2013年6月28日金曜日

彫刻の森

ほぼ三十年ぶりに、箱根にある「彫刻の森美術館」を再訪した。前回はたしか雪の中だったが、今度は好天に恵まれた。名高い登山列車は言葉通りの超満員、しかも大多数は年配の方々による観光グループであり、美術館の門前には、修学旅行の若い学生たちが大勢集まり、外国人観光客もかなり目立つ。どうやら「彫刻の森」は相変わらずに老若男女に愛され続けているものだ。

130629木々の森や彫刻の間を歩いて、ここはまさに名前に示された通りに美術館なのだとなぜか納得した思いだった。名作という名にふさわしい作品はほどよく配置され、その一つひとつには作者やタイトルが添えられ、作者の個性や時代の変遷をはっきりと伝わってくる。いうまでもなく展示は彫刻作品なので、展示を置き換えたり、特定のテーマを打ち出したり、ひいては他所から作品を借りて集中展示したりするなど、普通の美術館でなされていることはとても期待できない。ただその代わり、三十年もの前の作品と再会したりしたときの感動は、これまたいささか特別なものだった。それから、普通の美術館ではけっして目撃しないことに、室外陳列の彫刻の美術品を清掃するために歩き回る人の姿がいた。妙に印象に残った。

一方では、美術館と呼ぶには、作品の内容や由来についての説明情報は、あまりにも少ない。数多くのロダンの作品などは、ほかの場所で確実に何回も見ている。このレベルの銅像は複数に存在するという事実は分かっているが、これをめぐる常識はまったく持たない。いわゆる複製ではないことはたしかだ。しかしながら、どんなに名作だと言われても、製作当時から十個も二十個も作られたとはとても思えない。そこで、必要に応じて制作されたものは、かなりの時期が経ったので、同じものだと考えるにはどうも違和感を拭えない。展示されている彫刻作品については、工房関連の情報は普通の見学者には提供しないのがいまの基本方針のようだが、その理由など、図りきれない。

彫刻の森美術館

2013年6月22日土曜日

大洪水

短く京都に滞在している。記すべきことは溢れるほどあるにも関わらず、今週はやはりこれを避けるわけにはいかない。ホームタウンは、大洪水の災害に見舞われた。目下のところ、都市全体の約一割の十万人もの人間が避難を強いられ、かなりの道路や家屋などが水没されている。勤務する大学は、金曜から大学を閉鎖し、しかも同じ措置はとりあえず火曜日までと決定し、キャンパスは避難者たちのシェルターと変身した。

安否を気遣う友人は、ロッキー山脈に大地震さえ起きなければ、カルガリーはまったく自然災害などとは無縁の町なのにと、書いてくれた。まさにその通りの思いだ。これだけの現代社会で、海抜2000メール級の町が水にやられるとは、やはり妙な結果だと言わざるを得ない。しかも温暖などで突然山の氷が溶けたりしたようなことではなくて、あくまでも記録的な降水によるものだと言われているのだから、どうしても腑に落ちない。写真やテレビ画面から伝わってくる水没の画面を見つめて、見慣れた日常の風景とはあまりにもかけ離れた様子に驚き、震え、目を疑うばかりだ。

130623このような内容、これだけの規模の災難に襲われたら、つぎに取り掛かる課題は、被災者の救援、被害地域の再建、より大きな意味での都市計画、そして被災した人々の心のケアと、数え切れない。その一つ一つは紙上の空論ではなくて、地味な毎日の生活の一部に入り込むものであろう。その中で、とりもなおさず二週間ほどさきに迫ってくる年一度の都市行事であるロデオが、市民ボランティアなどの力で決行するとの宣言がすでになされている。どのような展開になるものだろうか。

2013年6月16日日曜日

巷の粽

かなり久しぶりに端午の日を中国で過ごした。いつの間にか端午とは国をあげての祝日となっている。今年のそれが水曜日に当たるため、ほとんどの機関や会社などは直前の土、日を出勤日とし、振り替え休日をもって連休を作り出しているという力の入れようである。昔の記憶にはなかったもので、はなはだ感心した。

ラジオとかでは、端午、そしてこれとセットになっている粽のことを繰り返し放送している。たまたまだっただろうけど、二回も耳に入ったのは、独りよがりな、重いアクセントを混じった語り口の学者による解説だった。正直、聞いていても要領が得ない。海外ではまるで新興のスポーツにまでなった感じのドラゴン・ボードのことは、どこでも触れられていない。端午というのは、そこまで説明が必要とされ、難解で理屈っぽいものなのだと、なぜか合点したような印象だった。一方では、粽はたしかに商業ベースのレールに乗り上げたものだった。街角にはまさに言葉通りのさまざまな形や中味の粽が充満し、しかもお土産用のものとなれば、その値段はカナダのそれとまったく変わらないものとなっている。ただ端午の日が過ぎれば、すべての粽はあっさりと店頭から姿を消してしまい、あっぱれなぐらいだった。

130615文字によって記された粽は、かなり古いものに遡るものだろうと漠然と想像して調べてみたら、なんと約750年まえの粽の実物までお墓の中から出土されたものである。しかもほんの20年ほど前の発見にすぎない。味やら歯ごたえやらもう知るはずもないが、写真を見るかぎり、現在のどこかのブランドもの粽の宣伝写真だと言われてもまったく違和感がないぐらい、完全に今風のものなのだ。少なからずに驚いた。

江西德安南宋周氏墓清理简报(『文物』1990年9期)

中国の街角

ごく短い中国への旅に出かけてきた。前回のはまるで昨日のことのように記憶はしているが、それでも約二年の時間が流された。曇りの中を北京空港に降り立ったせいもあって、空はたしかに薄暗くて、予想を超えたことがあった。ただここで生活している人々には、まるで認識がなくて、空気はやはり悪いなの、と、何回となく陽気に聞かれたものだった。

130608新しい建物が相変わらずに凄まじい勢いで現われてきた。記憶にあったランドーマークを見つけ出すことなどとっくに諦めた。それにしても、夜の街角を歩くと、溢れんばかりの活力にはやはり驚いたものだった。人々は言葉通りの多彩多様な方法で自分を楽しませている。新築の広場に立って周りを見渡してみるだけで、目に入ったのは、壁に向かっての一人テニス、ぎこちなくラケットを握ってのバトミントンをはじめ、手作りのライトを豪華に取り付けた凧、鮮やかな身なりの鞠やサッカーボール、大勢のグループによるダンス、風を靡かせるローラースケートの群れ、まさに数えきれない種類の遊びが一斉に展開してくるものだった。タクシーに乗って凧の話を持ち出したら、おしゃべり好きの運転手がまじめな顔で、あれが禁止されるんだよねと口を開き、かつその理由とは、夜間の飛行機に危険をもたらすものだからと真顔で教えてくれた。どこが人をからかう冗談で、どこが人に言われたことを素直に信じるものなのか、計り知れないままタクシーから降りた。

ただ苦労してウェブにアクセスしたら、グーグルにはアクセスできないことを思い出された。したがって、すくなくとも現時点ではこのブログの更新どころか、閲覧することだって出来ないものだ。この現状はいずれさっと変わるものだと、いまは祈るのみだ。