週末に入って、日本のテレビ番組を眺め、この夏に放送された番組の再放送である「国宝へようこそ・洛中洛外図屏風」を見た。内容によるところも大きいが、国宝屏風の魅力を現代の生活から痕跡を求め、伝統を確かめるというテレビならではのアプローチ、大いに共鳴を感じ、いろいろと啓発を受けた。
この「上杉本」の国宝屏風、これまで自分の視線でじっくり読んではいなかったにもかかわらず、なぜか親近感を感じる。よく考えてみれば、学生時代に指導教官の著書を新刊で読んだという読書経験とは切り離せない。(『標注洛中洛外屏風』、1983年)屏風の詳細をめぐり、和歌、俳句、随筆、小噺などいわゆる近世の文芸によって辿り、確認するという、古典画像への視線、古典資料を操る熟練した知の追及は、絵巻をはじめさまざまな古典画像資料を読むための最初の指針がそこに示されたと、つくづく思い返すものだった。
テレビ番組は、祇園祭りとの関連を切口にした。すでに秋の入ろうとしているいま、あらためてその祇園祭り自体が今年は中止せざるをえなかったことを想起させられた。その理由は、ほかでもなく疫病。人間と疫病との関係、疫病の猛威とそれを退治するに違いないという明日を思い描きながら。
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