2011年9月18日日曜日

視線移動の流れ

同僚との雑談のなかで、いわゆる「視線追跡」技術とその応用に話が及んだ。主にたとえば言語学研究で使われるもので、特定のものを読むために、読者の視線移動の軌道を記録し、分析するために開発されたものである。なにも言語学だけに限定するものでもないだろうから、絵画を見るにあたっての視線を追跡する110918研究だって、これまできっと行われていたと想像している。思えば一篇の文章を読むものならば、読者はたいてい決まった順番を守るものであり、それは追跡する必要もないぐらい明晰なものなのだろう。でも、絵となれば、事情はどうなるのだろうか。視線の移動ということに関していえば、それを文章を読むのと同じレベルで考えることなど、そもそも可能なのだろうか。

絵巻の絵でいえば、それはさしずめ右から左への視線の流れがまず存在することだろう。典型的な読者は、巻物をすこしずつ左へ披き、右手で巻き上げるのと同時に、視線を先へと送っていく。その途中において、テキストによって語られたストーリとの対応を思い起こしずつ、画面のハイライトを捉え、一枚の絵では収めきれないストーリの展開を想像のなかで膨らませてゆく。その途中において、ハイライトを起点として、詞書には触れられていない絵の要素を見つけ出して、想像と照らし合わせる。ただ、これはあくまでも大きな流れであって、これに対する例外は、いくらでも存在するものだろう。文章の場合でさえ読者が特定の部分を読み直したりするものだから、絵の場合はそれがもっと自由な形になるものだろう。ただし、普通の読者は、たとえば一枚の絵に対面して順を追ってすこしずつ満遍なくすべてを見ておくことなどまずないのだろう。そこにはまさに絵を観るための基本的な仕組みが隠され、そこに作者と読者との対話の基盤が存在するものである。

ところで、以上のプロセスを分かりやすいように説明しようと思えば、どのようなビジュアル的な方法を取るべきだろうか。絵の上に罫線を引いたりするようなことも考えられるだろうけど、どうしても乱暴でいて、野暮にさえ思ってならない。もっと気の利いたような方法があるはずだ。とりわけアナログ名模写、デジタルの画像処理といった可能な手段を十分に生かしたら、それ自体一つの有意義なチャレンジなのだ。

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