古典の物語、絵巻や奈良絵本、能や狂言、そして現代小説などに語られる夢のことについて、これまでこのブログでも何回となく取り上げてきた。振り返ってみれば、どれも記された夢、語られた夢であり、自分との距離を努めて持たせていた。夢とはだれだって経験するものだが、そのような個人的な夢を記録して他人に伝えることは、あるいはそれなりの覚悟が必要かもしれない。
よく言われるように、夢には、色、匂い、触り、声と音と、人の五感に訴えるところがある。さらに、物語的な展開、言い換えれば物語のプロットをもつ夢を見たことがあるのだろうか。それには込み入ったストーリーが展開され、人の会話はもとより、状況を説明するナレーションまでついたものなのだ。それは、時にはしんみり、時にはミステリアスに感覚に訴え、切実にして切羽詰まり、そのまま小説になるのではないかと斜めに眺める瞬間さえある。はてにはそれが夢だと悟り、それでも物ごとの結末を見たいが一心で目を瞑ろうと我慢する。ただ、醒めてみれば、あれだけ真実のようなこともあまりにも突飛でわけが分からず、しかもその詳細はまるで朝の露みたいにあっという間に記憶から消え去っていくものなのだ。夢というテーマに関連して、かつて研究会(「夢と表象-メディア・歴史・文化」)に参加し、そこから生れた論集に投稿までした。いまから思えば、いろいろな意味でたいへん勉強になった。上の写真は、論集のカバーの一部だ。
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