2011年12月25日日曜日

がんこうじ

歩き回ったところのメモを整理し、パソコンでタイプしたら、はっとさせられる経験をした。奈良で訪ねたのは、元興寺。この三つの文字を並べてこう読むのも、地名ならではのことだなと思いつつ何気なく変換キーを押したら、出てきたのはなんと「癌工事」。一瞬目を疑った。同じ読み方でも漢字を並べ替えたらこうもショッキングなのだ。そして学生時代の思い出が戻ってきた。いまだワープロというものが非常にハイカラなものだったころ、友人が自分の経験を披露し、「四条の宮」のつもりだったのに「四条飲み屋」が飛び出して、機械を相手に無性に腹を立ったとか。

いわゆる漢字や文章の誤変換、日本語の文章を英語用のキーボートに任せて書き出そうとしたのだから、それこそ機械との騙し々々の関係の繰り返しで、不完全な方法ゆえのやりくりで、まさに日本語入力の古典的な問題だ。想像するには、いまの出版関係者たちの校正の仕事は、おそらくとっくにこの誤変換によって現われてくる問題への対応ということに注意の中心を移し、そのための工夫や訓練が要求されているに違いない。普段の読書経験などでも、なぜか間違った漢字が使われたのではないかということには敏感で、メジャーな新聞や雑誌を読むときなどとりわけ目を凝らす。間違いを見つけ出したら、書き手か編集者に声を大きくして伝えたいとの気持ちがこみ上げる。一方では、文章を入力するとなれば、個人の書きクセや表現の偏りなどならまだ機械の記憶機能などでカバー出来そうだが、長めの古文などとなれば、文章全体の規則に関わるだけあって、どうしてももどかしい。それようのシステムもかなりの数のものが利用できるようになったと分かっているが、いまだに一々使い比べる気力を持たない。

世の中には、どうやら「誤変換大賞」「変“漢”ミスコンテスト」(ネーミングは妙)などまで行われて、同じ問題を抱えている人は明らかに多い。でも、苦労や苦悩をコンテストに持ち込んで愉しむという機転、まさに持たなくてはならない。

2011年12月18日日曜日

絵の伝播

週末にある研究会に参加した。研究発表の一つは、いわゆる「予言獣」を紹介し、江戸時代の絵画文献への当時の人々のかかわりようを取り上げた。いつものように一枚の絵にかなりの分量の文字情報が入り込み、一字一句に読んでいけば興味深い。いつの世でも災難が現れれば予言が流行り、その表現媒体の一つに絵が加担し、かつ凄まじいスピードで伝播したものだった。

111219ここに文字内容に定番がある。異形の魚やら猿やらの動物たちの由来、それが常ならない身体的な特徴、災難を追い払う威徳云々に続き、きまって享受の方法を指示する。すなわち「我姿を絵に書」く、「我姿を書して張置」く、あるいは他人へと「絵を伝へ見」せるものだった。そして、ここにみる複製する、繰り返し見る、他人に見せるという一連の行動の延長、あるいは逆に普段の人々にこの動作の連鎖を開始させるためには、絵の販売があった。まさに印刷が流行り、商業流通が日常化になった江戸ならではの風景である。当時の文人たちの記録などから追跡すれば、異形の絵を手にして、「街を売行」する人、「高声に市街を呼歩」く人たちの姿が出没した。考えてみれば、売り歩く行動こそ、当時では伝播のためのもっとも効率が高くて確実な方法だったのだろう。思い切って今風の言い方に置き換えてしまえば、さしづめインターネットにアップロードして全世界に見せる、といったようなやり方に当たるに違いない。ただしこの行動はあまりにも現世的な利益と直結し、現金の流れが見え隠れした。そのような側面が強くなればなるほど、信仰とは無関係の、あるいは信仰に逆行するような結果になってしまう。

はたして知識をもつ者たちは、絵による営利のからくりを早くから看破し、「愚俗の習」と批判した。そして世の中は明治になれば、「予言獣」絵画の販売は、まさに「開化」という時代のモラルに反するものとして、発売禁止の対象になった。さらに百年以上経ったいま、そのような絵は、博物館のコレクションにまでなって、展示ケースの奥からわずかにその姿をわたしたちに見せてくれているものだった。いうまでもなくそこになんらかの威徳をもつなど信用する人などもう一人もいない。

「妖怪変化の時空」(国立歴史民族博物館)

2011年12月10日土曜日

京都・柿

111210秋の風物詩といえば、もみじと並んで柿も鮮やかだ。木々の葉っぱがほぼ落ちきったあと、土色の枝に果実のみ残り、狭い庭先からしっかりと存在を訴えて、冬の足音が聞こえてくる街角にきれいな色を添えている。

京都で柿を賞でる。これだけでもどうしても学生時代の思い出が蘇ってくる。京都という地を知り、勉強の内容にすこしでも近づけたらと、思い立って狂言教室に通った。いまならもう考えられないビッグな経験になるが、それこそ日本一流の狂言師に、口移しで稽古を付けてもらった。しばらくは定期的に通っていたが、自分のなかでもきっとわずかな留学生活のなかでの短い経験にしかならないのだとの思いがあり、ときにはカメラやウォークマンまで持ち込んで、稽古の写真撮影や録音まで敢行した。外国人だということが理由だったのだろうか、師はいやな顔を一つもせずに平然と応じてくれた。写真や録音はいうまでもなく大事な宝物で、いまやそれをデジタルの形に置き換えて、若い学生たちといっしょに観る機会まで持ちえた。その時に覚えたただの一番は、まさに「柿山伏」。「あれに登って喰おう」というせりふは、いまなお独特の節回しに乗って記憶に戻ってき、周りに人がいなければ、思いっきり声を出して語りたい衝動に形を変えたりする。

いま住んでいる地は、関西でも有名な柿の産地だとは、最近知人に教わるまでには知らなかった。週末に散歩に出かけたら、道端にたしかに農家直販の店が軒を繋ぐ。申し訳ないぐらいのコインをさし出したら、表示された値段と関わらず、お婆さんは小さなダンボール箱を探し出して、いっぱいに詰めてくれた。地元の人々の暖かいもてなしにはたと心が打たれる。

2011年12月5日月曜日

京都表展

知人から招待を受けて、週末に差し掛かった一日の午後、市内で開催されている小さな展覧会に出かけてきた。「表展」と名乗るもので、今年は数えて95回目、さしずめ100年に近い歴史をもつ由緒ある京都ならではの行事だ。表・展という二文字の組み合わせをはじめて知った自分にとっては、そこにきっと知らなかった世界が用意されていると予想していたのだが、それでも驚きがじつに多かった

いうまでもなく、「表展」とは書画表装の展覧会だ。しかし、その表装とは、和紙に描かれた作品を展示や保存のために加えられる最後のプロセスとだけ考えていた。しかしながら、京都での表展は、そのような認識が一つの大きな内容を見落としたことを教えてくれた。古い作品の修復である。展覧会に招待してくれた方は、かれの出品作品を丁寧に解説してくれた。修復前のものの写真を添えてもらいたかったのだが、壁に掛けられたものは、まるで作家の工房からいまさっき持ち出されたような、初々しくて、漲るような生命力をもつものだった。しかしながら、それが百年も近い昔のものを修復したものだと教わって、目を見張る思いだった。ここまで甦らせるためには、どれだけの時間を費やしたかと、恐る恐るに尋ねたら、「十日ぐらいだ」と、いとも簡単な答えが戻ってきた。いうまでもなく厳しい訓練や長年の経験を積み重ねてきた熟練な技術の持ち主ならではの成せ技だった。これを目のあたりにして、つい最近聞かされた、ある新出絵巻についての識者からの推測を思い出さざるをえなかった。ハイライトの画面が抜け、文字テキストが不自然に接続されたあの作品について、絵が切り取られたのだろうというものだった。いまなお保たれている不思議なぐらいの技を実際に見て、なぜかあの推測には納得した思いだった。

ちなみに展覧会の場所は、京都文化博物館。一階は無料で入り、しかも訪ねたときには優雅な室内コンサートが催されていた。博物館の入り口でスタッフは心地よい京都弁で場所の案内をしてくれた。こんどはまた時間を作って、何回も訪ねてみたい。

京都表装協会・第95回表展