さな劇場でそれを楽しむ初体験をした。落語家は、カナダ人の桂三輝。しっかりとした訓練を受けたことは一見して分かり、一流のパフォーマンスを堪能できた。

落語とは、伝統的な日本的なものである。それを英語という違う言語に置き換えてしまえば、それが日本的なものだということがいっそう明らかになってくる。一番の違いは、おそらく笑いの頻度だろうか。落語にある落ち、ほんとうはけっしてそう数多く期待はしない。じっくりと話を聞き、物まねや誇張した口ぶり身振りを楽しみ、その過程のどこかでどっとした笑いが生まれてくる。一方では、英語になると、どうしてもそんなに悠長に構えていられない。リズムのベースは、どうしてもトークショーのそれに重なる。同じ日本語による落語で考えるなら、寄席とテレビの差、とでも喩えられようか。もともと伝統芸能のあるべき格好など難しいことを考えないで、すなおに劇場に座っていれば、笑いが多いということは、けっして居心地の悪いものではない。

英語話者による英語落語となれば、自然に言葉そのものをいじりはじめる。日本語における挨拶の仕方、英語語彙借用、発音のトリック、表現のパターンなどなど。どれもこれも日本語学習者に聞かせたいものばかりだ。笑いのある説明、センスの良いユーモア、出来るものなら日本語教育の現場でも努めて生かすべきだと改めて思った。

2013年8月31日土曜日

IT教室

今週は、教室の使い方についての説明会に二つも出た。新学期の始まりにあわせて、新しいIT教室が出来上がった。これまで十五年も近く使い続けてきた、当時はかなり評判だった部屋を全面的に作り変えたものである。隣のスペースまで使えることもあって、部屋が広くなり、かなりの予算がつぎ込まれ、最新の技術が結集された現代風の空間の出現である。

教室の全体構成はこうである。最大36人のクラスのために六つのテーブルを用意し、それぞれにはテレビサイズのタッチスクリーンと独立したパソコン、それにキーボード、マウス、マイクなどのスタンダードな入力装置を備える。両側の壁には投影スクリーンと大画面テレビを据え付け、残りの壁には白板代わりのガラス板を張り巡らす。これらの器具の起動にコントロールボートを用い、パソコン同士の連結は専用のソフトに頼る。言い換えれば、いわゆる現在の技術というのは、大きいサイズのタッチスクリーンと、複数のパソコンを繋げる専用ソフトである。パソコン同士の交信はあくまでもインターネットの規格に基準し、したがって独立したテーブルは教室の壁に限られるものではなく、汎用のソフトを用いて簡単に果てしないところまで伸びていく。

教室の中に座って、ついついこれまでの二十年の道のりを想起した。技術的な進歩といえば、テープからデジタルということにつきるが、これにあわせて、昔の「LLラボ」がいまの「IT教室」になった。言語専用のものから総合の教室になり、教師と学生個人との会話からグループ活動がメインとなる。自明のことに、グループ活動の教室では、教師一人でしゃべるだけのスタイルは、すでに通用しなくなった。新しい教室の登場は、教師への新たな期待と要求をかなり具体的な形で提示しているものである。

2013年8月24日土曜日

サイトアドレス

オンラインで公開されている古典資料は、日増しに増えている。一部の分野では、デジタルしか利用できるものがないぐらいのレベルに達している。伝統的な研究にデジタルを持ち込もうとすれば、さまざまな課題に直面せざるをえない。たとえば、一編の論文の中でサイトアドレスをどう表記すればよいのだろうか。縦書き文章の中の英数字云々ではなく、まずは、暗号みたいなアドレスで読んでいても意味が通じず、読者がそれをパソコンに入力できるとはとても思えない。

具体的な一例に沿って考えてみよう。早稲田大学図書館では、「後三年合戦絵詞」の模写を三点所蔵し、デジタル公開をしている。三点はそれぞれ題名にわずかな違いを持ち、中の一点、「後三年絵巻」のサイトアドレスは、つぎの通りである。
http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ri05/ri05_01981/
特殊な記号を含まず、意味がなくても再現しやすいほうのものである。そこで、紙媒体のための論文引用に、つぎのようなスタイルを試した。

・ 早稲田大学図書館蔵「後三年絵巻」(「早稲田大学古典籍総合データベース」)

簡単な説明を添えたが、要するに普通の検索エンジンに「早稲田大学古典籍総合データベース」という大学図書館運営のリソースにアクセスさせ、その上で「後三年絵巻」というタイトルの検索でデジタル公開に辿りつかせるものである。上記の数字だらけのアドレスの代わりに、読んで分かるようなリソース名とタイトルを提示し、読者に二回ほど検索をしてもらうものである。ただし、検索エンジンに掛けた結果と言えば、グーグル、ヤフーなら、
「古典籍総合データベース - Waseda University Library - 早稲田大学」
bingでは
「古典籍総合データベース - Waseda University Library」
という条目があがってくる。そのため、大学リソース名に「古典籍総合データベース - Waseda University Library」ということを指示してもよさそうだが、それぐらいの判断は読者に任せて、その代わりに読みやすい、分かりやすい、という意味で日本語と英語の混在や半角スペースなど省いたほうが望ましいのではないかと判断した。

このスタイルでは、検索エンジンやその表記の方法、リソースの題名が固定して変化しない、しかも読者はある程度表記の揺れに対応できる、という二点を前提とする。いうまでもなく、この二点とも、紙媒体に印刷されたリソースならまずは現われてこない問題であり、これまでの表記の規範からすれば、ちょっぴり外れたものだ。電子媒体だからこそ必要とされるものであり、はたして効果的かどうか、ささやかな提言をし、その結果を期待したいものである。

2013年8月17日土曜日

青空文庫

新学期が近づき、あれこれと講義の準備を始めている。今年の担当の一つは、近代文学。英訳が読めるということが条件だが、それでもやはり自分が受けてきた教育が大きく影響して、どうしても漱石や芥川あたりを持ち出したくなる。そして、そうなれば、あの「青空文庫」の存在が大きい。最近には、汎用のブラウザ仕様の縦書きサポートまで開発され、それに載せれば、読みものがまさに横に開く文字の巻物さながらに展開されてくる。大きな文字サイズも加わり、並たいていの文庫本よりはだいぶ読みやすくて、見えが良い。

いつの間にか青空文庫はすっかり一種のスタンダードになった。面倒な著作権の議論をきれいにすり抜けて、名作に気楽に、気軽にアクセスさせてくれるということで、どれだけ社会に恩恵を与えていることだろう。このころ続出する電子リーダーなども、まずはこれを取り入れることによって最小限のものを用意し、電子読書を実際に体験させている。そして、これのおかげで、世界で見ても、日本の名作のデジタル化がさほど遅れていない結果になった。一方では、古典作品が対象になっていることはやはり気になる。どこまで読まれるかという読者側の問題もたしかにあるだろうけど、古典の名作があまり知られていない近代の作家の習作よりも読者が少ないとはとても考えられない。底本の問題だって、著作権切れのものが十分に存在しているはずだ。なにかの形で始められないかと、願ってやまない。

このようにあれこれと考えているうちに、青空文庫の創設者の訃報を読んだ。しょうじき驚いた。関連の報道などは、青空文庫創設が1997年だとくりかえし伝えている。思えば、あの時期に個人的にも近代文学の名作をデジタルにして公開するような試みをし、その中で青空文庫の存在を知って、まとめてやっている人がいるのだと、ほっとした記憶をいまでも覚えている。しかしながら、その創設者の名前を知っていても、公開講演を聴くなどの機会もなかった。残念でならない。

2013年8月10日土曜日

月は草の中

水の中の月なら、ありふれた景色である。ハリウッド映画を見れば、それが大手制作会社のロゴにまでなっている。一方では、たとえば草の中の月となれば、どうなるのだろうか。水のと同じアプローチなら、さしずめ金色に輝く草の表面を、というのもあるだろうけど、どうしても腑に落ちない。

130810そこで、「武蔵野図屏風」を知り、なるほどと思った。正直に言えば、解説を読むまでに、草の中の真ん丸い黒い物体の存在にすぐ気づいたが、それが月だと思いも寄らなかった。まさに石ころでもなければ、描きそこなった結果でもないだろうし、山とペアとなっていても、それの影にしは輪郭が違いすぎる。そこで月だと教わった。しかも調べてみれば、これは広く用いられた決まった模様であり、月を表現するエレガントなパターンだとされていたのである。ビジュアル表現の奥深さは、ここにもちらっと顔を覗かせた。

しかしながら、最初の一瞬だったにせよ、当惑の思いは、構図の奇抜さと、下手をすればその難解さを伝えているに違いない。じじつ、毎日の夜の散歩では、このころとくに晴天に恵まれ、よく月を眺めたものだ。広大な芝生の中を一周するのだから、見る角度も違う。もちろん足元には繁々とした草。それにしても、このような構図にはとても着想がいかない。そこで短い草と月、どのような表現がありうるのだろうか。まずはカメラを持ち出してそこからアングルを考えたいものだが、そうすれば、神秘な表現からはすでに一歩遠ざかった結果にならないのだろうか、答えが見えてこない。

武蔵野図屏風」(東京富士美術館)

2013年8月3日土曜日

石弓

絵巻ってユニークな文献である。その基本は、文字と絵をもってともに同じストーリを記し、そして物語の展開にしたがって文字と絵が繰り返される。このような記述の直接な結果の一つには、絵巻が作成された当時における言葉とそれが指し示めす実物との明らかな対応がある。とりわけ失われた物事となれば、このような対応はじつにありがたい。ほんのささやかな一例は、戦場が交わされた「石弓」があげられる。

130803「後三年合戦絵詞」は、石弓にまつわる具体的なエピソードを残している。景正という武士は、先祖伝来の兜を被って戦いに出たが、その兜が石弓に打たれ、戦場に消えた。命が間一髪で救われたことと、絶世の名品が滅びたことが混ぜ合わせた複雑な感情がこのエピソードを際立たせた。ここに石と弓との組み合わせからは、なかなか具体的な武器の様子を思い浮かべることが難しい。幸い、そこに絵があった。兜を射落としたのは、大きな石の塊であり、それが頑丈に縄に縛られている。一方では、弓の様子が分かったところで砦のほうに目を移れば、そこに同じような石塊がたしかにぶら下がっている。しかも同じ絵巻の中で何回も描かれた砦の様子には、同じ物体はくどいほど繰り返された。いうまでもなく、石を射るのではなくて、あくまでも落とすものだから、現在の感覚でいう弓にはほど遠いものだった。

言葉と絵との対応をはっきりさせることは、絵巻を読むための最初の一歩のはずだ。このような考えの下で、「ウィキ絵巻」という小さなサイトを開設した。オープンのシステムなので、感心ある研究者が同じ作業に参加することにも簡単に対応できる。このブログの右にリンクを添えた。それに、これの開発にあたっての考えなどを、新刊『デジタル人文学のすすめ』に記した。

ウィキ絵巻

2013年7月27日土曜日

デジタル人文学

デジタル人文学のすすめ_j2『デジタル人文学のすすめ』」と題する一冊を勉誠出版から出版した。この週末あるいは来週早々にも本屋の店頭に並べられるとの知らせをもらった。もともと海の向こうに身を置いているなので、実物が手元に届けられるのはもうすこし先のことになる。この一冊は、三人の編集者によって共同で編集され、あわせて十六人の執筆者による論考が寄せられ、いずれも二年まえの秋から始まった一年をかけての研究会から生まれたものである。

本のタイトルに思い切って「デジタル人文学」という言葉を用いた。もともと日本語の言語表現、あるいは日本における教育や研究での分野分けから考えて、かならずしも自明の選択ではない。英語における「humanity」にあたるものを、文学、法律、情報学などより具体的な分類をもって捉える傾向があると言えよう。そのため、英語では「DH(Digital Humanities)」という略語までかなり定着したのに対して、日本ではむしろ「デジタル・ヒューマニティ(ズ)」と名乗る学科や研究会があって、言葉の表現としてはいまだ流動的な印象を受ける。ただ、いうまでもないことだが、一つの用語の有無や使用頻率などはあくまでも表面的なものに過ぎない。どのような言葉で表現されるにせよ、デジタル環境の確立という事実、それが既存の歴史、文学、情報などの各分野にもたらした衝撃は無視できず、デジタルのある人文学とはまさに時代の縮図の一つであり、誰一人これとの付き合い方を直視こそすれ、目を逸らすわけにはいかない。

小さな一冊は、「現状」、「反省」、「未来」という隠れたキーワードで部立てをし、それぞれかなり具体的な、その多くはいまの日本のデジタル環境を代表するような実例を取り上げながら、詳細に報告し、あるいは忌憚のない批判を繰り広げている。関心ある読者にはきっと参考になることが多いと信じる。ぜひ手に取ってみてください。

『デジタル人文学のすすめ』(楊暁捷・小松和彦・荒木浩編) (立ち読み

2013年7月20日土曜日

神田古本屋

春から続いた日本滞在は、すべて予定通りに終了した。その後半は訪書と称して、絵巻の書写を各地に訪ねるという、非常に恵まれたものだった。そのような長旅の最後の締め括りは、思わぬ形のものだった。友人、知人の心のこもった好意による最高のもてなしを受け、いまだ学界に報告されていない一点の書写の所在を教えてもらったのみではなく、その所蔵先に実際に連れて行っていただき、実物を心行くまで披いて見させてもらった。

訪れたのは、神保町にある中野書店。テレビ番組や新聞記事などにもよく登場し、新たな古本の町の姿を摸索し、これまでにはなかったやりかたを精力的に実践することで広く知られ、尊敬されている店である。見せてもらったのは、その店が所有している「後三年合戦絵巻」の模写である。かなり質の高いものだ。同絵巻の豊かな模写群にあっても他のものになんら遜色なく、丁寧に、贅沢に制作され、長い間大事にされてきたものだと一目で分かり、いろいろな意味で絵巻の魅力を伝えている。一方では、模写本の通例として絵師や過去の所蔵などに関する情報はなく、絵や詞など模写の内在の手がかりをもってどこまで作品の性格を推測できるものかと、まさに可能性を孕み、見る人を魅了するものである。

130720貴重な絵巻は、ほとんど無造作にガラスの展示ケースの中に入れられている。今時、どこの図書館やコレクションが購入しても、間違いなく恒温の書庫に保存される貴重書になるだろうが、その落差はあまりにも大きい。一方では、「中野書店デジタル美術館」と名乗って、同絵巻模写は高精度のデジタル画像に記録され、高質な再現ソフトに乗せて店頭に鎮座し、だれでも手軽に触れられるようになっている。しっかりと息づいている古典、すこしずつ変容し、再生していく古典というきわめて貴重な縮図を見た思いだった。

中野書店

2013年7月14日日曜日

巨大絵巻

今週はいささか遠いところを旅した。乗り換えの苦労なども含めて一番の目的地は横手、目指したのは、そこから一駅手前の「後三年」という名前のJR駅だった。この妙な名前をした駅と、そしてその近くに位置する絵巻をテーマにした公園をぜひともこの目で見ておきたかった。到着時間がやや遅れ、やむなくタクシーを走らせた。人懐こい、かと言って「後三年」についてほとんど関心を持たない運転手さんの行き届いたサポートで、最小の時間でかなりのものを見てまわった。

駅に降り立ったら、展示パネルになった絵巻画面がすでに迎えてくれた。駅舎も含めて意外と新しかった。聞けば、数年前の市町村合併の結果として、駅舎が新しくなったとのだと、運転手さんが説明してくれた。公園のテーマは、戦ではなくて、平安。ただし、どうやらなんらかの手掛かりがあったわけではなく、ただ広い、京都の感覚から言えば倍ぐらい大きな橋が真ん中に据えられ、ほど近いところに「後三年」絵巻から数場面のみ取り出したレリーフが楽しいハイライトを成した。絵巻の場面を思い切って大きなサイズにする、再現するにとどまらずに、それを浮き彫りにする、こういった巨大化、立体化した対処は思いのほか少ない。巻物という既成概念からすれば、その枠から飛び出して、自由に内容を伸ばし、それがもつビジュアルな魅力を大胆に見せるという意味では、とても望ましい試みではないかと大いに感心した。

130714一方では、「後三年」とは、そこではあくまでもご当地の自慢という文脈で息づいていると見受けられる。しかも、駅の巨大看板や写真パネルなどを見てすでに気づいたのだが、看板もパネルもレリーフも、いずれも当地出身の画家の模写を再現しているものである。権威あるオリジナルものは重要文化財に指定されて、このような使い方だと、その気さえあればけっして不可能ではないはずだ。なのに、あえて画家の個性が存分に盛り込まれた画作が用いられている。ここに、模写のある風景がかなり強烈なメッセージを発信してように感じてならない。

平安の風わたる公園

2013年7月6日土曜日

祇園の鶴

京都にいる時間を大切にと、蒸し暑い中でも外を歩いた。土曜の午後は祇園界隈。圧倒的に外国人観光客が多い。それも小さな子供連れの家族の姿が目立ち、顔だけでは分からなくても、仕草ならすぐ分かる。どの国の言語でもたいてい音程が日本語より高く、遠く離れていても聞こえてくる。そこで、そのような観光客に囲まれた人だかりの中心には、一羽の鶴が静かに立っていた。

130707街角での鶴の目撃は、言葉通りの初体験だった。たいへん興味を持ち、すぐカメラを向けた。うっすらと黄金色を帯び始めた夕日に照らされて、実に申し分ない。鶴は、おおらかにゆったりと構えていて、落ち着き払っている。大きな目を見開いてまわりを見ているのだが、多国語の会話にもシャッターの音にもまったく動じない。尻尾を道路側に向け、頭はあくまでも道端に向けて、店の中に慇懃な視線を送っている。しかもやっとなにかのアクションが起こったと思ったら、ぴったりと横の店に移って行ったのだった。一方では、店の主人たちの対応を見れば、鶴はかなりの「常連」らしく、なんら特別な反応は見られなかった。

思わず数多くの鶴にまつわる伝説が頭を過ぎった。ここまで生活に溶け込んだ鶴なら、報恩されるような言い伝えが取り沙汰されてもぜんぜん不思議ではないと、不思議なほどに納得した思いだった。

2013年6月28日金曜日

彫刻の森

ほぼ三十年ぶりに、箱根にある「彫刻の森美術館」を再訪した。前回はたしか雪の中だったが、今度は好天に恵まれた。名高い登山列車は言葉通りの超満員、しかも大多数は年配の方々による観光グループであり、美術館の門前には、修学旅行の若い学生たちが大勢集まり、外国人観光客もかなり目立つ。どうやら「彫刻の森」は相変わらずに老若男女に愛され続けているものだ。

130629木々の森や彫刻の間を歩いて、ここはまさに名前に示された通りに美術館なのだとなぜか納得した思いだった。名作という名にふさわしい作品はほどよく配置され、その一つひとつには作者やタイトルが添えられ、作者の個性や時代の変遷をはっきりと伝わってくる。いうまでもなく展示は彫刻作品なので、展示を置き換えたり、特定のテーマを打ち出したり、ひいては他所から作品を借りて集中展示したりするなど、普通の美術館でなされていることはとても期待できない。ただその代わり、三十年もの前の作品と再会したりしたときの感動は、これまたいささか特別なものだった。それから、普通の美術館ではけっして目撃しないことに、室外陳列の彫刻の美術品を清掃するために歩き回る人の姿がいた。妙に印象に残った。

一方では、美術館と呼ぶには、作品の内容や由来についての説明情報は、あまりにも少ない。数多くのロダンの作品などは、ほかの場所で確実に何回も見ている。このレベルの銅像は複数に存在するという事実は分かっているが、これをめぐる常識はまったく持たない。いわゆる複製ではないことはたしかだ。しかしながら、どんなに名作だと言われても、製作当時から十個も二十個も作られたとはとても思えない。そこで、必要に応じて制作されたものは、かなりの時期が経ったので、同じものだと考えるにはどうも違和感を拭えない。展示されている彫刻作品については、工房関連の情報は普通の見学者には提供しないのがいまの基本方針のようだが、その理由など、図りきれない。

彫刻の森美術館

2013年6月22日土曜日

大洪水

短く京都に滞在している。記すべきことは溢れるほどあるにも関わらず、今週はやはりこれを避けるわけにはいかない。ホームタウンは、大洪水の災害に見舞われた。目下のところ、都市全体の約一割の十万人もの人間が避難を強いられ、かなりの道路や家屋などが水没されている。勤務する大学は、金曜から大学を閉鎖し、しかも同じ措置はとりあえず火曜日までと決定し、キャンパスは避難者たちのシェルターと変身した。

安否を気遣う友人は、ロッキー山脈に大地震さえ起きなければ、カルガリーはまったく自然災害などとは無縁の町なのにと、書いてくれた。まさにその通りの思いだ。これだけの現代社会で、海抜2000メール級の町が水にやられるとは、やはり妙な結果だと言わざるを得ない。しかも温暖などで突然山の氷が溶けたりしたようなことではなくて、あくまでも記録的な降水によるものだと言われているのだから、どうしても腑に落ちない。写真やテレビ画面から伝わってくる水没の画面を見つめて、見慣れた日常の風景とはあまりにもかけ離れた様子に驚き、震え、目を疑うばかりだ。

130623このような内容、これだけの規模の災難に襲われたら、つぎに取り掛かる課題は、被災者の救援、被害地域の再建、より大きな意味での都市計画、そして被災した人々の心のケアと、数え切れない。その一つ一つは紙上の空論ではなくて、地味な毎日の生活の一部に入り込むものであろう。その中で、とりもなおさず二週間ほどさきに迫ってくる年一度の都市行事であるロデオが、市民ボランティアなどの力で決行するとの宣言がすでになされている。どのような展開になるものだろうか。

2013年6月16日日曜日

巷の粽

かなり久しぶりに端午の日を中国で過ごした。いつの間にか端午とは国をあげての祝日となっている。今年のそれが水曜日に当たるため、ほとんどの機関や会社などは直前の土、日を出勤日とし、振り替え休日をもって連休を作り出しているという力の入れようである。昔の記憶にはなかったもので、はなはだ感心した。

ラジオとかでは、端午、そしてこれとセットになっている粽のことを繰り返し放送している。たまたまだっただろうけど、二回も耳に入ったのは、独りよがりな、重いアクセントを混じった語り口の学者による解説だった。正直、聞いていても要領が得ない。海外ではまるで新興のスポーツにまでなった感じのドラゴン・ボードのことは、どこでも触れられていない。端午というのは、そこまで説明が必要とされ、難解で理屈っぽいものなのだと、なぜか合点したような印象だった。一方では、粽はたしかに商業ベースのレールに乗り上げたものだった。街角にはまさに言葉通りのさまざまな形や中味の粽が充満し、しかもお土産用のものとなれば、その値段はカナダのそれとまったく変わらないものとなっている。ただ端午の日が過ぎれば、すべての粽はあっさりと店頭から姿を消してしまい、あっぱれなぐらいだった。

130615文字によって記された粽は、かなり古いものに遡るものだろうと漠然と想像して調べてみたら、なんと約750年まえの粽の実物までお墓の中から出土されたものである。しかもほんの20年ほど前の発見にすぎない。味やら歯ごたえやらもう知るはずもないが、写真を見るかぎり、現在のどこかのブランドもの粽の宣伝写真だと言われてもまったく違和感がないぐらい、完全に今風のものなのだ。少なからずに驚いた。

江西德安南宋周氏墓清理简报(『文物』1990年9期)

中国の街角

ごく短い中国への旅に出かけてきた。前回のはまるで昨日のことのように記憶はしているが、それでも約二年の時間が流された。曇りの中を北京空港に降り立ったせいもあって、空はたしかに薄暗くて、予想を超えたことがあった。ただここで生活している人々には、まるで認識がなくて、空気はやはり悪いなの、と、何回となく陽気に聞かれたものだった。

130608新しい建物が相変わらずに凄まじい勢いで現われてきた。記憶にあったランドーマークを見つけ出すことなどとっくに諦めた。それにしても、夜の街角を歩くと、溢れんばかりの活力にはやはり驚いたものだった。人々は言葉通りの多彩多様な方法で自分を楽しませている。新築の広場に立って周りを見渡してみるだけで、目に入ったのは、壁に向かっての一人テニス、ぎこちなくラケットを握ってのバトミントンをはじめ、手作りのライトを豪華に取り付けた凧、鮮やかな身なりの鞠やサッカーボール、大勢のグループによるダンス、風を靡かせるローラースケートの群れ、まさに数えきれない種類の遊びが一斉に展開してくるものだった。タクシーに乗って凧の話を持ち出したら、おしゃべり好きの運転手がまじめな顔で、あれが禁止されるんだよねと口を開き、かつその理由とは、夜間の飛行機に危険をもたらすものだからと真顔で教えてくれた。どこが人をからかう冗談で、どこが人に言われたことを素直に信じるものなのか、計り知れないままタクシーから降りた。

ただ苦労してウェブにアクセスしたら、グーグルにはアクセスできないことを思い出された。したがって、すくなくとも現時点ではこのブログの更新どころか、閲覧することだって出来ないものだ。この現状はいずれさっと変わるものだと、いまは祈るのみだ。

2013年5月31日金曜日

神様の足

「トーハク」で開催中の特別展は、かなりの評判だ。必ず行っておくべきだと数人の知人から教わり、金曜日にはさっそく訪ねた。考えてみれば、ふだんなら神様、信仰という言葉に落ち着くところを、あえて「大神社」と打ち出したものだから、やはりインパクトを感じる。平日の、それも朝早く入館したせいか、予想したほどの人出がなくて、ゆっくりと見て回ることができた。

展示のスケールは、さすがに大きい。このテーマにはすぐ連想される装束、鏡や神輿などはいうまでもない。個人的に関心をもつ絵巻や絵図、古記録もかなりの点数が出品され、丁寧な説明が用意されたこともあって、自然と見学者の群れが出来てしまう。一方では、神像がすごい数に及んで集まったことは、まさに圧巻だった。展示ホールの一つには、ガラスの展示ケース、それも典型的に西洋の彫刻や東洋の陶磁器を展示するものがずらりと並び、130601その中に神像を一点ずつ据えた。普通なら門外不出どころか、神社の中でもたいていは秘して姿を見せないものがこんな形で一覧できることは、まさに壮観そのものだった。それと同時に、このような新鮮で大胆な展示レイアウトによって、神像はなぜかミニチュアに見えてならなかった。展示説明を読めば、九世紀前後から、奥行きのない脚の造形が神像の基準様式になったと、まったく持っていなかった知識に出会った。神様には足が必要がないのだと、なぜか妙に感心した。ただ、二週間前に改めて見てきた国宝鎌倉大仏もたしかに足を持たない姿だった。このような美術史の常識を、もうすこし習いたいものである。

「国宝大神社展」は明日までだ。見逃したら、あとは分厚いカタログを眺めるほかはなかろう。それにしても、電子書籍が流行る昨今、豪華版の展覧会のカタログが一日も早く電子バージョンと並存することを待ち望みたい。

国宝大神社展

2013年5月26日日曜日

先代萩

休日の午後、特別に調べることもなく銀座界隈を歩きまわった。もともと繰り返し報道された新しい歌舞伎座の様子を覗いてみようと漠然に考えていたのだが、実際に近づいてみたら、なんと立見席の当日券が売られ、それもすぐに開演するものだった。迷わずに列に並び、ほんの十数分ですでに歌舞伎座の中に入った。学生時代、南座の顔見世を楽しんだころに立ち戻ったような錯覚に陥ったのだった。

130526演目は「伽羅先代萩」から二段、きっちりと七十分の舞台に纏められた。このストーリにまったく予備知識を持っておらず、およその展開をなぞったのみで、戻ったらまずはウィキペディアであらすじを確認したぐらいだった。それはともかくとして、実際に劇場に入ったら、さすがに雰囲気が違う。大向こうからの掛け声はあれだけにぎやかで、数箇所からどっと沸いてきて、まさに臨場感たっぷりのものだった。この演目の伝統やら、見所やら、評論家に言わせるときっと数え切れない逸話が残っているだろうが、今日の舞台では、一番のハイライトはやはり二人の子役だった。透き通った、綺麗なせりふには感心をさせられ、「お腹が空いても、ひもじゅうない」という一言は、現代語と古語とが具合よく交じり合って、さすがに伝わって、満場の笑いと拍手を博した。

それにしても、演目の終りの、ライトを落とされた中で鼠の化身が立ち去るという演出は、とりわけ印象的だった。それまで絶妙な鼠の踊りが鮮烈だっただけに、いかにも鼠らしく、仄かな光の中で鮮やかな舞台が幕を閉じたものだった。「陰影をもつ」ことが日本的な美の特徴の一つとされるが、それがまさに思い切って実行されたことで、余韻をもって観客を酔わせた。はたして現代的な感性なのだろうか、それとも歌舞伎のしっかりした伝統の一側面なのだろうか。

2013年5月19日日曜日

斜めの巻物

さまざまな行事の合間を縫って、できるだけ外を歩き回った。その中で訪ねた一つの展示は、楽しかった。神奈川県立歴史博物館で開催されている「江戸時代かながわの旅-「道中記」の世界-」である。展示内容は、道中記というキーワードで纏められる多様な資料や事象だが、キーワードだけでは伝わりが悪いと判断したのだろうか、地域名が持ち出され、しかもそれを平仮名表記という気の配りようである。はたして学芸員による解説まで設けられ、熱心な見学者がかなり集まった。

江戸の旅は、ポピュラーな話題である。それも周到に用意された展示では、浮世絵や案内地図に止まらず、「浪花講」の帳簿や実際の看板まで展示窓の中に納まったものだから、しっかりと見識を広められた。その中で、やはりまずは巻物に目が行く。中の一点、「東海道行程図」(豊橋市美術博物館蔵)には、大いに興味あった。写真は許されず、その様子を記述するにほかはない。一言で言えば、異様な巻物である。横長に広がっていく料紙は切断されて、その先には、続きの料紙は斜めに繋ぎ合わせて、横へではなく、斜め横へと展開していくものである。巻物に記されたのは地図である。地形の様子をすこしでも現実に近づけて描こうとして、記録媒体そのものをかなり無理な方向へと拵えたものである。このような巻物は、巻き戻したらきっと妙な格好になるものだと、想像するだけでも興味が尽きない。それはともかくとして、この事実は、巻物そのものが日常の一つであり、必要に応じてその様相はいくらでも変えられるという、身近な性格が浮き彫りになったと考えられよう。

写真と触れたので一つ記しておきたい。どうやらたいていの博物館の常設展は、写真撮影を許可する傾向がある。神奈川県立博の場合も、申し出さえすれば、名前も聞かないまま許可の札を渡された。ただし、二次利用はだめだと、はっきりと念を押されたことが印象的だった。

「江戸時代かながわの旅」

2013年5月12日日曜日

パノラマの東京

三日ほど前、仕事で東京にやってきた。露入り前の東京は、気候が最高だ。時差ぼけのまま、朝早く起き、歩き出して近くの小高い山に登った。東京都内のビル群を一目に見られるその眺めは、じつに素晴らしいものだった。

時はまさに朝の靄が消えかけたころだった。遠く見られるビルやタワーなどランドマークの建物の姿は刻一刻と変わり、おぼろげなシルエットがあっという間に鮮やかな輪郭に取り替えられた。数日まえ、ラジオ番組から楽しい耳学問が得られた。それによれば、東京都内から富士山が見られる日にちは、いまや年間百二十日前後だとのことである。この数字は、大気汚染が問題だった六十年代の倍近くに当たるだけではなく、驚いたことに、明治時代よりもじつは三分の一ぐらい多い、との結論である。そのような数字を思い出しながら、しかしながら目の前の様子では、とても富士山眺望など望めそうにないことに気づいた。東京にはきっともっと爽やかな天気があるとのことだろう。

130512一方では、今のデジカメ、とりわけ小型のそれは、ふんだんなデジタル処理を加えながら画像を記録することに力を入れて、それの代表格の機能は、いわゆるパノラマ撮影である。複数の画像を自動的に繋ぎ合わせたもので、自ずと人間視力の範囲を超えたものを一枚の画像に取り入れてしまう。画像としてはそれなりに望ましいものだろうけど、自然のパノラマは、やはり一目で見られるものに限る。同感が得られるだろうか。

2013年5月4日土曜日

デジタル・リテラシー

どこで最初にこの表現を聞いたのかすでに定かではないが、デジタル時代の様相を思い描くものとして、妙に印象深いものだった。語ろうとしているのは、デジタル環境への取り関わり方であり、いわば文字の読み書きがほとんどすべての人間にとって基本的な教養として身に付けられたのと同じく、デジタル道具を使いこなすこともやがて大きく普及し、社会生活の中のごく普通の一部になるだろうということである。そのデジタル道具というのははたしてなにかということとなれば、これからも大きく変わっていくだろうけど、現在のことで言えば、とりあえずWEBページを作成したり、データベースを構築したりするようなものである。それを目指して教育の現場において意識的に取り組んでいるわけではないが、現状をあらためて見れば、たしかにデジタル技術が一種のリテラシーのようなものとして展開されている。

そのような身近な具体例をここ数日実際に体験している。学生引率で一ヶ月ほどの語学研修に出かけようとしているが、日本訪問それ自体が初体験だというほとんどの若者たちに対して、見聞を記録するブログを開設するようにとの要求を出した。いまごろの若者は、これをなんの抵抗もなく受け入れ、あっという間に個性豊かでインパクトのあるサイトが構築された。しかもそれがあくまでも自然体のものである。グループごとの作業で、だれか一人が具体的にサイト構築の作業を担当するが、これを作ったということについて、まったく優位を誇示したり、配慮を求めたりするようなことはなかった。グループのために一冊の白紙のノートを用意してあげたぐらいの、ほんのささやかなものだった。クラスで交わされ、週末にかけて与えた作業も、あくまでも内容の選別と、文章を書き上げるための工夫であり、中身への注意を持たせるものである。デジタル・リテラシーが形を持ち始めた一つの姿をここに覗けたように感じてならない。

一方では、いわゆるソーシャルで育てられたこの世代において、デジタル情報そのものの使い方にどこまで敏感なのかは、はなはだ疑問が残る。ブログとは不特定多数の人に読ませるものであって、友人とじゃれあったり、すき放題に書き込んだりするのではなく、緊張感、責任感を持って取り掛かるべきだと繰り返し強調している。思えば、これだってデジタル・リテラシーの一部であり、このような心構えを持たせること自体、教育の一環なのかもしれない。

Senshu 2013

2013年4月27日土曜日

ちょん髷の義家

先週の話の続きを記す。新しく公開されたアメリカのデジタル図書館に入り、なにげなく試したもうひとつの検索語は「義家」だった。検索結果には三点現われ、いずれも近世に入ってからのものである。フリーア美術館からデジタル公開の役者絵がとりわけ目を惹いた。当時は、大いに流行し、消費されたもので、日本国内の数々の浮世絵データベースなどを検索したら、間違いなくかなりの所蔵が報告されているに違いない。ただ、それでも海外のリソースからの公開で、日本の古典を知らせる良き窓口となっている。

130427画面を大きくして、国芳が描いた市川団十郎の義家を眺めた。しゃれた言葉にて、「市川のみなもと」と「陸奥までも源の義家」とを並べて、役柄から役者、そしてその家柄まで褒め称えたもので、まさに宣伝ポスターに相応しい作りである。一方では、肝心の義家像と言えば、中世の絵巻の絵を見慣れた目には、やはり異様だと言わざるをえない。男の眉も目も鼻も口も、流行りのスタイルだと言えばそれまでのことだが、この髪型はどうしても気になる。江戸時代の二枚目だと分かるにしても、武将義家というイメージ、それを連想させる特徴をはたしてどこに求めるべきだろうか。

演劇とは、そもそも切り詰められた空間、限られた人間によって行われたもので、現実をそのまま再現することを前提としない。ストーリも内容も、したがって役者と観客との間の互いの理解と了解、表現の可能性からの妥協の上に成り立つものである。そのため、観劇とは、そもそもさまざまな不合理には目を瞑り、優れたものを楽しみものだと言えよう。ただそれにしても、甲冑など最小限で、けっして不可能ではないものまで拒絶するというこの義家像は、はたしてどうして出来上がったのだろうか。言い換えれば、内容にはとことん無頓着、役者には最大の関心を払うというこの「カブキ」の伝統は、如何なる経緯や配慮のもとで出来上がったものだろうか。勉強のテーマのひとつとしなければならない。

Actor Ichikawa Danjuro VIII as Yoshiie

2013年4月20日土曜日

アメリカデジタル公共図書館

今週のニュースの一つには、木曜日の18日に「アメリカデジタル公共図書館」が正式に公開されたことがあった。過去二年半にわたる企画、制作の期間を経ての大きなプロジェクトが晴れて利用できるようになった。ハーバード大学に本拠地を置き、ニューヨーク公共図書館などいくつかの公共機関が中心になって共同で開発、運営されるものである。「デジタル」に特化した現在の公共図書館の延長であり、すでに公開されているデジタル資源を総合的に検索し、利用することがその基本である。いわゆるポータルサイトに加えて、テーマ、地図、時代などによって資料へのアクセスをサポートし、現在のアメリカにおけるデジタル公共資源の達成を示すものである。

公開されたサイトのオープンページには、使用例やニュース告知に並んで、四分の一のスペースを用いて「Apps」の紹介や、その利用への案内に当てたことにはデジタル環境の進化を感じた。デジタル資源を制作し、それを公開することに現在の図書館という組織が取り組むが、それに続くものとなれば、より広い社会的な協力を期待するものである。現時点では「Apps」と言えば、さまざまなデバイスからのアクセス、特定の環境やテーマへの応用などが考えられるが、利用形態の多様化や、かつてないものの出現こそデジタル環境の魅力であり、それがまさに現在進行形で日進月歩するものである。「Apps」開発への呼びかけと促進は、電子資源の利用においての新たなあり方をはっきりと示している。言い換えれば、電子資源の使われ方が不確定な故に不安を感じ、よってとりあえずは再利用不可という制限を掛けておくとの段階はすでに通り過ぎたもので、電子資源を盛んに利用してもらおうという機運が明らかに生まれてきたものである。

もともと、公開資料2百万点以上だと言われるが、「デジタル公共図書館」の内容の充実はまだまだこれからの課題である。試しに「nezumi」で調べてみれば、スペンサーコレクションで電子公開されている「鼠の草子」は検索結果に出てこなかった。電子資源の公開は、いまなお一種の「生き物」であり、それ自身がこれからもどんどん成長していくものだと、ささやかな実例から実感したのだった。

The Digital Public Library of America
英語日本語による紹介記事

2013年4月13日土曜日

泳ぐ骨

学生に作文を書かせたところ、スシをテーマにした一篇は、いささか極端な場面を映した動画を取り上げた。テレビ番組の一こまから、珍しい食を捜し求めるバラエティもので、その様子に衝撃を感じた視聴者が切り抜いて動画共有サイトにアップロードしたのだ。料理の一品として、その名は「泳ぐ骨」と呼んでいた。いわゆる生きた魚を捌いたもので、売りは、肉を下ろした魚を水槽に戻し、残された骨が泳ぎ続けるというものだった。

このようなことはいまだ実際に行われている、しかも笑いの種としてなにげなくテレビに顔を出しているにはいささか意外を感じた。というのは、狂言の中でこれについての描写をさっそく思い出したからだ。それは、刺身(狂言の語彙としては「打身」)の起源を語った「鱸庖丁」である。それによれば、名人の誉をもつ四官の太夫忠政という人物が花山天皇のために腕前を披露したのだった。その様子とは、「板なる鯉をば切らずして、簀の子の竹を一間外し、下なる魚を挟んでさし上げ、みさごのひれをばらりとおろし、魚を放」したというものである。包丁捌きが常人の域を超えていたことを、ほかでもなっく魚に命を残させたまま、その肉を盛り付けて美食にすることをもって表現した。

いまになれば、このような説話も、そしてこれをまともに実行する実践も日常の風景から遠ざかっているのは言うまでもない。それの理由といえば、ほかでもなく「魚の身にもなってみろ」といった発想ではなかろうか。はたして同じテレビ番組は、親切にも「魚には神経がない」云々と説明を付け加えた。一方では、そのような説明など最初から言葉として伝わらないさっきのサイトの英語の読者たちが残したコメントは、それこそ非難轟々、過激な言葉のオンパレードだった。しかしながら、同じ狂言の中では、魚に神経どころか感情まであったとし、その証拠に「魚は喜び、石菖の蔭に遊び隠れ」たのだと語られていた。もともと魚ではない人間には、魚の感じなど分かるはずがない。

泳ぐ骨

2013年4月6日土曜日

衲と紙衣

「信貴山縁起」は、一つの心温まるエピソードを伝えている。出家した弟を捜し求めるために、姉の尼公が長野から奈良へと旅立った。夢の中で仏の手引きを受けて、めでたく命蓮上人となった弟との再会が叶った。そこで、二十余年もの歳月に積もった話を交わすのも待てずに、尼公が大事に持ってきたお土産を弟に差し出した。それは心をこめて縫い上げた「だい(衲)」であった。

詞書は、生き生きとした描写をもって命蓮上人の喜びを伝え、そして彼の視線をもってこのきわめて実用的なお土産を眺めた。それによれば、衲は並大抵のものではなく、「ふときいとなどして、あつあつとこまかにつよげにし」たものである。ここに一気に「厚々と」、「細かに」、「強げに」という三つの形容を連ねたことで、主人公の素直な喜びと驚きが文面に踊り出た。しかも文章はさっそくその用途に移る。いわば命蓮上人が身を纏ったのは、一着の「かみきぬ(紙衣)」のみだった。あまりにも寒い中、衲をその下に着込むことに20130406よって寒さを感じないで済み、しかもそのあとはずっと同じ着込みをもって修行を続けたものだった。一方では、ここまで豊かな感情を伴わせたような描写には、ビジュアルを本領とする絵だと言えども、十分に匹敵することが出来なかった。二人の対面と、お土産の授与が確かにスポットライトを当てられたが、そこからは衲や紙衣の様子を細かに観察することは難しく、文章から得た情報をもとに目を凝らして絵を見つめ、そこから想像するのみである。

短い詞書は、このお土産の一件にきちんと落ちをつけた。言わば、命蓮上人がこの衲を破れるまでにずっと着続け、しかもその破れた端まで倉に入れていた。その倉とは、あの空を飛んだ倉にほかなかった。そして、衲の端も、はたまたその倉の端も仏の縁を表わすものだった、と。仏への信仰を確かめるために、なんらかの物証を一心に求めることを、その遠い昔から信者たちがしっかりと実践していたことだった。

2013年3月30日土曜日

絵で絵を注釈

古典文学の研究において、注釈は基礎作業である。昔の言葉で書かれた文章を、語彙、文型、それから表現の定型など、一々現代の言葉に置き換える。必要に応じて同時代の用例を取り出して並べる。その用例とは、むしろ数が少ないほど見つけ出せたのだと珍重される向きがある。

そこで、絵巻などおなじく古典の文献となれば、間違いなくこのような注釈が必要なのだ。絵巻にも文章があって、同じ要領で取り扱うことはいうまでもないが、眼目になるのは、やはり絵そのものである。ビジュアルなもので、時代を超えて共通するものもあれば、その時代ならではの風景や常識が数えきれずに隠され、解釈を呼びかけている。そこで、絵を現代の言葉、あるいは同時に同時代の言葉に置き換えることがまず必要だろう。それに加えて、絵ならば絵でも説明できるはずだ。具体的に考えれば、たとえば特定の人物を後ろ姿で描かれたものなら、同じ作品から違う角度のもの、あるいは違う作品から同じ人物の絵、ひいては肖像画までを取ってきて並べて良かろう。それから、あの地獄絵においてまな板に乗せられて折檻される地獄の風景に対して、まな板を用いた台所の絵が取り出されたら、明らかに参考になるだろう。考えてみれば当然必要な作業だが、理由はなにともあれ、とにかくほとんどまったく手付かれていないのが現状だ。

そこで、世の中の媒体は、紙からデジタルに移り変わりつつある。印刷物では簡単に実現できなかった絵による絵の注釈は、デジタルなら方法的には可能になるのかもしれない。いま風のビジネスのの世界の用語を借りて言えば、デジタル方法を用いた絵の注釈は、ひとつのコンセプトだと考えられる。実現すべき理由と魅力があっても、いまだ実行に移されていない。ビジネス世界のコンセプトは、つぎなるステップとして、あのクラウドファンディングといって、お金を集めて作品に変えてしまう。さて、古典研究ではどうなるのだろうか。

2013年3月23日土曜日

動画YouTube

今週、ニュースメディアが取り上げた出来事の一つには、あのYouTubeのユーザーが一億人を突破したということがあった。NHKのニュース番組でさえ、もしこの数を国の人口に喩えたら世界三番目の国になるとか、いささか意味不明のアピールをしている。一方では、このことをなぜか自分の限られた日常においても非常に具体的な形で体感している。今学期の授業では、教室に備え付けてあるパソコンがだいぶ使いやすくなったこともあって、担当している二つのクラスには毎日日本からのその日のニュースを主にYouTubeから2、3分間分だけ用意して、説明しながら見せている。三年生のクラスの場合、この作業はクラス開始前の5分のみに限定し、ほとんどの学生が毎回早々に集まってきているという嬉しい現象まで定着した。

一方では、いまどきの若者は、動画という媒体をどんどん手軽に使い込んでいる。いつものことながら、クラスにはきっと一人や二人、写真好きの典型的な「撮影オタク」が入っている。これまでならただその練達な作品どこかのサイトにあげていたのだが、いまはそのような若者でも写真を自慢する方法として、写真を動画に編集したのである。音楽に乗せてビデオを作り、それを汎用アルバムという感覚でYouTubeなどのサイトに平気にあげる。これに対して、こういうポップな感覚はなかなか自分のものにはできない。ものを見てゆくリズムを他人の手に任せてしまうことは、どうしても肌にあわず、個人的に不得手だとでも言えようか。

ただ、このように自己分析、自分説得をしていながらも、動画との距離が確実に縮まっている。おなじく今週でのささやかな身辺のできごとの中には、YouTubeと関連するものが二件もあった。一つは個人ユーザーによる情報交換サイトまで苦労して調べて、ようやく自分のYouTubeアカウントをApple TVに取り入れた。もう一つは大学の行事である。日本語弁論大会入賞者のビデオをこれまでのように大学のサーバーに乗せられなくて、対処方を関係者に問い合わせるのも億劫だから、ただYouTubeにあげて、そのリンクを大学のサイトに貼り付けた。さほど意識しなくても、動画のある日常生活がたしかに広がっている。

Prize Winners' List

2013年3月16日土曜日

ビッグデータ

今週もまた小さな研究発表を三つも聞いた。その中の二つはデジタル人文学に関連するもので、しかもいずれもいま流行のビッグデータを対象とするものだった。一つ目は、中世英文学に現われた魔女をめぐるものを対象としたデーターベースの開発であり、二つ目は、これまた近世の英文学における小説という概念の出現や同時代の他のジャンルとの関連をデータ的に数値分析を試みたものである。データを纏めてさらなる研究の基礎を作り上げる、あるいは新しいタイプのデータをフルに活用して特定の発見を求めるという、二つの発表は期せずして現時点のビッグデータ利用の違う可能性をかなり具体的に提示した。

いわゆるビッグデータというものは、かなりのスピードで脚光を浴びている。いうまでもなくそのようなデータが存在することを前提とするものである。そのようなデータがビッグだと言える理由の基本には、個人や小さなグループがいくらこつこつとやっていても拵えることのできそうもない規模のデータなのである。さらに言えば、そのようなデータは、自然に狭い意味で集められたものではなく、むしろ新聞、社会活動の記録、あるいはこれまで記録に残ったすべての古典文献といった、まとまった集まりをベースにするものである。そこで、そのようなデータの利用の仕方が、今時の研究者の関心事を集めた。具体的にいえば、そのようなデータが存在してはじめて可能となる課題が現われてくる。一方では、どんなテーマでも、データ自体がテーマより前に存在していたので、それを使えるように整理したり、それを使用するための手段を開発したり、データを見つめる立脚点を見つけ出したりして、切り込みの方法から工夫しなければならない。データの整理と、使用のプロセスの確立、この二つはとりあえず現時点でのデジタル人文学の大きな課題なのだろう。

英文学の話ばかり聞いてきて、思わず日本のことを振り返った。残念なことに、著作権やらさまざまな考慮が躊躇をもたらして、そのようなビッグデータの出現は著しく遅れている。あえて言えば、大きな図書館での古典文献のデジタル画像による公開が見られたことだろうか。古典文献を電子テキストにしたのは、わずかに国文学研究資料館の実践があるのみで、これからの課題だと言わなければならない。

大系本文データベース

2013年3月9日土曜日

最古の地図

今週もまた小さな研究発表を聞く機会があった。その中で、極めて常識なものとして、世界最古の地図のことが触れられた。この頃、意識せずに繰り返し地図というテーマに戻り、かつ最古となれば、関心を持たずにはいられなかった。

130309その地図というのは、「バビロニアの世界地図」と通称されるものである。作られたのは、紀元前4世紀とも7世紀とも伝えられ、いまは大英博物館に所蔵されている。小さな粘土の板に、上半分には楔形文字によるテキストが記入され、下半分は世界の全体像が描かれている。その世界というものは、上方にバビロンが位置し、縦にユーフラテス川とチグリス川が流れ、周辺には山や主要都市が書き込まれる。さらにこれらをすべて囲むには、「しょっぱい水」との文字で指示された海があり、その向こう側には想像の土地が広がっている。真ん丸い帯の形をした海、四角いバビロンなど、地図全体ははなはだ形式化され、そのバビロンのある北の方角を上に位置させることなども併せて、地図としての抽象された要素が明確に表現されている。

このような確実な実例を目の前にし、2500年以上に及ぶ地図というものを考えて、戸惑いを覚えざるをえないことだろう。そもそもこれこそ地図というべき大事な要素を備えたものにほかならない。対して、いまごろのオンラインの地図などとなれば、衛星写真、航空写真、街を走行する視線、リアルタイムの定点観察など、静止画から動画までフルに活用され、「地図」というものは限りなく精細にして具体的なものに変身を遂げた。ここまで表現の手段を駆使した現在のわれわれにとって、地図において地形や位置を記録し、それを抽象的に捉える余地、あるいはそのような必要がはたしてまだあるのだろうか。

2013年3月3日日曜日

絵に語らせようと思えば

今学期担当している作文クラスは、予定を半分越えて、ようやく佳境に入った。わずか数週間で作文表現の精度の進歩にはそれほど目覚しいものがあるわけではないが、それはともかく、学生一人ひとりが自分の書きたいことを伝えようとする気持ちがはっきりと現われ、中味が充実して、読んでいてじつに楽しい。ユニークな文章からは、普段クラスではけっして分からない若者たちの活動、苦労、思い出などがいきいきと伝わっている。その中では、とりわけ画像の使用において、同じ作文クラスが三回目になる今学期では、一つの面白い発見があった。

ブログに載せる文章として、写真は一枚まで使用可能というルールを最初から設けた。しかしながら、いつの間にか半分近い学生が数枚の写真を一枚に合成して文章に入れることを申し合わせたようにし始めた。いわゆる「観光はがきスタイル」である。最初にこれを見たとき、ほんとうに手元にある観光はがきをそのままコピーしてきたのかと思ったが、よく見てみれば、やはり苦労して作ったものだった。中には自分の姿が入ったユニークな写真を丁寧に斜めの枠に組み入れ、さらに個性的なキャラクターまで添えたものもあった。いうまでもなく伝えたいことが多くて、どれも割愛できないという考えから出発したものだろう。それにしても、このような対応からは、画像使用にかける書き手の思いが垣間見られたような気がしてならない。それは、はたして叙事にかけての饒舌なのか、絵を見て感じ取る読者の想像力を信用しないのか、はたまた今時の平均的な読み方に対応して、こまの多い漫画に影響されて、画像を多数綴らせないと安心できないという感性なのだろうか。

もともとこのブログも、ずっと写真を使うなら一枚までとの方針を取ってきた。それに際しての絵の選び方だが、絵としても楽しめる、文章で伝えきれないものを伝える、文字の表現を広げる、ということが理想だが、正直に言って、いまだまったく要領を得ないでいることだけは明らかだ。

2013年2月23日土曜日

地図と衛星写真、その他

地図の話をもうすこし続ける。先週は三日間、ダウンタウンに通った。しばらく行っていない間に、新しい建物はいくつも現われ、町の景観もどんどん変わっている。思わずカメラを取り出して、何回もシャッターを押した。それだけではなく、戻ったら地図サイトまで覗いてみた。

思えば、いつの間にか地図への期待がどんどん膨らんだ。在来の、線と文字のみによる道路の様子に加えて、衛星写真、航空写真、それにストリートビューという名の通行者視線、こう数えてみても少なくとも四つの階層の情報がスタンダードなものとして重なった。これらにはさらに道路情報、公共交通のスケジュール、さまざまな店の情報などが加えられる。これらの中において、在来の地図にみられた、あの抽象的でいて、道路の交差しか提示しないものは、いつの間にかすっかり相対化されてしまった。その内、「電話」といえば携帯電話を指して、据え付けられた電話なら「固定」電話で呼ばなくてはならないような事情は、地図においても起こってくることだろう。世の中は変わるものだ。

20130223ダウンタウンで見てきた具体例で言えば、新たなランドマークになるタワービルが建ち、それの姿をいくつかの地図サイトで確かめた。アップル地図(携帯利用のみ)の航空写真は一番綺麗で、ビルが完成されて利用する前のものだ。グーグルの衛星写真はまだ骨組みしか出来ていない二三年前のものだが、しかしながらストリートビューでは、都市全体のものが更新されて、タワービルの建設がだいぶ進み、入り口前のモニュメントが半分まで作り上げられた時のものだ。つまりこの町について、メジャーな地図サイトは互いに1年程度の時間差で情報を更新している。こうなれば、普通のユーザとして果たしてなにを期待し、どのようにしてこれを使いこなすべきだろうか。

2013年2月16日土曜日

グーグル古地図

グーグル地図では日本もふくめて古地図まで利用できるようになったという話題は、かなり前から聞いていた。すこしは余裕があって、ようやくそれを覗いてみることが出来た。精細な衛星写真データをベースに、鮮明な建物と青々とした自然、世界遺産やら観光やらの自然や社会生活の情報、そして歴史という時間の年輪まで含まれて、紙媒体の地図という概念を遥かに超えたもので、見ていて実に飽きない。

20130216グーグル古地図は、Chromeなどのブラウザーからはアクセス出来ず、「グーグルアース」をまず入れておかなければならない。頻繁に更新を続けているこのサイズの大きいプログラムは、ずっと敬遠していたのだが、古地図のためならやむをえない。プログラムを起動して、手始めに京都を目指した。他の追加情報と同じく、古地図はレイヤという機能を通じて実現する。「ギャラリー」、「ラムゼイ歴史地図」と順に進み、あとは京都市を一覧できるぐらいにして、ようやく南東の端っこに専用のアイコンを確認できた。それをクリックして、一枚の古地図は京都の衛星画像にすっぽり被せるように現われた。用いられているのは、「新選増補京都大絵図」という、宝永六年(1709年)に刊行されたもので、古地図は、現在の地形にあわせて、記入された文字が問題なく読める程度慎重に調整を加えられ、地図全体の拡大・縮小や移動にスムーズに対応している。賀茂川、桂川、御所、そして東山の古刹群など、地図の上で三百年という時空が快適なぐらいに融合している。

一方では、圧倒的な情報量に比べて、さまざまな方向からの情報の付け出しという仕組みからの自然な結果だろうか、その使い方はあまりにも不親切で難解だ。古地図はレイヤの一つだと分かっていても、簡単にはたどり着かない。地図について二つの階層になる説明が施されているが、それは肝心の使い方に配慮していない。その結果、古地図レイヤを出したのは良かったが、それを除こうと思えば、レイヤを外しても古地図が残されたままで、あれこれと苦労してようやくまったく関係ない「場所」セクションの「保留」タグでそれを実現できたのだった。肝心な地図そのものは、カリフォルニア大学バークレー校図書館に所蔵されているものが用いられ、説明も英語のみである。これだけ魅力ある分野だから、日本の関連機関からの本気な参加を期待して止まない。

グーグルアースで古地図を見よう

2013年2月9日土曜日

春の蛇

暦の上では、今日は辰年の大晦日で、明日からはようやく巳の年が始まる。ただこのような干支の暦を案出した本場の中国では、いまや辰や巳という文字が印刷されたカレンダーなどにのみ現われ、人々の会話や感覚では、遠の昔から「蛇年」との表現が定着したものである。

そこで、蛇年を迎えて、中国の絵に登場した蛇の姿を求めようとしたが、さすがに簡単には歴史ものに辿り着けない。きっと古くから描かれ続けてきたものに違いないと想像はするが、いざ蛇を真正面からテーマに掲げるものを見つけようとしたら、苦労するものだ。そんなところで、つぎの一点が目に飛び込んできた。これを描いたのは、著名な清の画家で、華岩(華嵒)(1682~1756)である。130209三百年にはなるものだろうか。絵には読みやすく、分かりやすい詩が添えられていて、あわせて書き留めておこう。
凹凸石太古、蒙密草尤青
見説含春洞、夜来蛇気腥
ーー人間の足跡などはなく、莽々とした草むらに隠された石穴に春の気配を求めようものなら、そこには夜には活発に走り回る蛇がいるのだ。ーー詩の意味するところはこういうものだろうか。いわゆる文人画の系譜を受け継ぐもので、絵のテーマを蛇に絞っても、自然や季節のことをしっかりと詠み込むことを心がけたものである。

因みにこの絵がささやかな話題を呼んだのは、干支一回り前の2001年に、これがそっくりそのままドミニカで発行された切手の絵柄に用いられたからだ。いわゆる漢語圏の国や地域のシンガポール、香港、モンゴリア、北朝鮮などで蛇の切手を発行してもさほど驚きもないが、それがドミニカだとは意外だった。蛇の切手でさらに興味深い事実を一つ付け加えよう。それより二周り先の1965年に沖縄で発行された切手は、蛇を取り入れたものとして一番古いものだとされている。

蛇年話蛇

2013年2月3日日曜日

「自炊」の対応語

ときどき、違う言語間のすごい対応言葉に出会う。今週もそのような興味深い一例が印象に残った。小さな内輪の研究会に出て、テーマは今時のデジタル資料の使い方だった。発表者の一人は自慢げにユニークなセットを持ち込み、それの由来を丁寧に説明した。それによれば、「Homer Book Scanner」という名前だった。話を聞きながらさっそく同じサイトをクリックしてそれを確かめたが、いささか驚いた。英語の言葉としてどれだけ広く認知されているかということでは議論の余地もあるだろうが、それが指しているのは、まさに日本で盛んに話題になった「自炊」そのものだ。しかも一発で「非破壊的自炊」を実践しているなのだ。

同サイトの中では、これのアプローチを「Homer」と省略して称している。この言葉自体は、「家にいる人」というように取れないこともないが、もともと古代ギリシアの詩人の名前とのこと。なれば、「自炊」と比べれば、このネーミングは遥かにエレガントなのだ。それはともかくとして、手作りの仕事台、セットとなる専用ソフトウェア、汎用のパソコンシステムへの対応、しかもそのソフトがオープンソースでだれでも自由に利用したり、新たな機能を組み入れたりすることが可能になっていることには感心した。ソフトウェアの内容は、写真に撮影したものの自動修正と電子整理であり、言い換えれば書物のデジタル化を裁断しないことを前提として実現しようと工夫したもので、普通の書籍のデジタル化を真剣に考えての取り組みなのだ。

「自炊」あるいは「Homer」の目的は、いうまでもなく書籍そのものを共有しようとするものではない。日本の場合、それはおそらく多くは多量の書籍の保存場所の確保などにあり、ここ英語圏では、少なくとも研究会に話題に出たのは、デジタル化した上の検索、分析だった。ここには、例の著作権関連の議論はたしかに無視できない。しかしながら、デジタル化した資料は、そうでなければ実現不可能な環境を提供していることもたしかだ。そういう意味で、デジタルしたものそれ自体が、一つの新しい知的財産にはなり、研究者同士で共有することが自然と期待される。具体的な例を一つ添えておこう。日文研で公開しているデータベースの一つには、「日本語語彙研究文献」というのがある。対象となるデータは似たようなプロセスをもって収集されたと明らかに思われる。特定のテーマのためのデータリソースとして、関連する分野の研究者にはありがたいものであり、学術研究に有意義なデジタル資料の共有という意味で興味深い実践を見せてくれている。

Homer Book Scanner
日本語語彙研究文献データベース

2013年1月26日土曜日

書への視線

いつもながら日本では各地の博物館でさまざまな特別展が開催されているが、それらについてどんなに興味があっても、報道を読んだり、内容などを想像したりするに止めざるをえない。その中で、今週末から始まった東京博物館の特別展は、書聖王羲之を取り上げている。しかも約三週間前に正式発表をした王羲之尺牘(日本語なら「往来」か)「大報帖」の発見が大きく注目を集めた。40年ぶりの、国宝級美術品の発見で、さすがそのインパクトが大きい。

20130126関連の報道は、とりわけ二つの事実を強調している。一つは、新発見は模写であるが、こと王羲之の書となれば、世の中では模写しか存在していなくて、けっして軽く見過ごすべきものではない。もう一つは、これだけのものがいまになってようやく明らかになった理由の一つには、作品が隠されたわけではなく、むしろずっと大事にされ続けてきたのだが、ただそれが王羲之のものとしてではなく、小野道風との極札が付いていたからなのだ。考えてみれば、遠い昔の遣唐使たちが命をかけて持ち帰り、どの世代においてもきっと大切な宝物として目されてきた一点の書には、どのような経緯をもって違う人の作とされたのだろうか。その裏にどのような生々流転の運命やミステリーが隠されていたに違いない。

一方では、これだけの発見となれば、海の向こうも熱い眼差しを注いでいる。発見の発表から二週間も経たないうちに、中国では「書法報」においてこれを大きくとりあげ、しかもデジタル時代らしく電子画像だけを利用して、さっそくさらなる推理が展開されている。とりわけ40年前の発見である「妹至帖」を取り出し、両者を電子画像をもって並べて、それが同じ模写を切断されたものだと、書風や内容からだけではなく、紙の模様やその関連まで根拠に用いた。あるいは日本の専門家たちが意識していてもあえて語らなかったことを率直に言い当てたのではないかとも想像するが、デジタル環境下の電子画像の利用例としても、鮮やかでいて、記憶すべきものだ。

特別展「書聖王羲之」
《大报帖》与《妹至帖》的并案考察

2013年1月19日土曜日

学生の作文

今学期の担当授業の一つには、作文指導がある。すでに数回用いた方法を再開して、一つのテーマを決めてもらい、週一回の作文を課して、その結果を特設のブログで即公開するという方法を取った。いわば作文のマラソンであり、しかも結果を公にすることをもってそれぞれのやる気や緊張感を引き出すものだ。前回の同じクラスに較べて学生人数は倍以上になって、今度は自分の気力がどこまで続くかが、課題の一つに上がった。

学生たちの作文は、言葉通りに多彩なものだ。すでに秋コースで教えていた顔ぶれもかなり入ってはいるが、やはりこちらからの講義と違って、思い思いに書かせてしまうと、それぞれの性格が実に生き生きと浮かんでくるものである。しかもいまの大学生は、まさにいわゆるソーシャルの環境で育った世代で、不特定多数に向かって個人の経験や思い出を語ることにすこしも躊躇を覚えていないように見受けられる。その陽気な振る舞いは、読む人を奮い立たす不思議な魅力を持っている。そして、そもそも日本語による作文だからだろうか、内容には日本との接点が多い。言葉の勉強以外、実際の経験はかなり限られ、しかもあったとしても大分昔のものになったものも多いはずなのに、文章からはそのようなニュアンスがほとんど感じられない。ここにも、思いの入れようや記憶の仕方が垣間見られて、興味深い。

あくまでも言語表現に限ってのことだが、文章には逐一手入れを施してある。クラスの中や個別のやりとりを通じて出来るかぎりの確認や説明などをしているが、それにしても教育の方法としてはたして最善なのかどうか、十分な自信があるわけではない。これだけは、学習者の感覚、そして何よりも時間を経ってからの結果から判断しなければならない。丁寧に観察をしたいものだ。

日本語作文ボード

2013年1月12日土曜日

ebrary

今週もまたこじんまりした職場同僚による研究会からの話題を記しておく。今度は大学の図書館員を招いて、更新を続けている大学図書館サイトの調べ方を実演してもらった。あれこれと、普段はまったく使わない記号や方程式などの説明に続いて、余興として画面に飛び出したのは、あの「ebrary」だった。

20130112これの存在は、もうすでに10年以上になるから、一応聞いたことがある。ただし、その紹介などでいつも理工学系の学術雑誌論文などがまっさきに出されることもあって、自分とはあまり関係ないのではないかとばかり思い込みをして、ずっと敬遠してきた。そのため、サイトのトップに出ている「電子資料ほぼ六百万点」との宣伝文句にもさほど惹かれることがなかった。しかしながら、なにげなくカテゴリをクリックしてみたら、興味深いものにかなり出合って、良い意味で面食らった。中でも、ここ数年に出版した日本古典や歴史関連の専門書がかなりのタイトル数で収録され、かつ全文にてクリック一つでダウンロードができるようなっている。考えてみれば、これもなんとなく理解できるものだった。そもそも「書庫」ではなくて、「図書館」なのだ。資料はあくまでも貸し出しの形で利用されている。しかもこのシステム利用のために、大学側はかなりの予算を当てている。有料の貸し出し、この二つの要素が揃ったら、内容の質が高いことには無理もない。もちろん電子利用というデータアクセスからすれば、利用者にはこの上ない好都合なシステムなのだ。

システムの使い方などについては、どこか機械翻訳的で不自然な用語が連なっているが、日本語によるアクセス画面や利用ガイドが用意されている。しかしながら、これまた自明のことだと分かっていながらもわざと試したのだが、日本語の書籍はほとんど一冊も入っていない。その理由となると、言い古されたぐらい繰り返されてきたが、やはりなんとも寂しい。

2013年1月5日土曜日

狛蛇

新しい年を迎えた。今年の干支は、巳。十二支の中でもイメージすることにはちょっぴり苦労する部類に入る。その中で、期せずして「狛蛇」という言葉に出会った。

狛とは、さまざまな説が纏いつく動物である。そもそもコマという言葉への文字の当て方からして、ちょっとしたリストになる。同じく伝説の動物としては、犬という基本形があって、麒麟、鳳凰ほど奇想天外なものではない。いずれにしても、実在の狛犬を誰がどこで目撃したとか、どのように実生活の中で付き合っていたとかのようなアプローチは別として、ともかく石獅子と向かい合い、あるいはそれ自体が対となって神社などの前に居座って、魔よけの役を長年担ってきたことだけは、分かりきったことだ。ただ、長い歴史の中でこのような役目から興味深い変化が起こった。もともと犬の一種を規定するはずの「狛」が、いつの間にか石像となって魔よけに鎮座するという様式を指し示すようになった。そのため、犬ならぬ狛兎、狛猫、狛鼠、狛牛など大勢現われた。けっしてコマという種類の兎や猫ではなくて、ただ鎮座するそれぞれの石像なのだ。その中に交じって、狛蛇があった。言葉の移り変わりを物語るものとして、いかにも日本らしい。

20130106その中にあって、今年の年末からひと際目を惹いたのは、三室戸寺の狛蛇である。蛇体は見慣れたように渦巻いているが、上向きに伸び上がった首はなんと人間の頭、しかも過剰に微笑む老人なのである。いささかショッキングで、かなり異様だ。新聞記事などによれば、わずか半年前に新たに造られて同じ寺にお目見えになったとか。今年の干支にあわせていることには間違いない。ただし、伝来の木像があって、その姿をリアルに模っただけだと、寺は木像の写真を公式サイトで公開している。ならば、人頭蛇体の像は、狛と結びつけて秘蔵から境内に登場したことによって、言わばスケールアップされたに過ぎない。伝統を辿り、それを具体的な形をもってより多くの人々の目に触れさせることが大切だから、評価すべきだろう。

狛蛇