『此奴和日本(こいつわにっぽん)』という黄表紙の作品がある。物語の主人公は、中国で暮らす塩商という大家の息子塩秀才だ。海の向こうの中国では、海に囲まれた日本と違って、塩がとても貴重なものだと、なかなかもっともらしい設定をして楽しい話を展開した。
その中の圧巻は、右にあげたこの一枚にほかならない。塩秀才は、中国のことに関心がなくて、とにもかくにもすべて日本が最高だと決めつける。テキストには「書籍は明州の地へ頼置て日本記、今川万葉集、源氏平家の物語、新渡の絵草子、顔見世評判記まで封の切らぬを取りよせる」と記し、部屋の真ん中に鎮座するのは、そのような書物を入れた人の背丈よりも高い書籍箱、机に飾ったのは「天の浮橋の鶺鴒の羽根」、「瀬戸物の水入れ」、そして絵のことまで登場し、「壺屋」、土佐の「大津絵」と、「唐絵とちがってまた和絵は特別なものだ」と絶賛される。憧れの唐ものに正面から向こうを張る日本のさまざまな伝統や流行がここまで言葉を惜しまずに持ち上げられて、読む者は思わずウキウキする気持ちになった。この一冊が刊行されたのは、天明四年(1784)だった。いうまでもなく黄表紙一流の思いっきりの空想を売り物にしたものだった。しかしながら、250年も経った今日になれば、予備知識を持たないでこれを読めば、あるははその笑いどころがすっかり分からなくなったかもしれない。この場面に登場した古典や品物をいまふうのマンガ、アニメ、ゲームに置き換えたら、この状況を地で行く中国の人間が大勢存在する。中国語では、「哈日」という表現まで生まれ、これをもって誇りにしたり、冷たい視線を浴びたりしている。もしこの状況を知っていれば、作者の四方山人はきっと塩秀才の物語を作れないに違いない。
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