山東京伝の合巻『八重霞かしくの仇討』(1808年)。その扉に刷られた文字を読めば、意外な内容にいささか驚く。普段なら、作品の内容やら出来栄えやら、作者の思いを語るに最適のこの場所に、「読則」と掲げられている。
その最初の二行は、これだ。予が著述の絵草紙、すべてかならず読則あり。本文、画にへだてられて読がたきも、此則によりて読ば、埜馬台の詩に蜘の糸を得たるが如くなるべし。
あの野馬台詩の典拠まで持ってきたのだから、恐れ入ったものだ。述べられていることは、それ自体は分かりやすい。絵の中に大量の文字が入り、しかも絵の空白を埋めるような恰好で配置していくものだから、その文字情報を読む順番を説明している。「〽」「▲」「〇」などなど、分断された文字の塊の続きを示す記号が用意され、親切とさえ言える。しかしながら、このような文章読み取りに関する基本的な方針は、はたして京伝という一人の作家の、「予が著述」云々で開陳すべきことだろうか。時はすでに文化年間、膨大な数の黄表紙の作品がとっくに世を賑わせたなか、読者がそこまで基本的な知識を必要としていたのだろうか。
それにしても、あの右へ展開する縦書きの実例は印象に残る。(「縦書き右へ」、「縦書き右へ二例」)丁寧に読んで確認したいものだが、京伝には、そのような対応をしたことがあるのだろうか。はたまたなんらかの記号でも用いられていたのだろうか。興味深いことだ。
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