2015年10月31日土曜日

有名人の使われ方

すでに何回も経験していることだ。ポッドキャストでラジオの番組を聴き、映画を取り上げる気に入りの番組の放送日は、ちょうど週一回の映画半額の日なので、そこで気持ちを動かされたら、さっそく映画館に駆けつけてそれを楽しんでくる。今週もそのような展開になった。映画は、あのジャブスをめぐるものだった。

20151031思えば、熱狂にはほど遠いが、アップルの製品をしかしながらずいぶんと買ったり、使ったりしてきた。あのデビュー作である四角のマッキントッシュ、不思議な姿をしたマック、そして何世代もわたるアイポッドやアイパッド、列に並んだことさえある。しかしながら、伝記の書籍や映画となると、なぜかどうしても距離を置きたくなった。そんなところに、ラジオ番組の紹介で気になった文句とは、シェークスピアを想起させる構成になっている不思議な映画だった、といったものだった。それに誘われるまま、映画館に入った。結果としては、そんなに感動したり、感心したりするような瞬間はなかった。たしかに思いきった構成をされてはいるが、ちょっぴりやり過ぎで、会話のリズムや内容と、その環境の設定には、不自然さが目立つだけだった。主人公のかなり偏屈した人物像になった構想も、考えかえしてみれば、とくべつに必然的な理由や深遠な意味には思いつかなかった。

雑誌記事によれば、三番目と数える今度の映画は、本人を知っている人間からは、揃って反対されていると聞く。このことは、結果として、有名人の使われ方を垣間見る思いがした。ひろく関心を集めている人となれば、およそその人の名誉やら事実やらとは無関係のところに存在するようになった。あるいは、それこそ有名人になった証拠だとさえ言えよう。そのように考えれば、こんなにすさまじいスピードで一人の個人が実像から離れて、自由に創作されるようになったという事実のほうを、もっと認識すべきだろう。

2015年10月24日土曜日

ウイルス退治

かずかずの予定内や予定外の仕事、行事がいっぱい詰まっているここ数日、一つの他愛ないが、半端ない苦労を強いられた経緯があった。ここに記しておこう。

自宅の書斎に据え付けるメインのパソコンは、いつの間に厄介なウイルスに感染されてしまった。それもかなりの重症だった。やられたのは、ブラウザで、クリックするたびにウイルスはその存在を誇示し、新しいページが開いたり、目障りな広告が雪崩込んできたり、甲高いアラームや警告アナウンスが鳴り響いたりして、パソコンの前の人を神経錯乱に追い込む勢いだった。おかげ日常の仕事ではここまでブラウザに依頼していることに気付かされるが、とても暢気に構えていられなくて、覚悟の上でウイルス退治に乗り出さざるをえない。普通に考えれば、ウイルスに悩まされるのはなにも自分だけに限るはずはなく、退治する方法もきっとたくさん案出されているものだろうが、しかしいざそれを調べたり、試したりする段になると、とても簡単にはいかない。まずは退治するソフトと、それを名乗り、苦悩に乗じてさらなるウイルスを送り込む悪どい者に用心しなければならない。ほんとうに使えるものなら有料でも想定内だが、この手のソフトは、たいてい宣伝の方法が安っぽくて、安心できない。あとは、パソコンを購入状態にリセットするという手段も考えられるが、はたしてどれだけのバックアップが必要なのか見当付かず、なかなか決行する勇気が出てこない。

20151024さいわい退治するソフトが辿りつき、なんとか目の前の難関を突破できて、めでたしだった。救世主的なソフトの名前は、「Malwarebytes」。いうまでもなく今度のウイルスに相性のよいものにたまたま巡り会えて、不運の中の幸運にすぎない。

Malwarebytes

2015年10月17日土曜日

Kahoot!

今学期の授業もすでに半分近く終えった。講義を中心とするクラスは、今年はほぼ百人を相手にし、内容からアプローチの方法まであれこれと模索を続けている。これまでの教え方を継承するものとして、十三週のうちあわせて五回のテストを書かせる、ということがある。採点の負担などもあって、十五分程度の短いものにしている。そこで、テストの日のクラスの後半は、普段の講義と雰囲気の違うことをやってみて、学生の声を掬い上げようとした。この間の授業では、新しい試みとして、学生にオンラインゲームをしてもらった。

20151017ゲームに選んだのは、「Kahoot!」というものだ。いうまでもなく「cahoot(
共謀)」という言葉をもじったもので、いま風のネーミングである。ゲームの内容は、教師が多項選択式のオリジナル質問を作成し、それに対して、学生たちは各自の端末から一斉にアクセスし、正答を競うというものである。教室にはネット環境が整い、ほぼすべての学生が当たり前のように携帯やタブレットなどを持参していることは、この手の活動を可能にした。進行の流れとして、教師が質問サイトから入ってサイトをスタートさせ、これに合わせて学生一人ひとりがスクリーンに現れたピンナンバーを入力し、勝手にニックネームを選び、ゲーム開始である。その間、教師が進度を司り、一問ごとに正答者名や正答者数が表示される。ポップな音楽や効果音、学生たちの奇抜なニックネームなどもあって、クラスは大いに盛り上がった。終わって記録をみれば、予定をちょっとだけ超過し、きっちり六分間の時間を使った。教室を見渡せば、学生たちはそれなりに満足した表情だった。

似たようなゲームなどは、きっともっとあるだろう。クラス活動を賑やかなものにし、学生たちの気分を調整するには、大いに活用すべきものだ。

Kahoot!

2015年10月10日土曜日

悔しい様子

人間は、思いの外、取り返しの付かない悔しいことになると、それを自分の体をもってどう表現するのだろうか。思いをここに至ると、いつも「平治物語絵巻」に描かれたあの有名な場面が浮かんでくる。滑稽なほどのあわれな運命を辿った藤原信頼という名前は何回も確認しなければならないのだが、絵に残されたかれのユニークなポーズはいつまで経って忘れられない。

20151010画面の中において、信頼は読者に正面に向かって立ち振舞、手足を素早くばたばたし、まるで舞台の上から精いっぱいのパフォーマンスを披露しているかのようなものだった。これを見ると、いたって自然に「地団駄を踏む」という言葉を思い出し、ポーズと言葉との両者を互いの証左に並べたくなる。もともと地団駄、あるいは、踏鞴(たたら)という、足で踏んで空気を吹き送るふいごのことこそ、絵と同時代の文献に遡れるが、それが悔しいことの表現への変身は、どうやら浄瑠璃が流行った時代を待たなければならない。一方では、「平治物語絵巻」は、かなり似たような発想に立脚して異なる表現を選んだ。詞書には「護法などの様にをどりあがり々々しけれども、いたじきのみひゞきて、そのかひなし」とあって、今日では喜びの表現に収斂した「踊り上がる」という言葉をこれに当て、それも「護法」のようなものだと、その行動の様子を描写した。「護法」には、仏を守る鬼神と、悪霊を退治する呪術という二つの意味があって、ここではそのどれを指すのか、にわかに判断できない。

絵巻の本領は、絵と言葉とのしっかりした対応をもって物語を伝えることにある。一方では、それを明らかな前提だとしても、互いに対応した画面と記述を物語から切り離し、身体表現をはじめ、その時代の人間や生活を観察するためのたしかな資料として使用することには、当然耐えうるものなのだ。

「平治物語絵巻・六波羅行幸巻」(東京国立博物館蔵)

2015年10月3日土曜日

トレース画像

絵巻の画像を研究論文などに引用したりする時など、印刷の制限から、それにトレースの処理を加えて用いるというのは、いまだ実際に行われている。だいぶ昔のことになるが、とある研究書の後書きにおいて、それの著者が自分でトレースの画像を作成したとの告白を羨望の思いで読んだことを記憶している。デジタル技術に恵まれた今、そのような特技もアナログなものとして片付けられるようになった。

週末にかけて、遊び半分に画像のトレースをやってみようと思い立った。思いついた道筋は、二つ。一つは、Photoshopのような万能のソフトの使い方を改めて勉強し、正攻法で画像を処理することであり、もう一つは、いまやかなりの数で提供されている、ほとんどは無料の専用ソフトを辛抱強く試してゆくということである。手始めに前者から取り掛かった。あれこれとマニュアルを読んだり、動画レッスンを見たりして、最小限のことは一通り出来るようになっ20151003た。思ったほど苦労がなかったので、後者の専用ソフトも覗いてみた。やはり漫画文化には人気があるからだろうか、日本かアジア発のソフトが多い。こちらのほうは、さらに意外なことにさっそく十分に満足できるものに出会った。アップルタブレット用の「Photo Sketch」というものだ。とにかく出来栄えがよくて、作業が分かりやすく、しかもかなり均一するスタイルをもつトレース画像を作成することが出来る。おまけに黄色い色の初期設定や、鉛筆風の陰影は、格調あるニュアンスを付け加えてくれるのが嬉しい。

自由に古典画像のトレースを作成する方法を手に入れて、さてなににこれを生かすべきだろうか。なぜかわくわくしてきた。