2009年4月18日土曜日

年度講義を終えて

さる金曜日をもって、大学今年度の講義がすべて終了した。翻訳で読む中国と日本の古典という授業も、二十九人の学生を対象に、計十三週間、三十八時間の講義を行った。例年に無く長くて雪の多い一冬だったが、終わってみれば、天気など自然などの理由に影響されたのは、「寝過ごした」「時差の変化に気づかなかった」と謝りに来たのとほぼ同じ数の極少数の学生に止まり、クラス全体はすべて最初に配ったスケジュール通りに進行し、いまはその全部の計画が完成されたという結果になる。

クラスの最後の二時間は、提出してもらうレポートについての口頭発表に当てた。一人ずつ三分の時間を与えて、取り上げるテーマ、アプローチ、それにハイライトについて語ってもらった。クラスの中でも外でも、積極的に交流しようとする生徒は、どうしてもその性格によるところが多い。そのために、半分強制的に発言させてみるというのも、一つの狙いだった。限られた時間内でみんなの前で個別の質疑を試みるということは、聞く人々にもいい刺激になったもようだ。

レポートに日本の絵巻にまつわるテーマを選ぼうとするのは、五人ほどに上った。このクラスは今度で四回目だが、過去に比べてずいぶんと増えたとの印象をもつ。一方では、すこしでもユニークな議論を持ち出そうとの努力は、期せずしてその構想をマンガ、アニメ、あるいは西洋の絵画との比較に走らせた。対象がビジュアル的なものであっても、あるいはそれだけに、どれだけ感性的な知識や生活の日常にかかわる常識が必要とされるものかと、改めて感じさせられた。参照物として身近なもの、あるいは直感的に自信のあるものを持ち出すということは、勉強の段階の一つとしては、賢明な選択だろう。だが、その分、対象とのあまりもの距離を、身近なものをもって感じ取ろうとするあまり、ありがちな誤解に直結することも、一つの落とし穴だ。教える人としてできることは、講義の中ではそのような比較や比喩を努めて避けること、それに、違うものを比較するにはその先にある何かを狙うべきだと繰り返すぐらいだった。

わずか二、三分の口頭発表の如何によらず、じっさいに書き上げられたレポートは、その出来栄えが格段に違うことは、これまでの経験で知っている。そのレポートの提出は、きたる月曜日。そのあとは、こちらがじっくりと読む順番だ。いつもながら、それには採点が伴うものだから、単純に楽しもうというわけにはいかない。なっとくのゆく評価ができるように、教師には、学生に負けないぐらい気の引き締まる作業だ。

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