江戸時代の『徒然草』注釈、とりわけ絵による注釈の基礎を作り上げ、一つの大きな達成を見せた松永貞徳の『なぐさみ草』(1652年)は、絵の構成、構図においてところどころに思い切ったものを示した。ここに、その一例として第七十九段を眺めてみよう。
この段は、『徒然草』にくりかえし現れるテーマの一つ、兼好の、批判者としての説教と先達として伝授である。説かれたのは、都会人の教養やその身なり、振る舞い。いわくなんでも知った顔をするのは「片田舎」の者、どんなことについても、ぺらぺらとしゃべらないで、「問はぬ限は言はぬこそいみじけれ」、といった内容である。これを注釈する画像として、田舎者や都会者、身振り手振りを交えた会話の様子など、いくらでも構想できるところ、『なぐさみ草』がもってきたのは、なんとあの三つの猿だった。しかも、述べられているのは言うか言わないかという明白な行動なので、「言わ猿」にスポットを当てても良さそうなのに、三猿をあくまでも平等に描いた。驚くほかはない。思えば、この一枚の構想は、兼好の説教が当時の読者ならだれでも熟知しているはずのあの三猿の教えと同質なものだとの認識から出発したのだろう。身近な価値判断をもって『徒然草』を読み、それが述べたところを噛み砕いて伝える。しかも三猿はすでにつねに一セットになっているからこそ、原典の言説にいちいち拘らない。考えようによれば、一つの注釈のありかたとして、最高の境地に達したとさえ言えよう。
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