2020年2月1日土曜日

光秀と麒麟

光秀をめぐる出来事のあれこれは、日本の歴史を講義する場合、なによりも恰好のテーマであり、若者たちはいつも目をきらきらしながら話を聞いてくれる。そのようなところに、大河ドラマになっているのだから、いっそう好都合だ。

ただ文学的な脚色だと十分承知しているつもりだが、それでも「麒麟」の意図するところが分からない。伝説上のめでたい動物、ひいては平和などといった由来が信じられたとしても、それと光秀との関連にはぴんとこない。もともと歴史事件の解読としても、平和を願う人物像を信長に求めたら、もうすこし分かりやすいようなものだが。

あれこれと不思議に思っていたら、江戸時代に書かれた『絵本太閣記』には、光秀の身辺をまつわる記述にたしかに麒麟のことが出てきた。思わずはっとなって読み返した。例の、光秀怨恨説の一端を担う、徳川(作品の中ではあくまでも「東国より」の「上客」としたのだが)接待での失策を描く件の一行である。

「麟の脯、鳳の炰なしといへども、山海の魚鳥、数を尽して蓄設け」(三編巻七「惟任光秀再恨信長公」より)

脯には「ほじゝ」、炰には「つゝみやき」と、読みが振られる。麒麟や鳳凰の干したり、焼いたりした肉、というものだった。

さらに目を凝らして読めば、そのようなものを用意されたのではなく、なかったと書いてある。「太閣記」においてだって、麒麟はいまだやってこなかったのだ。なぜかほっとした。

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