2012年3月31日土曜日

二大絵巻を観る

今週の最後の二日は東京で過ごした。デジタル環境の構成に努め、新たな知見を発信しようと真剣に取り組んでいる研究者たちとの交流が叶えられた。その後、これまで論文でしか知らなかった研究者から招待を受けて、待ち望んでいたボストン美術館展を見ることができた。

120401展示の質やスケールには、それなりに想像はしていたが、それでもさすがに圧倒される。展示は、曼荼羅など絵画作品で始まるが、さっそく平安時代の観音菩薩像に対面し、周りの観衆からはささやかな歓声が上がったぐらいだった。しかも前に進むにしたがい、奈良時代の曼陀羅が登場し、かつ文字資料のお経との対照、説明文入りの赤外線撮影による解説など添えられ、展示はただ本物を見せるに止まらず、教育にまで責任を背負った。その中で、地獄草子の断簡は、日本に残っていれば間違いなく国宝になるものであっても、サイズが小さいからだろうか、ほとんどの人はその前を素通りをしてしまうような、不思議な光景も目撃した。

展示の眼目は、いうまでもなく「在外二大絵巻」。「吉備大臣入唐絵巻」も「平治物語絵巻」も、写真や研究書では繰り返し見てきたが、実物はじつはいずれも初めての経験だ。思わず身震いをする思いだった。二つの絵巻とも惜しみなく全巻を広げ、それを隅々までじっくり眺められて、やはりなんとも言いようがない。絵巻とは手の中の映画だという、あの有名な着眼に反論を抱き、見る人の気持ちと都合でいくらでも見れるものだとの小さな持論をことあるごとに披露している自分だが、しかしながらこの時だけはまったく違う体験をさせられた。人ごみに押され、後ろで待っている人々から反感を買わないようにと、決まったペースで前へと移動せざるを得ない。その結果、世紀の絵巻はまさに目の前を流れていく映画のようなものだった。もともとこのような見方でも新たな発見は多い。吉備を招く宮殿の前に設けられた虎の皮が敷かれた座席、平治の戦火の中で牛車の車輪に轢かれた男など、なぜかとても印象に残った。そして、あのあまりにもアンバランスな奥書。

ボストン美術館の公式サイトでは、「吉備大臣入唐絵巻」のほとんどの場面を、サイズは小さいが綺麗なデジタル画像で公開している。そこで改めてタイトルの英訳を見つめた。「Minister Kibi's Adventures in China」。これをこのまま日本語に直すと、さしずめ「内閣大臣キビの中国アドベンチャー」といったところだ。官位の「大臣」はやむなしとしても、「行く」ことが「冒険」と意訳された。いうまでもなくさほど予備知識を持たない英語の読者には、こちらのほうが伝わりやすいに違いない。

東京国立博物館140周年特別展「ボストン美術館日本美術の至宝」
ボストン美術館

2012年3月25日日曜日

パノラマの故宮

友人の計らいにより台湾に出掛けてきた。若い学生たちの繊細な知識や鋭い反応に驚きながら、絵巻をまつわる話がいつか何かの形で実ることを祈りつつ、教室を後にした。週末は、幸いかなりの自由時間に恵まれる。大きなカメラを持ってきていないことにどこか後悔を感じても、小さいカメラを使い倒すことに専念した。その中で、パノラマ撮影はやはりユニークだ。この機能の存在、そしてその撮影原理は理解しているのだが、実際に使ってみて、その出来の良さにはやはり感心した。台湾・故宮を撮った数枚をここに添えておく。

パノラマ写真は、いわば人間の自然な視野を超えたものを記録している。手持ちのカメラには、180度と360度という二つの方法を用意している。だが、たとえ前者の180度のものでも、撮影した写真を「一目に」眺めることは出来ない。しかもそれは写真を映し出すスクリーンのサイズとは関係ない。人間の目は、一度に見えるものには限られた角度があり、ものをはっきりと捉えるためには、左右の幅には自ずと限界が出来てしまう。この事実をパノラマの写真にはっきりと確かめられることは、したがって逆説的に景色を見るにあたっての一つの前提が浮かんでくる。すなわち無限に広がってくる景色を見るために、人間は視線を移して少しずつカバーし、つねにすでに得た知識などを応用して、目に入ったものと、入っていなくても想像で分かるものとを合流させて認識の中で再現するものだ。パノラマの写真は、よく絵巻に喩えられるが、そのような性質を絵巻がとっくの昔から備え、意図的に応用していたことを、この比喩においてすでにはっきりと訴えられているものだ。


ちなみに手持ちのカメラは、パノラマ撮影となると面白い働きをする。パノラマの写真は、普段のそれと比べて、縦の解像度は約五分の一ぐらいに落とされている。しかも180度も360度も縦は同じで横は倍違い、という設定だ。パノラマ機能はあくまでも一種のおまけとして添えたに過ぎないことだろうか。できるだけ高い画質で写真を取っておくという思いからすれば、ちょっぴり心残りだ。

パノラマの故宮(三枚)

2012年3月17日土曜日

AASの会場から

学会参加のため、京都から飛行機を乗り継ぎ、トロントにやってきた。「AAS」という略称で、自分にとっては北米での研究生活の一つの出発点であり、かつて足頻に通い、さまざまな思い出を作った。ただここ数年、日程調整など現実的な理由もあって、なかなか参加できない。そのため、これも研究休暇の中での一つの特権になった。

いつもながら会場となる豪華なホテルの中を歩き回り、見定めを決めたパネルには途中でも平気に入り、つぎの話に間に合うようにさっと抜け出したりして、緊迫していて充実な時間は格別だ。発表者たちはみな正装をして臨み、かなりの準備を重ねた文章を読み上げたり、滔々としゃべりまくったりして、白熱した議論は心地よい光景を織り出す。百人も千人も集まるこのような学会での大きな楽しみは、期せずして知人、友人に再会したり、意外と続く新しい出会いを作ったり、あるいは活字でしか知らない人間と面識を持ったりすることだ。一方では、これだけ長年続いてきた行事には、確実な変化が起こっている。すぐ気づいたのは、求職面接という、かつては大きな活動内容の一つはなくなったことだ。印刷されたプログラムは前もって送られてくることはなくなり、しかも要旨はすべてオンライン利用となり、さまざまなところで合理化が進んでいる。そして、共通の言語はあくまでも英語で、それを得意ではない研究者による発表は昔からあったが、いまはとりわけ英語を研究に用いない有名な学者たちが登壇することが目立つようになった。一つの言語を使い慣れるための条件には、どう話すかよりも、なにを話すかがより真剣な試練が待ち受ける。それに対応して、なにを話そうとしているのかをはっきりと聞き出し、きちんと聞き留めることは、聞く側の責務だ。

今度与えられた役目は、コメントをするのみだ。その場は、大会最終日の明日に持たれる。はたしてどのような会話が交わされ、どのような刺激が待ち受けているのか。わくわくしている。

AAS 2012 Annual Conference

2012年3月11日日曜日

北斎の富士

120311いまや北斎が描いた浮世絵富士は、日本を象徴するビジュアルの一つとなった。浮世絵そのものが多数制作され、簡単に海外に持ち出されることから、世界各地の美術館にはたいていなんらかの形で所蔵を持ち、その地に住む人々には身近な日本の古典を感じさせる。そのような中、先週には、一つとても興味深い研究発表を聞いた。研究者は、司馬江漢と北斎との関係、とりわけ構図の応用などの実例を指摘しながら、西洋のリアリズムの絵画の影響を唱えた。それと同時に、日本の伝統的な絵画の影響に目を配ることも忘れず、結論には藤原俊成の歌学の言説まで持ち出して、伝統と新意との融合の理由を説いて、とても示唆的なものだった。

それにしても、違う時代の絵となれば、それを見る目、鑑賞をする姿勢はこうも違うものかと、あらためて感心させられた。確立されたいろいろなジャンルを横断し、対象を描くのに用いる透視関係、表現の仕方などはもちろんのこと、たとえば英文字や風景といったまったく関係ない素材を突き合わせることも可能で必要な作業だ。果てには、既成の絵をわざわざ崩したり、くっつけたり、離したり、上下を逆にしたりと、一種の遊び心をもって立ち向かう試みまで取り入れられるものだった。いうまでもなく、その時代の絵師はたしかにそのようなところに秘密を隠し、ヒントを残したからこそ、そのような愉しみ方が期待され、有効的なのだ。

そこで、思わず中世の絵画のあり方を思った。近世を通過したそれは、流れる時間の中で姿を変え、天災や人禍を潜り抜けて多くを失い、さまざまな思惑のもとで切り取られ、分断された。失われ、断片となったものを探し求め、すこしでもかつてあった形に復元しようとするのは、研究者の第一歩になる。時代が違うと、これの逆の作業だって期待されるものだ。もともとそれだってけっして楽ではないことは、言うを持たない。

2012年3月4日日曜日

帝を誅す物語

荊軻、始皇帝を刺す。あまりにもよく知られている中国故事の一つだ。始皇帝暗殺は、その直前まですべて成功したにもかかわらず、最後の瞬間、琴の演奏を今一度聞かせてくれとの始皇帝の願いが許されたところで計画が崩れたという、これまたあまりにも文学的なエピソードと共に、千年のミステリーに魅力的な想像の空間を与えた。

一方では、既成の伝説や伝統をすべて再構築する、これまでと異なる可能性を探ってみる、というのはどうやらいま中国での流行のスタイルの一つだ。この暗殺劇についてもまったく同じ展開が見られる。記憶に新しいのは、「ヒーロー」という映画だ。この上なく美しいカンフー映画、ストーリーの骨組みをあの「羅生門」からそのまま借用するなど、話題が尽きない。中では肝心の始皇帝を刺すとのハイライトとなれば、刺客自身が「殺すか殺さないか」との問いを始皇帝その人から投げかけられ、真面目に悩み、結局は殺さないことを自ら進んで選び、殺されてしまうという、妙な結末だった。そこに、今年に入ってさらに一つ違うバージョンが公衆の視野に入った。日本で言えば「紅白歌合戦」にあたる全国規模の大晦日テレビ番組の一こまに、この物語が再び登場した。コメディタッチだが、始皇帝をあっさりと殺してしまったと、いま流行の「タイムトラベル」のいい加減さを批判しようとしたものだった。

120304目を日本の古典に転じれば、始皇帝暗殺は、遠く『源氏物語』、『今昔物語集』、『平家物語』に収められ、はてまた絵巻や屏風の題材になった。その中の一つ、静岡県立美術館所蔵『帝鑑図・咸陽宮図屏風』をめぐり、小さな行事が十日ほど後に予定されている。

帝誅しと帝諌めの物語

2012年3月1日木曜日

デジタルの提言

世の中は、デジタル環境が凄まじい勢いで加速しつつ暮らしの隅々まで普及している。その中で、状況変化の外に身を置いたまま不本意に巻き込まれるよりも、むしろ積極的に対応したいという思いで、自分の研究や大学教育の現場にデジタル環境を導入し、あれこれとささやかな試みを繰り返してきた。さらに去年の夏から、職場から与えられた研究休暇の間、日文研で共同研究を企画・組織する機会をいただいた。「デジタル環境」と「古典画像研究」との交差をテーマに掲げ、大学や研究機関の研究者のみならず、図書館、美術館などでデジタル環境構築の最前線に携わっている関係者に参加をお願いして、密度の高い議論を重ねている。

ことがデジタル環境の構築や創出となれば、日本での展開には、ほかの国ではさほど見かけない特徴をもっている。とりわけここ二、三年の状況からすれば、つぎのことが一番顕著かと思う。たとえば北米を中心とする英語圏の国々におけるグーグル、アマゾンといった新興企業が大きな牽引力を発揮し、しかもその発展を伴って企業自身が大きく成長するというようなケースは日本では見受けられない。規模では負けず、同じく情報や流通分野で本領を発揮する多数の日本企業は、デジタル環境の関与においては、いまだに様子見の立場を堅持し、決定的なアクションを打ち出そうとしない。しかしながら、企業関与の不在という状況の代わりに、日本で見かけられるのは、公的な資金の投入や公的な機関の積極的な寄与である。研究所や教育機関が主体となって所蔵資料をデジタル化し、それを公開するという動きに続き、国立公立の図書館、美術館、博物館などは、伝統的な枠組みに拘らない予算が組まれ、しかも関連する法律の修正などの対応まで講じられながら、目を見張るようなスピードでデジタル環境の構築が進んでいる。国レベルの資源の使用において、この構図をほかの国と比較して議論するのも一つの課題にはなるだろう。それはともかくとして、ここでは一つの事実認識としてまず確認しておきたい。そしてより大事なのは、そのような貴重な資源や無数の人々の労力をすこしでも無駄にしないために、その恩恵を受ける一人ひとりが智慧を傾けるべきことだろう。

新たなデジタル環境は、われわれに記録の方法、表現の媒体、教育の手段を提供してくれている。その中で、学術研究という立場では、どのような関わり方を持つべきだろうか。とりわけようやく形を持ち始めた一つのまったく新しい環境にかかわるルール作りや枠組みの形成には、これまでにない試練が満ちている。これに関連して、考えが繰り返し立ち戻ったのはつぎの二つのことである。

まずは、デジタルデータの作成やその結果を、いかにして在来の研究活動に組み入れるかということである。

一般論になるが、一つの研究活動に携わったら、その成果が「残る」、「使われる」、そして「使える」ということを理想にするだろう。デジタルデータを作成する立場からすれば、思いはまったく同じなはずだ。ただし、ここで操作可能なレベルで考えるならば、対応すべき順番はちょうど逆になる。すなわちデジタルデータを作成するうえで、まずはそれがどのように使われる可能性を獲得するか、ということだ。

すでに多数存在するデータベースの利用から具体的に考えてみよう。現状では、研究者はデータベースを通して特定のテキストあるいは画像資料までたどり着き、それを研究成果に用いたとしても、ほとんどの場合そのような利用のプロセスを触れない。その結果、まるで群書を読破したかのようにピンポイントで関連資料が提供される。特定のデジタル資源を開発し、制作するために研究機関や研究者が計り知れない知恵と労力をつぎ込んだにもかかわらず、そのおかげで使用された資料は所蔵関連で記される程度で、デジタル関連の貢献はなにもなかったかのように見過ごされてしまう。データベース作業を真剣に取り組んだ研究者ほど、この経験は切実かと思う。

そのような研究成果の記述の仕方に意見を言うまえに、デジタルデータを作成する側にも対応すべきことがあるかもしれない。突き詰めて言えば、「使える」という意味で、現行のデジタル成果の形態は、在来の研究発表のスタイルに十分に応えていない。「使える」と言えば、どんな調べ方にも対応する、充実なヒットが生まれる、使い勝手がよい、という条件は、もちろんその基礎である。一方では、そのように得られた結果を通行のスタイルで記述できるかどうかも、同じく「使える」かどうかの必須条件だろう。考えてみれば、最先端の携帯読書機械だって、電子書籍となれば、ページ捲りの動画ひいては音声などを再現しようと、余計な機能をいっぱい詰めてしまう。そうすることの理由は、あくまでも在来の紙媒体の書物を読む慣習を模擬することを通じて、読書経験の連続性を図るものにほかならない。ならば、学術活動の一環として開発するデジタル成果の表現方法は、現行の学術発表の様式を尊重し、引用されたり、再現されたりするための、すこしでも抵抗の少ないフォーマットを案出する努力をしなければならない。内容を特定する長々としたサイトアドレスは、サイトの中でなら問題がなかろうが、出版形態の引用には向かないことは、だれの目にもあきらかだ。さらに言えば、多くのデジタルリソースは、電子環境での手軽に内容を変えられる特徴に捕らわれて、すこしでもより充実したものにしようと改変や更新を続け、それを一つの完成品にする責任を拒んだ向きさえある。未完成でいて、いつまでも変り続けるということは、研究成果の記述が漏れる結果に繋がる。もしこの観察がさほど間違っていなければ、対応の仕方は意外と簡単かもしれない。たとえば、はっきりしたシリーズ名を添えて、オンラインと連動する、読みやすくて個別に保存できるものを、PDFなり、EPUBなり単独の形で提供したら良いはずだ。特定の内容のものについては、確定してこれ以上変えないという姿勢を表明し、かつその担保として使い手に形のあるものを手渡せば、研究利用、とりわけ成果記述のために大きく環境が整ってくるのではなかろうか。

つぎは、研究機関への期待である。新たなデジタル環境の誕生は、さまざまな形をもって在来の社会的な仕組みの再編成という結果をもたらす。その意味では、日文研という、他と較べて歴史の浅い組織は新たな可能性に直面している。

過去四半世紀にわたり、日文研を訪ね、ここで得難い研究生活を送った外国人研究者の数は、数百に及ぶだろう。ここで主催された共同研究に参加経験を持つ国内の研究者となれば、おそらくさらに一桁上の数字になろう。膨大な数の国際シンポジウムや出版物などに集約されたように、日文研という機関の一番の特色は、まさに国内外にわたる学際的な学術交流と研究である。そうなれば、デジタル環境を生かして、このような日文研の過去の経験者たちをコアなメンバーとする、学術研究のさまざまな分野のための研究・交流の場を設けることは、およそ自然な展開であり、これこそよその研究機関には簡単に追随を許さない分野である。デジタル環境の現状では、現在日本の学術活動において、伝統ある中堅の学会でさえ、例会を周知させるためのホームページを持たず、そのようなきわめて初歩的な情報を知人などを通じて聞きまわるほかはない。また共同研究では、紙媒体の出版には向かないような成果となれば、適当な発表の場が皆無に等しい。一方では、デジタル媒体を用いて成果を公表することにおいて、日文研はすでにいくつかのプロジェクトをもって実績を残している。たとえば、多くの大学図書館などは、独自の所蔵のみを対象とするデータベースを作るのに対して、日文研は、それに加えて、「在外日本美術」のような世界を視野とするデータを提供し、現在公開中の「研究支援データベース」群は、最初から研究テーマ上のアプローチである。このような研究成果の記録や発表に加えて、これを用いての国内外、学際的な人的交流、研究基地の形成ということは、まさにこれまでの研究活動の延長であり、デジタルという道具を用いた新しいタイプの、次世代の研究センター像が隠されているものではなかろうかと、一つの理想像を求めたい。

「日文研」への投稿は、これが二回目になる。前回二三号掲載のタイトルは、まさに「デジタルの誘い」。一二年経っても同じテーマを掲げてしまい、足踏みをしているようだが、一回り期待が大きくなったとも言える。デジタルというものが、紙にも匹敵するような新たな道具だとすれば、これからさらに一〇年経っても変化が続き、模索が繰り返させられてもなんの不思議もない。大きな変化の入り口にようやく立ったいま、時代の趨勢が決まってからたしかな足取りで参加するのも一つのシナリオだろう。一方では、より積極的に取り組み、枠組みの形成やルール作りに加わりたい。日文研というこの上ない快適な研究環境に恵まれ、そのような考えがいっそう強まる。
(カルガリー大学教授/国際日本文化研究センター外国人研究員)
日文研 No. 48・2012年3月