2020年12月26日土曜日

スマホ・CJ5M

2020年も最後の一週となった。年末にあわせて、Glideを用いてのアプリ三作目を完成した。一年半ほど前に公開した特設サイト「Classical Japanese in 5 Minutes(5分で分かる!日本語古文)」の内容をそのままスマホに移したものである。(「CJ5M」)

これまでのGlide二作と較べて、「CJ5M」の作成ははるかに簡単だ。ショートビデオとスライドの形を取るレッスンは、すでにYouTubeとGoogle Driveに入っているので、それぞれのファイルのリンクをGoogle Sheetに取り入れるのみで作業が完成したようなものだ。サイトにはない内容としては、レッスンにアクセス画面でのノート記入である。ただ、この機能を導入しても、ユーザーを特定するような対応を取りたくなく、記入したノートは他人にも共有できるようにした。そのため、あくまでも単純な機能なので、複数の人が同時利用する場合、他人のメモが自動的に画面に飛び込んでくるという恰好になる。ちょっと望ましくないと思うユーザーもいるかもしれない。

レッスンはすべて英語によるものだ。作者自身としてはまったくはじめての試みである。去年の冬学期、古文授業で一通り利用した。あの時の手応えとして、日本語中級以上の真剣な学習者には、非常にためになる知識だというものである。はたしてその通りだろうか、もっと各方面からの反応を聞きたい。スマホに持ち込んだ狙いの一つは、まさにそこにあると言うまでもない。

CJ5M

2020年12月19日土曜日

朗読・随想

先週、朗読動画『猫のさうし』を公開したら、数件の暖かい反応が聞えてきた。さっそく全文を聞き通した、これから聞く予定だなど、友人知人からのコメントが寄せられた。嬉しい励ましだった。一方では、朗読作品の制作ということに関連して、新たな実践、一つのビジネス形態、ひいては社会との接し方などの立場から、刺激となる記事が絶えず目に入った。

動画に仕立てたのは、対象が古典であり、かつ文字情報も吸収してもらいたいという狙いから出発したからだ。ただ、その中心はあくまでも朗読である。音声を媒体にしたもう一つの読書の経験を提言したい。デジタル環境が普及する中、読書の形態はずいぶんと変わった。紙と電子デバイスとの展開がまずあり、紙でなければ読書した気がしないと感じる人もいれば、電子だとかえって落ち着く人もいる。そこに音声というまったく異なる次元が加わった。極端に言えば、読書に対する新たな時間軸が現われ、読み進めるスピードを読者から取り上げてしまう形態なのだ。この事実を、多くの耳で読書する読者はどこまで意識しているのだろうか。

個人的には音声による読書をずいぶんと前から続けてきた。図書館から借りるオーディオテープから始まり、オンランで購入するオーディオブック、テキストファイルを用いての自動朗読など、さまざまな方法を用い、聞く読書の経験としてははるかに平均以上だと自負している。ただ、これを自慢にしていながらも、激しく移り変わる音声環境に直面して、新しい読書経験の獲得と共有には、まだまだ入り口に立ったばかりだと感じずにはいられない。

2020年12月12日土曜日

朗読動画:『猫の艸帋』

子の年も、残り少なくなってきた。鼠のしっぽを捕まえようと、朗読動画を一タイトル公開した。御伽草子のうち、『猫のさうし』である。これまでの朗読動画と同じく、朗読の音声にあわせて読まれる文字に罫線をかけて移動し、奇想天外のお話を楽しみながら、中世の文章にも慣れればと願っている。

物語はじつに楽しい。主人公は猫には違いないが、実際の会話などで登場した鼠のほうは、主役の猫と互角以上の枚数を取った。地名や行事名、日常の品々のリストを巧に折り込んで童蒙を解くための工夫を凝らしたことは、お伽の役目が成せるわざだが、それを承知したうえで取り掛かっても、興味はつきない。老僧の口を借りて開陳された鼠への非難、批判といえば、唐笠や袈裟を破り、煎豆、坐禅豆を盗み喰いしたなどお坊さんの日常に近いものを始め、扇、物の本、はりつけ屏風、かき餅、六条豆腐を台無しにしたなど、人びとの日常に関わるものを数え上げ、鼠害に対する切実な声が込められた。

思えばこのような猫や鼠に対する視線は、時代を超えた、ある意味では時間軸が存在しないようなものだ。しかながら、物語を丁寧に読めば、妙な一行があった。曰く「近江国御検地有」って、「百姓稲を刈らぬ」云々とのことだった。思わぬ形で時の政治や社会生活にどさっと立ち入った。この件は、はたして虚構なのか、そもそもわざわざ時勢を刺さることを狙ったのだろうか、答えを知りたい。

御伽草子『猫のさうし』

2020年12月5日土曜日

Glide、その二

Glideを用いてアプリを制作するという探索は今週も続いた。二作目が出来上がった。一作目と同じく前から公開した特設サイトの内容を使い、それをスマホに移動したということである。「古典画像にみる生活百景」。ただサイトには「メモ」の部分が英訳されていなかったが、これを機にそれを補い、一通り二か国語の形が整った。今度はアプリの使用方法をスクリーンショットとともにnoteに書いたら、意外にも多くの反応を受けた。

Glideには大満足。とりわけアプリレイアウトの設計など、無駄がなく、感心している。一方では、構造的な限界もすこしずつ認識してきた。ここにその中からとりわけ二点ほど記しておきたい。

データエントリー間の移動は、いまは対応していない。一番目のデータから二番目へ移動しようと思えば、リストに戻って選ぶのが基本で、戻るというプロセスなしでは実現が難しい。いまは一番に残したまま二番目、三番目を参照するという方法でリストに戻る手間を省かせているが、ユーザーにとっては意外な動きが現れる場合がある。複数のユーザーが同じデータにアクセスした場合、他のユーザーの操作が自動的に反映されることが考えられる。

一つのアクションは一つの機能にしか対応できない。例えばボタンをタップすることには複数の機能が選択できるが、その中から一つしか使えず、二つかそれ以上を組み合わせること(特定のデータコラムをリセットした上につぎの画面に行く、とか)はいまはできない。

Glideサポートの方々とのやり取りの中では、データ間の移動は新しいバージョンで実現される予定だと教わった。どのような新機能が現れてくるのだろうか、楽しみにしている。

アプリ:「百景・100 Scenes」