奈良女子大学が運営する「奈良地域関連資料画像データベース」に新たなタイトルが加わった。国宝・興福寺本『日本霊異記』である。タイトルを見るだけでわくわくしてきた。
さっそくサイトに入って覗いた。とにかく画質や画像表示のスタイルが素晴らしい。アクセス環境に配慮した二つの画像フォーマット、いまや普及が激しい大画面モニターに対応した自由サイズの表示枠、軽快なサーバーの動きなど、デジタル画像環境の飛躍な進歩を如実に表している。とりわけこの一点の資料の特性、すなわち時間的に先に書かれながらも、いつの間にか裏に回された『金蔵論』のありかたを伝えるために、「近赤外線撮影との比較」や「透過表示」といった工夫など、じつにいたりつくせりのデジタル公開である。
このような資料を眺めていて、どうしても二十年ほど前の研究環境を思い起こす。このような古い資料は、実物を簡単に見られるはずがない。国宝レベルのものだから、影印が施されて、読みたいところなどはそれに当ってみることも可能だが、いかせん「影印」(この言葉、いまやどれだけの人が聞いて分かるのだろうか)。サイズ、色、巻物ならぬ冊子ページにあわせたレイアウトなど、もともとの資料の姿をさぐるためには、よほどの想像力が必要だった。それでもそのような出版物は、若い学生まで含めた人々にどんなに重宝されていたことやら。それに比べて、デジタル公開は、情報の豊富さやアクセスの便利さにおいて、まさに雲泥の差だ。
文字を教えるという仕事の関心から、ついつい千年まえの文字の姿そのものをじっくり見つめた。たとえばタイトルともなった右の三文字、いかにも象徴的なものだ。現代文字の「霊異記」と距離がないようでいて、じつは三つのタイプの違いを見せてくれている。「異」はほぼその通りでいながらも、上は「甲」から「田」に変わったということで、字形に修正が加えられた典型例だと言えよう。「記」の偏は筆の勢いでこの形に終着したものだが、中国の簡略文字の言偏の由来を鮮明に表している。「霊」となれば、現代の文字のほうが真ん中に「一」が入って、千年前の書き方のほうが簡略だったという意外な事実を見せつけられた。文字の移り変わり、いたって味わいがあるのではなかろうか。
貴重な資料のデジタル公開をしてくれた興福寺に敬服の念を禁じえない。これだけ上質なデジタル資料を手にして、専門家はきっと多くの発見ができるに違いない。そのような議論もじっくり聞きたいものだ。
興福寺本『日本霊異記』
2009年4月4日土曜日
デジタル「霊異記」
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