すでに何回も経験していることだ。ポッドキャストでラジオの番組を聴き、映画を取り上げる気に入りの番組の放送日は、ちょうど週一回の映画半額の日なので、そこで気持ちを動かされたら、さっそく映画館に駆けつけてそれを楽しんでくる。今週もそのような展開になった。映画は、あのジャブスをめぐるものだった。
思えば、熱狂にはほど遠いが、アップルの製品をしかしながらずいぶんと買ったり、使ったりしてきた。あのデビュー作である四角のマッキントッシュ、不思議な姿をしたマック、そして何世代もわたるアイポッドやアイパッド、列に並んだことさえある。しかしながら、伝記の書籍や映画となると、なぜかどうしても距離を置きたくなった。そんなところに、ラジオ番組の紹介で気になった文句とは、シェークスピアを想起させる構成になっている不思議な映画だった、といったものだった。それに誘われるまま、映画館に入った。結果としては、そんなに感動したり、感心したりするような瞬間はなかった。たしかに思いきった構成をされてはいるが、ちょっぴりやり過ぎで、会話のリズムや内容と、その環境の設定には、不自然さが目立つだけだった。主人公のかなり偏屈した人物像になった構想も、考えかえしてみれば、とくべつに必然的な理由や深遠な意味には思いつかなかった。
雑誌記事によれば、三番目と数える今度の映画は、本人を知っている人間からは、揃って反対されていると聞く。このことは、結果として、有名人の使われ方を垣間見る思いがした。ひろく関心を集めている人となれば、およそその人の名誉やら事実やらとは無関係のところに存在するようになった。あるいは、それこそ有名人になった証拠だとさえ言えよう。そのように考えれば、こんなにすさまじいスピードで一人の個人が実像から離れて、自由に創作されるようになったという事実のほうを、もっと認識すべきだろう。
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