2012年3月25日日曜日

パノラマの故宮

友人の計らいにより台湾に出掛けてきた。若い学生たちの繊細な知識や鋭い反応に驚きながら、絵巻をまつわる話がいつか何かの形で実ることを祈りつつ、教室を後にした。週末は、幸いかなりの自由時間に恵まれる。大きなカメラを持ってきていないことにどこか後悔を感じても、小さいカメラを使い倒すことに専念した。その中で、パノラマ撮影はやはりユニークだ。この機能の存在、そしてその撮影原理は理解しているのだが、実際に使ってみて、その出来の良さにはやはり感心した。台湾・故宮を撮った数枚をここに添えておく。

パノラマ写真は、いわば人間の自然な視野を超えたものを記録している。手持ちのカメラには、180度と360度という二つの方法を用意している。だが、たとえ前者の180度のものでも、撮影した写真を「一目に」眺めることは出来ない。しかもそれは写真を映し出すスクリーンのサイズとは関係ない。人間の目は、一度に見えるものには限られた角度があり、ものをはっきりと捉えるためには、左右の幅には自ずと限界が出来てしまう。この事実をパノラマの写真にはっきりと確かめられることは、したがって逆説的に景色を見るにあたっての一つの前提が浮かんでくる。すなわち無限に広がってくる景色を見るために、人間は視線を移して少しずつカバーし、つねにすでに得た知識などを応用して、目に入ったものと、入っていなくても想像で分かるものとを合流させて認識の中で再現するものだ。パノラマの写真は、よく絵巻に喩えられるが、そのような性質を絵巻がとっくの昔から備え、意図的に応用していたことを、この比喩においてすでにはっきりと訴えられているものだ。


ちなみに手持ちのカメラは、パノラマ撮影となると面白い働きをする。パノラマの写真は、普段のそれと比べて、縦の解像度は約五分の一ぐらいに落とされている。しかも180度も360度も縦は同じで横は倍違い、という設定だ。パノラマ機能はあくまでも一種のおまけとして添えたに過ぎないことだろうか。できるだけ高い画質で写真を取っておくという思いからすれば、ちょっぴり心残りだ。

パノラマの故宮(三枚)

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