2013年4月27日土曜日

ちょん髷の義家

先週の話の続きを記す。新しく公開されたアメリカのデジタル図書館に入り、なにげなく試したもうひとつの検索語は「義家」だった。検索結果には三点現われ、いずれも近世に入ってからのものである。フリーア美術館からデジタル公開の役者絵がとりわけ目を惹いた。当時は、大いに流行し、消費されたもので、日本国内の数々の浮世絵データベースなどを検索したら、間違いなくかなりの所蔵が報告されているに違いない。ただ、それでも海外のリソースからの公開で、日本の古典を知らせる良き窓口となっている。

130427画面を大きくして、国芳が描いた市川団十郎の義家を眺めた。しゃれた言葉にて、「市川のみなもと」と「陸奥までも源の義家」とを並べて、役柄から役者、そしてその家柄まで褒め称えたもので、まさに宣伝ポスターに相応しい作りである。一方では、肝心の義家像と言えば、中世の絵巻の絵を見慣れた目には、やはり異様だと言わざるをえない。男の眉も目も鼻も口も、流行りのスタイルだと言えばそれまでのことだが、この髪型はどうしても気になる。江戸時代の二枚目だと分かるにしても、武将義家というイメージ、それを連想させる特徴をはたしてどこに求めるべきだろうか。

演劇とは、そもそも切り詰められた空間、限られた人間によって行われたもので、現実をそのまま再現することを前提としない。ストーリも内容も、したがって役者と観客との間の互いの理解と了解、表現の可能性からの妥協の上に成り立つものである。そのため、観劇とは、そもそもさまざまな不合理には目を瞑り、優れたものを楽しみものだと言えよう。ただそれにしても、甲冑など最小限で、けっして不可能ではないものまで拒絶するというこの義家像は、はたしてどうして出来上がったのだろうか。言い換えれば、内容にはとことん無頓着、役者には最大の関心を払うというこの「カブキ」の伝統は、如何なる経緯や配慮のもとで出来上がったものだろうか。勉強のテーマのひとつとしなければならない。

Actor Ichikawa Danjuro VIII as Yoshiie

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