2011年9月26日月曜日

王妃と帝鑑

久しぶりに名古屋を訪ねた。朝起きて、一人で行動する三時間ほどの余裕まで出来て、名古屋城を目指して歩き、いま開催されている「帝鑑図」の特別展を観た。

110925「帝鑑図」とは、途轍もなく大きなテーマだ。つねに魅力を感じていながらも、なかなかその全容を掴めない、あるいは掴むための手がかりが分からない状態だ。はっきりした源流を持っていることから、考えようによれば分かりやすいものだが、しかし、これに寄与したメディアはあまりにも多い。それも屏風、障子画など、最初からごく限定された読者の目しか意識しない、いわば閉鎖された世界に置かれていた。一方では、画像資料として眺めれば、豊富なストーリが裏を支え、それもどれもが長い歴史の中で親しまれてきたもので、読者としての接し方が確立されている。教養、教訓、そして享楽。このような性格のまったく異なる要素を一身に備えたものに取り掛かるには、たしかにそれなりの覚悟が必要だ。

美術館での展覧会とは違って、天守閣の一階を使ったこの展示は、格別な雰囲気を感じさせてくれる。どれもじっと見つめたくなる絢爛な絵画は、暗闇に囲まれ、ところ狭しと並べられた。テーマは「帝鑑」だけに、まさに城という空間に溶け込むものだ。一方では、手元の入場券をあらためて見て、タイトルにはまっさきに「王と王妃」が目に飛び込んでくることには、苦笑を禁じ得なかった。「王妃」と「帝鑑」とでは、言葉の内容としてまったくつりあわない。さらに言えば、「王妃」に思いを馳せることは、「帝」に投げかける視線や姿勢を倭小化するものにほかならない。しかしながら、もともと城に入る前に、一番に迎えてくれたのは、城のイメージと関係ない「ユルキャラ」なのだ。世の中の人々が帝に寄せる関心は、その処身を正す鑑ではなくて、あくまでも人間としての日常に転じたことを物語っていよう。

名古屋城特別展「王と王妃の物語 帝鑑図大集合」

2011年9月18日日曜日

視線移動の流れ

同僚との雑談のなかで、いわゆる「視線追跡」技術とその応用に話が及んだ。主にたとえば言語学研究で使われるもので、特定のものを読むために、読者の視線移動の軌道を記録し、分析するために開発されたものである。なにも言語学だけに限定するものでもないだろうから、絵画を見るにあたっての視線を追跡する110918研究だって、これまできっと行われていたと想像している。思えば一篇の文章を読むものならば、読者はたいてい決まった順番を守るものであり、それは追跡する必要もないぐらい明晰なものなのだろう。でも、絵となれば、事情はどうなるのだろうか。視線の移動ということに関していえば、それを文章を読むのと同じレベルで考えることなど、そもそも可能なのだろうか。

絵巻の絵でいえば、それはさしずめ右から左への視線の流れがまず存在することだろう。典型的な読者は、巻物をすこしずつ左へ披き、右手で巻き上げるのと同時に、視線を先へと送っていく。その途中において、テキストによって語られたストーリとの対応を思い起こしずつ、画面のハイライトを捉え、一枚の絵では収めきれないストーリの展開を想像のなかで膨らませてゆく。その途中において、ハイライトを起点として、詞書には触れられていない絵の要素を見つけ出して、想像と照らし合わせる。ただ、これはあくまでも大きな流れであって、これに対する例外は、いくらでも存在するものだろう。文章の場合でさえ読者が特定の部分を読み直したりするものだから、絵の場合はそれがもっと自由な形になるものだろう。ただし、普通の読者は、たとえば一枚の絵に対面して順を追ってすこしずつ満遍なくすべてを見ておくことなどまずないのだろう。そこにはまさに絵を観るための基本的な仕組みが隠され、そこに作者と読者との対話の基盤が存在するものである。

ところで、以上のプロセスを分かりやすいように説明しようと思えば、どのようなビジュアル的な方法を取るべきだろうか。絵の上に罫線を引いたりするようなことも考えられるだろうけど、どうしても乱暴でいて、野暮にさえ思ってならない。もっと気の利いたような方法があるはずだ。とりわけアナログ名模写、デジタルの画像処理といった可能な手段を十分に生かしたら、それ自体一つの有意義なチャレンジなのだ。

2011年9月11日日曜日

明日は中秋

もうすぐ中秋になる。学生時代なら、夏休みを終えて大学のキャンパスに戻り、同級生たちとひさしぶりの再会を楽しむ年に一度の思い出の多い日だ。そのような経験を共有している大学時代の親友が、いま現在の北京の写真を撮って寄せてきた。さっそくカナダの名月を収めた自慢の写真を送り返した。

ならば、絵巻にはどのような月が出ていたのだろうか。一日の半分は月に照らされているが、画像に残されているものは、思いのほか少ない。源氏物語絵巻の「蓬生」、「宿木」などに描かれたような、月を抜きにして語れないものはかなりの例に数えられるが、一方では月そのものが視線をひっぱるものは、そう多く思いつくものではない。110911その中の一枚は、「玄奘絵」のハイライトをなす須弥山を照らすものだ。太陽と対になり、陰の世界を掌る。その下には、雲の上を走る雷神、海の中を踊る怪魚と、まさに暗のエネルギーが集合する計り知れないものだ。このような月もあったんだ、いや、月にまつわるこのような想像の世界が存在していたのだと、あらためて想起される。ただし、そのような月でも、いま目の前あるような黒く沈んだ色をしていたはずはない。最初はきっと銀の色に輝いていたに違いない。わずかに見える月の中の模様も含めて、いつかなにかの現代技術で蘇ってくることを心待ちにしている。

ところで、周りの友人知人たちは明日中秋の夜に集まろうと声を掛け合っている。実現できれば、ひさしぶりの中秋の夜の宴になる。いまから楽しみだ。

2011年9月5日月曜日

六月の霜

初会合の研究会で、一点の御伽草子作品が国宝になったと知って、驚いた。教わるままにサイトを調べてみたら、それは一群の文献の中の一点で、タイトルは「玉藻の前」、国宝指定を受けたのは2002年で、いまだ10年も経っていない。ありがたいことに作品がすでにデジタル化されて、だれでもアクセスできる形で公開されている。さっそくデジタル画像をパソコンモニターいっぱいに開いて、じっくり眺めた。

たとえばこの画面。突飛な構図はあまりにも御伽草子的だ。画面中央の美しい女性は、山間の水辺に身を置いているにもかかわらず、豪華に十二単を身に纏っている。顔には、まるで面をかぶっているかに見えるが、実はさにあらずで、笙を演奏している姿勢だ。しかもよくよく見れば、美女は巨大な尻尾を出していて、ストーリーのテーマである狐の化身だということが表現される。さらに画面全体に目を向ければ、110903描かれている風景がかなりユニークなものだと気づく。雉が空を飛び、あたりは緑いっぱいなのに、木々や岩石が真っ白い雪を被っている。清い流水と相まって、この非自然な景色こそこの画面が表現しようとするものに違いない。文字テキストを読めば、まさにその通りなのだ。ストーリーの内容として、ここでは玉藻の前が豊かな知識を持ち合わせていて、どんな難問にもすらすらと答えられると伝えている。その質問の一つは笙の由来や効用であり、玉藻の前が与えた答えはつぎのようなものだ。「しやうをつくりてふきしかは六月にしものふることおひたゝし(笙を作りて吹きしかば、六月に霜の降ること夥しい)。」すなわち画面いっぱいの白いものは、雪ではなくて霜なのだ。自然界にみる霜の様子をおもいっきり誇張したスタイルで描けば、こんな格好のものになったのだ。

中国語表現のレトリックには、「六月の雪」がある。真夏に降るはずもない雪が降ってしまったということは、ただの反自然ではなくて、冤罪を受けていることの証だと文学的に使われている。それを思い出しつつ、雪に紛われるぐらいの霜は、一種の神力を表わす超自然現象として、ほほえましい。

玉ものまへ