2020年12月26日土曜日

スマホ・CJ5M

2020年も最後の一週となった。年末にあわせて、Glideを用いてのアプリ三作目を完成した。一年半ほど前に公開した特設サイト「Classical Japanese in 5 Minutes(5分で分かる!日本語古文)」の内容をそのままスマホに移したものである。(「CJ5M」)

これまでのGlide二作と較べて、「CJ5M」の作成ははるかに簡単だ。ショートビデオとスライドの形を取るレッスンは、すでにYouTubeとGoogle Driveに入っているので、それぞれのファイルのリンクをGoogle Sheetに取り入れるのみで作業が完成したようなものだ。サイトにはない内容としては、レッスンにアクセス画面でのノート記入である。ただ、この機能を導入しても、ユーザーを特定するような対応を取りたくなく、記入したノートは他人にも共有できるようにした。そのため、あくまでも単純な機能なので、複数の人が同時利用する場合、他人のメモが自動的に画面に飛び込んでくるという恰好になる。ちょっと望ましくないと思うユーザーもいるかもしれない。

レッスンはすべて英語によるものだ。作者自身としてはまったくはじめての試みである。去年の冬学期、古文授業で一通り利用した。あの時の手応えとして、日本語中級以上の真剣な学習者には、非常にためになる知識だというものである。はたしてその通りだろうか、もっと各方面からの反応を聞きたい。スマホに持ち込んだ狙いの一つは、まさにそこにあると言うまでもない。

CJ5M

2020年12月19日土曜日

朗読・随想

先週、朗読動画『猫のさうし』を公開したら、数件の暖かい反応が聞えてきた。さっそく全文を聞き通した、これから聞く予定だなど、友人知人からのコメントが寄せられた。嬉しい励ましだった。一方では、朗読作品の制作ということに関連して、新たな実践、一つのビジネス形態、ひいては社会との接し方などの立場から、刺激となる記事が絶えず目に入った。

動画に仕立てたのは、対象が古典であり、かつ文字情報も吸収してもらいたいという狙いから出発したからだ。ただ、その中心はあくまでも朗読である。音声を媒体にしたもう一つの読書の経験を提言したい。デジタル環境が普及する中、読書の形態はずいぶんと変わった。紙と電子デバイスとの展開がまずあり、紙でなければ読書した気がしないと感じる人もいれば、電子だとかえって落ち着く人もいる。そこに音声というまったく異なる次元が加わった。極端に言えば、読書に対する新たな時間軸が現われ、読み進めるスピードを読者から取り上げてしまう形態なのだ。この事実を、多くの耳で読書する読者はどこまで意識しているのだろうか。

個人的には音声による読書をずいぶんと前から続けてきた。図書館から借りるオーディオテープから始まり、オンランで購入するオーディオブック、テキストファイルを用いての自動朗読など、さまざまな方法を用い、聞く読書の経験としてははるかに平均以上だと自負している。ただ、これを自慢にしていながらも、激しく移り変わる音声環境に直面して、新しい読書経験の獲得と共有には、まだまだ入り口に立ったばかりだと感じずにはいられない。

2020年12月12日土曜日

朗読動画:『猫の艸帋』

子の年も、残り少なくなってきた。鼠のしっぽを捕まえようと、朗読動画を一タイトル公開した。御伽草子のうち、『猫のさうし』である。これまでの朗読動画と同じく、朗読の音声にあわせて読まれる文字に罫線をかけて移動し、奇想天外のお話を楽しみながら、中世の文章にも慣れればと願っている。

物語はじつに楽しい。主人公は猫には違いないが、実際の会話などで登場した鼠のほうは、主役の猫と互角以上の枚数を取った。地名や行事名、日常の品々のリストを巧に折り込んで童蒙を解くための工夫を凝らしたことは、お伽の役目が成せるわざだが、それを承知したうえで取り掛かっても、興味はつきない。老僧の口を借りて開陳された鼠への非難、批判といえば、唐笠や袈裟を破り、煎豆、坐禅豆を盗み喰いしたなどお坊さんの日常に近いものを始め、扇、物の本、はりつけ屏風、かき餅、六条豆腐を台無しにしたなど、人びとの日常に関わるものを数え上げ、鼠害に対する切実な声が込められた。

思えばこのような猫や鼠に対する視線は、時代を超えた、ある意味では時間軸が存在しないようなものだ。しかながら、物語を丁寧に読めば、妙な一行があった。曰く「近江国御検地有」って、「百姓稲を刈らぬ」云々とのことだった。思わぬ形で時の政治や社会生活にどさっと立ち入った。この件は、はたして虚構なのか、そもそもわざわざ時勢を刺さることを狙ったのだろうか、答えを知りたい。

御伽草子『猫のさうし』

2020年12月5日土曜日

Glide、その二

Glideを用いてアプリを制作するという探索は今週も続いた。二作目が出来上がった。一作目と同じく前から公開した特設サイトの内容を使い、それをスマホに移動したということである。「古典画像にみる生活百景」。ただサイトには「メモ」の部分が英訳されていなかったが、これを機にそれを補い、一通り二か国語の形が整った。今度はアプリの使用方法をスクリーンショットとともにnoteに書いたら、意外にも多くの反応を受けた。

Glideには大満足。とりわけアプリレイアウトの設計など、無駄がなく、感心している。一方では、構造的な限界もすこしずつ認識してきた。ここにその中からとりわけ二点ほど記しておきたい。

データエントリー間の移動は、いまは対応していない。一番目のデータから二番目へ移動しようと思えば、リストに戻って選ぶのが基本で、戻るというプロセスなしでは実現が難しい。いまは一番に残したまま二番目、三番目を参照するという方法でリストに戻る手間を省かせているが、ユーザーにとっては意外な動きが現れる場合がある。複数のユーザーが同じデータにアクセスした場合、他のユーザーの操作が自動的に反映されることが考えられる。

一つのアクションは一つの機能にしか対応できない。例えばボタンをタップすることには複数の機能が選択できるが、その中から一つしか使えず、二つかそれ以上を組み合わせること(特定のデータコラムをリセットした上につぎの画面に行く、とか)はいまはできない。

Glideサポートの方々とのやり取りの中では、データ間の移動は新しいバージョンで実現される予定だと教わった。どのような新機能が現れてくるのだろうか、楽しみにしている。

アプリ:「百景・100 Scenes」

2020年11月28日土曜日

オンライン講座

先週の火曜日、中国人民大学の主催で「古典の未来学と『徒然草』」とのタイトルのオンライン講座が設けられ、荒木浩さんの講演があった。いま時のインターネットの環境に助けられ、地球の裏側から参加することができた。講座はすべて日本語によるもので、中国各地からの参加者が集まり、日本やカナダとはまたかなり違う中国の教育や研究の現場を覗いたような気がした。その様子は、さっそくこのような形で報告された。

個人的には非常に贅沢な時間でした。思えば過去四年間研究会に参加させてもらい、毎年一回か二回、京都に通うことが続いてきた。それだけに、同プロジェクトにかかわるいろいろな話題やそこから得られるさまざまな知見などに改めて接し、得るものが多かった。とりわけ新刊の『古典の未来学』をはじめ、『源氏物語』と南伝仏教、松永貞徳とキリスト教、『徒然草』への多彩な学術や教育の視点など、自分の関心に沿ったものが多く、行事が終わってからもながらく反芻を続けた。

講座は二時間半の日程で進められ、最初の二時間は一刻の休止もない講演の続きだった。オンライン会議では参加者は音声やビデオを止めて聴講することがエチケットとなっている。そのため、聞く人の顔が見られず、声も聞こえないままのお話は、思えばかなり過酷な条件なのだ。いまごろの研究者には、知らないうちにこういう能力も問われるようになったと言えようか。

2020年11月21日土曜日

百番達成

「江戸の注釈絵で読む徒然草」、知らないうちに百番公開を達成した。友人はツイッターにてわざわざ祝賀のメッセージを残してくれて、一つのまとまりの良い数字に到達したのだとあらためて気づいた。

そもそも「四コマ」ということを持ち出したのは、注釈の一段(53段)が綺麗に四つの画面におさまったことからヒントを得たからだった。四つの画面となるのはごく少数だが、その代わり、「四コマ」を一つの読み方だとすれば、どれもこのアプローチに対応できる。さらに、パソコン画面での表示から小動画にたどり着いた(「四コマGIF」)。最初の一点をFBやツイッターにあげたのは、去年12月3日と、ほぼ一年前。やがて「四コマ」という目で『徒然草』絵注釈を読みなおし、作品を『なくさみ草』と『つれつれ艸繪抄』の二作に絞り、全作から半分程度を目途に選び、使用の画像をデジタル公開からダウンロードし、画像に対応する原文を取り出し、それに現代語訳を加えるという一連の作業を続けた。動画にすることは一番最後のプロセス。これがとても単純なものなので、十点程度まとめてやるという方法を取った。一定の数があるので、順次公開という方法を試そうと、週二回(月曜、木曜)と決めた。途中からまとまって見られるところがあればと、前から試そうとしたFBの特設サイトを立ち上げた。さいわい無事に続けることができ、百番に取り上げたのは『徒然草』の209段。あとは十数点と予定し、一年ちょっとでこのプロジェクトを終えるという計算になる。

日常的に進めてきたので、その時その時の読者ーーやはり知人友人が中心だがーーからのリアクションは楽しく、そしてなによりも励みになる。毎回ほぼ即時に「いいね!」を押してくれる人もいれば、纏めて見て応える人もいて、メールを交わした折に感想などを教えてくれる人もいる。いうまでもなく小動画というのは一つの伝え方にすぎず、そこからいろいろと感じ取らせたのは、原作の魅力にほかならない。なによりもこの作業を続けてきているわたし本人が、たえずその絶妙の語り口に魅了されるのだから。

2020年11月14日土曜日

Glide

サイト活用関連の記事を読んでいると、「Glide」というツールの存在を知った。さっそく覗いて、提供されたサンプルに沿って試してみれば、いとも手軽にアプリの構築ができた。非常に気に入った。ここ数日、けっきょくこれに打ち込み、最初の作品として「Classical KANA」を仕上げた。

振り返ってみれば、まったく苦労がないわけでもなかった。けっこう戸惑ったのは、かな作品の前後移動だった。リストに戻れば、つぎの作品にアクセスすることはできるのだが、一々リストに戻ることはやはり煩わしい。簡単な要望だが、いざ実行しようと思えば、まったく思うとおりにはいかなかった。そこで試しに開発者に聞いてみたら、なんと数分のうちに返事が戻り、そのまま三、四回のやりとりを経て、狙ったことは完璧に実現できた。親切に応対してくれた方には、ほんとうに感謝する気持ちでいっぱいだ。そして、こうやって苦労した数時間も、過ぎてしまえば、素晴らしい経験となった。

アプリの中味は、これまでの特設サイトの内容をそのまま利用した。じつはこれのアプリは数年前にすでに出している。ただ、そのアプリは同僚の手を借りて作ってもらったもので、そのあとの、GoogleやApple側の頻繁な更新にはとても応えられず、それに加えて、先週触れた「e国宝」サイトのリニューアルも加わり、現実的に諦めかけている。そんなところへのこの作業だ。今度はすべて自力で賄えた。さらに前回のアプリで割愛させられたクイズまで取り入れられた。この成果には、いまのところ、大満足だ。

Classical KANA

2020年11月7日土曜日

リンク更新

先週のおわり、「e国宝」リニューアルのニュースが飛び込んできた。さっそくサイトに入って覗いた。公開の内容が増え、インターフェスも一新し、IIIF非対応だが、画像閲覧のスピードが明らかに早くなった。しかしながら、よく見れば、作品ごとのリンクはなんとかこれまでのが継承されたが、画像の部分表記のリンクはすべて切れた。これはちょっとたいへん。

これまで主に二つの特設サイトで「e国宝」の部分表記リンクを利用した。「古典画像にみる生活百景」と「動画・変体仮名百語」である。前者は約半分、後者はそのすべてにおいて「e国宝」の画像を利用し、そしてオリジナルものへのリンクを添えた。特定のテーマにあわせて古典画像の魅力を紹介するというのがそもそもの狙いであった。そのため、部分表記リンクが動かなくなれば、サイトの狙いの目的は達成できない結果になる。さっそく対応しなければならない。さいわい、リニューアルした「e国宝」は相変わらず部分表記リンク取得の方法を用意してくれた。それを順番に取り、これまでのページに貼り付けなおした。ページは基本的なHTMLで作成したものなので、マニュアル的に一つずつ書き直さなければならない。原始的な手作業で、けっこうな時間を費やした。

作業を終えて、週末には「第6回日本語の歴史的典籍国際研究集会」を聴講した。そこで交わされた議論は、まさに新たなデジタル資源の利用をめぐるさまざま実践や考えなのだ。東京大学のチームによる「デジタル源氏物語」に関連する一連の発表はとりわけ印象に残る。おもえばあのような膨大な作業を有意義なものだと保障するのは、さまざまな資源の存続である。「永久リンク」も話題に出たが、どんなに声を大きくして強調しても言い過ぎではない大事な課題の一つである。

2020年10月31日土曜日

YouTubeチャンネル

YouTube。特別に意識しないままかなり頻繁に使っている。自作の朗読動画の公表をはじめ、学会発表やネット授業のための動画送付、ひいては個人的な動画保存にいたるまで、あれこれと用途が広がっている。一方では、そのわりには発信の場としての形をあまり整えていない。ここ数日、これを見直し、ちょっとだけ作業を試みた。まずは手始めに、チャンネルの整理である。

「チャンネル」という名前は、そもそも誤解を誘う。こう名乗る以上、複数に設けることが前提のようだが、ほんとうは一人のユーザーにはチャンネルが一つしか作れない。もともとどうしても特定のチャンネルを開設しようとするなら、それ専用のアカウントを取得するという抜け道はある、個人的にはこれまで「Old Japan Redux」と「Canada Japanese Video Cotest」という二つのチャンネルを制作、管理している。

今度は個人のチャンネルを対象とした。チャンネルを形作るためには、公開のビデオに加えて、バナー、チャンネル紹介、それにプレイリストという、いたって簡単なツールしか与えられていない。そこでとりあえずはバナーを拵えた。画像一枚という、かなり単純なものだが、取り掛かってみると、対応すべきことは多い。まずはテレビからタブレットや携帯などさまざまな環境が想定されるので、画像のサイズは、2560x1440ピクセルが理想とされ、2048x1152ピクセルが最小限のものだ。手持ちの画像から一部切り出すという方法なら、まずは満足なリソースが少ない。それでも、朗読作品からの画像を用いて、一通り簡単なものを作った。ちなみに画像を重ねたり、タイトル文字を調整したりするには、パワーポイントが一番手っ取り早い。

さほど深く考えることなく、「声の栞・古典/Classics in Voice」というタイトルをつけた。日本の古典を声で伝える、しばらくはこの方針を続けたい。少しずつ内容を充実させていかなければならない。

声の栞・古典/Classics in Voice

2020年10月24日土曜日

敵討ち再考

黄表紙『敵討義女英』。この作品のキーワードは、いうまでもなく「敵討ち」だ。しかもそれにかけての、女性の中の英豪たる小春という一途な女が主人公である。ただ、今日の感覚で一読すれば、だれもが解けない疑問に打たれる。そもそも小春は命を落とした悲劇的な人物であり、敵討ちの対象となってしまい、その行為に参加したような運命ではなかった。それなのに、その彼女がどうして英豪と称されたのだろうか。遠く江戸の読者たちがこれを盛んに読み、大いに共鳴を感じていたからには、それなりの理由が存在し、今日とは違う、今になったら失われた考えがこれを支えられていたはずだ。それはなんなのか。

つぎの推論はいかがだろうか。敵討ちを最上の使命としたのは岩次郎だ。ただ、この秘密を知った小春は、すでに岩次郎と心身一体となった。岩次郎によって自分の父親を失いたくない。一方では、どのような形にせよ、岩次郎の敵討ちを中止させてしまったら、かれの生涯の目標を奪ってしまう結果となる。このようなジレンマに押されて、小春はついに自分の命という、以上の二つの選択に比較して小さいと本人が判断するものを差し出したということだ。言い換えれば、敵討ちという大義名分は、それだけ拒めない威力があったものだ。この話の出自は、『源平盛衰記』における文覚上人の出家談だったことはよく知られている。だがそこには、男女の情愛や欲望があっても、それ以外のものはなにもなかった。だからこそ、敵討ちという新たな論理を持ち込んだことは、まさに黄表紙作品の創造であった。しかもこれははっきりと江戸の人びとの感性に訴え、根強い理解や共感をもって受け入れられたと言えよう。

この作品をあらためて読み返したのは、今週水曜日に行われたネット授業のおかげだ。誘ってくださった板坂先生や多くの感想を寄せてくれた学生たちに感謝したい。

2020年10月17日土曜日

JSAC

年に一度のJSAC(カナダ日本研究学会)は、オンライン開催で今日と明日の二日の日程で行われている。初日は予定通りに終わり、あわせて12本の発表と、太神楽実演、リモートレセプションと、ぎっしりしたスケジュールとなった。プログラムのハイライトについて、noteで簡単に報告しておいた。(JSAC2020年年次集会

勉強になった内容は多くあった。「役員報酬」ではカルロス・ゴーン事件、「公共政策」では中央と地方、「満州国」では防疫と人体実験、「日本2020」では失ったオリンピックや地方の祭り、「地震」では日本の東北とカナダのバンクーバー、などなど、発表のテーマからはちょっと予想もしなかった方向へ話が広がり、聞いていてあれこれと新しい知見に惹かれた。個人的にとりわけ考えさせられたのは、「バーチャル研究旅行」。学生たちを日本に連れて行くことをこれまでの仕事のハイライトだとずっと捉えてきた自分としては、バーチャル日本旅行とは、想像もできない存在だ。ただ、現実問題として、これまでのような旅行はいつになったら可能になるのか、見当も付かない。となれば、バーチャル旅行は自然に選択に上がってくる。考えてみれば、語学のクラスがとりわけその通りだが、すべての勉強はバーチャル的なのだ。人為的に作り上げた限定的な環境において、目標とする言葉をすこしずつ伝え、覚えさせていくものだ。そのような文脈の中で、旅行だってバーチャル的体験させることは、一切体験できないより、積極的な要素が大いにあるのだろう。このような割り切った考えは、あるいは必要になってくるのかもしれない。

明日には、わたしも一つの発表を予定している。『徒然草』の絵注釈を取り上げる。日本の知識人の随筆、そしてそれへのビジュアル的なアプローチにすこしでも関心を呼び起こすことができればと、丁寧に話を展開したいと思う。

2020年10月10日土曜日

講義ビデオ

ここ数日、講義用のビデオを一つ作成した。久しぶりに取り掛かる作業で、パソコン環境の変化を探りつつ、それなりに試行錯誤をした。二、三メモしておく。

いま、講義ビデオを作成しようと思えば、ZOOMを代表とする講義用のプラットフォームを利用して、講義する様子をそのまま録画することがまず考えに浮かんでくるのだろう。一方では、パワーポイントを使いなれた人なら、それをベースにして、音声をスライドに合わせるという方法もよく取られる。目下の作業は、いわば一度だけのことで、そして一通り話したのを編集して要らないものを削ることが想定され、途中にビデオも挿入したいから、講義録画を止めた。後者のやりかたは、かつて集中的に利用したが、今度の場合、画像数が多く、そのため音声を小分けに振り当てることは面倒だ。そこで折衷した案を用いた。まず講義の内容を録音し、それを聞き直して編集する。つづいてパワーポイントのファイルを独立の画像に保存し、それを音声に順番をおって被せる。この作業は、単純なほど良いので、これまでMovieMakerのような機能限定のものを用いたが、今度のビデオや動画の挿入により、かなりの制限を感じた。やむをえずPremiereを起動し、いささか大げさだが、一通り動画ファイルを仕上げた。作成したものをYouTubeにあげ、これで組織者へのファイルの明け渡しも簡単になった。

講義にビデオを利用することは、リモート教室が普通になったいま、たしかに便利だ。ただ、これに頼りすぎると、どうしても一方通行的な講義になってしまう。避けたいものだ。聞く人との交流のための工夫は、つぎの課題だろう。

2020年10月3日土曜日

盛遠物語

三週間先にあるネット授業が予定されている。それへの準備に取り掛かり、黄表紙『敵討義女英』を取り出した。これの朗読動画を制作したあと、物語のハイライトである小春の死についてかつてここで書いてみた(「袈裟御前から小春へ」)。これを講義の内容の一部とし、関連の資料を確かめ、スライドに纏めた。

このような限定的な用途においては、オンラインでのリソースがすでにほとんどの期待に応えてくれている。いまの課題である黄表紙作品の出典としての『源平盛衰記』の記述をめぐり、まさに一つの実例を示してくれた。盛衰記のデジタル底本を求めてみれば、バージニア大学図書館が公開している「Japanese Text Initiative」がさっそくヒットし、利用しようとする巻第十九「文覚発心附東帰節女事」から関連の段落を簡単に取得できた。講義の資料としてビジュアルの要素が大事なので、『源平盛衰記図絵』を思い出し、盛遠の行動とその悲劇はドラマチックで絵になるだろうと目論んで調べたら、はたしてその通りだった。画像も国文学研究資料館が提供している。写真はその画像の一部だ。さらに、この話を敷衍して一篇の短編に仕立てた芥川龍之介の創作を思い出し、それも「青空文庫」からアクセスできた。一方では、版本の画像なら安心して使えるが、電子テキストになれば、一度入力のプロセスを通過したので、やはり用心が必要だ。はたして盛衰記の電子テキストにおけるこの段落には、「吊には御渡候まじきやらん」という妙な一行があり、手元の底本と読み比べてみれば、「弔」の誤りだった。OCRによる入力作業の痕跡が残されてしまったという結果だろう。

デジタルテキストなら入力の精度、版本などの電子画像なら対象となる伝本など、古典のデジタル化は一度で終わるようなことではけっしてない。複数の公開、そしてさまざまな利用への対応など、これからはもっともっと多彩多様なリソースが現れてくることだろう。利用者としては、ただ待ち遠しい。

2020年9月26日土曜日

夢のプロット

古典の物語、絵巻や奈良絵本、能や狂言、そして現代小説などに語られる夢のことについて、これまでこのブログでも何回となく取り上げてきた。振り返ってみれば、どれも記された夢、語られた夢であり、自分との距離を努めて持たせていた。夢とはだれだって経験するものだが、そのような個人的な夢を記録して他人に伝えることは、あるいはそれなりの覚悟が必要かもしれない。

よく言われるように、夢には、色、匂い、触り、声と音と、人の五感に訴えるところがある。さらに、物語的な展開、言い換えれば物語のプロットをもつ夢を見たことがあるのだろうか。それには込み入ったストーリーが展開され、人の会話はもとより、状況を説明するナレーションまでついたものなのだ。それは、時にはしんみり、時にはミステリアスに感覚に訴え、切実にして切羽詰まり、そのまま小説になるのではないかと斜めに眺める瞬間さえある。はてにはそれが夢だと悟り、それでも物ごとの結末を見たいが一心で目を瞑ろうと我慢する。ただ、醒めてみれば、あれだけ真実のようなこともあまりにも突飛でわけが分からず、しかもその詳細はまるで朝の露みたいにあっという間に記憶から消え去っていくものなのだ。

夢というテーマに関連して、かつて研究会(「夢と表象-メディア・歴史・文化」)に参加し、そこから生れた論集に投稿までした。いまから思えば、いろいろな意味でたいへん勉強になった。上の写真は、論集のカバーの一部だ。

2020年9月19日土曜日

弥兵衛鼠を読み直す

noteへの投稿は、三週間続いた。なにを、どのように書くか、正直いまだ方向性を見いだせないまま模索をしている。ただ、分かってきたことの一つには、写真や画像の掲載が簡単で、しかもみやすい、ということがある。投稿のレイアウトについてオプションが少ない分、全体のデザインは簡潔で、スマホやタブレットなどのデバイスへの対応がよく工夫されている。


今週取り上げたテーマは、『白鼠弥兵衛物語』(「
鼠のお話に耳を傾けよう」)。記録を見たら、このブログですでに四回ほど取り上げた。すべて「音読・白鼠弥兵衛物語」という特設サイトをめぐって生れたもので、しかもそこまでたどり着いたそもそもの理由は、干支が子の年だったからだ。そこで今年はまさに子の年、干支一回りが過ぎた。思えば、あのサイトを制作したころ、画像といえば白黒のコピーしかなく、それを取り出すことを早々あきらめ、文字情報を電子テキストにして、しかもそれを縦書きに表示することに力を入れた。けっこう苦労した。そのあと、あえて手入れをせず、これだけ時間が経っても、テキスト、縦書き、そして音声というコアな部分はまだ動いていることには、すなおに嬉しい。一方では、同じ系統の伝本は慶応大学図書館に所蔵され、かつて小さな画像でオンライン利用ができたが、いまは高精細のデジタル画像で、IIIFの規格を用いて公開されている。古典画像をめぐる環境の変化を実感しつつ、まだまだ十分に生かされているとは言えないことをあらためて思い返した。

なお、音読に選んだ底本は、フォッグ美術館に所蔵されている。かつてハーバード大学で開催されたシンポジウム(「The Artifact of Literature」)でこれをとりあげ、実際に底本に出会えないかと淡い希望を持っていた。叶えられなかった。資料調査や展示など、はたしてそのような機会がいつかめぐってくるのだろうか。

2020年9月12日土曜日

寺の風景

ここカナダの町にも、お寺が数軒ある。その中の一つは、ダウンタウンのすぐ北側に位置し、建ったのはわずか20年前、建物ができた時のことは、わずかだが今でも印象に残っている。数日前、お寺の中を覗き、写真を数枚撮った。コロナの影響で週末しか開かないと、戸が閉ざされていた。

正殿の中には、それでもたくさんの光が灯され、供え物も結構な分量に捧げられている。普段訪ねると、お寺の管理に携わると思われる人の姿が常に確認できるが、袈裟を身にまとったような僧侶の姿は一度も見たことがない。入り口の前には立派な観音像や獅子像が鎮座する。ただ、庭と言われるほどの空間はなく、それらしい休憩の場所が用意されてはいるが、行き届いた手入れとは程遠い。どこか無愛想で投げやりな風景なのだ。あるいは僧侶の不在、修行する人間の欠落と関連することだろう。仏法僧という三宝の一つが抜けたら、それでもお寺と言えるのだろうか。

そもそもお寺の名前は、中国語では「居士林」とそれらしく聞こえても、英語訳となれば、「Indo-Chinese Buddhist Temple」。どうやら「インド」「中国」と入れないと十分に人々には伝わらない。仏教とこの土地との距離が極端に覗かせてくれている。 

2020年9月5日土曜日

洛中洛外図

週末に入って、日本のテレビ番組を眺め、この夏に放送された番組の再放送である「国宝へようこそ・洛中洛外図屏風」を見た。内容によるところも大きいが、国宝屏風の魅力を現代の生活から痕跡を求め、伝統を確かめるというテレビならではのアプローチ、大いに共鳴を感じ、いろいろと啓発を受けた。


この「上杉本」の国宝屏風、これまで自分の視線でじっくり読んではいなかったにもかかわらず、なぜか親近感を感じる。よく考えてみれば、学生時代に指導教官の著書を新刊で読んだという読書経験とは切り離せない。(『標注洛中洛外屏風』、1983年)屏風の詳細をめぐり、和歌、俳句、随筆、小噺などいわゆる近世の文芸によって辿り、確認するという、古典画像への視線、古典資料を操る熟練した知の追及は、絵巻をはじめさまざまな古典画像資料を読むための最初の指針がそこに示されたと、つくづく思い返すものだった。

テレビ番組は、祇園祭りとの関連を切口にした。すでに秋の入ろうとしているいま、あらためてその祇園祭り自体が今年は中止せざるをえなかったことを想起させられた。その理由は、ほかでもなく疫病。人間と疫病との関係、疫病の猛威とそれを退治するに違いないという明日を思い描きながら。

2020年8月29日土曜日

noteデビュー

ブログホストサイト「note」。知人が書いて公開した文章が目に止まったりして、とりわけそのすっきりした画面が印象的で、気になっていた。ただ、サイトの名前はどうしても編集ソフトを連想させてしまうこともあったからだろうか、あまり深く考えなかった。そこで、同僚の友人に勧められて、あらためてそのあり方を眺め、そして、自分のアカウントを作って、ささやかなデビューをした。

実際に自分のサイトを作り、一つの文章を作成して公開してみると、やはり見えてくるものがある。まずすっきりした画面の特徴は、作者中心というこれまでのほとんどのブログホストサイトの設計と一線を劃したからだと気づかされた。たいていのブログサイトは、作者紹介、先行のエントリーや分類リストなどを前面に掲げて、作者像や運営の方針みたいなものをなんとなくと伝えている。対して、noteは文章閲覧の画面でそれらをいっさい取り払ってしまい、文章そのものへの集中を促した。さらに、手軽な投稿までのプロセス、作者同士の交流への仕掛けなど、提供者の気遣いが伺われる。提供された環境はあくまでも最小限であり、挿入画像は段落と段落の間の、しかも中心の位置にしか置けない、動画はYouTubeなど他のサイトのリンクのみなど、入力の簡潔さと機能の制限はまさに両立している。

これからも少しずつ発信を試してみる。読める内容を提供し、一つのテーマをゆっくり説明するというスタイルを模索して、読者との交流を願いたい。最初のエントリーは、「元祖・四コマ漫画」とした。ここですでに触れたことを噛み砕いて書いてみた。

2020年8月22日土曜日

古文教育

さる水曜日、東北大学佐藤勢紀子先生主催のこのプロジェクト関連の研究会に参加させていただいた。詳しいことは、主催者からの公式な紹介にお任せすることにして、個人的に感じたことを二、三ここにメモしておく。

古文の勉強は、母国語話者の人にとっても、また日本語を学習する人々にとっても重要なテーマである。ただその大事さに比べて、基本的な現況報告、事例分析、教育法からの検討などに対して、関心が未だ十分に寄せられてない。そのような中、日本の研究者が中心になり、世界からの様々な事例が交流され、議論されることがとても有意義で、個人としても大変勉強になった。最初の研究会において、三つの発表やその後の質疑応答、参加者の自己紹介などからも様々な様子が浮かび上がった。とりわけ印象に残ったのは、古文教育がそれぞれの機関においで異なる位置を占めていることだ。学習者の構成を見ても、極めて専門的な分野の研究に志す者もいれば、日本語日本文化の勉強の一環としてこれに取り掛かるいわゆる語学の中級者や上級者もいて、状況が様々だ。その中で教育目標の設定、学習達成への対応などに自ずと違いが出てくる。教育者としてもそれぞれの立場からはっきりした方針を打ち立ててとりかからなければならない。

研究会はあたりまえのようにオンラインで行われた。そして実際の教育事例の報告は、目下のコロナ対策をめぐる実情に話が集中した。いまならではの展開である。一方では、半分に近い参加者は世界各国から集まっている。オンラインの利用がなければ、ちょっと考えられない展開だ。デジタル環境の恩恵は明らかな形で現れていることは忘れてはならない。

2020年8月15日土曜日

グーグル地図の写真

ここしばらく旅行は出来ない。その分、グーグル地図などを眺めたり、これまでの自分の足跡を辿ったりすることが知らず知らずに増えた。遠い旅をする度に二、三の写真を載せるようにして、自分にとっては一つの記録であり、そしてグーグルを利用してきたことへのささやかなお返しにもなる。あらためて見たら、公開写真の数は約170枚、閲覧総回数は約50万、一番多いのは、「La Citadelle de Québec」を訪ねたもので、10万回以上閲覧された。

一方では、いまだ答えが得られない、対応策が見つからない難点はかなりある。一番にあがるのは、公開した写真にどうやってたどり着くかということだ。自分の名前で公開した写真は、たしかに一つのリンクでリストアップできる。しかし普通のユーザーは特定の貢献者から写真を探すとはとても思えない。場所からが一番自然だろうが、そこからはどうしてもたどり着かない。一例として、近くの小学校を撮って公開したが、小学校の名前からは写真が上がってこない。しかし、妙なことに、公開して数週間の閲覧数は、すでに千回超えた。ユーザーはどうやってこれを見たのか、まったく見当がつかない。それから、どうやら2016年より前に公開した写真の多くは、その場所の情報などが消えたり、写真自体にアクセスできないなどの状況が現われ、訂正の方法が分からない。さらに言えば、写真を公開しようと思ったら、公開時点の時間が記録されるが、それを写真の撮影時間に変えることさえ方法が見つからない。

二年まえ、似た状況をメモした(「地図に写真投稿」)。ここで書いたのは、それと重なることが多い。いっこうに解決策が見つからなくて、なんとももどかしい。

グーグルマップに公開した写真

2020年8月8日土曜日

ワスレナ草

先週、忘れ草について書いたら、思う以上に多数のコメントをいただいた。花のことを教えてくれる専用アプリ、特設ページをはじめ、個人的な思い出、そして歌謡曲の曲名など、勉強になるものばかりだった。中では、「わすれな草」を二人の方から触れられた。どこか交差するものではないかと気になって、思わずあれこれと調べてみた。

どうやらまったく違う、関係ない草のようだ。ワスレナ草のほうは、花が小さくて、色は青い。しかも、こちらのほうは西洋発のもので、日本に伝わったのは、明治以後になるらしい。花の名前も、ヨーロッパ言語の言い方の「Forget-me-not」を意味通りに日本語に訳されたもので、本家のヨーロッパでは悲恋物語までついているとのこと。一方では、漢字表記は「勿忘草」、この名前はそのまま中国語になり、調べてはいないが、あるいは他の多くの同時代の語彙と同じく日本から中国への輸出した言葉の一例に数えられるだろう。

あらためて花の名前を吟味すれば、「忘れな」との言い方はかなり妙だと気づかされる。古文の文法では解釈できない。原語との意味の上での交渉から考えれば、あくまでも「忘れるな」とのことだろう。はたしてその通り、一部の参考書などでは「忘るな草」との記述が見られる。そのような規則正しい言い方から変化していまの名前にたどり着いたのだろうか。

2020年8月1日土曜日

忘れ草

庭に植えてあるごく数少ない花の一つは、今日満開した。とても綺麗で、写真に撮ってインスタにアップした。もともと花には無頓着、これを機に名前を調べてみた。英語名はHemerocallis fulva、日本語になるとワスレグサ、なんと忘れ草である。

意識の中で、花の名前と実体がはじめて繋がった。いうまでもなく、この名前の花ならその伝統は長い。遠く万葉の時代から詠まれたのだった。そして「伊勢物語」(百段)は、この花を主役に据える。あの「忘れ草、生ふる野辺とは、見るらめど、こは忍ぶなり、後もたのまむ」との歌である。江戸時代の挿絵にはもちろん登場した。一例として右の場面を見てほしい。葉っぱのついた忘れ草は、あまりにも巨大で圧倒される。ただ一見して分かるように、肝心の花よりも、葉っぱが花びらの形を模っている。絵の描写力はさておくとして、特定の花を認識し、明確に伝えるという意味でその完成度には疑いようがない。(国文学研究資料館蔵『校訂伊㔟物語図会』より。文政八年刊、三ノ卅八オ

ちなみに忘れ草の原生は中国、その名は萱草。唐の詩人に詠まれたりして、同じく悠遠な伝統を辿ることができる。ただ中国でのそれは「母親花」との別名を持ち、親思いの感情を託し、とりわけ旅に出る子が親の居所に植えるものとして享受されていた。

2020年7月25日土曜日

化け損じる

中世の人々は、妖怪のある生き方をしていたとよく言われる。そのような様子を伝える「徒然草」230段は、味わい深い。五条内裏において、公卿たちが碁を差したところ、御簾の外で見物する人がいるらしいと、声をかけたら狐だと騒ぎ、その狐がさっと逃げたとの一幕である。ことの経緯の結論とは、「未練の狐、ばけ損じけるにこそ」だった。

この記述を読み返して、その表現になぜかひっかかる。「化け損じる」、あるいは今日の表現に直して「化け損ねる」とは、はたしてどのような状況だろうか。化けることに失敗した、化けようとしてけっきょく出来なかった、ということは、結果として分かる。一方では、その失敗とは、化ける途中に起こったものであり、化けるプロセスが始まったが、成就しなかったというニュアンスを感じる。目の前の一例について言えば、碁という人間たちの高度な文化に関心を持った狐は、それがその本性から離れたということを意味するにほかならない。これを認めるとなれば、化けはじめた以上、狐の姿形にもすでになんらかの変化があったのだろう。化けることが失敗したからと言って、即そのまま元の形になれるはずはなく、そうなるまでには、変化したのと同程度に苦労が必要とされよう。

以上のような思いはどうやらあまり共鳴が得られない。写真は、「つれづれ草絵抄」(苗村丈伯、1691年)にみるこの段の絵注釈である。化け損じた狐とは、なんの変哲もないただの逃げ惑う狐なのだ。

2020年7月18日土曜日

テクスト遺産

金曜の夕方(日本時間は土曜の午前)、早稲田大学国際日本学拠点ほか主催のオンラインワークショップ「テクスト遺産の利用と再創造」を聴講した。テクスト遺産をキーワードに、古典の継承(古今伝授)、解釈(古注釈)、書籍の形(書誌学)、所有、はては今日におけるデジタル利用など、多方面からのアプローチがなされ、いろいろな意味でよい刺激を受けた。

ここしばらくの間、読書の一つには「徒然草」の古注釈がある。新たな知識の吸収とともに、戸惑いや、ところどころ突っ込みを入れたくなるような経験は少なからずにある。たしかに中国の伝統に照らし合わせて「注疏」という知識人の作業があるが、そのような中国的な発想からすれば、一篇の文人の随筆にこれだけのエネルギーがつぎ込まれたこと自体は、すでに想像しがたい。加えて兼好の叙述や意図するはずの文脈から明らかに離れた注釈者の思い入れや思い込みを読むと、苦笑したくなる思いだ。読者の知的好奇心を思い描きつつ、テクスト遺産というテーマにはまさに鮮やかな一コマだと思わずにはいられない。

こちらの事情でワークショップの前半のみの参加となってしまった。組織者の話によると、詳細は録画の形で後日公開とのことであった。後半の視聴、いまから楽しみにしている。

2020年7月11日土曜日

緑のスクリーン

オンライン会議が日常活動の一つになったいま、バーチャル背景に利用する写真が話題の一つになった。それにそそられることもあって、今週の買い物には、緑のスクリーンがあった。購入したものを日記代わりに利用しているインスタに掲載したら、いささか意外なコメントが集まった。

自分の認識にあったのは、「ZOOM」だった。それを稼働すると、ビデオ設定のところに、「バーチャル背景」の項目がある。ただ、それがどこまでパソコンの処理能力を要求しているか不明だが、使っているものについては、対応不可とされ、代替として「緑のスクリーン」の選択が用意されている。それを確認したうえでスクリーンを購入したのであり、しかも予想した通り、それを設置すると、スムーズにバーチャル背景が導入することができた。(写真では、顔の代わりにカメラをかざしてみた。)

以上の経緯があって、緑のスクリーンはすっかり浸透していて、説明不要だと思い込んだ。しかし、インスタでは、「これなに?」という突っ込みは中国、日本、そしてすぐ身辺の友人から戻ってきた。少なからずに戸惑いた。どうやらこのようなスクリーンの使い方はけっして常識的なものではない、というか、自分のほうになにか見落としたらしい。そこで慎重に聞きまわったら、はたしてその通りだった。「MS Teams」では、物理的なスクリーンを設置しなくてもバーチャル背景が使える。中国で利用者の多い「騰訊会議」もそうだった。どうやらいまごろ物理的なスクリーンを要求している「ZOOM」は、少数派になったのだ。やれやれだ。

2020年7月4日土曜日

授と受と

『徒然草』(一〇八段)を読んで、新しい言葉を習った。「筆受」。注釈や現代語訳などを調べたら、「翻訳を文章にする」などとある。外国語を勉強している身としては、やはり興味を持たざるをえない。

言葉の由来については、江戸時代の古注釈ですでにはっきりと指摘した。『参考抄』(恵空和尚)は、「長水楞厳疏」からの引用として、つぎの文を示した。「筆授或云筆受。謂以此方文体筆其所授梵本。緝綴潤色。令順物情。不失正理也。」(筆授は筆受とも言う。語られた梵語の原文をこちらの文章にし、表現を潤色し、読みやすくかつ元の意味を失わないようにすることである。)出典を確かめてみれば、たしかに「大正新脩大蔵経」(第三九巻八二七頁)に収録される『首楞厳義疏注経』にこの通りの文章が認められる。(写真は国文学研究資料館蔵『首楞厳義疏注経』一上十七オより)さらに中国のほうの記述などを見れば、同じことは仏典翻訳の作業として早くから確立され、とりわけあの玄奘法師が天竺から持ち帰った仏典を翻訳するという一大プロジェクトにおいて、すでに大きく役割を果たしていた。共同作業による翻訳の一端を覗かせてくれた。

考えてみれば、授と受は、まるきり対立する言葉である。なのに、ここの特定の文脈においてまったく同じ意味として使われている。その理由は、文字の発音が同じということにあるのだろう。そこで言葉の意味を解釈すれば、日本風に書くと、(文章を)筆をもって「読者に授ける」、あるいは「翻訳者から受ける」、といったところだろうか。

2020年6月27日土曜日

フェロー記録

国際交流基金トロント文化センターは、成立三十周年記念行事の一環として「フェローギャラリー」を制作し、公開した。これまで国際交流基金フェローの経験者たちからそれぞれの関連する研究成果や個人的な記憶を集めたもので、連絡をうけてさっそく質問項目に返答し、その内容が今週公開された。

これまで同フェローを二回いただいた。それぞれ1996年と2007年である。最初のはいまの勤務校に務めて五年目にあたり、1990年はじめに日本を離れてから初めての再訪である。空港から迎えのタクシーに乗ってそのまま宿舎に向かったこと、鴨川沿いにある京都の交流基金事務所を訪ね、到着の報告をしたあと、昼食をご馳走されたことなど、すでに25年もまえのことだが、妙にはっきりと覚えている。二回目ははじめての長い東京滞在だった。フェローの研究は原則として日本国内に留まるはずなのに、二回も国際大会へ参加し、国外旅行が認められて嬉しかった。ソウルとライデン、恵まれた機会を逃さずに出なければとても叶えられないような出会いはいくつもあった。二回のフェローの経験は、自分の研究生活に大きな恩恵をもたらし、そしていずれも関連の研究活動に直結したのだが、それらのことは最小限に触れるに止まった。

同ギャラリーに登場した名前はすでに20名。カナダにおける日本研究の一端も分かって、とても有意義だと思う。あるいは知っている顔もあるだろうから、どうぞ覗いてください。

Fellow Gallery, The Japan Foundation, Toronto

2020年6月20日土曜日

くずし字

つぎの文字は、寛政九年(1797)刊の『絵本太閤記』の一頁(初編巻之九十二オ)から無造作に選んだものである。いわゆる「くずし字」における漢字の典型的な一つの側面を伝えている。どれもかなり普通に使われる漢字だが、いくつぐらい読めるのだろうか。

まず答えを示そう。上の行は左から右へ「守、国、興、爰、用」、下の行は「気、土、兼、是、互」である。江戸の版本などにおいては、ほとんどどれもスタンダードなもので、同時期の読み物をたくさん読んでいる目には、さほど苦にすることはなく、自然と覚えたものだ。いうまでもなく、今日わたしたちが使っている文字、知っている文字からすれば、その構成から書き順までとにかく違う。これらの文字がこのような形にたどり着いたのは、それまで長い間書き受け継がれたからにほかならない。中国の楷書などの字形をもともとの基準だとすれば、そこからすこしずつ手書きにおいて簡略化され、書きやすく読みやすくしているうちに、ここに到達した。そしてそのあとの二百年に及ぶ時の流れにおいて、これらの字形が使われなくなり、違うものに変形したのだ。

いまやくずし字をAIの技術で読むということが大いに話題になり、関心を集めている。このレベルのものなら、AIにはおそらくまったく苦労しないだろう。十分な用例さえあれば、すなおに覚えてくれて、識別してくれる。言い換えれば、いまの汎用の字形に邪魔されないで、一つの新しい文字としてこれに取り掛かるのだ。これからくずし字の読解に取り掛かろうとするには、この姿勢こそ大いに参考になると言えよう。

2020年6月13日土曜日

殺戮の様子

「後三年合戦絵詞」には、とりわけ記憶されるなシーンがある。清原家衡・武衡が籠城する金沢柵が危機に瀕し、せめて女性や子供が助かるようにと城のそとへ出したところ、容赦やく殺されてしまった(巻二第五段)。数ある残虐な絵巻の場面においても、殺戮の対象があまりにも同情を誘うものなので、繰り返し語られてきた。

一方では、ビジュアル表現として、その完成度をどこに求めるべきだろうか。これまではあれこれと模索をしながらも、いまだ特筆すべき方向性が見いだせていない。そこで、なにげなくページを開いた一冊の小説から、ちょっとしたヒントを得た。『女人平泉』(三好京三著、PHP文庫)である。小説の第一章は、明らかにこのシーンを基に敷衍したもので、絵巻が伝えた物語を文字をもって最大限に再構築した。そこで、女性や子供の殺戮にかかわる部分になると、かれらが一団となって兵士の中を横切り、やがて一か所に集められる形で全員殺されるという結末になったと構築された。あえて絵巻と比較するなら、激しく動き回るものと、不気味に固められたものという、動と静の両極を目撃できたような気がした。どれにも心を揺るがす迫力をもっている。ただ、動きを求める視線で絵巻を読み返せば、城から逃げるはずの女性たちが、逆に城へと必死に逃げ込むという、見る人の予想を反する絵の流れが、力強い表現となって異彩を放つ。

絵巻の画像を細かく眺めるには、「e国宝」で公開されている高精細のデジタル画像が一番だ。ただ、いま確認したところ、この作品を含むほとんどのものは、Chromeではアクセスできないようになっている。どうやらブラウザ側に問題がありそうだ。デジタル環境の厄介さのリアルな一例だ。

2020年6月6日土曜日

妓王・翻刻正誤表

一か月ほど前、「朗読動画・妓王」を制作、公開した。利用した底本は、京都大学付属図書館蔵『妓王』(2巻)である。「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」は、同作品を高精細のデジタル画像で公共利用に提供しているに留まらず、同種類の公開としてはいまだ少数派に属する本文の翻刻情報をページごとに添えた。朗読にあたって基本的にこの翻刻を全面的に頼った。

サイトの記録によれば、翻刻者の名前は万波通彦、作成したのは1999年である。本作品は、『平家物語』(覚一本)巻一に収められた「祇王」の一章であり、ただし用字、語彙などの異文はほぼいたるところに認められ、独立した物語に仕立てるために独自の記述も追加されている。いうまでもなく万波通彦の翻刻は本作品の文章を丁寧に再現している。一方では、一万文字に近い翻刻になれば、ささやかなエラーはおよそつき物だ。朗読作成の過程においてそれらには自ずと気づき、つい訂正したくなった。訂正の結果を原作公開のサイトにも反映してもらいたいものだが、サイトには担当者の名前が記述されておらず、連絡の方法として専用のフォームが用意されてはいるが、試しに情報を入れて送ったが、届いていないもようで、連絡が戻ってきていない。

考えてみれば、所蔵資料のデジタル化やその公開、管理などの一連の作業は、すでに伝統的な図書館業務の守備範囲から大きくはみ出している。そこに来て、いまのような特定の古典文献の翻刻内容の確認、しかもその対象はすでに二十一年もまえの成果であれば、担当者との連絡もほとんど望めない。細かな対応が出来ないのもやむをえない。専門的なバックアップへの模索、そのような体制の形成をひそかに待ち望んでいる。

念のため、『妓王』翻刻文正誤表をここに添えておく。

ーー『妓王』翻刻文正誤表ーー
image 7 of 39, Description(4オ4行目)
誤:たうし、さしもめてたふさかへかせたまふ、へいけのたい
正:たうし、さしもめてたふさかへさせたまふ、へいけのたい
image 11 of 39, Description(8オ4行目)
誤:てよと、御つかひかさねて三とまてこそたてらけれ、きわう、
正:てよと、御つかひかさねて三とまてこそたてられけれ、きわう、
image 14 of 39, Description(10ウ9行目)
誤:しくて、いかなるへしとももおほえす、なく/\けうくんしけるは、
正:しくて、いかなるへしともおほえす、なく/\けうくんしけるは、
image 16 of 39, Description(12ウ6行目)
誤:なれ、ひとりまいらんも物うしとて、いもうとのきのよをも、あ
正:なれ、ひとりまいらんも物うしとて、いもうとのきによをも、あ
image 16 of 39, Description(12ウ7行目)
誤:いくしけり、そのほか、しらひやうし二人たうして、四人一くるまに
正:いくしけり、そのほか、しらひやうし二人そうして、四人一くるまに
image 32 of 39, Description(下7ウ2行目)
誤:このたひ、ないりにしつてみ
正:このたひ、ないりにしつみ
image 33 of 39, Description(下8ウ8行目)
誤:とかきくとくけれは、きわう、なみたををさへて、わ
正:とかきくときけれは、きわう、なみたををさへて、わ

2020年5月30日土曜日

酒飲みのこと

酒を飲むことに関連して言えば、日本は間違いなく独特な仕来りを持っている。集団の親睦、年中行事、趣味の集まりなど、さまざまな局面において酒は大事な役割を果たす。しかもこれには厳然とした伝統があるものだ。そのような古い記述に出会うと、思わず膝を叩く。

『徒然草』百七十五段は、このテーマを記して、まさに傑作だ。兼好の筆に掛かれば、酒飲みにみる人間模様は、とりもなおさず「世に心えぬ事」、すなわち理解不可能な部類に入る。そこで、酒宴に見られるさまざまな醜態、狂態は、これでもかと書き並べられる。いわば、酒を無理やり勧める、一旦飲み出すと狂った人格に化ける、酒が入ったらばったり倒れてしまう、だらしない食べ方をする、当たりかまわずに踊りだす、聞かれてもいない身の上話をし出して泣き崩れる、喧嘩を始める、大事なものを壊す、人前なのに吐き出す、などなど。一方では、酒には罪がなく、以上のような飲み方がすべてだとは言わない。理想とする飲み方はもちろんある。それは、月の夜や雪の朝にゆっくり飲む、思わぬ友人が訪ねてもてなす、旅の途中で大した肴がなくて芝生の上で飲む、などがあげられた。数えてみれば、じつに二十近くの場面に上る。

個人的に試みた「注釈絵で読む徒然草」は、いつの間にかすでに四十九回と数えた。いまだ「四コマ」という枠組みを守っている。そこでこの段になると、どう対応すべきだろうか。兼好がスケッチしてくれた活劇はあまりにも面白く、絵の注釈もいきいきとしていて、簡単には割愛できない。この段には、やはり特別待遇を与えて、盛りだくさんで行こうと、いまは考えている。

2020年5月23日土曜日

鼠の草紙

ハーバード大学蔵「鼠の草紙」は、じつに楽しい作品である。詞書と絵はあわせて三段ずつ、数えて詞書は九十一行、絵は十の場面、文字よりも絵のほうが用いた紙幅が大きいという、豪華な巻物である。絵の画風は間違いなく奈良絵本のそれだが、しかしながらその内容は絵巻の正統を受け継ぐものであり、叙事の方法はとにかく饒舌で魅力的だ。絵画の詳細をつい見つめたくなる。

第一段は、貴公子の来訪。質素な生活ぶりがテーマとなるが、竈が設えた土間では下女が洗濯に励み、その方法とは服を畳んで杵で叩く。女性主人公の最初の登場は一家に囲まれたものであり、書物を大きく開いてみんなに読み聞かせた。つぎにどこからともなく現れた男と対面するが、はっきりした距離を保っていた。第二段、貴公子の出現で家の様子が一変する。届けられた様々な品物は豪華な着物や反物を含み、新鮮な魚はさっそく猫に睨まれた。破れた縁側は敷き替えられ、新しい御簾や障子に囲まれた室内では貴公子を中心に酒宴が酣を迎える。第三段、物語の滑稽で悲しい結末。求婚する貴公子は、右手に扇子を弄び、柄を畳みに押し付けて優雅に構える。異常に猫が気づき、酒宴の場を狙う。猫を前にして貴公子は慄き、鬢の髪が乱れた。本来の姿に戻った鼠は無残にも猫に咥えられ、これを目撃して主人公の女性は泣き崩れ、驚いた下女はもろ手を挙げる。

MOOC授業「Japanese Books: From Manuscript to Print」は、モジュール2においてこの作品を解説した。英語によるものだが、音声内容を記録したテキストが連動しているので、視聴をお勧めしたい。

2020年5月16日土曜日

烏帽子姿

NHKの「よるドラ」『いいね!光源氏くん』は、ささやかな話題を呼んでいる。完結までには残り最終回のみ。奇想天外な展開は、予想もつかない愛らしい源氏のイメージを作り出して、なかなか楽しい。一方では、画面を眺めていて、その烏帽子の被り方は、ちょっと気になった。

絵巻などを見慣れた目には、烏帽子姿の後ろは、きまって首筋に対してはみ出した三角形の空間ができていることに覚えがある。言い換えれば、烏帽子は頭で被るよりも、大きく出来上がった髻結いをもって受け止め、覆い被らせるものだった。そのため、烏帽子の風口を髪の毛にぴったり付けたいま風の帽子の格好は、たしかにすっきりしているかもしれないが、どうしてもちょっぴり野暮な印象が拭いえない。もともと、このような観察を思いつかせた直接のきっかけは、近頃なにげなく覗いたハーバード大学蔵の『鼠の草紙』だった。それの第三段、猫に怯えて貴紳の新郎に変身した鼠が本来の姿に戻ろうとした瞬間を伝える。全身に生えた毛が現れようとして、その異様な前触れは烏帽子に隠された鬢髪から発生した。中世の読者たちには、これはきっと一番ショッキング的な視覚構成だったのだろう。いわば男前の一番の見せ所に思いもよらない異変が起こったのだから、普通の目には堪らなかった。

ちなみに、奈良絵本絵巻として間違いなく傑作に属する『鼠の草紙』だが、それのデジタル公開において、Harvard Art Museumsは素晴らしいテンプレートを用意した。ぜひ一度披いて御覧ください。

2020年5月9日土曜日

動画作り

先週の朗読動画制作に続く。作品を覗けばすぐ分かるように、動画の動きの部分は赤い罫線の移動に限定し、きわめて単純なものだった。事実、動画作りについては、いつも関心を持ってはいるが、いまだ手探り状態だ。勤務校では教職員にさまざまな電子ツールが提供され、Adobeのフルセットが含まれる。ただ、利用できるソフトの長いリストを見て、いささか気が遠くなる思いにさえなる。

いつもながら、ソフトの使い方を習うには、それをじっさいに利用してなにか具体的な作業を始めたほうが一番手っ取り早い。今度選んだのは、木曜日にアップロードした「注釈絵で読む徒然草」83段である。利用したのは、Adobe After Effect。「キー」を入れて、位置、変形、透明などをいじって画像を動かせるという基本は会得しているが、慣れないソフトでは、やはり基本的な操作など小さなところで躓き、つい時間の無駄だと思うようになる。とりわけ苦労したのは、タイムラインの初期設定をいかに伸ばすかという、どう考えてても初歩的なものだった。メニューをクリックすることに限界を感じ、YouTubeなどで公開されている解説動画をあれこれと見て、ようやく対処方法にたどり着いた。一方では、画像の位置にキーを入れてもそれまでの数値が勝手に変わる、特定のところに余分に時間を入れたら残りの部分は一々移動せざるをえないなど、基本的なものでありながらいまだ対応が分からない課題はかなり残っている。

いわゆる小動画を作成するために、いまやスマホの環境ではかなりの数の専用アプリが登場している。機能を限定したうえで予めごく少数のテンプレートが用意され、手早く作品を仕上げられることが共通し、一部はかなり使えるものがある。思えば、Adobeのソフト群も、作業の内容にあわせて、機能や対応を細分化したものだ。画像や動画を対象にすれば、これまでの文字や音声などへの取り掛かり方とはかなり様相が違うのだと、あるいははっきりと意識しなくてはならない。

2020年5月2日土曜日

朗読動画・妓王

ここ数日、集中的に作業をし、朗読動画を一つ制作した。奈良絵本「祇王」である。利用した底本は、京都大学付属図書館蔵、同貴重資料デジタルアーカイブで公開した「妓王」、上下二巻約9500字、朗読時間は約40分。これまでの朗読動画と同じく、音声にあわせて文字を行ごとに罫線で指し示し、中世の読み物を声とともに楽しんでもらい、その流麗な文字も読んでもらいたい。

物語は、ほぼそのまま『平家物語』(覚一本)巻一「祇王」を踏襲し、最初の数文字、最後の数行を加えた以外、文章の細部をそれなりに自由に書き換えたりした。一流の古典作品がこのように受け継がれていたのだと、具体的に示されて興味深い。古典の享受という視線で観察すれば、やはり十五図におよぶあらたな絵画表現を見逃してはならない。素朴で愛らしいという形で軽く纏められがちだが、それぞれの絵を虚心に見つめてみれば、新たな発見や考えをさせられるところは多い。たとえば、祇王が清盛のところを離れ、母や妹のところへ戻って泣き崩したところへ、誘いの手紙を送り込んだ男(上十オ)、清盛からの召喚への返事をひたすら待ち続ける若い公卿(上十二オ)、仏が三人の尼に合流した庵に居合わせた五人目の着飾した女性(下七ウ)など、小さな画面のなかに絶えず流れる時間、あるいは状況への絵師の理解が積み込まれ、読者にむかって物語の読み返しを無言に挑んだ。

動画制作に使ったのは、今度もAdobe Premiere。ショートカットのキーなども使えたので、しあげの作業はスムーズで、楽しかった。

朗読動画「妓王」

2020年4月25日土曜日

MET図録

今週、日本の古典研究に携わる人々の中でさかんに交わされた話題の一つには、ニューヨークのメトロポリタン美術館が去年主催の源氏物語特別展の図録を無料公開したというのがあった。特別展のタイトルは、「The Tale of Genji: A Japanese Classic Illuminated」(源氏物語:飾られた日本の古典)、展示物の内容は、判読できる程度のデジタル画像ですでに公開されている。それに加えて、展覧会の図録は、かなり鮮明な画像を含むPDFファイルでクリック一つで入手できるようになった。366ページにも及び、印刷媒体の販売価額は70ドルだという、じつに豪華ものだ。

同美術館公式サイトの「出版物」の項目に収録されたこの貴重な一冊をダウンロードしながら、自然とこれまでも日本関連の特別展の様子、図録の公開などを見てまわった。半世紀もまえまでに遡り、簡単に見ていても、図録は今度の公開を含めて七つと数えられる。その概要は、「マリー&ジャクソンボークコレクション」(1975)、「漆器」(1980)、「不老不死」(1993)、「夢の浮き橋」(2000)、「十六世紀の美」(2003)、「物語絵」(2011)、「源氏物語」(2019)である。ここまで頻繁に日本を取り上げ、しかも丁寧にまとめた図録を惜しみなく、分かりやすい形で公開していることには、やはり頭が下がる思いでいっぱいだ。

特別展の図録は、鑑賞にしても研究にしても貴重な価値があり、しかも普通の書籍とは違う流通経路をもつことから、簡単に入手できない部類の資料に入る。日本の美術館などを訪ねると、過去の特別展の図録を買い求めることは、いつも大きな楽しみの一つだ。日本の場合、あるいは図録のデジタル無料公開はとても考えられないかもしれないが、せめて有料販売でも実現できればと、ひそかに願っている。

2020年4月18日土曜日

ランドマーク

写真は、かなりの量に上ると、その整理にいろいろと工夫が要るようになる。ここ数年、あれこれと試して到着したのは、Google Photosの利用である。便利な機能の一つには、写真をアップロードすると、関連の情報が自動的に追加されることがあげられる。そのうち、地名が重要な一部だ。ただ、古い写真や、位置情報なしで撮った写真でも、一部のものに場所の情報がはっきりと貼り付けられたことには、ときどきびっくりした。よく観察してみれば、特徴ある建物が利用されている。

いわゆるランドマーク。これはもともと好きな言葉なのだ。まったく知らない土地などに足を踏み入れると、特定の建物はまさにその土地のマークなので、旅をめぐる最初の実感を与えてくれる。その地で暮らす人々の日常、ときにはかなりの歴史に遡る出来事や伝統などをすべて凝縮し、訪ねる人が思いを託す掛け替えのないものである。一方では、デジタル写真をめぐるいまの経験は、それの逆の展開である。いわば建物は、マークとして用いてその土地を特定し、記憶の空間を確かめさせてくれる手がかりになった。とりわけ一人の個人の遠い昔の、どこまでも定かではない土地にまつわる記憶は、その地名をもとに集まった思いおもいの写真を眺め較べるうちに、その中身を思い起こし、内容を新たにしたものである。

数週間まえから再開したInstagramへの写真投稿は、いまも毎日のように続いている(@xjie.yang)。活動半径が極端に限られたいま、古い写真の整理を始め、学生時代に敢行したヨーロッパの旅を紐解いた。数えたらすでに34年もの年月が経った。そのせいだろうか、自分の顔が画面に出ても妙に公開に抵抗が少なかった。

2020年4月11日土曜日

出産の図

MOOC (Massive Open Online Courses、ムークス、大規模公開オンライン講義)を始めて覗いた。ハーバード大学のMelissa McCormick教授が講師を務める「Japanese Books: From Manuscript to Print」講義で、三週間前から始まり、今週になって予定した三つのモジュールがすべて公開され、これから一年間アクセスできるとのことである。よく制作されたもので、初心者向けながら、とりわけ動画の部を視聴して、随分勉強になった。

個人的に衝撃的に接したのは、第二講で紹介された「The Chrysanthemum Spirit」(菊の精、通称「かざしの姫君」)からの出産の場面である。じつを言うと、出産のテーマについて、これまで数回研究会などで口頭発表をしてきた。(奈良絵本国際会議・西尾市岩瀬文庫・2011年9月23日、日文研・大衆文化の通時的国際的研究による新しい日本像の創出キックオフ・ミーティング・2016年10月12日、など)関連の多数の研究書にも一通り目を通しているが、この画面はついに視野に入らなかった。簡単に纏めればつぎのとおりである。出産の図をめぐり、はやくから「餓鬼草紙」、「聖徳太子絵伝」に見られ、前者の写実的、後者の叙事的といった明らかに異なる二つの系列は平安時代からすでに用意された。(「奉懸之儀」、「皇女御産の図」)そのあと、鎌倉、室町時代の絵巻における多様な変形を経て、奈良絵本の作品群になれば、一つの安定した構図に到着し、それに基づく安逸な再生産が広く認められた。あのまるでソファーのように埋まった白い高座に産婦を座らせ、助産婦たちが赤子を清めるという構図である。(「産褥の読み方」)平安時代からの伝統に照らして言えば、「聖徳太子絵伝」の画例に則った叙事的な方向に統一したと言えよう。そのようなところにこの出産の図に出会ったのである。素朴に、愛らしく質らった画面だが、あきらかに同時代の奈良絵本と一線を画し、叙事的な画風でありながらも、「餓鬼草紙」の流れを汲んだのである。

奈良絵本の絵は、総じて質素でいて、再生産の需要に応じようとする現実が伴う。しかしながら、その中においても、絵師たちはたえず大胆な創作を試み、古い伝統を受け継ぎながらも、そこから新たな一歩を踏み出そうとしていた。隠された魅力だと認識しなければならない。

2020年4月4日土曜日

関係〜ない

雑誌『中国21』(巻52)は、「関係」をテーマに据えた。中国についての議論にあまり関わっていなければ気づかないかもしれないが、「关系・グァンシー」とは、日本をめぐる言説に置き換えて説明すれば、いわゆる「建前・本音」のような国民意識を
捉えるものであり、「ケイレツ」「エモジ」のようなそのまま英語の語彙に加わったものである。編集者の好意により、コラム欄に投稿させてもらった。

日本や中国の錚々たる論者たちによって多方面から「関係」が語られたに違いないと予想し、言語学習を切口とした。中国語と日本語の両方にわたるこの語彙を実例に、中国語話者にとっての日本語学習のいくつかの側面を取り上げた。これまで教室に通ってきた学生たちの苦労などにも触れたが、それよりも思わず自分自身の経験を振り返った。日本語を教えることを仕事としてきたが、そのような自分にとっての日本語は、あくまでも外国語だった。そのような勉強や実用の過程を思い出してみれば、やはり長い道のりだった。あえて言えば、無から基本を覚えたまでの間は、文型や語彙が身について目に見えて喜びの連続だった。つぎの段階は、さまざまな場面や媒体を通じて言葉を使い、かつ相手に通じることを実感して楽しかった。だが、本当の試練はその後だった。ある程度日本語が自分のものになったと思ったら、自慢にしてしゃべったことはしっくり来ない表情に跳ね返られ、練って書いた文章は直され続けて、終わりが見えない感じでつらかった。

いまは、以上のような学習者としての階段をいずれも通り過ぎたと言えよう。書いて提出した原稿には、書籍や雑誌の編集者からの視線さえいつの間にか優しくなった。しかしながら、あえて朱入れの訂正が入らなくても、文章には妙な表現があっちこっちに顔を出していることには、むしろ自分が一番心得ている。外国語を使う、語学の段階を踏むということは、けっきょくこういうものだと、言語教育に携わってきて、なぜか妙に納得しようとしている自分がいた。

『中国21』Vol.52 “人際”の関係(グァンシー)学

2020年3月28日土曜日

インスタ日記

インスタグラム。すでに二年ほどまえに登録はしたが、ずっと放置したままだった。正直、いま一つ使い方が分からないメディアなのだ。家に閉じこもるようになり、なんとなく時間ができて、再開することにした。当面は、日常的なことを記録し、知人や友人と交流する「インスタ日記」から出発したい。

一日に一枚の写真、それに纏わる思いを、今度は英語と日本語の両方を併記するようにしようと、なんとなく決めた。ただ、肝心の写真をどのようなものを選ぶのか、これといった方向性がまったくなかった。そこへ、三枚目の写真をアップしたところでヒントを得た。たまたまレストランで昼食を取り、厨房の様子に惹かれてシャッターを押した。それをアップしたら、なんと同じ店のシェフからの「いいね」が戻ってきた。どうやら場所の情報を付けたので、それがそのシェフの視野に入ったもようだ。やはり人間の表情、反応、そして交流が魅力的なものだ。けっして得意な分野ではないが、とりあえずは人のいる風景ということをベースに歩き出してみよう。日常を眺める目には、もう一つの視点が加わったことを目標にしたい。

写真は好きだ。カメラもいろいろな用途にあわせてけっこう購入している。でも今度は身の回りの日常を切り取ることを目指すため、スマホを主役にする。ただ、そもそも閉じこもりからスタートしたこの試みは、行動半径の制限は厳しい。そのような時には、過去の写真を眺めなおし、記憶に残ったものを取り出すようにしよう。

インスタ日記

2020年3月21日土曜日

リモート

勤務校は、先週の月曜日を休講にし、火曜日からすべての授業をオンラインで行うことに切り替えた。まわりを見渡せば、一通り無事に済み、予想したほどの困難や混乱がなかった。まずはいまごろの若者たちが、教えるがわの人間よりはるかにデジタル環境に馴染んでいるところが大きいからだろう。

教える側の人間を観察してみれば、おそらくつぎの四つのグループに分けられるのではなかろうか。まずは、ずいぶん前から積極的にこのような対応の可能性などを試み、じっさいにあれこれのアクションを実行した者たちである。かれらの多くは同僚たちにノウハウを伝えたく思い、これを良い機会に熱心に伝授している。つぎは、これまでの授業などで新技術を導入することにはさすがに躊躇っていたのだが、もともと新しい教え方などへの感性が鋭く、いまの環境の変化が強い押しとなり、敏感に反応し、おそらくあっという間に新機軸が打ち出して周りをびっくりさせることだろう。三番目は、デジタルなどにはもともと非常に馴染まず、いまだに一つひとつの操作を紙にメモを取りながら覚えていこうとする。いまのような状況にはかなり戸惑うが、それでも同じ姿勢ですこしずつこなしていき、やがて大きな可能性に気づくことだろう。最後のグループは、技術の応用などには抵抗があって、しかもいろいろな理由を並べて異議をし、たいていは声が大きい。さいわい自分周辺にはそのような人が存在していない。でも、大きな環境の移行においては、このような立場の声は、一種のバランスを促していることも見逃せない。

対して、公共機関の対応は、力強くてすばやい。勤務校の例でいえば、リモートに切り替えることが決まったあと、さっそくZoomが正規なIT環境に導入された。そのうえ、教え方など全般にわたるような配慮はかなり配られ、成績評価を単に「合/不合格」のみに切り替えることさえ噂されている。

ここまで激動する状況を学生たちがはたしてどう受け止めるのか。どのような新たな交流の形態が生まれてくるのか。これからの高等教育においてどのような発展が現われるのか。恐ろしい疫病は、一方ではまったく思わぬ機運をもたらそうとしているのかもしれない。

2020年3月14日土曜日

鬼のそらごと

「新型コロナウイルス」、この言葉はいまや実際の伝染者とともに、凄まじいスピードで地球を回り、口から口へと広がっている。机の前にじっと陣取りしながら、つい『徒然草』第五十段(GIF動画参照)を読み返した。

兼好の筆にかかったのは、鬼についての二つの出来事と、思わぬ落ちだった。都には、「女の鬼になりたる」(鬼になった女)が連れられてきた、また鬼が一条あたりに現われたとの噂があった。どちらも突拍子のないことだが、しかしそれよりも驚いたのは、都の人々の応対だった。なんと鬼から逃げるのではなく、まったく逆に集まってこれを見物しようとした。これを記す兼好でさえ、さすが自分が出かけなかったが、確認するための下の者に行かせた。けっきょく鬼が現われなかったが、それより前に待ち受けていた人間同士が「闘争」(喧嘩)を繰り広げたのだった。この鬼に纏わる騒動は、やがて現実の中でのほんものの疫病につながった。「二三日人の患ふ事」と締まったが、想像してみれば、きっと「二三日」程度の生易しいものではなかったのだろう。

兼好のこの記述は、いろいろな角度から解読されてきた。とりわけ疫病との関連において、つぎの見解が残っている。「此の時も此の鬼の沙汰におどろきてともにいひあへる族は此のわづらひをうけしなり。心を動ぜざる大丈夫は煩ひもおのづからせぬなり。」(浅香山井『徒然草諸抄大成』、1688年刊)曰く、あるはずもない鬼に心を惑わされたからこそ疫病に罹ったのだ。たとえ疫病がやってきても、正しく心を待つことが大事なのだ。その通りだろう。ただ、さらに一歩踏み込んで考えてみよう。鬼のような噂は、まさに「そら事」(妖言)、そのような正体を持たないものには惑わされてはいけない。しかしながら、「コロナ」のような正体を持つものについて、これをまるで「そら事」のように扱ってしまえば、とんでもないしっぺ返しを喰らうのだと、覚悟を持たなければならない。

2020年3月7日土曜日

新しい人文知

雑誌『中国21』(愛知大学現代中国学会)Vol.51は、「デジタル資料と学術の未来」と題する特集号を刊行した。雑誌名通りに中国の、それも21世紀の状況のみを対象にしてこのテーマを取り上げても十分にしかるべき内容が集まるのではないかと想像するが、それよりも、あえて「デジタル」における洋の東西にわたる発展を一望するような構成になっている。編集者の慧眼や意気込みが感じられた。

242頁にわたる充実な一冊は、デジタル技術、図書館やアーカイブの運営、中国学術史の分野の識者による座談を巻頭に置き、論説には、日本、ヨーロッパ、中国のそれぞれにおけるプロジェクト例や研究例、デジタル化の歴史と現状などを取り上げる七本を載せた。デジタル時代における「新しい人文知」(内田慶市)を概観し、激しく移り変わる現在を知る貴重な特集である。個人的に一番勉強になったのは、慶応大学図書館・メディアセンターの事業を振り返りながら紙と電子の図書館を論じた一篇(入江伸)である。資料を利用する立場にいて、つい当たり前のように期待ばかりすることを反省しつつ、その資料を提供する側の苦労、とりわけ激しく変容し、進化する技術環境に翻弄されざるを得ない現状についてあらためて気づかされた。これまで個人的にも頼りにしていたプロジェクトの規模、それにかけた関係者のエネルギー、そして公開終了の結末などをつい思い起こし、デジタル時代の激変や新しいメディアの形成をめぐり考えを巡らした。ちなみに、自分のこれまでのきわめて規模の小さいプロジェクトの数々やそれらに託した思いを纏め、論説の一篇に加えさせてもらった。

『中国21』は、商業出版の形で発行しながら、一定の時期を経てから愛知大学リポジトリで全文公開することになっている。現在公開されている最新号は2018年3月発行の49号である。すこし先のことだが、いずれオープンデータとして読めるようになるだろう。海外からは待ち望んでいる。

『中国21』Vol.51「デジタル資料と学術の未来

2020年2月29日土曜日

中国ビデオサイトデビュー

中国では、いまでもコロナ対策としてかなりの人々は自宅待機を余儀なくさせられている。その中で、友人は自作の音楽ビデオを送ってきて、いまの生活の一端を披露してくれた。それに触発されて、こちらもすでにYouTubeで公開したビデオを中国のビデオサイトにあげてみようと、週末にかけてあれこれと試した。結論として、予想以上の苦闘だった。メモをしておく。

「騰迅視頻」。例のWeChat(微信)と連動しているので、まずはこれを試した。新規登録はQQ、WeChatの口座からという二つの選択しかなく、WeChatからすると、ビデオアップロードはできず、QQへと誘導される。そのQQは、海外からの新規登録を受け付けていない。ということで早々に諦めた。

「優酷」。こちらは中国のビデオサイトの老舗だ。しかしながら、おそらく繰り返しの合併などを経て「土豆」などの大手が傘下に収まったなどの事情からきたのだろうけど、互いにリンクされたユニットはあまりにも雑で理解しがたく、根気よく試さざるを得ない。最後の段階になっても、どうやら「大魚」にならないと、作者の写真や紹介などを入れるようなオプションが与えられず、個別に書き入れたビデオの紹介は閲覧の画面に現われてこないなど、かなり不完全な公開となった。その「大魚」となるためには、中国国内の銀行情報まで必要となり、海外からはそもそも無理だった。

「Bilibili」。とても妙な名前だが、とにかくいまはかなりの大手に成長したものだ。一通り最小限のことをこなすまでにはさほど苦労しなかったのだが、同じく「実名審査」というハードルがあって、パスポートなどの個人情報が必要とされ、しかも本人の顔写真とともに撮影されたものでなければならない。国内の銀行情報がなければ、大半のサービスが受けられない。そしてこちらの大きな特徴は、アップロードしたものが審査を受けなければならず、しかもタイトル集成といった編集作業も、あらためて審査の対象とされる。それも数時間が必要となって、自動審査ではない。ただ、週末にかけての作業なのに、迅速な結果が戻ってきたことには、小さな驚きだった。

とにかくかなり勝手が違う経験だった。このようなところからも分かるように、インターネットの世界もそのうちかなり方針の違う展開が生まれてくるものだなと、そのような徴候はすでにこんなところで見られたのだ。それはともかくとして、日本の古典は、中国でもしっかりと熱心な学習者、愛読者に届くことを秘かに祈っている。

黄表紙『敵討義女英』(YOUKU)(bilibili

2020年2月22日土曜日

因幡国の娘

注釈絵で読む徒然草」と名乗って、週二点のGIF動画の公開をつづけている。その中、第40段について、「妙な話」「満足な答えが得られない」とのコメントに対して、興味深い教示が寄せられた。小林秀雄の『無常といふ事』(1946年)を紹介し、それをめぐって議論する、わずか数週間まえのブログである。

あの批評の大家をして同じく「珍」をもってこの段を語らせたことには、まずは驚いた。一方では、小林の論が向かう先には、「無常」という大きなテーマにおいての兼好の立ち位置であり、兼好の書き方を鋭く指摘したと賛同しながらも、あくまでも抽象的で、同じ指摘は『徒然草』のほとんどの記述に当てはまり、その分、この40段への答えにはならなかったとも言えよう。

そこで、栗しか食べないという因幡国の娘をめぐり、その親がすべての求婚を断ったということをわざわざ記した理由とは、はたしてどこに求めるべきだろうか。兼好がそれを明記しなかった以上、読み手が答えを探るほかはない。はたして『徒然草』を熱心に読んでいた江戸の文人たちは、さまざまな言説を残してくれた。『徒然草諸抄大成』を頼りに二、三上げてみよう。娘の親を褒め称える意見として、娘の外見と内実が一致しないことを悟っているから失敗を避けた(恵空和尚『参考抄』)、もともと持ち合わせていないものを世の中に求めるべきではない(高階楊順『句解』)などに対して、そのような娘を育てた責任はそもそも親にあるのだ(長頭丸『貞徳抄』)という辛口の批判もあった。まるで重奏を成したかのような互いに譲らないこれらの見解には、納得の答えが隠されているのだろうか。

2020年2月15日土曜日

電子ブック読書

ここ数週間、アマゾン日本が提供している「Kindleunlimited」には海外からでも加入できるのに気づき、電子ブックを数冊読了した。なかには新刊で話題になったタイトルを含め、読み放題でクリック一つで手元で披けたことは、やはり気持ち良い。そして、あらためて電子ブックという媒体を眺めた。

キンドルの電子ブックは、とりわけ複数のデバイスで利用できることを謳っている。個人的にはまさにそのような読者の部類に入る。どこでも握っている携帯、圧倒的に利用時間の多いパソコン、サイズやOSがそれぞれ異なるタブレット、そして電子インクのキンドル端末まで並列に手元に置き、その時の気分にあわせて切り替えている。こうなれば、一冊の書籍の続きを開いたりした場合、まず気になるのはページの記憶や移動だ。電子ブックにおいて、そもそもページという概念は曖昧だ。フォントやテキストサイズを調整すればすべてそのまま全体のページの数に響く。キンドルは一通りページ数の表示を保っているが、一部の電子テキストアプリはすでに「ページ」を不要にして、代わりに行の数を利用するようにした。当然な対処だろうが、読書に伴う引用、批評、他人との交流などきわめて基本的な行為は、どうしてもとまどいが多くて、もどかしい。

現在の電子ブックの主流は、紙書籍に付随してそれを「電子化」することを制作の基本としている。そのため、どうしても紙書籍らしく作ることから出発し、紙媒体へのリスペクトの形で現れたさまざまな工夫は、在来の読書習慣を受け継ぐという理由から必然的に要求される。その分、デジタルの媒体になったことの特有の側面はなおざりにされてしまう。読書活動が必要とする基本的な期待に応える機能は、どれも確立されておらず、音声、動画など他のメディアへの越境となれば、その方向性すらいまだ見えてこない。

2020年2月8日土曜日

男と女の間

男女の間、夫婦の姿、これを持ち出したらまさに人間の数だけさまざまなドラマがあって、それの平均像、理想像などを求め始めたらきりはない。だが、その分だけ、フィクションの世界では長く語り口とされ、弛まずに追求されてきた。

先週日曜に放送した「麒麟がくる」三回目に、目を惹く一瞬があった。土岐頼芸から妙な一言を囁かれた斎藤高政が、その真実を母深芳野に問いただし、それが斎藤道三に悟られ、側室としての深芳野は夫婦睦まじい様子を懸命に息子に見せるという件だった。これだけ密度の濃い情報を本のわずか数分間の会話や演技に託したのは、さすがに映像のマジックと言わざるをえない。それのハイライトは、女が男に体を寄せ合うという、いわゆる王朝絵巻を思わせるような構図を地で行く振り付けだった。丁寧な演出に思わず唸った。

一方では、絵巻に見る「男女ならびゐたる絵」(「十訓抄」の用語)をかつて追い求め、国文学研究資料館主催の研究集会で発表したことまであった。それを想起してみれば、目の前にあったような、視線を交わさない、まるで舞台の上に座って観客にこれでもかと見せつけるような構図は、意外と記憶に残らない。一つの細やかな課題が現われた。なお、その経緯を記した「男女の構図」では、発表内容の未公開が嘆かわしいと呟いたが、その状況はいつの間にかすっかり変わり、ただただ嬉しい。

絵巻にみる男と女の間

2020年2月1日土曜日

光秀と麒麟

光秀をめぐる出来事のあれこれは、日本の歴史を講義する場合、なによりも恰好のテーマであり、若者たちはいつも目をきらきらしながら話を聞いてくれる。そのようなところに、大河ドラマになっているのだから、いっそう好都合だ。

ただ文学的な脚色だと十分承知しているつもりだが、それでも「麒麟」の意図するところが分からない。伝説上のめでたい動物、ひいては平和などといった由来が信じられたとしても、それと光秀との関連にはぴんとこない。もともと歴史事件の解読としても、平和を願う人物像を信長に求めたら、もうすこし分かりやすいようなものだが。

あれこれと不思議に思っていたら、江戸時代に書かれた『絵本太閣記』には、光秀の身辺をまつわる記述にたしかに麒麟のことが出てきた。思わずはっとなって読み返した。例の、光秀怨恨説の一端を担う、徳川(作品の中ではあくまでも「東国より」の「上客」としたのだが)接待での失策を描く件の一行である。

「麟の脯、鳳の炰なしといへども、山海の魚鳥、数を尽して蓄設け」(三編巻七「惟任光秀再恨信長公」より)

脯には「ほじゝ」、炰には「つゝみやき」と、読みが振られる。麒麟や鳳凰の干したり、焼いたりした肉、というものだった。

さらに目を凝らして読めば、そのようなものを用意されたのではなく、なかったと書いてある。「太閣記」においてだって、麒麟はいまだやってこなかったのだ。なぜかほっとした。

2020年1月25日土曜日

百鼠図

中国の暦では、今日の日付をもって子の歳が始まった。「春節」とよばれる新たな一年の始まりは、中国国内の最大の祝日であり、いまや世界でも広く知られ、祝福の言葉が交わされるようになった。一方では、干支の文字は古風な言い回しに止まり、普段の表現としては、あくまでも「鼠」である。

鼠の年を迎えて、それをめでたく寿ぐ方法は、さまざまと案出され、楽しまれている。中では、ちょっと思いよらないものもある。たとえば、「百鼠図」。写真はその一例である。百の図と名乗り、同じ文字の異なる字形を百と集め、それを丁寧に書き並べるというのは、予想以上に長い伝統を持つ。その中で一番有名なのは、寿の文字を集めたものがあげられよう。清の文人の記録によれば、宋の時代にすでにそのような作品があり、しかも岩に刻まれたと伝わる(銭曾『読書敏求記』)。あとは「福」「禄」などの文字もよく書かれる。ここにいう百の違う字形は、古い篆書の恰好をしている。実際に伝わる象形文字、金石文字などの実例を寄せ集めたのが中心になるが、一方では楷書や行書の字形、ひいては文様パターンなどまで取り入れてのオリジナル字形も創出され、用いられている。これも同じく右の実例を眺めればすぐ分かることだ。

それにしても、鼠の文字を一面に書かれたものをどこかの壁に掲げて飾ることは、想像してちょっぴり落ち着かない。あくまでも廻ってくる新しい春を祝う一種の遊びだと、書く人も賞でる人もそう思っていることだろう。

2020年1月18日土曜日

FBページ

江戸時代の盛んな出版や旺盛な読書の産物として、絵による「徒然草」の注釈が複数制作され、ながらく享受されてきた。それらの注釈絵をいわゆる四コマ漫画風に読み、そしてその読み方をGIF動画の形で伝えてみることになんとなく誘われた(「四コマGIF」)。手軽に作って公開したら、いつの間か十点を超え、週二回更新して、しばらくは続きそうだ。

はっきりしたテーマなので、どこかまとめて置いたほうが良さそうに考えた。一方では、FBが提供している「ページ」という機能にはまえから興味があって、はたしてどのようなものなのか、やはり使ってみないと分からないから、これにあわせて利用してみた。「注釈絵で読む「徒然草」」という名でFBページを立ち上げた。運営の仕方やその狙いなどには、いろいろと隠された工夫があるだろうと、好奇心半分に想像していたのだが、いまのところ、これといった大きな感触はない。たしかに例えばグーグルサイトとはかなり違う。言ってみれば、一方的にまとまった情報を見せるのではなく、グループや同好の仲間たちが頻繁に交流することを前提に枠組みを設けてくれているのだろう。その分、アナウンスまでにはいっさい反応はなく、ページの目立つところには、制作者に向けて「友達に「いいね!」をリクエストしよう」とあからさまに説教する。なんとなく落ち着かない気分だ。

GIF動画はツイッターにも掲載している。これを機に纏めてタグを付けておく対応を取った。ただこれまでのツイートに手入れする選択は用意されておらず、やむなく十一点目から実施することにした。(#注釈絵で読む徒然草

注釈絵で読む「徒然草」