2014年7月19日土曜日

野外劇

それは奇妙な視覚体験だった。

はるばる二時間ほど車を走らせてたどり着いて見たのは、野外劇で繰り広げられるバイブルのストーリだった。キリストにまつわる伝説の一コマ一コマを、丁寧に群集劇で再現したものである。場所は、恐竜の発掘で世界でも有数な平原地帯、特徴ある地形を利用しての、年に一度、十回ぐらいの公演でかなり長く続いてきた由緒あるユニークなイベンドである。

視覚経験の新鮮さということは、自分なりに整理すると、このような理屈になる。そもそもいまごろ、ストーリを目で楽しむとなれば、まずは映画があげられる。クローズアップやらモンタージュやらでこれでもかと見せようとするものを観客に強いる。いまやテレビだってこのような映画の手法やリズムを目一杯活用している。一方では、舞台劇などとなれば、たしかに俳優たちによって等身大の芝居が繰り広げられるが、なにせ舞台という限られた空間だから、人為的な背景に頼るほかはなく、ライトなどの助けによって見る人の目を誘導する。これらに対してまったく異質の野外劇である。照明はあくまでも自然光、背景は起伏に富んだ山々、登場するのは大勢の俳優、観客の視線を惹きつけるのは、せいぜい俳優たちの仕草であったり、ステレオの音楽だったりする。しかも演出は頻繁に観客の予想の裏を掻いて思わぬところで俳優を登場させたり、あるいはわざとだれも見ていないところで芝居が展開させたりする。そこには計算し尽くされ、巧妙に運用される自然のままの舞台があり、起伏する丘の間に俳優たちは自由に姿を現したと思ったら身を隠し、群衆も馬もロバも走り回り、終いには視線の届くかぎりの遠く高い山々の頂上で俳優が旗を振り、ポーズを取ってみせるものだった。

その結果、とてつもなく立体的な山も宮殿も妙に無限な平面に見えてしまった。記憶の中で、人間の激しいドラマの場面は、そのまま静止の画像のように取り込まれ、残されてしまう。このような記憶との対話と確認は奇妙と言わざるをえない。おかげさまで、画像を見るための目は、また一つ肥えた気がしてならない。20140719Canadian Badlands Passion Play

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