男女の間、夫婦の姿、これを持ち出したらまさに人間の数だけさまざまなドラマがあって、それの平均像、理想像などを求め始めたらきりはない。だが、その分だけ、フィクションの世界では長く語り口とされ、弛まずに追求されてきた。
先週日曜に放送した「麒麟がくる」三回目に、目を惹く一瞬があった。土岐頼芸から妙な一言を囁かれた斎藤高政が、その真実を母深芳野に問いただし、それが斎藤道三に悟られ、側室としての深芳野は夫婦睦まじい様子を懸命に息子に見せるという件だった。これだけ密度の濃い情報を本のわずか数分間の会話や演技に託したのは、さすがに映像のマジックと言わざるをえない。それのハイライトは、女が男に体を寄せ合うという、いわゆる王朝絵巻を思わせるような構図を地で行く振り付けだった。丁寧な演出に思わず唸った。
一方では、絵巻に見る「男女ならびゐたる絵」(「十訓抄」の用語)をかつて追い求め、国文学研究資料館主催の研究集会で発表したことまであった。それを想起してみれば、目の前にあったような、視線を交わさない、まるで舞台の上に座って観客にこれでもかと見せつけるような構図は、意外と記憶に残らない。一つの細やかな課題が現われた。なお、その経緯を記した「男女の構図」では、発表内容の未公開が嘆かわしいと呟いたが、その状況はいつの間にかすっかり変わり、ただただ嬉しい。
絵巻にみる男と女の間
2020年2月8日土曜日
男と女の間
Labels: 内と外・過去と現在
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿