2020年4月4日土曜日

関係〜ない

雑誌『中国21』(巻52)は、「関係」をテーマに据えた。中国についての議論にあまり関わっていなければ気づかないかもしれないが、「关系・グァンシー」とは、日本をめぐる言説に置き換えて説明すれば、いわゆる「建前・本音」のような国民意識を
捉えるものであり、「ケイレツ」「エモジ」のようなそのまま英語の語彙に加わったものである。編集者の好意により、コラム欄に投稿させてもらった。

日本や中国の錚々たる論者たちによって多方面から「関係」が語られたに違いないと予想し、言語学習を切口とした。中国語と日本語の両方にわたるこの語彙を実例に、中国語話者にとっての日本語学習のいくつかの側面を取り上げた。これまで教室に通ってきた学生たちの苦労などにも触れたが、それよりも思わず自分自身の経験を振り返った。日本語を教えることを仕事としてきたが、そのような自分にとっての日本語は、あくまでも外国語だった。そのような勉強や実用の過程を思い出してみれば、やはり長い道のりだった。あえて言えば、無から基本を覚えたまでの間は、文型や語彙が身について目に見えて喜びの連続だった。つぎの段階は、さまざまな場面や媒体を通じて言葉を使い、かつ相手に通じることを実感して楽しかった。だが、本当の試練はその後だった。ある程度日本語が自分のものになったと思ったら、自慢にしてしゃべったことはしっくり来ない表情に跳ね返られ、練って書いた文章は直され続けて、終わりが見えない感じでつらかった。

いまは、以上のような学習者としての階段をいずれも通り過ぎたと言えよう。書いて提出した原稿には、書籍や雑誌の編集者からの視線さえいつの間にか優しくなった。しかしながら、あえて朱入れの訂正が入らなくても、文章には妙な表現があっちこっちに顔を出していることには、むしろ自分が一番心得ている。外国語を使う、語学の段階を踏むということは、けっきょくこういうものだと、言語教育に携わってきて、なぜか妙に納得しようとしている自分がいた。

『中国21』Vol.52 “人際”の関係(グァンシー)学

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